第557回:コロナ禍、2度目の大人食堂に658人が訪れる。の巻(雨宮処凛)

 教会の前には、食料を求める長蛇の列ができていた。

 5月3日と5日に開催された大人食堂。コロナで失業するなどして生活に困っている人々にお弁当や野菜、生活用品などを配布し、医療、労働、生活相談をするという取り組みだ。

 支援団体が連携し、東京・四ツ谷駅前の聖イグナチオ教会で開催された。連休中は役所が閉まるため、年末年始に引き続き、コロナ禍で2回目の大人食堂だ。

 この大人食堂、本当に多くの人が訪れた。

 1日目は210人、2日目には雨天にもかかわらず448人。2日間で実に658人だ。初日に150個、2日目に350個用意したお弁当はあっという間になくなり、急遽追加分が用意された。相談を希望する行列も長く続いていた。

 訪れたのは、10代から70代までの老若男女。ずっと住まいがなくネットカフェ暮らしという人もいれば、子どもを連れた母親も何人かいた。とても生活に困っているようには見えない女性に話を聞くと、食事にも事欠くような生活苦の中にいて、この1年で激痩せしたことを話してくれた。これまで、決して「困窮者向けの食品配布」に来なかったような人の姿が目立った。

 そんな大人食堂を訪れた中でひときわ多かったのが、外国人。ミャンマーやネパール、エチオピア、ナイジェリア、イランなどの人々だ。

 多くがさまざまな理由から在留資格が切れるなどして働くことを禁じられている。が、日本の社会保障の対象にもならない。「働くな、だけどなんの保証もしない」という生殺しの状態の人々である。

 「なら、自分の国に帰ればいい」と思う人もいるだろう。が、難民申請中で、帰国したら命に危険が及ぶ人もいる。また、帰国したくても帰りの飛行機代を工面できない人もいる。働いてチケット代を稼ぎたくても就労は禁じられているからだ。これまで、外国人コミュニティの中でなんとか助け合ってきたが、コロナ禍でそれも限界という人々が押し寄せたのだ。

 そんな外国人の中には、保険証が持てないことから病院に行けない人も多い。よって医療相談ブースには多くの外国人が訪れ、ボランティア医師に自身の不調を相談していた。

 続々と人が押し寄せる大人食堂で相談員をしながら、「なんかすごいことになってきたね」「終わりが見えないね」という言葉を支援者たちと何度も交わした。目の前の光景に、時々頭がクラクラした。家族にも誰にも頼れずここに来る人たちが大勢いるということ。そして公的福祉から排除されている外国人たちの存在。疲れ切った様子の人々と、ベビーカーを押す女性たち。そして全財産が入ったトランクを引く若い世代。

 この連載で書いてきたように、もう一年以上、コロナ禍での困窮者支援活動をしているが、訪れる人は増え続け、相談がより深刻になっていくのを見るたびに「これがいつまで続くのだろう」と時々恐怖すら感じる。

 はっきり言って、民間の支援団体がボランティアでできる域をとっくに超えている。

 昨年4月、貧困問題に取り組む多くの団体で「新型コロナ災害緊急アクション」が結成されて支援活動が始まった頃、まさか一年後も同じことをしているなんて思ってもいなかった。昨年4月、私たちは「とりあえず今は緊急事態だから、国の制度がちゃんと整うまでのつなぎをしよう」という感覚で支援活動を始めた。コロナの収束はいつになるか未知数だけど、半年もすれば、国がちゃんとした困窮者の受け皿や制度を整備するだろうと思っていたのだ。

 しかし、一向にそんなものが整備される気配はなく、都内の炊き出しに並ぶ人は増え続け、相談はより深刻になっている。「新型コロナ災害緊急アクション」の相談フォームには連日SOSを求めるメールが届き続け、その数は昨年4月から今までで700件以上。この一年と少しで「緊急ささえあい基金」には一億円以上の寄付金が集まったが、そこから緊急生活費を給付した件数は2,000件に上り、給付額は6,000万円を超えている。民間の支援団体が6,000万円もの給付をしていること自体、どう考えてもおかしいのだ。そうして日々支援に駆けずり回る支援者たちは全員がボランティア。もちろん私もだ。

 相談活動をしていると、時に怒りをぶつけられることもある。相談してくる人も追い詰められてギリギリの精神状態なのだろう。苛立ちの矛先を向けられることが、コロナ禍が始まって時間が経つにつれ、増えたように感じる。当人がどれほど追い詰められているか理解しているつもりでも、怒りをぶつけられると、やっぱり傷つく。

 大人食堂でもそんなことがあり、終わってから何日経ってもずっと悶々としていた。数日は、怒りをぶつけられたことに悶々しているのだと思った。だけどよくよく考えてみると、もやもやはそれだけじゃなかった。詳細は書かないが、たった一人で生きて、お金が尽きて頼れる人もなく、相談に来てくれた人のいろんなものが詰まった怒りは、泣いているのと同じ気がした。そして私がずっと悶々としていたのは、それが「未来の自分の姿かもしれない」とも思ったからだ。

 私だって、いつどうなるかわからない。物書きとして21年食べてきたが、それは奇跡のようなことで、もともとは北海道出身の高卒フリーターだったのだ。だからこそ、渋谷で殺害されたホームレス女性だってまったく人ごとに思えないし、相談に来る一人ひとりと自分の差はどこにあるんだろうといつも思う。というか、こんな活動をしているのは、フリーランスである自分自身の将来が、生きることが、この先がものすごく怖いからだ。だからこそ、たかがお金がないくらいで死を覚悟しなくちゃいけない社会を少しは変えたいと思う。

 だけど、ほとほと疲れてきたというのも本音だ。

 そんな大人食堂の翌日、ずっと活動をともにしている稲葉剛さんが参議院の厚労委員会で参考人として発言した。つくろい東京ファンドなどで住まいの貧困に取り組んできた稲葉さんは、困窮者支援を27年にわたって続けてきたという「大先輩」でもある。そんな稲葉さんが国会議員の前で発言の時間を与えられたのだが、その全てに共感しまくったので、最後に一部、引用したい。

 「『自助も共助も限界だ』、『今こそ、公助の出番だ』と、私たちはこの一年間、叫び続けてきました。しかし、生活困窮者支援の現場では、依然として『公助』の姿が見えません。政府は一体、どこにあるのでしょうか。この国に政府が存在しているということが、現場からは見えないのです。
 いま、この瞬間、家を追い出されて、路上に追いやられる若者がいます。
 いま、この瞬間、おなかをすかしている子どもがいます。その子どものために炊き出しに並ぶ親御さんがいます。
 そしていま、いのちを絶つことを考えている大勢の人たちがいます。
 その人たちに向けて、『日本には、政府がある。人々のいのちと暮らしを守る政府がある』ということを行動で示してください。『貧困に苦しむ人々の声を聞く政治がある』ということを今すぐ行動で示してください」

 本当に、まったくもってその通りすぎる。

 手遅れになる前に、政府は困っている人に救いの手を差し伸べてほしい。

 もうこれ以上、自ら命を絶つ人が増えてほしくないと、心から思っている。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。