第544回:怒涛の年末年始 困窮者支援の現場から。の巻(雨宮処凛)

 2021年がやってきた。コロナ禍の年末年始、あなたはどのように過ごしただろうか。

 私は12月29日から1月3日まで、困窮者支援の現場で相談員をつとめていた。この国の「底」が抜けていることを、嫌というほど痛感する6日間だった。

 ここで年末年始のスケジュールを振り返ると、以下のようになる。

12月29日 年越し支援・コロナ被害相談村(大久保公園)
12月30日 年越し支援・コロナ被害相談村(大久保公園)、夕方は池袋のTENOHASIで配食手伝い(東池袋中央公園)
12月31日 東池袋中央公園にて臨時相談会
1月1日 横浜・寿町の炊き出しに行ったあと、四谷の「年越し大人食堂」(イグナチオ教会)
1月2日 年越し支援・コロナ被害相談村(大久保公園)
1月3日 四谷の「年越し大人食堂」(イグナチオ教会)

 6日間にわたって年末年始支援の現場にいたわけだが、初日の29日からなかなかハードだった。この日の午前10時に大久保公園で「コロナ相談村」が開村し、午後から相談員をしていたのだが、夕方には救急車に乗っていたからだ。運ばれたのは私ではない。経緯は以下の通りだが、まずは「コロナ相談村」について説明しよう。

 この「村」を開催したのは、2008年の「年越し派遣村」を支えたメンバーら。主に労働組合関係の有志たちだ。東京の新宿・大久保公園で開催された理由のひとつには、そこが「TOKYOチャレンジネット」の隣だからという理由がある。

 東京都が、住まいのない人のために年末年始1日1000室のホテルを開放することはこの連載でも書いてきた通りだが、広報もあまりなく、いつどこに行ってどうやって手続きすればホテルに入れるかがわかりづらい。また、「年末年始にタダでホテルに泊まれる」ということを知らない野宿の人やネットカフェ生活者も多くいる。ということで、大久保公園で相談会を開催し、隣のチャレンジネット(ホテル利用の窓口)に繋げようという目的で開催された。

 もちろん、ホテル宿泊だけでなく、労働相談や生活保護申請(新宿区などでは年末年始も開庁していたので申請もできる)、その他の相談を受け付ける体制を実行委員メンバーは実に短期間で作り上げてくれたのだ。

年越し支援・コロナ被害相談村の前で

 ちなみに相談員は、相談者がホテル宿泊を希望する場合はチャレンジネットに同行する。生活保護申請をする場合は福祉事務所へ。ホテルの場合、「利用票」とホテルの地図をもらったら、本人がチェックインする仕組みだ。そうすれば1月4日の朝まで暖かい部屋で過ごせる。日本列島を寒波が襲うと言われた年末年始、凍死から身を守るためにも一人でも多くの人にホテルに泊まってもらいたいという思いから始まった相談村。1月4日以降、行き場がない人は生活保護など公的制度を申請すればいい。

 ということで、この日、チャレンジネットに同行させてもらったのはAさんという50代の男性。コロナで仕事がなくなり、この5ヶ月ほど、新宿で野宿をしてきた男性だ。

 チャレンジネットで面談した結果、この日からホテルに泊まれることになったのだが(年末年始は仕事があるそうで、生活保護申請については仕事が終わったあとに考えるということ)、Aさん、この相談会のような取り組みがあることにいたく感動し、「自分が野宿している場所にいる他の人たちにも伝えたい」と申し出てくれた。そうしてAさんの案内で、新宿のとあるエリアに。そこで野宿の人々に声をかけている時に出会ったのが、Bさん。大きな荷物を両手に持ち、ボロボロになった衣服で歩く高齢の男性だった。同行していた山本太郎氏がすかさず声をかけ、今夜から4日までホテルに泊まれることなどを伝えると、「ぜひ泊まりたい」という返事。

 そんなBさんが「心臓が痛い」と動けなくなったのは、徒歩10分ほどの大久保公園に案内している途中だった。慌てて「コロナ相談村」に連絡すると、ボランティア医師として入ってくれている谷川智行さん(谷川さんもこの年末年始、ずーっと支援の現場でボランティア医師をされていました)が来てくれることに。谷川医師がその場で話を聞きとり、「救急車を呼んだ方がいい」ということになり、私も同乗して病院へ。診察の結果、身体の状態は非常に悪く、最低でも2週間の入院が必要とのことで、そのまま入院となったのだった。

 それにしても、それほど体調が悪い高齢者がこの寒空のもと、大荷物を持って移動し、野宿生活をしていたことに驚愕した。どれほど過酷な日々だったろう。改めて、言葉を失う思いがした。

 この日、コロナ相談村には56件の相談が寄せられた。男性44件、女性12件。ちなみに13年前の年越し派遣村に来たのは505人。うち女性はたった5人だった。それを思うと、女性の困窮の拡大は当時と桁違いである。

 翌30日も「コロナ相談村」。

 嬉しかったのは、前日、チャレンジネットに同行し、野宿の人たちの元に案内してくれたAさんが、「スタッフ」となっていたこと。家なき人たちを相談会に繋げたいと、この日も組合の人を野宿者が多いエリアに案内したりと大活躍だったのだ。たった1日で、「支援される側」だった人が「支援する側」になっている。そんな姿を見るたびに、こういう活動をしていて良かったと思う。

 夕方から池袋のTENOHASIの炊き出しへ。18時からのお弁当配布には寒空のもと200人以上が並び、あっという間になくなった。配っている間にも寒さは厳しくなり、容赦なく寒風が吹きすさぶ。2時間ほど外にいて冷え切ったが、私は家に帰ればお風呂に入れる。しかし、炊き出しに並んでいた人たちの多くは、一晩を野外で過ごさなければならないのだ。

 一年前と比較して、列に女性の姿が目立った。中には若い女性の姿もあった。

 大晦日は前日のTENOHASIと同じ東池袋中央公園にて、「新型コロナ災害緊急アクション」などによる「臨時相談会」。

 この日、チャレンジネットは閉まっているのでホテル案内はできないと思っていたものの、午前に、マガジン9のメンバーであり現在は豊島区議会議員の塚田ひさこさんと電話で話し、新事実が発覚。午後1〜5時まで豊島区役所では職員が対応しておりホテルに入れること、生活保護申請もできることなどを知る。このように、行政の情報が直前までわからないことが支援を難しくさせている側面もあるが、この年末年始の豊島区の対応は素晴らしかった。この日だけでなく、1月1〜3日も職員が対応してくれてホテル案内と生活保護申請ができたのだ。

 午後3時開始の相談会には2時半頃から多くの人が行列を作り、3時前から相談を受け付けることに。

 私も相談員として入ったのだが、担当した8人ほどのうち、半分以上がすでに野宿。住まいはまだあるものの所持金ゼロという人も少なくない。年末年始、タダでホテルが提供されていることを全く知らない野宿の人も数人いた。情報を伝えると「本当に泊まれるんですか?」と驚き、身を乗り出す。

 よく「ホームレスは好きでああいう生活をしている」なんて言う人がいるが、誰が極寒の中、野宿したいと思うだろう。しかも現代の「ホームレス状態の人」の多くは、コロナ禍によって路上に追い出された人たちだ。「ホテルに泊まれる」と知った時のみんなの嬉しそうな顔が忘れられない。結局、この日対応した人のほとんどがそのままホテル宿泊となり、何人かは生活保護申請も同時にした。公園で相談を受け、役所に同行を繰り返す。

 この日、嬉しかったのは、12月19日に日比谷公園で開催された「なんでも相談会」で相談を受けた人が来てくれたこと。40代の男性なのだが、4年ほど野宿生活をしているということで、生活保護などの制度についてほとんど知らないようだった。日比谷公園の時は話をし、食品をもらうだけで帰ったのだが、この日はその足で区役所に行き生活保護申請。同時に、この日からホテルに泊まることになったのだ。

 役所まで同行したのだが、わずか10日ほど前は公的福祉についてほとんど知らなかった彼が、こうして制度に無事繋がった姿を見るのはこの上ない喜びだった。まだまだ40代。野宿をしていればごく限られた仕事しかできないが、アパートが決まれば仕事だって見つかりやすくなるし、その幅もぐっと広がる。4年間を路上で過ごすしかなかった彼が、こうして相談会に繋がり、生活再建の手がかりをつかんだことが嬉しかった。

 1月1日、元日。

 横浜・寿町の炊き出しに配食の手伝いに。配食は2時からだったものの、1時半前からすでに長い行列ができている。コロナ対策で例年より規模を縮小し、ボランティアも少なくやっているということだったが、それでも500食の中華丼があっという間になくなった。

 行列に並ぶ人に、若者や女性がやはり例年より増えている印象。

 その後、年越し大人食堂に行くと、福島みずほさんや山添拓さんといった国会議員も相談員をやっていた。ちなみに山本太郎氏も大人食堂とコロナ相談村では相談員をしている。

 私も相談員をやってきたが、これほど緊張する仕事はないとも思う。相談する方も当然緊張しているが、相談を受ける方も緊張しているのだ。なぜなら、相談に来る人は、人生において危機的状況にあるからだ。人生の、もっとも重大な局面である。間違いは決して許されない。だからこそ、自分でわからない時や知識が曖昧な時は、その問題に詳しいプロに聞く。

 私は生活保護関係にはそこそこ詳しいが、例えば労働問題に関する知識はそれほどない。借金や相続といった込み入った話になると法律家の出番だ。外国人の相談の場合は専門家でないと対処できないことも多いし、まずは通訳が必要になる。様々な相談に対処できるよう、大人食堂でもコロナ相談村でも、相談会場には弁護士や労働組合の人、司法書士や元ケースワーカー、外国人問題に詳しい専門家や通訳がスタンバイしている。健康相談のためのお医者さんもいる。労働問題は組合の人にいろいろ教えてもらい、逆に生活保護の問題になると組合の人にこちらがいろいろ情報を伝えることもある。

 このような相談会を、昨年は何度も繰り返した。コロナ禍での電話相談会で鍛えられたのだ。コロコロ変わる制度の運用や新しくできた給付金制度についての勉強をし、みんなで相談マニュアルをアップデートさせていた日々の蓄積。電話相談での相談員をすることで、私は昨年、少しずつ「相談」に慣れていった。

 この日の夜、相談会のチラシを都内某駅で配布した。ただチラシを配っても仕方ないので、行き場がなさそうな人に声をかけて渡した。駅の地下街には、正月休みの飲食店の前のベンチに数人が所在なく座っていた。一人ずつスペースを開けて、決して関わることはなく、それぞれが俯いていた。その中には女性もいた。住まいを失ったばかりですでに1円もない若者もいた。相談会があること、ホテルに泊まれることを告げ、「行くお金がない」という人には電車賃を渡した。元日の夜、寒さに耐え、空腹を堪え、ただただ地下街のベンチに座り続ける人がいる。地下街が閉まれば、凍死しないよう夜通し歩くしかない人たちがいる。

 別の支援者はSOSを受けて都内某所に行った。SOSをくれた人が住む家は、すでに電気やガスも止まっているという。このまま行けば、「餓死事件」となって世間を騒がせてもおかしくないほどの困窮ぶりだ。めでたいはずのお正月、どれほどの人が、眠れないほどの不安の中にいるのだろう。

 1月2日、コロナ相談村の相談員。

 最初に相談を受けたのは、30代の宿泊施設経営の方。コロナ禍で客がまったく入らず、毎月20万円以上のマイナスが出続けている状態。続けようかやめようか、判断が難しく悩んでいるということだった。

 その話を聞いて、別の相談会で会った男性を思い出した。その男性も30代の元経営者。イベント関係の仕事をしていたがコロナ禍で仕事はなくなり、あっという間に負債が増え、自己破産手続き中ですでに住まいを失い野宿となっていた。所持金は数百円ほど。この状態だと、一度生活保護を受けてアパートを手に入れて生活を立て直すのがいちばんの近道だ。住所もないままでは仕事だってなかなかできない。しかし、男性は生活保護には強い抵抗があり、それより事業を立て直したいので事業者向けの貸付金がないかと尋ねてくる。すでに野宿なのに、公的福祉は受けずにお金を借りてまずは会社を立て直すと口にするのだ。

 このような相談、コロナ禍では初めてではない。

 元経営者や自営業者で、コロナ以前は羽振りが良く、貧困と無縁だったのに、コロナであっという間に困窮してしまったケースだ。このような場合、生活が困窮するスピードが速すぎて、本人の気持ちが追いついていないのだろう。だからこそ、野宿であっても、所持金数百円であっても「自分は大丈夫」「国に迷惑はかけられない」「生活保護とかは大変な人が受けるもので自分には関係ない」と繰り返す。

 この日、最後に相談を受けた人も同様だった。

 50代で、元経営者。コロナで仕事がなくなり、すでに住まいも失いネットカフェやカプセルホテルを転々としてきたという。ギリギリ野宿は未経験。しかし、所持金はわずかで、相談会につながっていなければこの日が初野宿になっていただろうと思う。

 この男性にホテル提供の話をすると、やはり「初めて知った」とのことで宿泊希望。しかし、ホテルに入っても4日には出されてしまう。それならば今日生活保護申請した方がいいのでは、都のホテルに入ると一円も出ないが、生保申請をすればホテルを4日に出されることはない、その間にアパートを見つけてアパート転宅すればいいし、1日あたりの食費も出る、住所があった方が仕事も見つかりやすい、など他の相談員らとともに提案するが、彼は頑なに生活保護は拒否する姿勢。30分以上話したが、それでも「どうしても自力で頑張りたい」「とにかく4日までホテルに泊めてもらって、仕事始めの4日にいろんな人に連絡して仕事を見つけたい」とのことで、チャレンジネットへ同行。4日までの宿は確保できたものの、それからどうするのだろう。「4日になったら今まで仕事した人に連絡する」と言っていた彼の携帯は、とっくに止まっているのだ。

 午後5時、コロナ相談村は閉村。

 12月29日、30日、1月2日の3日間に寄せられた相談は337件。うち男性は274人、女性は57人、不明が6人。外国籍の人は約20人。世代別だと、10代1人、20代18人、30代52人、40代74人、50代71人、60代55人、70代23人、80代7人、不明34人。そして3日間を通して、ボランティアスタッフは350人。

 この日、13年前の派遣村を担ったメンバーと話した。

 「あの時、生活保護をそれほど拒否する人っていなかったですよね?」と言うと、何人もが頷いた。あの時はみんな、「しょうがない、まずは生活保護で立て直すか」という感じで、説得に苦労したなんて話は聞いたことがなかった。しかし、今回は違う。私だけでなく、多くの人が「もう生活保護しかないのでは?」と口にしても、首を横に振る人の説得に困っている。別に無差別に生活保護を勧めているわけではない。ただ、所持金も住まいもない場合、使える制度は生活保護くらいしかないからそう言うのだ。このままでは、路上で餓死、凍死する危険性があるから提案しているのだ。しかし、それでも「自力で頑張る」という人たち。

 思えば、派遣村に来た人たちの多くは製造業派遣などで働いてきた人たちで、いわば貧困と近い層だった。しかし今、コロナで困窮している人の中には、貧困と無縁だった層がいる。そんな人たちにとって、生活保護利用の壁はあまりにも高いのだ。このようなところからも、13年前との違いが見えてくる。

 1月3日。

 年末年始の支援最終日だ。

 大人食堂の相談員として一日相談を受けた。

 10人ほどの相談を受けたが、嬉しかったのは、前日のコロナ相談村で相談に乗った男性が来てくれたこと。30代の男性はコロナで仕事を失っていたのだが、住まいはある状態。このような場合、住居確保給付金と社会福祉協議会の貸付金を借りながら仕事を見つける手もあるのだが、それはあまりにも綱渡りだし、結局は借金だ。しかも残金はわずかで収入のあてはないので、このまま行けば家賃を滞納し携帯が止まり、光熱費も順次止まっていく。ということでやはり生活保護の話をすると「考えたい」ということだった。よって、「明日は私はここにいるから」と大人食堂のことを伝えたのだ。

 若い人であれば、仕事が見つかって生活保護をすぐに廃止するケースも少なくないなどのことも伝えていた。そうしたら、その彼が来てくれたのだ。ものすごくしっかりした人で、後日、支援者が同行して生活保護申請することに。おそらくコロナが落ち着きさえすれば、すぐに仕事が見つかるだろう。今回の特徴は、本当にコロナさえなければバリバリ働いていた人たちが仕事を失っていることだ。

 時間が遅くなるごとに外国人の相談が増えていった。相談会の後半、私が担当した6人も全員が外国人。国籍はイランやナイジェリア、エチオピア、ベトナムなどで、全員が仮放免、もしくは短期ビザ。就労が禁止されているので働くことができない状態だが、生活保護など公的福祉の対象にもならず、制度の谷間に落ちている。

 働きたいけど働けない。だけど公的なセーフティネットの対象にもならない。「死ね、ということですか?」と口にする人もいた。皆が一様に口にしたのは、「とにかく働きたい」「自立して生活したい」ということだ。なのに、日本政府はそれを認めない。6人とも、みんな難民申請中だった。ということは、国に戻れば迫害される危険がある。それなのに、難民申請した先の日本でこんな仕打ちを受けている。これは完全に国の制度の落ち度ではないのだろうか。日本の難民認定率0.4%という数字が迫ってくる。

 対応した外国人6人のうち、ほとんどが所持金ゼロ円、一番多い人でも2000円だった。外国人への公的支援拡充は、コロナ禍が始まってからずーっと政府交渉の場でも要求し続けている。しかし、国は完全に放置している。

 この日、大人食堂に来たのは316人。うち大人は302人、子どもは14人。399個のお弁当が配られた。相談会に参加した人は72人。うち女性は12人。また外国人は29人。9カ国の人から相談があった。世代別だと、20代8人、30代15人、40代15人、50代16人、60代3人、70代4人、80代1人。不明も数人。

 12月31日の臨時相談会、1日、3日の大人食堂の3日間を通して、約950食の食事を提供し、約150件の相談を受けた計算だ。

 そうして、私の年末年始は終わった。

 終わると同時に、今度は東京をはじめとした首都圏の緊急事態宣言という話になっている。飲食店ばかりがまた槍玉に挙げられているが、自粛と補償をセットにしないと困窮者は増え続けるばかりだろう。

 年末年始、多くの人が支援につながった。が、まだまだ支援団体すら知らない人が大半だ。その上、民間の「共助」はとっくに限界を迎えている。

 国はいつまでも民間の善意をあてにせず、今年こそ、「公助」に本気を出してほしい。「国に見捨てられることはない」という「安心感」は、確実に自殺を予防すると信じている。

年越し大人食堂にて。左からビアンカさん、福島みずほさん、私、山本太郎さん

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。