1年前の今頃を、あなたは覚えているだろうか。
ちょうど東京を含む1都6県に緊急事態宣言が出た頃だ。
それが昨年4月7日のこと。それからの日々を、あなたは時系列で記憶しているだろうか。
私はと言えば、新型コロナ感染が広がってから、記憶が著しく曖昧で時系列もあやふやだ。1年以上前のことが昨日のことのように感じることもあれば、もう10年以上前のように感じることもある。コロナ以前の記憶は、古いアルバムを見るかのように現実感がない。
マスクをせずに外出していた頃。居酒屋で大人数で宴会していた日々。人でもみくちゃのライヴハウスに通っていた頃。どれもこれもほんの少し前の日常なのに、今は映画の中のように現実感がない。
そんな1年前、私も、そしてこの国の人々も世界中の人々も大混乱の中にいた。
ネットカフェにも休業要請が出されたことで支援団体にはネットカフェ生活者からのSOSが相次いでいた。一方、突然休校が言い渡され、子育て世帯は大混乱の中にいた。そうして「ステイホーム」が呼びかけられる中、「うちで踊ろう」の安倍動画が炎上したりした。あらゆる現場が止まるという非日常の中、予定がぽっかり空いた有名人が自炊した料理の写真をSNSにアップしてファンを喜ばせたりした。また、暇を持て余した人々が自宅で段ボール製の「猫戦車」を作るという謎のブームも一瞬あった。それより少し前には、「コロナ」と書かれたトイレットペーパーを、クイーンの曲に合わせて猫が転がす、という動画も流行ったりした。
言われてみれば「あったあった」と思い出すけれど、言われなければ一生記憶の底に沈みそうなこと。そんなことが、たくさんあった。
国会でもいろいろあった。昨年3月23日、加藤勝信厚労大臣は、「(新型コロナウイルス対策において)通勤電車について、もっと踏み込んだ対策を行うべきではないか」と参議院予算委員会で質問された。その際の回答が「私は、通勤電車乗っていないんでわかりませんが」というもの。当然、大きな批判を浴びた。
去年の今頃、世界各国では、コロナ禍による庶民の不安に応えるため、さまざまな対策が始まっていた。
イギリスでは、平均所得の8割を政府が直接給付すると決定。上限は約32万円だが、自営業者、フリーランスも当然その対象となった。
カナダでは、仕事や収入を失った人に毎月2000カナダドル(約15万円)を最大4ヶ月にわたって支給することを決定。
ドイツでは、フリーランスを含む小規模事業者に最大約180万円の一時金を支給。また、4月から9月まで、コロナ経済危機によって家賃を滞納しても大家さんは退去させてはいけないという決まりができた。
韓国では、高所得世帯を除く7割の世帯に、一世帯あたり9万円が支給されることが決まった。
ドイツの文化メディア担当相は3月11日、文化施設と芸術家の支援を決定。「芸術・文化・メディア産業におけるフリーランスおよび中小の事業者に対する無制限の支援」を約束し、「私たちは彼らを見捨てはしません」というメッセージを発した。
同じ頃、この国で議論されていたのは「お肉券・お魚券」という素っ頓狂なもの。一方、コロナ感染が疑われた場合の対応も混乱しており、どれほど保健所に電話しようとも繋がらないという現実は人々の不安に拍車をかけた。
この頃、コロナ感染の疑いがある人が受診する目安について、厚労省は「37.5度以上の発熱が4日以上続いた場合」と強調していた。しかし、それをしっかり守ったために重症化して亡くなる人が出ると、加藤厚労大臣は突然それを「国民の誤解」などと言いだした。死者が出た途端、「お前らが勝手に勘違いした」と責任をなすりつけたのだ。当然、このような対応は大きな批判を受け、「受診の目安」は5月には見直されることとなった。
コロナ禍初期のわずか数ヶ月だけでも、本当にいろいろなことがあった。そういう一つひとつを、私たちはどれだけ覚えているだろう?
もうひとつ、書き留めておきたいことは、コロナ禍初期の感覚だ。
あの頃、自宅で映画やドラマを見ていて人混みのシーンなんかが出ると、思わず「密です!」と叫びそうになるということが何度もあった。密集シーンだけではない。ハグしたり飲み物を回し飲みしたりするシーンでも、「私の中の小池百合子」による取り締まりが始まるのだ。よってドラマも映画も内容が全然頭に入ってこない、ということが何度もあった。
そんな中、不思議だったのは昨年4月から7月にかけて放送されたテレビドラマ『M 愛すべき人がいて』を見ている時だけは、「百合子の取り締まり」が現れなかったことだ。「このドラマを見ている時だけ完全にコロナのことを忘れられる」と評判だった完成度(決して高さではない)を誇る『M』、90年代という設定だったからか、それともあまりにも突っ込みどころが多すぎたからか、私もあのドラマを見ている時だけは、「コロナ禍」から自由でいられた。
さて、初期はそんなふうに『M』以外のドラマや映画を見ていると「密を取り締まりたくなる」私だったが、気がつけば、画面に向かって「密!」と叫ぶことはなくなっていた。知らないうちに慣れて、脳が勝手にいろいろ処理するようになったのだろう。このような現象も、ある意味で興味深い。
コロナ禍で「一般語」になった言葉は「クラスター」とか「PCR検査」とかいろいろあるが、その中のひとつに「トリアージ」がある。
トリアージ。それは患者の重症度に応じて治療の優先順位を決めること。「命の選別」的な意味で使われることもある。このトリアージという言葉、あなたはコロナ以前、知っていただろうか。
私が知ったのは2019年のこと。相模原障害者施設殺傷事件を起こした植松聖が、ある雑誌で連載を始めた漫画のタイトルが「トリアージ」だったからだ。
相模原事件の裁判が始まったのは昨年1月。3月まで横浜地裁に通う日々だったのだが、裁判の中盤には、横浜地裁にほど近い横浜港にダイヤモンド・プリンセス号が停泊し、その中でコロナ患者が激増していくという悲劇が起きていた。
そうして昨年7月には、福生病院人工透析中止死亡事件の裁判が始まる。人工透析患者に「透析をやめる選択肢もある」と提示し、本当に患者が亡くなってしまった事件だ。これを正当化する医師らの背景にあるものは、相模原事件の植松と同様のものではないかと指摘する声も多い。
同月、ALSの女性への嘱託殺人の容疑で医師2人が逮捕される。女性はブログに「安楽死許して」などと書いており、また医師に130万円支払ったことが明らかとなっている。
昨年は、コロナ禍で医療現場が「誰に人工呼吸器をつけるか」という難しい問いを突きつけられる一方、「命の選別」や「安楽死」といったキーワードが注目された年でもあった。
ちなみに昨年4月、アメリカのアラバマ州で恐ろしいガイドラインができている。それは、重度の知的障害者や認知症の人は、人工呼吸器補助の対象になる可能性が低いというガイドライン。このガイドラインはその後撤回されたものの、州によっては「重度障害者が所有する人工呼吸器もトリアージの際には取り上げる」と解釈できるガイドラインが生きている。
今も「誰に人工呼吸器をつけるか」といった問いは私たちの前に立ちはだかっている。が、私は「誰に」という前に、まず「いかに人工呼吸器を増やすか」という議論と増やす実践こそが大切だと思う。誰を見捨て、誰かを生かすかなんて議論を一年間やるより、いかに増やすかの計画を立て、増産すれば一年後には増えているではないか。ただそれだけのことなのに、なんだか「生きるには、助けるには、それに値するなんらかの証明が必要」というような空気が数十年かけて強化されたということも、コロナ禍で明らかになったひとつだと思う。
さて、そんなコロナ禍の一年を記録した本を出版した。
『コロナ禍、貧困の記録 2020年、この国の底が抜けた』(かもがわ出版/1600円+税)だ。
貧困問題に関わり始めて15年、昨年がもっとも過酷な1年だった。多くの人から届き続けるSOSと、深刻化する困窮。これまで「貧困と無縁」だった層が、コロナによってあっという間に路上に追いやられてしまうという現実に戦慄したことは一度や二度ではない。この連載をまとめて大幅に加筆修正した本書には、「困った時に使えるノウハウ」も詰め込んだ。
今ほど「貧困問題をテーマにしてきてよかった」と痛感したことはない。なぜなら私は、「この国で、どんなに経済的に困ってもなんとかする方法」を無数に知っているからだ。「死なないノウハウ」をたくさん持っているからだ。
そんなノウハウを、ぜひあなたにも伝えたい。あなたが困っていなくても、周りの人が困っている時に、伝えてほしい。
ということで、4月10日には全国書店に並ぶ。ぜひ、「何かあった時のため」に、お手元に置いておいてほしい。
*
『コロナ禍、貧困の記録 2020年、この国の底が抜けた』(雨宮処凛著/かもがわ出版)