第531回:安倍政権、終わる。〜格差と分断の7年8ヶ月〜の巻(雨宮処凛)

 7年8ヶ月続いた安倍政権が、終わった。

 突然の幕引きだった。

 2012年12月に発足して8年近く。思えば、長い長い時間だった。諦めや無力感を植え付けられるような、反対意見を言えば「晒し者」にされかねないような、常にそんな緊張感が頭の片隅にあるような年月だった。ということを、終わって初めて、意識した。自分はどれほど萎縮していたのか、8月28日、辞任の会見が終わってしばらくして、改めて感じた。

 さて、第二次安倍政権が真っ先に手をつけたのが「生活保護基準引き下げ」だったことは、この連載でも書き続けてきた通りだ。もっとも貧しい人の生活費を下げるという決断は、「弱者は見捨てるぞ」という政権メッセージのようにさえ思え、貧困問題に取り組む私は発足そうそう、足がすくんだのを覚えている。

 そうして13年から生活保護費は3年かけて670億円削減。もっとも引き下げ幅が大きかったのは子どもがいる世帯だ。13年、「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が成立したものの、その影で、生活保護世帯の子どもはそこから除外されるような現実があった。

 引き下げ後、生活保護利用者から耳にするようになったのは「一日一食にした」「どんなに暑くても電気代が心配でエアコンをつけられない」という悲鳴だ。この夏も数万人以上が熱中症で救急搬送され、東京23区だけでもすでに170人が亡くなっているが、その中には、節約のためにエアコンをつけられずにいる貧しい人々が確実にいる。

 こんなふうに弱者を切り捨てる一方で、安倍政権は「アベノミクス」を打ち出し、ことあるごとに経済政策の効果を喧伝してきた。が、その実態はどうなのか。私たちの生活は、果たして楽になったのか?

 例えば、「非正規という言葉を一掃する」と言いつつも、12年に35.2%だった非正規雇用率は19年、38.3%に上昇した。また、12年から19年にかけて、正規雇用者は154万人増えた一方で、非正規雇用者は352万人増えている。

 金融資産を保有していない単身世帯は12年では33.8%だったが、17年には46.4%まで増えた(18年以降は質問が変わったので単純比較できず)。また、アベノミクスで「400万人を超える雇用を増やした」と胸を張るが、その中には、年金では生活できない高齢者や、夫の給料が上がらず働きに出た女性も多い。

 現在4割に迫る非正規雇用の平均年収は179万円。働く女性の55.3%が非正規だが、その平均年収は154万円。安倍政権は「女性活躍」と打ち出してきたが、多くの女性が求めているのは「活躍」よりも「食べていける仕事」だ。結局、この7年8ヶ月で潤ったのは、ほんの一部の大企業と富裕層だけだ。

 そんなこの国を今、新型コロナウイルスが直撃している。

 この連載でも触れているように、現在、私もコロナ経済危機による困窮者支援をしているが、8月の今も連日「もう何日も食べてない」「3月からなんとか貯金を切り崩して頑張ってきたがとうとうそれも尽きた」「日雇いの仕事にどうしてもありつけず、今日から野宿」などの深刻な相談が寄せられている。真っ先に切り捨てられたのは非正規やフリーランスや自営業。リーマンショックの時との一番の違いは、女性からの相談が多いことだ。それもそのはずで、コロナの影響を真っ先に受けた観光、宿泊、飲食、小売りなどのサービス業を支えるのは非正規雇用の女性たちである。また、「夜の街」と名指された場所で働く女性からのSOSも止まない。相談内容は「近々寮を追い出される」などの深刻なものだ。

 そんな人々が餓死しないために使える制度のひとつが生活保護だ。

 しかし、利用を勧めても、「生活保護だけは受けたくない」と頑なに首を横に振る人も少なくない。そんな光景を見るたびに思い出すのは、自民党が野党だった12年春の「生活保護バッシング」。お笑い芸人家族の生活保護受給が報じられ、不正受給でもなんでもないのに一部自民党議員がこれを問題視。片山さつき議員は厚労省に調査を求めるなどオオゴトにしていった。そんな中、同議員は生活保護について「恥と思わないことが問題」などと発言。このような報道を受け、制度利用者へのバッシングがあっという間に広がった。

 今年6月、安倍首相は国会で、生活保護バッシングをしたのは自民党ではない、などの発言をしたが、今書いたことからもわかるように、生活保護バッシングをしていたのは思い切り自民党である。自民党の生活保護プロジェクトチームの世耕弘成氏は12年、雑誌のインタビューで、生活保護利用者に「フルスペックの人権」があることを疑問視するような発言までしている。このように、ちょっと調べれば誰でもわかることなのに「すぐバレる嘘をつく」のが安倍首相の癖だった。

 さて、自民党が政権に返り咲く半年前の生活保護バッシングはメディアにも広がり、テレビ番組の中には「生活保護利用者の監視」を呼びかけるものまであった。当然、生活保護を利用する人々は怯え、外に出られなくなったりうつ病を悪化させていった。

 なぜ、あれほどまでに生活保護利用者という弱者が叩かれたのか。

 当時野党だった自民党にとって、それはコスパがよかったからなのだと思う。どれほど叩いても、生活保護利用者はさらなるバッシングを恐れて声を上げたりはしない。当事者団体もなければ、彼ら彼女らの声を代弁するような団体もない。そうして利用者を叩けば叩くほど、「自分たちはこんなに働いても低賃金なのに」という層からは絶大な支持を得る。

 生活保護バッシングは、リスクを最小に抑えて「仕事してるフリ」「やってる感」が出せる格好のネタだったのだ。そうしてバッシングによって溜飲を下げた人々からは拍手で迎えられる。このような状況の中、自ら命を絶った生活保護利用者もいたが、彼ら彼女らがその死を知ることは一生ないだろう。そして12年12月、自民党は「生活保護費1割削減」を選挙公約のひとつに掲げて選挙戦を戦い、政権交代。

 そうして実際に保護費はカットされた。

 その後も、生活保護バッシンクは続いた。それだけではない。16年には「貧困バッシング」もあった。子どもの貧困の当事者としてテレビ番組で取材された女子高生の部屋に「アニメグッズがあった」などの理由で「あんなの貧困じゃない」とバッシングが起きたのだ。このことが象徴するように、この7年間は「声を上げた人」が徹底的に叩かれるようになった7年間でもあった。

 「貧しくて大変」と声を上げれば「お前よりもっと大変な人がいる」と言われ(こういう物言いには「犠牲の累進性」と名前がついているのだが)、政権を批判する声を上げれば時に非難を浴び、「炎上」する。

 同時に、この7年間は、「公的な制度に守られている」ように見える人々へのバッシングが繰り返された。生活保護バッシングや、「安定した」公務員に向けられるバッシングだけでなく、おなじみの「在日特権」はもちろん、「公的なケアが受けられる」障害者が「特権」として名指しされたりもした。同時に「子連れヘイト」も広がった。

 このような人々が「守られている」ように見えるのは、障害も病名もない人々が「死ぬまで自己責任で競争し続けてください。負けた場合は野垂れ死ってことで」という無理ゲーを強制されているように感じているからだろう。「失われた30年」の果ての地獄の光景がそこにはあった。

 もうひとつ、書いておきたいことがある。

 それは安倍首相が何度も「敵」を名指してきたことにより、この国には分断とヘイトが蔓延したことだ。

 その被害を、私も一度、受けている。

 それは「悪夢狩り」。安倍首相が「悪夢のような民主党政権」と発言した少し後のことだ。「悪夢狩り」は、スマホにTwitterの通知が怒涛の勢いで表示されることから始まった。見知らぬ人々から「雨宮さん、一体これはどういうことなんですか?」などの質問が次々に届き、あっという間に数百通にも達した。「私、何かやらかしてしまったんだ」と全身から血の気が引いた。それはどう考えても「炎上」が始まった瞬間に思えた。もう終わりだ。心臓がバクバクして、全身に冷や汗が滲んだ。その間も通知はすごい勢いで届き続ける。あの時、電車のホームにいたら飛び込んでいたかもしれないと今も思う。

 「リプ攻撃」は一時間ちょうどで終わった。人生で、あれほど長い一時間はなかった。のちに、それが「悪夢狩り」というものだと知った。「悪夢のような民主党政権」と関係があった人物が次々とそのようにしてSNS上で「狩り」に遭っていたのだ。何月何日何時からと時間を決めて、大勢が一斉にリプを送る。参加する方にしたら軽い気持ちでも、やられた方は追い詰められる。自ら命を絶ってもおかしくないほどに。民主党政権時代、私は厚労省のナショナルミニマム研究会に所属していた。それ以外にも、民主党政権とは、貧困問題に取り組む中で様々なつながりがあった。

 私にとってこの「悪夢狩り」の経験は、第二次安倍政権を象徴するものだ。国のトップが、誰かを「敵」と名指しする。それを受け、「安倍政権が敵とみなした者には何をしてもいい」「自分たちが成敗せねば」という思いを持った人々が誰かをみんなで袋叩きにする。トップは決して手を汚さない。このような忖度のもとで、いじめや排除が正当化され続けてきた7年8ヶ月。「言論弾圧」という高尚なものですらなく、もっともっと幼稚な、子どもが小動物をいたぶるような感覚に近いもの。

 安倍首相は、そんなことを繰り返してきた。自らを批判する人々を「左翼」「こんな人たち」と名指し、また国会で「日教組日教組〜」とからかうような口調で言ったのを見た時、怒りや呆れよりも、恐怖を感じた。

 クラスの中の、人気も信頼もないけど偉い人の息子でお金持ちという生徒が、「今からみんなでこいついじめよーぜ」と言う時の表情にしか見えなかった。

 子どもじみたやり方で進められる分断は、時には誰かを殺すほどのものになるのではないか――。安倍首相が誰かを名指すたびに、総理大臣が「誰かを袋叩きにしてもいい」という免罪符を発行することの罪深さを感じた。しかし、それに異を唱えたら自分がターゲットになってしまうかもしれない。ターゲットにされてしまったら、終わりだ。そんな恐怖感が、私の中にずっとあった。

 そんな安倍政権が終わるのだ。

 冒頭に書いたように、私はどこかほっとしている。今までずっと緊張の中にいたのだと、終わってから初めて、気づいた。「悪夢狩り」のことだって、今だからこそこうして書ける。いつからか息を潜めるような思いで生きていたことに、終わってやっと、気づいた。

 7年8ヶ月。その間には、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪など、多くの人が反対の声を上げてきたことが強行採決された。私たちの声が踏みにじられ、届かないことを突きつけられるような年月だった。声を上げることによって、見知らぬ人たちからネット上で凄まじい攻撃も受けた。そんなことを繰り返しているうちに萎縮し、無力感に苛まれるようにもなっていた。

 この約8年で破壊されたものを修復していくのは、並大抵の作業ではないだろう。

 政治は私物化され、自分の身内にのみ配慮するやり方がおおっぴらにまかり通ってきた。災害の中で「赤坂自民亭」が開催され、沖縄の声は踏みにじられ、福島は忘れられ、公文書は改ざんされ、そのせいで自死する人が出ても知らんぷりする姿は「民主主義の劣化」などという言葉ではとても足りない。

 だけど、ここから始めていくしかないのだ。なんだか焼け野原の中、立ち尽くしているような、そんな気分だ。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。