全国で、新型コロナウイルスの感染拡大が続いています。最初に国内での感染が報告されてから1年半あまり。ここまでの間に、もっと効果的な策を打つことはできなかったのかと感じる一方、政治家からは「憲法に緊急事態条項がないことが、対応のスピードを鈍らせている」といった声も聞こえてきます。菅義偉首相も、「コロナ禍を機に緊急事態への備えに対する関心が高まっている」などと発言したと報じられました。
緊急事態条項とは、災害などの「緊急事態」において一時的に政府に権限を集中させる規定のことですが、果たして本当にそれが、有効なコロナ対応に必要なのでしょうか。そして、コロナ以外の「想定外の事態」への対処を考えたときには──? 阪神・淡路大震災以降、被災者支援に長く携わり、緊急事態条項に関するご著書も多い、弁護士の永井幸寿さんに詳しく解説いただきました。
コロナ対応のための法律は、必要ならばいくらでもつくれた
──昨年からのコロナ禍の中で、与党政治家などから、憲法の緊急事態条項(国家緊急権)※について検討すべきだという声が上がっています。「憲法上の制約があって、コロナに十分に対応できない」というような言説も耳にしますが、これは本当なのでしょうか。
※国家緊急権は、緊急事態に立憲秩序を停止して非常措置を取る権限のこと、緊急事態条項は国家緊急権を創設する憲法の条項のこと
永井 まず、それを考えるための前提として、そこで使われている「緊急事態条項」「国家緊急権」という言葉がどういう内容を指しているのかを確認しておく必要があります。自民党は2018年3月に「憲法改正に関する議論の状況について(条文イメージ・たたき台素案)」と題した文書を発表しており、この中に「緊急事態条項」に関する以下のような条文イメージが挙げられていますので、ほぼこの内容が前提になっていると考えていいでしょう。
第73条の2
大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。
ここでの政令とは、法律と同じ効力のあるものと考えられますので、簡単にいえば緊急事態において、法律を制定する権利、つまり立法権が国会から政府へ移るということ。これが自民党の考える緊急事態条項の内容だといっていいでしょう。緊急事態だと宣言すれば、政府が国会に代わって法律を制定できるわけです。
ただ、注意しなくてはならないのは、そうして制定されるのはあくまでも「法律」だということです。つまり、通常の法律同様、憲法の拘束を受けるわけなんですね。ここを混同している人が多いように思います。
──緊急事態に制定された法律だからといって、憲法による制約がなくなるわけではないんですね。
永井 そのとおりです。つまり、「緊急事態条項がないからコロナ対応ができなかった」というのなら、必要な法律を制定しようとしたときに、国会での審議を待ついとまがないということが実際にあったのか、ということを見ていく必要があるんですね。
まず、昨年春、コロナの感染が国内で広がり、首都圏などで最初の緊急事態宣言が出されたときは、通常国会の会期中でした。しかも、野党はコロナ対応のため、法律の制定や予算の成立に協力すると表明していて、実際に協力的な姿勢を取っていたんです。
──国会で審議して法律をつくろうとすれば、いくらでもつくれた……。
永井 そうです。しかし実際には、コロナの感染拡大が始まってから、その対応のために制定・改正された法律は、2020年3月の新型インフルエンザ等対策措置法改正(以下「特措法」、21年2月に再度改正)、21年2月の感染症法改正などで、それほど多くありません。さらに与党はこの1年半、野党がたびたび国会会期延長を要求してきたにもかかわらず、毎回拒否してさっさと閉会してしまっています。
つまり、法律の制定を待ついとまがなかったどころか、そもそも法律を制定する意思がなかったとしか考えられない。だから、この点では「緊急事態条項が必要だった」という場面は、まずなかったといえます。
現憲法下でも、ロックダウンは可能
──この夏、感染が急速に拡大していることで、ヨーロッパなどで実施されてきた、罰則付きの外出制限などを含むロックダウン(都市封鎖)の実施を求める声も増えています。かねてから「憲法の制約でロックダウンができない」とか「私権制限をするためには緊急事態条項が必要だ」ともいわれてきましたが、これについてはいかがですか。
永井 まず、現憲法においても、「公共の福祉による人権の制約」は認められています。公共の福祉とは、簡単にいえば「他の人権」であるというのが現在の一般的な解釈です。人権を制限できるのは、他の人権だけだというわけですね。
人権の性質によって制約してもよい程度は異なると考えられており、表現の自由や報道の自由といった民主主義に直接関わる自由については、よほどのことがなければ制約は認められません。一方、経済活動に関する自由については、それよりも広く制約が認められる。ロックダウンの際に問題になるのは、移動の自由や営業の自由といった経済活動の自由ですから、当然制限は可能だということになります。その制限の条件や内容を定めた法律を、国会で審議してつくればいいのです。
ただし、この制限の仕方にも条件があります。店舗の出店規制など、経済的弱者などを保護するための政策として規制をかける場合はある程度広く制約が認められるのですが、国民の安全や健康を守るための規制については、もっと緩やかでなくてはならないというのが最高裁の判例です。もし、その規制よりも制限的ではない他の手段を選び得るのであれば、そちらを優先させなくてはならない。そうした他の手段がない場合に初めて、規制をかけることが認められるのです。
──ロックダウンを行う場合も、それよりも「制限的でない」──人権を制限しないで済む手段があるのであれば、そちらを優先しなくてはならないということでしょうか。
永井 そうです。具体的にいえば、まずPCR検査の普及ですね。無症状の人からも感染するコロナの感染拡大を防ぐためには、検査で感染者を見つけて隔離することが絶対に必要です。ところが日本ではPCR検査の普及はいっこうに進まず、いまだ気軽に受けられるような状況にはなっていません。
それから、国民への説明の徹底も重要です。全体主義社会のように政府が強制するのではなく、国民に正確な情報と十分な説明を提供し、理解を得て外出制限などの政策に協力してもらう。国民の側も、政府に誤りがあれば投票行動や表現活動によってそれを正していく。それが、民主主義社会のあるべき姿なんです。
──実際には、首相の記者会見でも、記者からの質問にまともに答えないような光景が目立ちました。
永井 本来なら、首相は専門家の補佐を受けながら毎日でもしっかりと国民への説明をして、質問にもすべて答えるくらいのことをするべきでしょう。
またもう一つ、外出制限などに協力してもらうためには「お金の支給」も必要です。国民全員への定額給付金が一度だけ支払われましたが、持続化給付金などそれ以外の制度は、どれも平時の補助金と同じような感覚でつくられていて、申請が必要なものばかり。しかも、申請の際には細かい資料を添付しなくてはいけなかったり、書類の書式が違うだけで突き返されたり。記入の仕方がわからなくて問い合わせようとしても、コールセンターの回線がいっぱいでつながらなかったなどという話も聞きました。
「申請しなくても自動的に給付金が振り込まれてくる」といったシステムになっていた国もありますから、それと比較しても、十分な支給がなされていたとはいえませんね。
──PCR検査の普及、十分な情報提供、そしてお金の支給。こうした「他の手段」をきちんと取った上で、「それでもロックダウンが必要だ」という場合には、国会で審議して法律をつくれば、日本でもロックダウンを行うことは可能だということですね。
永井 憲法上はもちろん可能です。ただ、これだけ医療が逼迫している状況においては、ロックダウンによって医療の実施にさらに支障が生じる恐れがあります。ロックダウンを行うのであれば、医療体制の整備が急務でしょう。
──ちなみにヨーロッパなどでは、ロックダウンに先立って、PCR検査の普及や情報提供などはしっかりと行われているのでしょうか。
永井 報道で見る限りはそう思います。少なくとも、政治家が記者の質問にちゃんと答えていますからね。日本のように、質問に対してはぐらかしたりごまかしたり、質問を無視して演説を続けたりといったことがなかったのは確かだと思います。
また、「海外では緊急事態条項を使ってコロナに対処している」という人がいるのですが、これも間違いです。少なくとも、米英独仏の先進四カ国についていえば、ロックダウンなどの根拠になっているのは一般の法律です。アメリカやドイツは国の政府の他に強い権限をもつ州政府があるので、一義的な対策は各州の法律に委ねられています。日本でいえば、地方自治体の条例ですね。国で一律に定めるのでなく、各州がその自治体の感染状況や医療制度などを見ながら、必要な制度を設けているわけです。
さらに、厳しい外出制限や店舗営業の禁止などの施策を取る場合には、どの国でも頻繁に見直しや緩和が行われています。一度制度をつくったらそれで終わり、と放置するのではなく、必要以上に人権を制限してしまうことのないように、状況に応じて調整を繰り返しているのです。
許されないはずのことがまかり通っている
──また、日本ではロックダウンは行われてこなかった一方、飲食店などへの休業要請や時短営業要請、酒類提供の自粛要請などが行われ、違反者に対する罰金なども科されています。これらの私権制限は、どんな法律に基づいているのでしょう。憲法上の問題はないのでしょうか。
永井 これは、今年2月に特措法が再度改正されたときに設けられた規定に基づいています。緊急事態宣言、あるいはまん延防止措置が適用されている地域においては、都道府県知事は事業者に対して時短営業などの「要請」をすることができ、それに従わない場合は立ち入り検査をして質問をしたり、帳簿や書類の閲覧を求めたりできる。あるいは、強制力のある「命令」をすることもできる。そして、事業者が検査に応じなかったり、命令に従わなかったりした場合には、「過料に処する」と定められているのです。
刑罰ではなく行政罰なので前科にはなりませんが、公的機関から「罰金を払え」といわれるわけですから、事業者にとっては非常な脅威になります。また、行政による立ち入り検査自体も、相当な脅威です。そうした規定を設けて要請に従わせることが、果たして適切なのでしょうか。
そもそもこのコロナ禍においては、あまりにも過度な営業制限が行われてきました。最初に特措法が改正されてコロナ禍における休業要請などが可能になったのは20年3月ですが、その時点ではみんな、休業といってもせいぜい1カ月程度だろう、というくらいのイメージをしていたはずです。
──たしかにそうでした。まさか、それから1年以上経ってもこんな状況だとは、ほとんどの人は想像もしていなかったでしょうね。
永井 実際には、現時点で1年半以上という長期間にわたって、しかも頻繁に休業要請や時短要請が行われていますから、当初の想定よりもはるかに事業者の負担が大きくなっているといえます。
また、休業・時短要請の主な対象になっているのは飲食店ですが、飲食店でのコロナ感染は全体の10%程度にとどまるともいわれています。それよりは、家庭内感染などのほうがはるかに深刻だとも考えられるのに、罰則を設けてまで休業や時短を要請する必要があるのかどうか。法律をつくる根拠となる「立法事実」が本当にあるのかという疑問は当然出てきます。
そしてもう一つ、さっきお話しした、PCR検査や補償金など「より制限的でない他の手段」が取られた上での規制ではないという問題もある。そう見てくると、この改正にはかなり憲法上の問題があると私は考えています。
そもそも、特措法には、「基本的人権の尊重」という条項がわざわざ独立して設けられています(第5条)。条文はこうです。
国民の自由と権利が尊重されるべきことに鑑み、新型インフルエンザ等対策を実施する場合において、国民の自由と権利に制限が加えられるときであっても、その制限は当該新型インフルエンザ等対策を実施するため必要最小限のものでなければならない。
この条文に照らしても、罰則規定を設けるべきだったのかについては大きな疑問があります。
──7月には、西村康稔経済再生大臣が、要請に従わず酒類の提供を続ける飲食店に対して「金融機関から働きかけをしてもらうよう要請する」「卸販売業者にそうした飲食店との取引停止を要請する」などと述べ(後に撤回)、批判が集まりました。
永井 大臣が述べたのはあくまで法律上の根拠のない「要請」ですから、金融機関や卸販売業者に対する法的な強制力はありません。ただ、コロナ禍のこの状況下で、国の担当大臣から要請があれば、それは拒否できない、事実上の強制だと言っていいと思います。
それから、先ほども言ったように、飲食店が感染拡大の要因だという事実はなく、科学的根拠に乏しい。そして、やはり「より制限的でない他の手段」があるはずなのに取られていない。金融機関から融資を止められたり、取引先から取引を断られたりすれば倒産してしまう会社もたくさんありますから、むしろ非常に制限的な手法だといえます。
さらに、「融資をするな」「取引を止めろ」と要請する──これも事実上の強制といえますが──ことは、金融機関や取引先の側の営業の自由を制限することにもなる。その意味でも、西村大臣の発言は明らかな憲法違反だと考えます。
もう一つ、コロナ対応において憲法上大きな問題があると感じたのが、吉村洋文大阪府知事の言動です。
──たとえば、どんなことでしょう。
永井 典型的なのが、20年4月に特措法を根拠にして、休業要請に応じなかったパチンコ店10店の店名を公表したことです。さらには、それでも営業を続けた5店に対して休業指示を出す方針が示されました。結果的には、5店ともこの時点で要請に従ったので、指示が出されることはありませんでしたが……。
ご存じのとおりパチンコというのは、会話もせずに客がみんな同じ方向を向いてやるものです。建築基準法の定めで頻繁に換気も行われますから、感染はむしろ起こりにくい。事実、パチンコ店でクラスターが発生したといった報告も、少なくともその時点ではなかった。にもかかわらず店名公表までして休業させようとしたのは、科学的根拠に欠ける行動だったといえると思います。
また、たしかに特措法には、事業者に休業などを要請したときには「その旨を公表することができる」(第31条の6-5)と定められていますが、この規定は、要請に従わなかった事業者への制裁のためにあるわけではありません。利用者に「どういう店が休業するのか」を周知させるためにあるのです。公表の対象も、特定の店舗名ではなく業種を想定しています。
──この業種のお店に休業要請を出したから、利用したい人は気をつけてください、ということであって、「このお店が従いませんでした」という「さらし者」にするのが目的ではないんですね。
永井 そう、制裁ではないんです。もちろん、先ほど触れた特措法5条の人権規定にも反するのは言うまでもありません。
西村大臣の発言も含め、最近はコロナ禍を理由に、本来なら当然許されないはずのことがなんとなくまかり通ってしまうという風潮があるのではないでしょうか。それが非常に危険だと感じています。
「緊急事態条項がなかったためにできなかった」の嘘
──改めてお聞きしますが、コロナに対する有効な措置を政府が取ろうとしたのに「緊急事態条項がなかったためにできなかった」ことはあったのでしょうか。
永井 ここまで見てきたように、なかったと思います。必要な措置を「やろうとしたのにできなかった」のではなく、そもそも「やる意思がなかった」。そして、実際に何をやったかといえば、緊急事態宣言の発出。自分たちで積極的に策を打つのではなく、ひたすら国民の自粛に頼り続けたわけです。
そもそも「準備していないことはできない」というのが、災害対策の原則です。
たとえば、関東大震災の際には、死者の8割が火事による焼死でした。それは、きちんとした都市計画がされておらず、延焼がとどまることなく広がったからです。一方、阪神・淡路大震災では死者の8割が圧死だった。これは、1981年に建築基準法が改正され、新耐震基準が定められていたにもかかわらず、それに基づいた整備・改修がされていなかったことが原因です。
さらに、2011年の東日本大震災では、津波によって多くの命が失われました。これも、堤防の建設はもちろん土地のかさ上げや高台移転、避難経路の整備、そして何より防災教育といった準備が十分になされていなかったことが大きいでしょう。事前の準備なしに、災害への適切な対応はできないのです。
もちろん、自然災害と感染症は違うという指摘もあるでしょう。でも、今回のコロナに関しても、事前の準備がされていなかった、もしくはある程度の準備はしていたけれど、それに収まらない想定外のことが起こったというのは同じです。そして、想定外のことが起こったのであれば、現場の情報や他の国の状況を見ながら、柔軟に対応して「次」に対応する必要があったのに、それをやらなかったわけです。
──第二波、第三波への備えが十分にされなかった……。
永井 そういうことです。これが政府の対策の、一番大きな問題点だと思います。
そもそも、今から11年前の2010年6月10日に、厚生労働省の新型インフルエンザ対策総括会議が報告書を提出しています。前年のインフルエンザ流行と、それに対する政府の対応を検証したものなのですが、そこでは次のような提言が行われていました。
まず、国立感染症研究所や検疫所、保健所、地方衛生研究所といった、感染症危機管理に関わる組織や人員の大幅強化、人材育成。そして、米国CDC(疾病予防管理センター)などを参考にした組織の強化。CDCというのは、政府から完全に独立した組織なので、政治家が何を言おうとも、科学的な根拠に基づいて提言ができます。そうした形の組織を強化することの必要性が述べられていました。
それから、PCR検査体制の強化。そして、政府対応に関する意思決定の過程を可能な限り記録・公開することの重要性についても提言されていました。しかし、これらの提言を政府は、見事に放置し続けてきたんです。
──どれも、やっておけばもう少し適切な対応ができたのでは……ということばかりですね。
永井 そうなんです。準備をしておくことはいくらでもできたのに、やらなかった。むしろ、弱体化させる方向に動いたのです。
たとえば、国立感染症研究所の予算は10年前から現在までで、3分の1削減されています。研究者の数も、2013年に312人だったのが現在は294人。しかも常勤職員はわずか3割です。これでどのように対応できるというのでしょうか。
各自治体の保健所の数も、1992年には全国で852カ所あったのが、2019年時点では472カ所。約45%削減されています。「保健所崩壊」などといわれた大阪市では、なんと保健所が1カ所しかありません。支所すらない。それで検査対応などを一手に担うのですから、崩壊するのは当たり前のことです。
CDCのような独立機関の強化を、という提言も無視されたままです。「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」という諮問機関はつくられましたが、法的な位置付けはなし。専門家会議のメンバーが会見などで積極的に情報を発信し、「このままでは危ない」と警告を発したのは、かなり説得力があったと思いますが、それだけに政府にとっては邪魔だったのかもしれません。結局、メンバーへの事前の相談さえないまま、専門家会議は今年の7月に廃止されてしまいました。
かわって特措法に基づき、「新型コロナウイルス感染症対策分科会」が結成されましたが、これも政府に対する影響力があるわけではなく、提言を出しても無視され続けている。「独立した組織強化」は、コロナ以前にはまったく行われなかったし、以後もほぼ無視されていると言っていいでしょう。
──PCR検査については、検査で陽性が出たら入院させなくてはならないと法律で決まっているので、医療崩壊につながるという声もありました。
永井 これもまったくの誤りです。その根拠とされる感染症法19条には、そんなことは書かれていません。勧告前置主義といって、陽性となった患者には入院を勧告「することができる」というだけのこと。勧告しなくても、法律違反とはなりません。そうした、法的根拠のないいい加減な言説を理由に、「普及させるべき」という提言も無視され続けたわけです。
意思決定の記録・公開についてもまったく徹底されていないのはご存じのとおりです。
──政府がコロナ対応として「やろうとしてできなかった」ことはほぼないけれど、「やるべきなのにやろうとしてこなかった」ことはたくさんあったということでしょうか。
永井 そのとおりです。「コロナに適切に対応するために」というのであれば、「やるべきこと」をしっかりやればよかったのであって、緊急事態条項なんてまったく不要なのです。
逆に、緊急事態条項があったら何ができるのか、と考えてみてほしいですね。政府はきちんと有効な手段を考えて、実行に移すことができるでしょうか。私には、そうは思えません。
(構成・仲藤里美)
その2につづきます
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ながい・こうじゅ●1955年東京都生まれ。早稲田大学法学部卒。弁護士(兵庫県弁護士会)。元日本弁護士連合会東日本大震災・原子力発電所事故等対策本部副本部長、日本弁護士連合会災害復興支援委員会元委員長、日本災害復興学会監事、NPO法人災害看護支援機構監事などを務める。2017年には、衆議院憲法審査会で「緊急事態条項」創設について参考人として反対の意見陳述を行った。『憲法に緊急事態条項は必要か』(岩波ブックレット)、『よくわかる緊急事態条項Q&A――いる? いらない? 憲法9条改正よりあぶない!?』(明石書店)など著書多数。