第537回:コロナで路上に出たロスジェネへの、あまりにも意地悪な対応。生活保護を巡る、杉並区・謎のローカルルール。の巻(雨宮処凛)

 「やっとだね!」
 「本当によかった!」
 「でも、長かった……」

 10月22日午後4時、私たちは杉並区・高円寺の福祉事務所でそう言い合った。この日、ここに揃ったのは立憲民主、共産党、無所属などの超党派の杉並区議が5人。応援のために駆けつけた他の地区の区議、市議、そして生活困窮者支援をする人々、約20人。当事者が2人。「新型コロナ災害緊急アクション」からは瀬戸大作氏、稲葉剛氏、そして私が参加した。メディアの取材も数社入っている。

 この日行われたのは、新型コロナ災害緊急アクションによる、杉並区への申し入れ。その内容は、一言で言うと「アパート転宅させてほしい」というものだ。

杉並区との話し合い

 新型コロナ災害緊急アクションでは、4月以来、コロナで失業した人々の支援をしていることはこの連載でも書いている通りだが、生活保護申請にも同行している。私も同行しているのだが、例えば第518回で書いたAさんの場合、コロナで日雇いの仕事がなくなり、それまで寝泊まりしていたネットカフェも閉鎖手されて所持金13円となり、支援団体に連絡をくれた。そうして4月13日、私が生活保護申請に同行したわけだが、5月6日にはアパートに移っている。その間は、都が用意したビジネスホテルに泊まっていた。ゴールデンウィークを挟んでいたのに、3週間ほどでアパート生活を始められたのだ。その後、Aさんは生活保護を受けながら働いている。コロナで仕事はまだまだ十分にはないが、この調子でいけば、生活保護を廃止できる日も近いと思う。

 さて、これが特別なケースかと言えばそうではない。コロナ禍の中、厚労省は生活保護に関して、迅速に保護を始めるように通知を出している。また、住まいがない状態で生活保護申請をすると、無料低額宿泊所などの相部屋、大部屋の施設に入れられることもあるのだが、厚労省はコロナ禍を受け、原則個室に案内するよう通知を出している。このようなこともあって、コロナ以降、住まいがない状態で申請した人々は比較的すみやかにアパート生活に移行しているのだが、なぜか杉並区はいろいろと難癖をつけてアパートに移行させないのだ。しかも現時点で何人かがアパート移行を阻まれている。

 10月13日、そのうちの一人・Bさん(41歳男性)の面談に同席した。Bさんとはその少し前にも会っていて、杉並区がなかなかアパート転宅を認めてくれないことを聞いていた。しかし、どこかで半信半疑の自分がいた。今はどこの区でもアパート転宅してるんだから大丈夫だろう、しかもBさんは若いし、就労意欲も非常に高い。

 一方で、気になることもあった。それは所持金がほぼない状態で生活保護申請をしたBさんに、杉並区は2週間で5000円の一時金しか出さないと言ったこと。他の区であれば一日あたり2000円ほど出されるが、この場合、一日あたり360円ほどだ。このことについて難色を示すと、相談員は「こう言っちゃなんですけど、Bさん、路上生活してますよね?」と言ったという。これは完全に差別だ。

 さて、ここでBさんが杉並区の福祉事務所に至るまでの経緯を書きたい。

 41歳、ロスジェネのBさんはこれまで製造派遣や警備の仕事をしてきた。勤務先は全国各地。多かったのは「寮付き・日払い」の仕事。コロナが流行り始めた頃はやはり寮付き・日払いの警備会社で働いていた。しかし、コロナの影響で仕事がなくなる。建築や工事の現場が止まったことが原因だった。

 寮を出たのは、特別定額給付金の10万円が出た6月末頃。貯金と合わせて20万円はあったのでシェアハウスに入ろうと思い、ちょうどいいシェアハウスが見つかった頃、駅ビルのトイレに全財産が入った財布を置き忘れてしまう。慌てて戻ったものの、お札はすべて抜かれており、交番に駆け込んだが「お札だけ抜かれたらなんにもできない」と言われてしまう。

 そこから一ヶ月ほど、都内の公園でやむを得ず野宿した。そのうちに季節は夏になりどんどん暑くなる。日中はエアコンが効いているパチンコ屋の休憩室で過ごし、一週間500円ほどで生活したという。銀行にある数千円が最後のお金だったので、それで数本入りのパンを買って3日持たせたり、水は公園で飲んだり。そんな中で見つけたのが、仕事の紹介をしてくれるNPO。そこで宮城県に派遣の仕事があると知る。しかし、すぐにでも働きたいのに面接は5日後。

 ちょうどお盆明けの頃だった。この頃、Bさんは「新型コロナ災害緊急アクション」と一度目の接触をしていた。仕事を紹介してくれたNPOに支援団体の情報を教えてもらったのだ。連絡を受けた「新型コロナ災害緊急アクション」の瀬戸大作さんは、その日のうちにBさんのもとに駆けつけた。瀬戸さんはこの時、住まいも所持金も乏しいBさんに対して生活保護という手もあることを伝えたという。が、「自分でなんとかしないといけない」という思いがあったBさんは宮城に。交通費は会社が出してくれた。

 そうして宮城のある市について寮に入ったが、そのまま2日待機となった。この時点で、所持金は尽きていた。3日目、やっと仕事に入れることに。一日働けば、とりあえず仕事の後に2000円もらえると聞いていた。朝、マイクロバスに乗る前に検温。この時点で36.6度だった。しかし、バスが工場に着いて検温したところ、37.1度。37度以上だと仕事に入れず48時間待機と言い渡されてしまう。48時間経過後、体温を測って熱がなければ働けるという説明。しかし、この時点で所持金ゼロ。これでは生活できない。そのことを派遣会社に訴えるも、「3日後に確実に働けるかわからない人を寮にいさせるわけにはいかない」と出されてしまった。

 こうしてBさんは、縁もゆかりもなく、知り合いもいない宮城で住まいを失ってしまう。お金がないのでここから動くこともできない。交通費がないので東京にも戻れない。近隣で仕事を探してもコロナの中、見つからない。仕方なく役所に行くと、「自立支援センター」のようなところを紹介すると言われたが、「東京から来て3日で、熱が37度以上ある人とは会えません」と施設の人に言われてしまう。

 そこで役所はPCR検査を進めてきた。が、検査はタダだが診断書にお金がかかるということで、生活保護の利用を進められた。

 生活保護を利用することにして、検査。結果は陰性。その日のうちに市営住宅に入ることができた。が、8月後半でまだ気温は34度あったというのに、部屋にはエアコンがなかった。また、役所の説明では、この市営住宅にいられるのは2週間で、「寮付きの仕事を探して出ていくしかないですね」とのこと。

 このような説明は非常に雑で当事者を不安にさせるものだと思うが(別に市営住宅にいられる期間が法的に区切られているわけではないし、寮付きの仕事を探せと指示をする権利は役所にはない)、「素人が言葉では勝てないし、他に泣きつくとこもないから」、それから5日間、必死で仕事を探したという。猛暑の中、30分歩いて毎日ハローワークに行き、帰ってからもネットで調べ、保護費が少しまとまって出てからは、勤務先を東北6県に広げ、製造派遣だけでなくリゾートバイトも探した。しかし、コロナの影響でいくら探しても仕事はない。これからの不安がどんどん大きくなり、一睡もできない日もあったという。

 そんな時、思い出したのが「新型コロナ災害緊急アクション」の瀬戸さんだった。メールすると、瀬戸さんは知り合いもなくコロナで仕事もない宮城にいるより東京に戻ってくることを勧めた。そうしてBさんは役所に事情を話し、そこでの生活保護を廃止して東京に戻る。運良く杉並区にある支援団体のシェルターが空いていたので、そこに入ることにした。そうして9月なかば、生活保護申請をしたのである。

 生活保護申請は無事に認められた。が、前述したように、所持金がない場合、他の区では一日あたり2000円程度出る一時金が、Bさんの場合、一日あたり360円しか出なかったのだ。それに対して「ちょっと厳しくないですか」とBさんが言ったところ、役所の人の口から出てきたのは、前述したように「こう言っちゃなんですけど、Bさん、路上生活してますよね?」という言葉。コロナで仕事を失ったBさんは確かにひと月ほど野宿をしていた。野宿をしていたんだから300円ちょっとで生きられるだろ? というのは確実に、誰が聞いても差別である。

 これについては同席した瀬戸さんも抗議し、結局10日で7000円が出ることに。一日700円は他区と比較して少ないと思うが、とりあえずこの額で決着したようだ。

 そんなBさんと初めて出会ったのは、それから半月後の9月末。その頃から杉並区がなかなかアパート転宅させてくれないという話を聞いていた。よって10月13日、役所の面談に同行したのだが、役所のあまりにも頑なな態度に驚いた。他の区では、保護決定と同時にアパート探しをすることが普通に認められているのに(場合によっては申請の日からアパート探しを勧められる)、杉並区は「3ヶ月から6ヶ月、生活を見せてもらわないと判断できない」の一点張りなのだ。その間に、金銭管理ができるか、ゴミ出しができるかなどが「判定」されるらしい。路上に一度でも出たらそのような対応をしているとのことで、たまたま不運が重なってひと月ほど野宿になったことが、「マトモにアパートで一人暮らしができない人間なのでは」という疑念に繋がっているようなのだ。というか、完全にそういう偏見でBさんを見ているようにしか思えないのだ。

 しかし、ここまで書いてきたように、Bさんは就労意欲が非常に高く、生活保護を瀬戸さんが勧めても「自分でなんとかする」と宮城の派遣先に行った人である。そうして生活保護の利用を始めてからも、「すぐに働きたい」と意欲を見せている。実際、13日にはなぜ自分がアパート転宅をしたいか、理由をはっきりと述べていた。今まで寮付きの仕事をしてきたが、仕事と住む場所を同時になくす経験を多くしてきた。41歳という年齢もあり、住まいを安定させたい。また、ある仕事の国家資格を持っていて、その仕事に就きたいが、住民票がない状態ではその仕事につくことが難しい。様々な書類を揃える必要もあるので、まずは住まいを定めたい。今いるシェルターで住民票をとってアパート転宅して住民票を移動したら、書類をまた一から揃えないといけない。書類が揃わない間は仕事ができなくなる可能性があるのでそれは避けたい。

 これほど明確な理由はないと思うのだが、福祉事務所はのらりくらりと「生活を見せてもらわないと」と繰り返す。「これをクリアできたらオッケー」という基準があるならまだいい。その上、ざっくり「〇月のこれくらいまでにはできますよ」と期限が決まっているならまだ耐えられる。しかし、「いつまでとは言えない」と繰り返すばかり。結局、明確な基準はなく、向こうのさじ加減なのだ。これでは生殺与奪の権利すべてを福祉事務所に握られているようなものである。面談の途中、Bさんは言った。

 「今、必死でモチベーション保ってるんですよ。何もない中、モチベーション保つのどれほどキツいかわかります? そんなんだったら転宅するまで何もしませんってなりますよ」

 しかし、求職活動をしているかどうかは厳しくチェックされるのだ。が、今のままでは面接に行き、受かっても住民票がなく書類が揃えられないので希望の職には就けないだろう。

 これでは延々と「無駄な努力」をさせられるようなものではないか。話を聞きながら、なんだかその人が従うかどうか、福祉事務所に「頑張り」を見せることによってしか越えられないハードルが、Bさんの前に高くそびえているような気がしてきた。これは完全に嫌がらせであり、寄り添うはずの福祉が、Bさんにとって人生の壁になってしまっている。

 この日は1時間交渉した結果、「今週中に電話します」ということで話は終わった。しかし、次の日、Bさんにかかってきた電話の内容は、「2ヶ月はアパート転宅は認められない」の返事。すぐにでも働きたいというBさんに、どうしてそれを邪魔するような仕打ちをするのだろう。

 結局、この返答を受けて私たちは杉並区に申し入れをすることになった。

 ということで、10月22日午後2時、杉並区の福祉事務所には約20人が集まった。当事者はBさんと、アパート転宅がまだ認められていないもう一人。この現状を広く伝えてもらうため、マスコミも呼んだ。

 そうして午後2時、話し合いが始まる。前回の面談は係長で、今回はそれに加えて所長が出てきたものの、平行線が続く。が、アパート転宅を渋る理由として所長が言った言葉に一同、どよめくシーンがあった。それはBさんが「職を転々としてきた人だから」というものだ。

 確かにBさんは職を転々としてきた。しかしそれは本人だけの責任と言えるのか? 短期派遣や日雇いなど、細切れの雇用を広めてきたのは政治であり、派遣法ではないか。しかも、生活保護法では、「職を転々としてきた人はアパート転宅させない」なんて一言も書いていない。まったくもって関係ないのだ。

 これにはBさんも憤りをあらわにした。

 「職を転々って言うけど、派遣法って知ってますか? 派遣でしか働けなかったんです。一度そうなると、寮付き・日払いでしか働けなかったんです」

 Bさんの言う通りで、寮生活は、ある日突然、職と住む場所を同時に失う。そうなると次の職を探す時の条件がどうしても「寮付き・日払い」になってしまう。その日からの寝場所と現金がどうしても必要だからだ。そんなスパイラルから抜け出せない人々を、この十数年間、山ほど見てきた。そしてその一部の人たちが今回のコロナで、あっという間にホームレス状態になるのも。

 福祉事務所は本来であれば、そうやって助けを求めてきた人に寄り添うべきなのに、なぜ、Bさんの行く手を阻むような対応なのだろう。早くアパート転宅をすれば、Bさんならおそらくすぐに仕事も決まって、そうすれば生活保護を廃止するのだって早くなるはずなのに、なぜここまで頑ななのだろう。私は福祉事務所の発想が、合理的ですらないことがまったく理解できなかった。これじゃあ、ただの意地悪ではないのか。

 2時間にわたって交渉した結果、や……っとBさんのアパート転宅が認められたのだった。もう一人のアパート転宅も認められた。大の大人が20人近く集まって、そのうちの大半が生活保護問題のプロで、それがこれだけ集まって交渉してやっと、である。もし、Bさんが一人だったら。そう思うだけでゾッとする。

 最後に、今後、Bさんにしたような「3ヶ月から半年は生活を見せてもらう」というようなことはもう利用者に言わないでほしい、と確認すると、それについては了承してくれた。

 それにしても、なぜ、杉並区でこのような謎のローカルルールがまかり通っているのか。貧困問題を取材して14年、全国各地の福祉事務所で法律にまったく基づかない「変なローカルルール」が慣習として根付いていることは知っていたが、杉並区がこれほど意地悪な対応をしているとは思わなかった。

 一方で、コロナの中、全国の福祉事務所が大変なことも知っている。現場で本当に当事者に寄り添って奮闘する人々の存在も知っているからこそ、あまり悪く言いたくない。しかし、コロナが始まって半年以上経つ最近、福祉事務所のひどい話をちらほら耳にするようになってきている。限界を超えてしまったのだろうか。そのようなことがないためにも、福祉事務所に十分な人と予算をまわしてほしいと切に思う。

 「コロナでホームレス状態になった人の支援をしている」と言うと、たまに「なんでそういうことになるの? 自己責任じゃないの?」なんてことを言われることもある。しかし、ここまで読んで、なぜ、それまで働いていた人がホームレスになるのか理解していただいたと思う。職と住まいを同時に失う寮付きの仕事。熱がちょっと上がっただけですべての予定が狂ってしまうコロナというやっかいな病気。一人でも感染者、疑いがある人が出ただけですべての現場が止まる職場も少なくない。

 忘れたくないのは、私たちの生活の多くの便利は、不安定雇用の人々の働きによって支えられていることだ。なのに、今、そんな人々がなんの補償もなく放り出されている。

 さて、うまくいけばBさんは11月にはアパート生活だ。彼にいい仕事が見つかることを、心から祈っている。

この日、福祉事務所に集まった面々。本当はもっといたけど最後に残ったメンバーで。左から、反貧困ささえあい千葉の阪上武さん、武蔵野市議の山本ひとみさん、杉並区議のひわき岳さん、瀬戸大作さん、杉並区議の富田たくさん、その下に私、そして稲葉剛さん。このままイベントができそうな豪華メンバー!

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。