“安倍改憲”の終わりの始まり
安倍総理の辞任は、“安倍改憲”という騒ぎの終わりの始まりでもあります。私は率直に歓迎しています。
そもそも憲法は、「国会」にのみ憲法改正の発議の権限を与えており(96条)、内閣や内閣総理大臣に何の権限も与えていません。本人(一人だけ)がいくら悲願とし、やる気を見せているからといって、「安倍」という固有名詞を前置きして憲法改正を語ること自体、憲法論として何の意味付けにもならず、政治論としても何のリアリティを生みません。むしろ、邪な政治宣伝に加担することになってしまいます。また、国会が憲法改正の発議をするには衆参で「総議員の3分の2以上」の議員が賛成することが要件ですが、自民党が単独でそれを満たしたことは一度もなく、自民党を主語に置いて憲法改正の可能性を論じることも同様、意味がありません。内容以前の問題として、“安倍改憲”という用語遣いそのものが失当であったことは、何一つ結実しなかった7年8ヵ月という時の経過によって、十分過ぎるほど立証されたと言っていいでしょう。
この間、安倍氏の独断を汲んだ自民党の一部議員は、憲法改正に関して「やっているフリ感」を出すことだけ躍起になっていました。自民党憲法改正推進本部(細田博之本部長)は2018年3月、党内の一部反対を押し切る形で自衛隊明記ほか憲法改正4項目の条文イメージ(たたき台素案)を公表したほか、前回の自民党総裁選(2018年9月)の後には、衆議院憲法審査会の自民党幹事6名を総入れ替えし、新藤義孝氏、下村博文氏などの安倍氏側近で、憲法改正に積極的と評される議員を新幹事として選任しました(「改憲シフト」と呼ばれます)。しかし、一部の期待とは裏腹に、前記4項目の提示(説明)はおろか、議論は微塵たりとも進みませんでした。国会の現状をみるに、衆議院憲法審査会は定例日(毎週木曜日)に正常開催できるかどうかもままならず、参議院憲法審査会は直近2年以上にわたって実質的な議論が行われていない不正常な状態にあります。
大手メディアも話題を賞味切れにしないよう、自民党の一部に同調し、憲法改正論議を煽り続けてきました。「改憲賛成勢力」というのも、メディアの造語です。国政選挙など政局の節目で“安倍改憲”を繰り返し強調したところで、「議論の停滞」という現実だけが残ったのです。
安倍氏自身、「2020年、新しく改正された憲法を施行する」と豪語したことがありましたが(2017年5月)、その後、スケジュール通りに事が運ばない状況を憂いたり、悲嘆に暮れる自民党議員・関係者を、私は一度も見たことがありません。いかに、見せかけだけの議論が続けられてきたか、ということに尽きます。
ポスト安倍の憲法改正論議
昨日(8日)告示された総裁選では、菅、岸田、石破の各候補者が“安倍改憲”の後始末をどうするかも焦点です。いみじくも憲法改正を党是とする限り、誰が総裁になろうともこの問題は付いて回ります。
もっとも、菅氏の勝利は揺るぎないものですが、岸田、石破両氏の見解を無視することはできません。ポスト安倍の憲法改正論議の方向性が、党内で一致できるかどうか、今後数年の動向のメルクマールとなります。
菅 義偉 (神奈川1区・当8) |
岸田文雄 (広島1区・当9) |
石破 茂 (鳥取1区・当11) |
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キャッチフレーズ | 自助・共助・公助、そして絆 | 分断から協調へ | 納得と共感 |
憲法改正に対する姿勢 | 「…拉致問題、憲法改正など積み残しとなった課題も、引き続き挑戦していきたい」(2日会見) | 「4項目を示している。自衛隊明記も重要だが、その他の3項目(緊急事態対応、教育の充実、一票の較差是正)も重要だ」(1日会見) 「4項目を基本に、しっかり議論を進めていく」(3日会見) |
「党議決定された2012年草案が唯一のもの」(1日会見) 「2012年草案をもう一度読み直せば、国政上の行為に関する説明の責務(草案21条の2)、臨時国会召集の義務(草案53条)などすぐに実現可能なものがある」(4日会見) |
まず菅氏ですが、官房長官の任期が長く、議員個人の見解が示される機会が乏しかったため、憲法改正に対する意気込みはこれまで不明でした。2日の会見でも、全体として安倍路線の継承を匂わせる中、取り組む施策の一つに「憲法改正」を掲げているだけで、どういう項目から始めるかといった各論には触れていません。新総裁に選ばれるのは確実な情勢ですが、その後ものらりくらりと「やっているフリ感」を出し続けるにとどまると予想します。
次に岸田氏です。菅氏とは異なり、あくまで4項目にプライオリティを置いています。ただ、“安倍改憲”を短絡的に引き継いでいると思われるのは本意ではないようで、自衛隊明記案をことさら強調することなく、他の3項目も等しく扱っていく方針を述べています。旧池田派の頃から宏池会は「学者・公家の集団」と冷やかされたり、9条改正には元々消極的な立場ですが、岸田氏も同じく当てはまります。会見動画を見る限り、4項目の内容に淡々と触れるだけで、熱意は感じられません。
最後に石破氏ですが、前回の総裁選と同様、“安倍改憲”と完全に一線を画す姿勢を貫いています。4項目は、自民党としてオーソライズされた案でも何でもなく(憲法改正推進本部の決定にとどまり、総務会における最終的な党議を経ていない)、2012年草案こそが自民党の正式な案であると弁を奮っています(執念に近いこだわりを感じます)。2012年草案のうち、「国は、国政上の行為につき国民に説明する義務を負う」(草案21条の2・新設)、「…要求があった日から20日以内に臨時国会が召集されなければならない」(草案53条後段)を例示するところは、安倍氏を真正面から当て擦っており、いかにも石破氏らしいところです。
菅新総裁の下でも、憲法改正に向けた党内論議は活発化しないことは容易に想像ができます。フェイドアウトしない(やる気がないと思われない)程度に、アリバイ作り的な議論がポツリポツリと行われるにとどまるでしょう。憲法改正に関して、岸田氏、石破氏の派閥は「反主流派」の軸となり、自民党が決して一枚岩でないことの証しとなります。この意味で“安倍改憲”の後始末は、なし崩し的に進んでいき、いずれ世間からも忘れ去られることになります。議論が進展するものと誤信し、“安倍改憲”に頼りきって熱心に活動してきた人々は、相当な“安倍ロス”に陥るのではないでしょうか。
「コロナ改憲」も幻に
この点で付言すると、下村博文氏(細田派)が会長を務める「新たな国家ビジョンを考える議員連盟」(約150名の自民党議員が参加)が8月27日の総会でまとめた、緊急事態条項(4項目の1つ)に「新しい感染症」を追加する案も完全に行き場を失っています。
この議連は元々、下村氏が次の総裁選(本来なら2021年9月)を睨んで、ことし6月に設立したばかりでした。8月27日にまとまった案は、新型コロナウイルスのような新しい感染症を緊急事態の対象に加え、①国会の事後承認を条件に、内閣による緊急政令の制定や財政の支出を認めること、②衆参両院の出席議員の3分の2以上の賛成で、議員の任期を延長できること、が内容でした(下村氏による解説動画はこちら)。議連の提言として公表し、党憲法改正推進本部に条文案の修正を促し、今後の議論の活性化を目論んでいたところでしたが、総会の翌日(28日)に安倍氏の辞任会見が行われたことは、まるでコントのようで、実にタイミングが悪かったと言わざるを得ません。そして何より、党内政局が急展開し、下村氏自身が総裁選に出馬するチャンスは早々に、派閥内(細田派)で否定されています。提言が日の目を見ることはまったく無くなったのです。
もっとも、2021年9月の次回総裁選に下村氏が出馬することになれば、幻の提言が復活する可能性はあります。それでも、憲法改正は党利党略ならぬ「個利個略」で語られるにすぎません。
国民投票法改正問題に与える影響
“安倍改憲”とは直接リンクしませんが、現在および今後の政局に大きな影響を受けるものに、国民投票法の改正問題があります(メディアの関心が及んでいないので、総裁選絡みでもニュースにはならないと思います)。衆議院で継続審査になっている自民、公明、維新、希望の4党が提出している改正案(自公維希案)、国民民主党が単独で提出している改正案(国民民主案)の2本があります。
まず、自公維希案は、2016年公職選挙法改正に従い、有権者の投票環境を向上させる7項目の内容です(公選法並びの改正)。2018年6月27日、衆議院に提出され、6回連続で継続審議となっています。再来週、9月16日に召集予定の第202回国会(臨時会)でも、会期末の18日、7回目の継続審議を決めるはずです。
「廃案にならないだけまし」と言われそうですが、自公維希案は内容的に不十分で、すでに陳腐化している点を指摘せざるを得ません。法案提出が2年以上も前であるために、2019年改正公職選挙法の内容を反映していないからです。2019年公職選挙法改正は、①悪天候時の離島における開票手続の整備、②投票管理者・立会人の選任要件の緩和といった、もっぱら選挙実務に関する内容ですが、これらは国民投票制度でも不足なく補う必要があります。①②が未整備のままでは、仮に国民投票と選挙が同一期日に執行される場合に、その制度間較差が露呈し、執行障碍の事由ともなってしまいます。常識的に考えれば、自公維希案をいったん撤回し、①②を含めた内容で再提出することが必要となりますが、提出会派(4党)の間でそこまでの調整が行われるかどうか、ほとんど期待できません。遠からず、衆議院の解散により、廃案になるものと予想します。
また、国民民主党案は、政党CM規制、ネット広告規制、運動費用(支出上限)規制、外国人寄付の禁止、国政選挙の運動期間との重複回避などの内容で、2019年5月21日、衆議院に提出されたものです。現在、4回連続で継続審議となっており、第202国会でも会期末に5回目の継続審議を決めるはずです。こちらも野党政局の影響が避けられません。
何が問題になるかというと、法案提出者である原口一博(筆頭)、奥野総一郎、源馬謙太郎の3名の議員が、合流新党に加わることになり、成立の可能性がますます見通せなくなる点です。法案が提出された後、国民民主党は立憲民主党、社民党などと「共同会派」を組むに至りましたが、今日に至るまで、法案の取り扱いが宙ぶらりんで、衆議院憲法審査会における法案趣旨説明さえ許されない状況が続いてきました。会派の異動があっても、提出された法案の効力が失われるわけではありませんが、合流新党にも、国会で直接的にも間接的にも憲法論議が行われることそのものを嫌う議員が少なからず存在するため、政治的な事情から、国民民主党案は「箪笥のさらに奥」へと追いやられることでしょう。自公維希案に含まれないCM規制など、制度のあらゆる隙間を埋める内容であるにもかかわらず、各党間の合意形成が進まないのは大変残念です。前回、ニュージーランドの国民投票法制を紹介しましたが、日本でも早く議論を始められたら、11月の大阪市住民投票など大規模な住民投票の制度にも応用できる可能性があったはずです。
宙ぶらりんな状態が目途なく続くくらいなら、自公維希案と同様、衆議院の解散によって一旦廃案となり、総選挙の後、新しい議院構成の下で党派を超えてゼロベースから議論を積み上げる方がむしろ好ましいかもしれません。与野党ともに、「立憲主義」「国民主権」を政局的観点で臨む癖が抜けない限り、この問題の本質的解決はありません。
“安倍改憲”の究極の後始末は、本人の政界引退です。この際、治療に専念されてはいかがでしょうか。衆議院の解散を以て、ぜひ決心していただきたいです。皮肉にも、自民党の支持率、得票数を押し上げるのではないでしょうか。