第166回:「狂」と「凶」(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 「狂」や「凶」という文字には、いいイメージがない。神社で「凶」のおみくじを引いてしまって嫌な気持ちになったことがある人もいるだろう。でもね、最近のニュースは、まさに「狂」や「凶」のつく言葉がピッタリのようなものばかりじゃありませんか。

〈一期(いちご)は夢よ ただ狂え〉

 これは室町時代の歌謡集といわれる『閑吟集』に収録されている有名なフレーズで、「どうせ人生など短い夢、ただ面白おかしく遊び暮らすがいい」というほどの意味だ。そんなどこか突き抜けた想いならそれもいい。けれど、最近は「狂」や「凶」のつく言葉が歪んだ世相を表しているようだ。

狂騒

 ワクチンを巡って、世界はまるで「狂騒」状態だった。残念ながら、その狂騒はいまだに落ち着いてはいない。ことにニッポンはひどい。
 WHO(世界保健機構)の発表(4月9日)によれば、世界のワクチン供給は、ほぼ「高所得国」に偏り、いわゆる途上国ではいまだに0.2%の接種率だという。少し古い発表なのだが、その後、劇的に途上国での接種率が上がったとの報道はないから、実態はあまり変わっていないだろう。
 その一因が「日本のワクチン買い漁り」だという指摘もある。ワクチン開発に決定的に立ち遅れた日本は、なんとか挽回しようと製薬会社にムリヤリ金を積み上げて確保に努めた。その結果、EUからのワクチン輸出の約4割は日本向けだという。貧しい国には行き渡らないわけだ。
 ところがそうまでして入手したアストラゼネカ製のワクチンは、日本では使用せず、台湾へ譲渡するという話も出ている。まったく、菅政権のやることなすこと、行き当たりばったりのその場しのぎ。
 アメリカでは、近所のコンビニや最寄りの駅、空港などで予約なしでのワクチン接種が可能だという。一時、それを目当てに「アメリカUターンツアー」が日本やアジアの富裕層で流行っていたという。世界最低水準のワクチン接種率の日本なのだから、金持ち連中がそう考えるのも分かる。まあ、カネの力で人間の命の売買もできるということだ。狂騒も極まれり、である。
 そんな日本でも、やっと“大規模接種会場”が設けられたが、遅れに遅れたワクチン接種にブーイングは止まない。高齢者にはネット予約ができないということで、休暇を取って子どもや孫がスマホやPCで予約獲得に奮闘した、という話も聞く。
 だが、そのネット予約のシステムは穴だらけだった。それを指摘した朝日新聞や毎日新聞に対し、岸信夫防衛相やその実兄の安倍晋三氏が、汚い言葉でクレームをつけるというお門違いの茶番劇まで発生する始末。なぜか、同じ指摘をした日経新聞には抗議しなかったというおまけ付き。
 こんな事態のバックミュージックには、むろん「狂想(騒)曲」がふさわしい。

凶暴

 この言葉はIOCに捧げよう。とくにバッハ会長とコーツ副会長、それにディック・パウンド委員。さらにおまけでJOCと組織委員会と菅政権へも。
 もう書くのも嫌になるけれど、彼らの言うことのことごとくが、ぼくの(多分、日本の多くの)癇に障って仕方ないのだ。順不同に挙げてみる。

  • 緊急事態宣言はオリンピックとは関係ない。あれはゴールデンウィーク向けに注意喚起しただけのこと(バッハ会長)
  • 精神的な粘り強さ、へこたれない精神を日本国民は示している。大会は成功する(同)
  • 我々は犠牲を払わなければならない(同)
    (のちに「我々」とは日本国民のことを言ったのではない、と釈明)
  • 東京オリンピックは、史上もっとも準備が整っている大会。東京へ来てほしい(同)
  • 緊急事態宣言下でもオリンピックは開催できる(コーツ副会長)
  • アルマゲドン(世界最終戦争)でも起きない限り、大会は開催される(パウンド委員)
  • 菅首相が中止を求めたとしても、個人的な意見に過ぎない。大会開催は左右されない(同)

 このパウンド氏とは、カナダ人で古参のIOC委員だというが、いったいどんな神経をしているのだろう。彼の言葉は「凶暴」というしかあるまい。
 開催国の最高責任者が中止を求めても、それは個人の意見だから聞く必要はないと言う。菅首相に本気で「国民の安全安心を守り抜く」という気概があるのなら、これには猛抗議してしかるべきだろう。だが菅首相からは、はっきりした対策は聞こえてこない。「安全安心な五輪開催」というお題目だけだ。

凶悪

 武藤敏郎組織委員会事務総長からは「五輪を開催することの方がはるかに経済効果があると思う」と、国民の命と健康よりも経済効果優先と取れるような発言も飛び出した。国民の健康にとってみれば、これはかなり「凶悪」な言葉と言わねばならない。
 橋本聖子組織委員長や丸川珠代五輪担当相もまた、「医療従事者のボランティア動員」を公言している。医療崩壊が叫ばれているさ中、医師や看護師をオリンピックに動員することは、医療崩壊を加速することになる。普通に考えればそうなるはず。いわゆる専門家だって、もう黙ってはいられないとばかり、中止や延期をかなり本気で言い出している。それでも菅政権は聞く耳を持たない。
 もしこのままオリンピックが開催され、それによってコロナウイルスがまたも蔓延することになれば、それこそ「歴史上最凶の五輪」として記憶されるだろう。

熱狂

 テレビ等のマスメディアは、このごろは「開催の是非はともかく、開催の場合、観客はありか無観客か」という議論に移ってきている。どうもおかしい。
 開催するかどうかが唯一最大の議論であるはずだ。有観客か無観客かでは、開催が前提になってしまう。それはまんまと菅内閣の選挙対策へ乗せられていることにならないか。
 菅首相の頭の中は極めて単純だと思う。何があろうとオリンピックを開催して、その「熱狂」をバネにして総選挙を戦う。それしかないのだろう。
 ワクチン接種の世界最低レベルの遅れで、支持率はまるで秋の陽のつるべ落とし。軒並み30%台にまで落ち込んだ。支持率回復の手は、もはやワクチン接種の加速と、それを理由のオリンピック開催、そしてその「熱狂」を選挙につなげることしかない、菅首相はそう考えているのだろう。
 だがここにきて、信濃毎日新聞、西日本新聞、そして朝日新聞までが「社説」で「五輪中止」を訴え始めた。他紙もそれに近い論調になり始めている。
 「熱狂」なんてないよ、とぼくは思う。

狂乱

 「狂乱」状態に陥っている人々も多いようだ。何度も繰り返される緊急事態宣言に飽きたか馴らされたか、先週末は繁華街や観光地には、とても宣言下とは思えぬ人出が見られたという。「人流」などという聞きなれない言葉も流行っている。
 繁華街でも、午後8時以降は飲食店の灯が消える。するといわゆる「路上飲み」が始まる。「路上飲み」なんて言葉も最近の流行語らしい。
 なんだか、幕末の「ええじゃないか騒動」を思い出す。殺伐たる世相、勤皇だ佐幕だとの血なまぐさいテロリズムの時代。人々は突然、路上に躍り出て「ええじゃないかええじゃないか、世直りしてもええじゃないか」などと歌い踊り狂った。もうそうでもするより、なすすべがなかったのかもしれない。
 路上で浴びるほど酒を飲み、踊り、大騒ぎし、喧嘩沙汰に及ぶ最近の繁華街。その狂乱ぶりは、徳川政治、幕藩体制の崩壊の予感に刺激された人々の、何とも言えぬ不安不平不満の発露に似ていなくもない。何に反逆していいのか分からないが、どこかへぶつけたい黒々とした怒りと焦り。それが政治に向かうのかどうか、誰にも予測はできないが、なんだか不穏な空気が漂っていることだけは確かだ。

狂気

 世界は今、「狂気」に満ちてはいないか。見渡せば、地球上のあちらこちらで、銃声と血と悲鳴が響いている。

  • ミャンマーでのクーデター後、国軍のやり方は常軌を逸している。すでに800人もの市民が虐殺されたという。しかも、その圧殺を緩める気配もない。まさに狂気だ。その狂気を、日本政府はなぜか諫めようとしない。ミャンマーに製造委託していた日本企業も、次第に生産を再開しているという。狂気と血を織り込んだ製品を…。
  • 香港をめぐる中国政府の圧政もまた、とても正気とは思えない。歯向かう者は徹底的に弾圧する。民主化運動リーダーたちは次々に投獄されているし、愛国法(中国に忠誠を誓うことの意)に背くものは、議会選挙に立候補することすら禁止される。また、ウイグルの状況も、その内実はよく分からないが、かなり強権的な弾圧が行われていることは事実らしい。ことに気になるのは「ウイグル語」の使用禁止という報道だ。言葉を剥奪されれば民族文化は失われる。これこそ許されざる狂気だ。
  • ロシア大統領は政敵ナワリヌイ氏を空港で逮捕、牢獄にぶち込んだ。ナワリヌイ氏はかなり体調を崩しているとの情報もある。独裁政治は、最終的には狂気に至る。大統領任期を延ばせるように憲法改定し、権力の座に居座り続けるプーチン氏。最近は表情が怖い。
  • そのプーチン氏を後ろ盾に、ヨーロッパ最後の独裁者といわれるのがベラルーシのルカシェンコ大統領。彼は、他国の旅客機を突然、自国内に強引に緊急着陸させ、搭乗していた反体制派ジャーナリストのプロタセヴィッチ氏を拘束した。これは国際航空法に違反するだけではなく、まさに「国家による航空機ハイジャック」そのものだ。理由は「爆弾が仕掛けてある」とのことだったが捜索しても爆発物は見つからず、明らかにジャーナリスト拘束のための着陸命令だった。独裁者の歪んだ心情。
  • イスラエルの空爆で、ガザ地区では子ども50人以上を含む248人が死亡した。一方、イスラエル側はハマスのロケット弾攻撃で13人の死亡が確認されている。ぼくは、イスラエルとパレスチナの戦いの報に接するたびに「圧倒的な非対称」という言葉を思い出す。ヨルダン川西岸地区では、ユダヤ人入植者がパレスチナ住民から土地を奪う。それに抵抗する人々の投石に、イスラエル警察は銃で応射する。石礫と銃弾。これこそ、圧倒的な非対称の象徴だろう。
  • 日本にも、そんな事態はある。スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんを巡る日本の入管行政の非人間性だ。以前から、入管施設での収容者への扱いがひどすぎると噂にはなっていた。数人の屈強な職員が一人の収容外国人を「制圧」する。言葉はともあれ、圧迫で黒人男性を死亡させた米警察のやり方を髣髴させる。

 狂気に満ちた世界で、ひとは狂わずにいられようか。
 嗚呼、世の中「狂と凶」。一期の夢は一炊の夢。
 『狂人日記』(魯迅)という短編小説があったが、これは、ぼくという老人の『風狂老人瘋癲日記』である。
 伏して希う、乞うご容赦。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。