第173回:菅の「安全帽」は安心か?(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

「感動したがり症候群」

 言葉は生き物だ。だから時が経てば、意味も変わるし用法も軽重も変化する。けれど最近は、どうも言葉が軽くなっていく傾向がある。軽く、というより「かる~く」のほうが表現としてはぴったりくるか。
 かる~くなった言葉の、西の正横綱が「感動」、東の正横綱が「絆」だろうね。もっとも、大相撲の横綱自体がかる~くなっちゃっているけれど。

 とにかくやたら「感動」しちゃう人が増えた。何かの件での、テレビの街角でのインタビューなんかは、もう「感動」の大安売りだ。
 たとえば、聖火リレー(走れないから、ステージで聖火をつなぐだけ)の空虚な式典を見ても感動、外国選手団の来日にも感動、その練習風景を見学しても感動。多分、競技が始まれば感動の垂れ流しで辺り一帯ジャブジャブだろう。「感動シフト」の気配は、もうテレビや新聞に満ち溢れている、鬱陶しい。
 そして極めつけは「感動をありがとう!」だ。いつの間にか、日本人は「感動したがり症候群」に陥っている。ぼくはあれを見聞きすると、さぶいぼが立つ。

 「絆」は、ぼくの大嫌いな言葉になってしまった。
 東日本大震災後の「絆」の大洪水で、日本人はみんな溺れそうになった。なんでも絆、ひたすら絆。それを政府や行政が連発するから気味が悪い。
 その裏側で、復興自体は置き去りにされていった。そして原発事故もまた、あろうことか安倍晋三前首相の「アンダーコントロール」で隠されてしまった。
 どこに「絆」があったんだ?
 その「絆」の集大成が、この醜態をさらすオリンピックなのか?

 少し違和感がある言葉に「かわいい」もあるけれど、これはぼくの範疇ではない。まあ、仔猫を見て「かっわいい!」とはしゃぐくらいは罪がなくていいかもしれない。でも「かわいいおじいちゃん」は勘弁してほしいと、おじいちゃんは思う。あたしゃ、かわいくなんかない。

菅商店「店じまい」のバーゲンセール

 それにしてもひとりの人間が、ある言葉を、これほどかる~く扱い、貶めてしまった例をぼくは知らない。
 それは「安全安心」である。
 菅義偉首相の口からいったい何度、この言葉が出たことだろう。まるで閉店間際のバーゲンセール。ほんとうは大事なものが、二束三文で投げ売りされていく。もっとも、菅内閣はボロボロ。菅商店はそろそろ「店じまい」の時期に入っているのだから、それもありか。

 「安全」をこんなに安易に使っていいものか。
 工事現場では「安全帽」が命を救うことだってあるだろう。だが菅仕様の「安全帽」はそれこそ屁のツッパリにもなりゃしない(汚表現、失礼)。
 そこへバッハIOC会長なる“強欲貴族”がしゃしゃり出てくる。
 曰く「日本人にとってまったくリスクはない。東京オリンピックは完全に準備されていて安全だ」だと。その言葉、どんな“エビデンス”があるんだ? いつからIOCはWHO(世界保健機関)も兼ねることになったんだ?
 実際は、五輪関係者から、そして選手村からも続々とコロナ感染者が出ている。18日現在で、すでに感染者は60名ほどにも達した。まだまだ増えるだろう。選手、コーチや通訳、海外メディア関係者……。どこが安全安心なのか説明しろよ!
 「まったくリスクのない日本人」に、五輪関係者からの感染が広まったら、バッハよ、どう責任を取ってくれるんだ?
 とりあえず、この男も口から出まかせで、菅同様「安全安心」を繰り返すオウム人形だ。我々の国が、なんの権限もない男に壊されていく。
 IOCは国際オリンピック委員会だ。決して、国際政治権力委員会ではない。日本という国の安全や安心を勝手に左右する権限など持っているはずもない。だが菅首相は、なぜか簡単に「安全安心」という国の根幹を、国民になんの相談もなしにバッハ一味に明け渡してしまったのだ。
 敗戦によって、GHQに全権を受け渡さざるを得なかったのとは、わけが違うんだよ! 菅よ!

「憲法違反」の菅政権

 菅内閣批判をすると、すぐに「じゃあ野党はどうなんだよ、野党は何もしないで批判だけじゃねえか」と、あの界隈からお定まりの罵声が飛んでくる。しかし、何もしていないのは与党だろうよ。
 「国会を開いてコロナ対策について議論しよう。対案を示す用意がある」といくら野党が訴えても、自民党は(菅内閣は、というべきだろう)一切応じない。どうやら菅首相は国会審議が怖いらしい。それに、菅首相は、憲法を読んだことがないらしい。

日本国憲法第53条

 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

 説明の必要もないくらい明確な文章だ。野党は、その条文にのっとって、臨時国会の召集を求めたのだ。
 ここには「その召集を決定しなければならない」と書かれている。「決定することができる」ではない。「しなければならない」のだ。つまり、召集しなければそれは「憲法違反」である。こんな単純な論理を、自民党は平然と否定する。
 「いずれ召集するからいいだろう」とうそぶく自民幹部もいる。それならば最低限、召集時期を明確に示しておく必要がある。「〇月〇日に臨時国会を召集する」と言うのなら納得できる。だがズルズルと引き延ばすだけでウヤムヤにするというのでは、明らかに「憲法違反」である。

 

迷走五輪の果て

 五輪開催間近になっても、菅政権の迷走は続く。

 コロナ感染第5波の到来と緊急事態宣言、
 飲食店への酒類卸を巡る問題、
 金融機関を使っての脅迫やSNSでの密告奨励、
 ワクチン供給の遅れと地方自治体からの不満、
 東京オリンピックでのコロナ対策の「バブル」破裂、
 海外選手団や関係者からの感染者続出、
 バッハ会長らIOC関係者の優遇措置と無責任な発言
 無観客か有観客の騒動、
 小山田圭吾氏のイジメ問題
 茨城県の学童動員とコカ・コーラ……

 森喜朗前組織委会長の女性蔑視発言で“開幕”した「東京五輪前哨戦」は、その後も不祥事や辞任が相次ぐ。その上、このコロナ禍だ。国会を開いて徹底的に議論し、できることから実施していく、というのが政治の常道だろう。しかし、後手後手批判の再燃を恐れてか、菅首相は頑として国会審議を拒否し続けている。
 そのくせ、バッハ会長の歓迎式には参加し、例によって、1964年の東京オリンピック、ひとつ憶えの「東洋の魔女」(女子バレー)の思い出を得々と語る。んなもん、バッハが憶えているわけなかろうが!

1日限定のオリンピック!

 ぼくは「東京オリンピック招致」そのものに反対だった。東日本大震災と福島原発事故による傷が癒えず、人々が呻吟している状況の中でのお祭り騒ぎはないだろう。それにかかる費用は復興や被災者救済に充てるべきだと、主張してきた。
 同じ思いの人たちもたくさんいた。だから、五輪開催の競争相手だった他の都市に比べて、日本(東京)での五輪開催支持は、とても低かったのだ。
 だがそれは、安倍の「原発事故アンダーコントロール」発言でごまかされ、ついには安倍マリオなるバカ扮装で吹っ飛ばされた。
 その結果、多分「悲惨五輪」として歴史に残るであろう「東京オリンピック」が強行開催されようとしている。
 鳴り響くファンファーレは、日本没落の弔鐘だろう……。

 ぼくの提案。
 東京オリンピック「開会式」は、「閉会式」を兼ねたものにしよう。
 それだったら、1日でオリンピックは終わる。
 1日限定のオリンピック。
 こりゃ盛り上がるぜい!

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。