第540回:渋谷・女性ホームレス殺害〜「痛い思いをさせればいなくなる」を地でいくこの社会。の巻(雨宮処凛)

 「殺してくれてせいせいした」「彼らは人間の姿はしているが人間ではないですから」

 この言葉は、横浜の中学生グループがホームレス襲撃を繰り返していた1980年代、地元の地下街の商店主らが発した言葉だ。82〜83年、襲撃事件は相次ぎ、死者も出ていた。なぜこのような事件が起きたのか話し合う場で、商店主らはそう口にしたのだという(「福祉労働167」ひとりの取材者/当事者として 金平茂紀)。

 11月16日、路上生活者と見られる女性が寝泊まりしていた渋谷のバス停ベンチにいたところを殴られ、命を落とした。

 事件から5日後、母親に付き添われて逮捕されたのは、46歳の男だった。

 男は母親と二人暮らしで、自宅マンション1階で母親とともに酒屋を営んでいたという。3年前に亡くなった父親は、「息子がひきこもりがち」と心配していた。近所の人の中には男を「クレーマーのようだった」と話す人もいたようで、近くに引っ越してきた人は、アンテナの設置位置を変えるよう強く求められたという。その際、男は「自宅のバルコニーから見える世界が自分のすべて。景色を変えたくない」と語ったそうだ。

 そんな男は事件前日の15日、バス停にいた女性に「お金をあげるからどいてほしい」と言ったという。が、翌日もまだ女性はいた。無防備な女性に対して、男は袋に石を入れ、殴りつけたという。

 逮捕された男は、「自分は地域でゴミ拾いなどのボランティアをしていた。バス停に居座る路上生活者にどいてほしかった」などと事件の動機を説明しているという。

 この時だ、私の頭に冒頭の言葉が浮かんだのは。

 そうして同時に、「ゴミを掃除しただけ」という言葉を思い出した。それは過去、全国各地で発生していた野宿者襲撃に関わった少年少女たちの一人が悪気なく口にした言葉だった。もしかしたら子どもたちは「ホームレスを襲撃する」=「ゴミを掃除する」ことで、「大人たちに褒められる」と思っていたのではないだろうか?

 「まさかそんなことはない」と言っても、周りの大人たちが悪気なく、「彼らは人間の姿はしているが人間ではない」などと日常的に口にしていたら? 「臭い、汚い、一刻も早くどこかに行ってほしい」「怠けてるとあんなふうになるんだぞ」などと言っていたら?

 逮捕された男は、動機について、「痛い思いをさせればあの場所からいなくなると思った」とも供述している。

 あまりにも幼稚な言い分だが、私は彼女を本当の意味で「いなくさせる」方法を知っている。声をかけ、自分でダメなら周りの支援者にも協力を仰ぎ、事情を聞ける限り聞き、彼女が使える公的な制度に繋げる。「こういう制度がありますよ」だけではなく、役所などには同行する。その間、困窮者支援のために寄せられた寄付金からホテル代や食費などを給付し、まずは身体を休めてもらうだろう。とにかく安定した生活へのとっかかりを手にするまで、できることはする。

 このような知識を、私は学校でも教えたほうがいいと思う。自分や自分の大切な人や見知らぬ人が「家がないなど命に関わる事態」になっていた時に、何をどうすれば生活が再建できるのかというノウハウだ。そんなことも知らされないでこの不安定な社会を生きていくなんてことは、この時代、無理ゲーに他ならないと思うのだ。

 が、残念ながら今の日本では大多数の人が最低限の「死なない方法」すら知らない状態だ。そんな中、ボランティアで「ゴミ拾い」をしていたという男は、とにかく自分の視界から「異物」を排除したかったのだろう。そうして、無防備な女性を、まるで野良犬でも追い払うかのようなやり方で痛めつけた。

 しかし、「痛い思いをさせればあの場所からいなくなると思った」と述べた彼を、この社会は非難できるのだろうか。

 彼女がいたベンチこそ、同じようなものだった。野宿者排除のため、横になれないよう仕切りがつけられた小さなベンチ。言うなれば、「寝づらくすればホームレスが来ないと思った」というベンチだ。

 それだけではない。コロナ禍で生活保護申請に何度か同行しているが、役所の中には「嫌な思いをさせればもう来なくなる」というような対応をするところもある。わざわざ難癖をつけてアパート転宅をさせない。すでに所持金がないのに一時金を出さないなど。そんな時、「この人たちは、とにかく困窮者に嫌な思いをさせて自分の目の前からいなくなってほしいんだな」と思う。いなくなったら忘れるか、忘れなくても「もう来ないということは、きっとなんとかなったんだ、よかったよかった」ということにしたいんだろう。だけどそれでは、問題は何一つ解決していないどころか、より深刻になっている。

 炊き出しにだってそんな嫌がらせの魔の手が及んでいる。コロナ禍の中、都内で炊き出しに並ぶ人たちは1.5倍から2倍に増え、減る気配はないが、そんな場所にも「排除」が忍び寄っているのだ。例えば新宿の都庁前。ここでは6年前から「新宿ごはんプラス」が困窮者に食品配布や生活相談会をしているが、都はコロナ禍で人が増えた頃から難癖をつけるようになり、ついには嫌がらせのようにカラーコーンを配置するようになったのだ。週に一度、わずか数時間の食品配布である。土曜日だからボランティアと並ぶ人以外いないような場所だ。それなのに、嫌がらせのように置かれるカラーコーン。これだって、「嫌な思いをさせればこの場所からいなくなる」ということではないだろうか。

 さて、ここで亡くなった女性について、触れよう。報道によると、所持金は8円で、広島県出身。約3年前まで杉並区のアパートに住んでおり、今年の2月頃までスーパーで働いていたという。事件が起きたバス停のベンチで寝泊まりするようになったのは今年の春頃から。

 2月までスーパーで働いていたということは、コロナによる失業かもしれない。バス利用者のいない夜中に来て、朝早くいなくなったという。いつも大きなキャリーケースを引きずっていたそうだ。住まいを失い、屋根をある場所を探し続け、やっと見つけたのが吹きっさらしの、だけどわずかに屋根のあるバス停だったのだろう。しかし、ベンチには横になれないよう、しっかり仕切りがついていた。

 彼女と同じような状況にいた人を支援したことがある。一ヶ月、横になって寝ていない上、いつ身の危険があるかわからないからと熟睡できていなかったその人は、ホテルを予約すると、次の日の夕方まで爆睡したと嬉しそうに話してくれた。久々のベッドと久々のお風呂は、どんな特効薬よりも人を元気にさせるということを、私は困窮者支援で初めて知った。

 殺された女性も、支援団体にSOSを出してくれていたら、その日のうちからベッドで眠れて公的支援につなげることができたのに。彼女のいた渋谷には、炊き出しや相談会もあったのに。いくらそう思っても、すべては後の祭りだ。

 一方で、逮捕された男の年齢も気になる。46歳、ロスジェネ。親と同居し親と一緒に酒屋を経営し、引きこもり気味だったという男。「貧乏くじ世代」だけど、同時に強烈な自己責任論を刷り込まれてきた世代でもある。逮捕された男の年齢を耳にした瞬間、どこかで「やっぱり」という思いもあった。

 最後に、長年ホームレス支援をしている奥田知志氏がこの事件を受けて書いた原稿「電源の入らない携帯電話がつながる日はあるか〜渋谷・ホームレス女性殺害」の一部を引用して終わりたい。

 「もし、小学生の女の子がバス停で夜を過ごしていたならばどうだろう。『大騒ぎ』になっていただろう。心配されながら1ヶ月も放置されることは、まずない。しかし、相手が大人であり、かつ『ホームレス』の場合、強烈なブレーキがかかる。これを差別と言う」

 そうなのだ。見て見ぬふりできるのは、「差別」によってブレーキがかかっているからなのだ。

 そろそろ年の瀬、野宿の人々はこれから厳しい寒さに晒される。コロナ禍でこの年末で廃業、倒産が決まっている、これからどうしようという声もこのところよく聞く。このままでは、路上に出てくる人も増えるだろう。

 今年の年末は、いつもよりずっと忙しくなりそうだ。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。