第566回:「幸せそうな女性」を狙った卑劣な事件。の巻(雨宮処凛)

 「幸せな女性や一緒にいる男性を殺したいと思っていた」

 8月6日、恐ろしい事件が起きた。

 東京を走る小田急線の車内で36歳の派遣会社員の男が乗客を襲ったのだ。刺された20代の女子大学生が重傷、20〜50代の男女9人も怪我をした。容疑者は床にサラダ油をまいて火をつけようともしていたという。逮捕後は容疑を認め、「人が油断して逃げ場がなく、大量に人を殺せるから電車を選んだ」「人を殺せなくて悔しい」「逃げ惑う姿を見て満足」などと話しているそうだ。

 以前から電車での大量殺人を思い描いていたといい、「電車で近くに座った華やかな女性を狙い、その後は大量に人を殺そうと考えた」とも話しているという。

 真っ先に思い出したのは2016年5月、韓国で起きた事件だ。ソウル江南駅近くのカラオケ店が入った建物のトイレで20代の女性が30代の男に殺されたのだ。被害者と加害者はまったく面識がなく、捕まった犯人は「女性たちから無視されるから犯行に及んだ」と供述。犯人は男女共用のトイレで一時間以上身を隠し、殺害対象を待ち構えていた。そうして6人の男性のあとに入ってきた女性が命を奪われたのだ。

 今回逮捕された容疑者も、「大学のサークル活動の時に女性から見下された」「出会い系でデート代を多く払わされたりした。幸せそうな勝ち組の女性を見ると殺したくなる」など、女性への身勝手な恨みを口にしている。一方、数ヶ月前から生活保護を受けていたことも報道されている。コロナ禍で困窮したのだろうか。「俺はなんて不幸な人生なんだと思っていた」とも話しているそうだ。

 誰もが日常的に利用する電車内で起きた事件。戦慄しながらも、どこかでこのような事件に対して「また起きてしまった」と思っている自分もいる。この十数年、自殺願望といっしょくたになった、誰かを道連れにするような事件を何度も目にしてきた。実際、事件に使った包丁について容疑者は「数年前に自殺するために買った」と言っている。

 しかし、これまでと違うのは、刺す相手は「誰でもよかった」のではなく、「幸せそうな女性」でなくてはならなかったということだ。現場では男性も刺されているが、最初に刺された女性は胸を刺されたのち、逃げたところを執拗に追われて背中も刺され、計7カ所を刺されて重傷となっている。女性を襲ったあとについては「興奮して覚えていない」と容疑者は語っている。

 ロスジェネの一人であり、派遣会社員という容疑者が抱えていただろう剥奪感を、私は想像することしかできない。また、どれほどその剥奪感が大きかったとしても、事件を起こす理由には当然ならないし彼のしたことは絶対に許されない。

 その上で思い出すのは、人生がもっともうまくいかず、自殺願望の塊でリストカットばかりしていた自らのフリーター時代のことだ。

 当時の私は、どこかで「幸せそうな人たちなんかみんな死んでしまえ」と思っていた。いつも漠然と世の中を恨み、自分を呪っていた。では、なぜ彼のような事件を起こさずに済んだかといえば、同じ思いの人たちと、世の中への呪詛の言葉を吐く場があったからだ。

 当時はネットもない時代。一人で悶々としていた私は、このままでは自殺するか何かしでかしてしまう気がして、SOSを発信するような気持ちで自殺未遂イベントを主催した。自殺未遂者しか参加できないイベントだ。確か19歳。生まれて初めて自分が開催したイベントだった。無名のフリーターでしかない私が主催したイベントに誰も来てくれなかったら死のうと思っていた。

 しかし、当日。数人の自殺未遂者が来てくれて、初対面の私たちは「死にたい理由」「世の中がクソすぎて生きづらい理由」なんかについて、息継ぎするのも惜しいほどの勢いで語りまくった。溺れているところに浮き輪が投げ込まれたような、やっと息をつけたような、そんな気分だった。

 当時は90年代後半。昨今、小山田圭吾氏のいじめ問題などで批判を受けている90年代鬼畜系サブカルだが、私も、そして自殺未遂イベントに来てくれた人たちも、久しくそんな世界にどっぷりと浸かっていた(ちなみに小山田氏の属する渋谷系は敵視するスタンス)。鬼畜系にハマる私たちは「幸せそうな」人々を勝手に敵視していて、世を呪う言葉を存分に交わすことができた。そうやって発散することで、自分という犯罪者予備軍を犯罪者にせず社会に軟着陸させているような感覚は確実にあった。

 当時、なぜあれほど鬼畜系カルチャーにハマっていたのかと言えば、「表」の健全できれいな社会には、自分の居場所なんてないと感じていたからだった。実際、当時の私は使い捨て労働力としてしか必要とされていなくて、そこからさえ「使えないからいらない」とよく放り出されていた。あの時期、ある意味で私は鬼畜系カルチャーに命を救われていた。

 そんなふうに自分の醜さを存分に出せる場は、ある時期まで結構あった。例えば2000年代には都内では生きづらさ系のイベントが多く開催されており、その中で自身の殺人願望を大っぴらに語る人たちもいた。男女問わずだ。だけどいつからか、生きづらさ系の集まりの一部はどんどん「死」に向かっていくようになって、それがネット心中に行き着くこともあった。ネットがない時代、自殺未遂イベントで友人を得た私は、数年遅ければネットで一緒に死ぬ相手を見つけていたかもしれないと今でも思う。

 そうして、現在。

 座間で9人の男女が殺される事件が起きて以来、SNSで「死にたい」と弱音を吐くこともリスクが高い行為となった。同時に、「助けて」と同義かもしれない「死にたい」は、運営側に通報される恐れのあるものにもなってしまった。

 一方、自分の中の醜い部分を出すにしても、今はそれが意図せず動画などに残り、切り取られて拡散されかねない時代だ。醜い感情を安心して吐き出せる場は、SNSの普及によって逆になくなったとも言える。

 そんなことを考える一方で、この数年、「この国の男性たちの異様なほどの苛立ち」に恐怖を感じてもきた。数年前から駅のホームなどに出没する「わざとぶつかる男」もそうだ。一歩間違えば線路に転落して大惨事になるのに、それを承知で「女」のみに体当たりしてくる男たち。私自身、いつからか男性とすれ違うだけで身構えるようになっていて、あと少ししたら、いきなり殴られたり刺されたりするのかもしれないという覚悟もどこかでしている。「なんでそんなにわざとぶつかる男にこだわるの?」と聞かれたこともあるが、ある時期から、示し合わせてもいないのに女性にわざと体当たりする男性があちこちに現れ始めたことは、何かの予兆に思えて仕方ないのだ。

 そんな事件が起きた翌日、メンタリストのDaiGo氏がYouTubeで、生活保護を利用する人やホームレスへのヘイト発言を繰り広げた。

 「幸せそうな女性」への殺意を募らせた生活保護利用者が女性を刺した翌日、インフルエンサーの男性が貧しい人々の命を踏みにじる。

 両者に共通するのは、「幸せそうな女性」「怠けていそうなホームレス」という形で自分の脳内で勝手な虚像を作り上げ、攻撃してもいい対象としているところだ。その人たちのことなど、何ひとつ知らないのに。

 DaiGo氏は謝罪し、これから学びたいという意思を示している。

 が、改めて考えたいのは、なぜ、あのような発言が許されると思っていたかだ。そこには12年の、政治家らが主導した生活保護バッシングの影響と、そこから派生した偏見が確実にあるはずだ。この一年半、困窮しながらも「生活保護だけは嫌だ」と拒否する人たちと大勢会ってきた。9年前のバッシングがコロナ禍の今、多くの人の命を脅かし、「公助」から遠ざけてしまっている。それが私がこの一年半、直面してきた現実だ。

 バッシングを繰り広げた自民党議員たちの責任も今一度、問いたい。

       

雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。格差・貧困問題、脱原発運動にも取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『ロスジェネのすべて』(あけび書房)、『相模原事件裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(太田出版)。「反貧困ネットワーク」世話人、「週刊金曜日」編集委員、フリーター全般労働組合組合員。