第117回:敗北を撮るということ ~石垣島に陸自ミサイル基地完成(三上智恵)

 「これで防衛の空白が解消され抑止力が高まる」
 陸上自衛隊トップの吉田圭秀陸上幕僚長は記者団に胸を張った。

 3月16日、沖縄・石垣島に陸上自衛隊石垣駐屯地が開設した日。全国ニュースでは「南西シフトの空白解消」という防衛省が使う言葉を各社がなぞって記事を書いた。「南西シフト」の意味も「空白解消」の欺瞞も理解していない記者たちから国民へ、生ぬるくて正体不明の安心感のようなものが手渡された。こうして何かぼんやりと、安全に近づいたようなニュースとして受け取った人々は、全く違う角度から映した今回の私たちの映像を見てなんというだろうか。

 今日から始動する石垣島の自衛隊基地の前で、最後まで「歓迎していませんよ」と意思表示をする人たちの姿を記録するために、私は石垣島に入り、窓のないホテルの部屋で鬱々とした朝を迎えていた。早朝のNHK ニュースでは男性解説者がこう説明していた。

・これで国防上の空白が埋まった
・ただ戦争中マラリアで苦しんだ住民には、歴史的に複雑な感情がある
・島が攻撃対象になる不安もある
・政府には丁寧な説明が求められる

 どの項目も零点だ。島の運命が決定的に変わってしまった今日という日の朝に、こんなことしか言えないのか。同じテレビ報道に携わってきた人間としても憤懣やるかたない。

 南西諸島の島々は長い間、「国防上の空白」などと位置付けられてこなかった。誰でもウェルカムな南の島々、日本中から世界中から愛される海と空が美しい島。それをむさぼり楽しんできた側の人間が、一方で「無防備な島」「ちゃんとしてくれないと私たちにも被害が及ぶ」と評するのは、あまりにご都合主義ではないのか。裸で泳ぎ、トライアスロンで島を一周して満喫し、帰りに「でもミサイルの一つは置いておいた方がいいよ」と言い残して帰る。そんな国民から「国防上の空白地帯」と名指しされるのは、まさに砂を噛む思いがする。

 なによりも、島々に自衛隊施設を増やしていくこの8年に繰り返し使われた「政府は丁寧な説明が求められています」という謎の締めコメント。聞くだけでうんざりする。

 人の住む島を要塞にしていくこと、弾薬を積みあげていく国防政策そのものの是非には絶対に踏み込まず、「説明不足」だけを問題にするすり替えコメントだ。つまりそれは、私たち沖縄に住んでいる側が怖がったり怒ったりしすぎていて、取り乱しすぎてうまく呑み込めていないだけで、丁寧に説明すれば落ち着くだろうという前提で組み立てられている文章だ。それは、「丁寧に説明すれば解決する、沖縄県民が理解できていないだけ」と言っているに等しく、全く人を馬鹿にしている。このキャスターは非常に傲慢に見えていることに気づいた方がいい。

 島の人たちが感じている恐怖、軍事戦略について学んで持っている情報は、少なくともこんな政府垂れ流しの原稿を書く記者たちよりもずっと的確で精度が高い。「南西諸島防衛」という文脈の中で島嶼県である私たちが飲まされてきた煮え湯について、歴史的な理解があれば到底言えないコメントだと思う。不勉強で鈍感なのか? それとも確信犯なのか?

 「沖縄県民の理解が悪いだけで、そのあたりには兵隊や武器を置いた方がいいという考えは無理筋ではない。私たちは加害者ではない。ヒステリックになるのはわかるが落ち着いて」という沖縄を愚弄する政府の立場を共有し、共犯者となって、政府に必要なのは「丁寧な説明」だけで計画の見直しではないと認めるかのようなニュースの作り方は、罪深いのではないか。私は今から、新しい自衛隊駐屯地を見ると敗北感や怒りでやるせなくなるのに歯を食いしばって抵抗の意思を示すために集まる島の住民たちを撮影しに行くわけだが、こんな風に丸め込むキャッチャーが報道部で待つ放送局の記者じゃなくて本当に良かった、とリモコンのスイッチを強く押して現場に向かった。

 市街地を抜けて北に向かうと、雄々しい於茂登(おもと)山系のふもとに、緑を削り込んで横一文字に広がる石垣駐屯地が見えてくる。石垣島らしい景観が台無しになった。西側には、まだたくさんのクレーン車や工事車両が作業中だ。未完成のままの「編成完了」だからなのか、宮古島では開設の日に編成完了式をメディアに公開したが、石垣はこの日報道陣を中に入れなかった。だから今日から開設というのに、駐屯地正門前は比較的静かで、抗議の意思を示すために集まった人の数も50人に満たない。自衛隊誘致を巡る住民投票を求める署名が1万4千筆余り集まった石垣島である。反対している人々は、本来かなりいるはずだ。

 さらに去年出された安保3文書では、宮古島や石垣島に配備される12式地対艦ミサイルの飛距離を伸ばすことが明記された。つまり敵基地攻撃能力を持つミサイルを島に受け入れる格好になることについて、誘致派の市議会議員からも一斉に反発の声も上がっている。それなのに、自衛隊スタートというこの日の朝に、なぜこんなに人が少ないのだろうか。

 映画『標的の島 風かたか』で石垣編の主人公の一人でもある、於茂登地区で農業を営む嶺井善さん(58)。彼とは8年前からのお付き合いだが、自衛隊始動の日が近くなるにつれて電話の声は暗くなる一方だった。

 「いろんな取材が集中してくるわけ。僕はもう区長でもないのにさ。みんなが断るからこっちに来ているだけなんだけど、次から次から、“どんなお気持ちですか”って。どんな気持ちって言葉にならないって言ってるのにさ、こればっかり聞くさ」

 駐屯地の地元の集落の中では、今さらプラカードを持って突っ立っても何になる? という無力感が強く、駐屯地開設にあたって抗議行動の足並みもそろわない。かといって何もしなければ、もうあきらめて容認したのかと解釈されても困る。嶺井さんは頭を抱えていた。怒りの矛先を見つけきれず、その一部はメディアに向けられる。

 「とっかえひっかえ記者が来て、初めましてって。名刺を渡すわけさ。8年前からこれだけ来てくれたらね、状況はもっと変えられたんじゃないのって。出来上がってから、どうですかって来るんじゃなくてさ」

 その言葉は私の胸も突き刺した。私たちは8年前の、石垣にミサイル基地が来ると発表された当初からずっと取材してるのだから、その列には入っていないと思いたいが、もっと報道でどうにかできたのではないか、という点では力不足を突き付けられる。そして「負けちゃいましたけどどうですか?」という場面を撮りに来ているハエのようなメディアの一員、と言われても仕方がない。敗北を撮影しに来たのかと煙たがられても、仕方ないのだ。

 嶺井さんの辛さはわかる。地域から、よしっ! 行ってこい! と送り出されるのでもなく、いやな質問をされることを覚悟しながら、最も見たくなかった自衛隊基地のゲートに立つなんて、嶺井さんにとって何一ついいことなどない。また矢面に立つだけ。また分断を目にするだけ。誰からもありがとうとも言われないこの役割は、なんなの? と。

 今回の映像にもある、嶺井さんがゲートの前でとつとつと話す言葉を、私は胸がえぐられる思いで聞く。敗北感にまみれても、損な役回りだと思っても、逃げずに現場に来てマイクを握ってくれたことに心から敬意を表する。しかしどんなに敬意を持っても、一緒に胸を痛めても、その動画をどこかの放送局が伝えきれていないぶん、大事な島に住む人たちの声として世に出そうと今後努力をするとしても、私たちが嶺井さんたちを楽にしてあげることはもうできないのだ。

 8年前に取材を始めたときには、カメラで追いかけまわして申し訳ないと思いつつも、これで、先祖が文字通り石にかじりついて開拓した土地をまた基地によって追い出されるという理不尽を止めるために機能したいという希望があった。全国の人に知ってもらえば。反対の声が多数になれば。住民投票が実現すれば止められるかもしれない。私たちなりに必死で取材力とカメラで「要塞の島」に向かう流れを変えようともがいてきたのだ。でも、もうそれは難しくなってしまったのに、何を撮るのか。もうしゃべる言葉はないという人たちにマイクを向ける暴力をなぜ続けようとしているのか。

 2013年の『標的の島』に始まって5年間に4本のドキュメンタリーを世に出してきたが、2018年からの5年間、私が撮影記録をまとめ切れていない一つの大きな理由はその辺にある。負けていく沖縄を記録する意味。写される人にとっても辛く、カメラを回す方も辛く、見せられる方も辛い映画って何だろう? ウィンウィンという言葉があるがルーズルーズ、三方一両損、なんと言ったらいいのかわからないが、そんな映画に1500円以上出してまで見ようという人がこの世にいるのか? 答えが出ないので作品に出来ないでいたというのが正しいかもしれない。それでも貯金を切り崩し、自分の時間を無限に削ってできる範囲で、撮影は手を抜いてこなかったつもりだ。しかし手元に溜まっていく危機感と敗北に満ちた映像たちを、このマガジン9にぶつける以外に、さして何もしてこなかったこの5年間だった。

 ところが2月のことである。長野県で、沖縄とつながりながら平和を模索してきたある団体が、このマガジン9の映像を見る会を企画してくれた。暗に「三上さんが次の映画を作ってくれないから」という意味なのかなと苦笑しつつ、コメンテーター的に参加したのだが、私自身も現場で撮影して編集して百も承知の映像のはずなのに、5、6本まとめて見たら内臓がギューッとなるような苦しさを感じてしまった。そして予想もしていなかったことに、鑑賞後に意見を言う人たちが、涙ぐみ、言葉に詰まり、あるいは嗚咽するほどの悲しみを現したのだった。

 大の大人が、4人も泣くんだ。こんなことは初めてだった。私の手元に溜まっている映像は、みんなが「なぜこんなことになってるんだ」と泣いちゃう映像なんだと、あらためて知った瞬間だった。それで私は、たとえ敗北しかない映画になったとしても、今年は一本映画を作るということを決心するとともに、このマガジン9に発表してきた過去の映像を中心に新作映画のスピンオフ(番外編)という形で45分の動画を制作した。それを、「見る会」をやりたいという希望者を募って無償で貸与する企画を始めた。

 これから発表する新作映画の形もないうちに「スピンオフ」はおかしいとか、公開前の映画の素材を無償で世に出すのはどうか、など内外から疑問の声もあったが、今沖縄で起きていることが世の中にあまりにも伝わっていないこと、それが即ち日本の危機だということの正しい理解が圧倒的に足りないことを解消するためには、この映像は役に立つはずだという認識に狂いはないと思う。であれば、私は映画監督として称賛されるために撮影をしてきたのではなくて次の戦争を止めたいという思いだけで続けてきた仕事なのだから、これから映画に含む素材も、こぼれてしまうかもしれない素材も含め、今見ておいてほしい映像を先に世に出すことに何も抵抗はなかった。

 ただ、映画作品ではなくバラバラの出来事の羅列動画として届けることにこだわった。つまりナレーションや音楽や起承転結はつけない、いわば野菜の乱切りの提供であって、主催者は仲間5人で見るにしても、自分で皿を用意し塩コショウをかけるなりして、参加者がちゃんと飲み込めるよう、正しく危機感を感じて帰れるようにフォローをする必要が生じるようにした。そこがこの企画の肝なのである。

 私からこの映像を預かる人は、お金をとっていないので私にとっては「観客」ではない。受け身ではなく、一足早く映像を受け取って、一緒に戦争を止めたいと能動的に走ってくれる人という位置づけである。走りながら映画の完成を待っていてくれる伴走者になってほしいのである。この映像が敗北を映し、頑張れなくなった人を映していたとしても、それを受け取った人がまだ頑張れる人たちであれば、映像に記録した意味はあったのである。

 この沖縄の記録映像を見ることをきっかけにして、頑張れなくなっている人の分まで頑張ろうという人が、この国の各地にウゴウゴと春のつくしのように顔を出してきたくれたら。それぞれが戦争を止めるブレーキになるんだと意識して仲間を増やしていってくれたら。絶望の映像が希望を生む瞬間に立ち会えるかもしれない。

 そんな祈りに近い期待を込めて45分の映像をリリースし始めた。DVD返却時の送料以外に皆さんにはリスクはない。上映会をするつもりで申し込んでDVDを受取ってみたけど、友達がいないことに気づいてそっと返す、でも構わない。伝える側になって平和の核分裂を起こそうと思って動いて悩んだことが最も大事であって、上映会が成功しなくても、大きな意味があると思う。ぜひ、下記のサイトから申し込んでほしい。


三上智恵監督 最新作『沖縄、再び戦場へ』(仮題)
スピンオフ作品(45分)上映申し込み受付中!

https://okinawakiroku.com/

上記サイトのフォームから申し込めば、誰でも上映会を開催することができます。このマガジン9でコツコツと発表してきた映像たちが、新たな役割を背負って皆さんのもとに届けられようとしています。是非皆さんの地域で集まりなおすきっかけのツールとして役立てていただけたらと思います。

三上智恵監督『沖縄記録映画』
製作協力金カンパのお願い

標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』『沖縄スパイ戦史』――沖縄戦から辺野古・高江・先島諸島の平和のための闘いと、沖縄を記録し続けている三上智恵監督が継続した取材を行うために「沖縄記録映画」製作協力金へのご支援をお願いします。
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郵便振替口座:00190-4-673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

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金融機関コード:9900
店番 :019
預金種目:当座
店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号:0673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

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三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。14年にフリー転身。15年に『戦場ぬ止み』、17年に『標的の島 風(かじ)かたか』、18年『沖縄スパイ戦史』(大矢英代共同監督)公開。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)、『女子力で読み解く基地神話』(島洋子氏との共著/かもがわ出版)、『風かたか 『標的の島』撮影記』(大月書店)など。2020年に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社)で第63回JCJ賞受賞。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)