第182回:廃市、人影もなく…(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

ああ、頭が回らない

 2回続けてこのコラムをお休みしてしまった。2回とも、それなりの事情はあったのだけれど、再開しようとしてちょっと困っている。どうにもうまくテーマが浮かんでこないのだ。テーマがなければ、文章は書けない。
 いつもは散歩がテーマを誘ってくれる。頭を空っぽにして散歩する。すると、街角のポスターが目につくこともあるし、しきりに行き交う救急車のサイレンが耳に残ることもある。風の流れに季節の移り変わりを感じたりもする。そのあたりから、何らかの類推テーマが浮かんでくることが多いのだ。
 たとえば、ポスター⇒ ああ、選挙が近いなあ…とか、救急車のサイレン⇒ コロナは今どうなっているのか、対策は? 季節の移ろい⇒ 来年はもう少し景気がよくなっているといいな…などと、ちょっとだけテーマの断片が浮かんだりする。散歩から帰ってデスクに向かい、浮かんだテーマに関する資料を漁ってみる。そんな際に役立つのが、ファイルしている新聞や雑誌の記事の切り抜き、それにパソコンからアウトプットした資料のコピー、本棚から見つけ出す関連の書籍などだ。
 かくして、その週のコラムを書き始めることになる。ところが、今回はさっぱりその方向へ頭が回転しない。困っている。

旅をしてきた

 先週は、しばらく旅をしてきた。あまりこれといったいいテーマが浮かばないから、この旅で感じたことを書いてみようと思う。
 出かける前にカミさんとふたり、PCR検査を済ませ、ふたりとも陰性であることを確認した。だって、初孫の顔を見に行く旅だったのだから。
 それにしても、個人でPCR検査を受けるのはけっこう大変だった。値段だってバカにならない。ふたりで15,000円もかかったのだ。これ、そんなにしょっちゅう受けられる値段じゃないよな。
 それに、申請にかなり面倒な手続きが必要だった。パソコンやスマホをうまく使いこなせない人たち(ぼくも含めて)には、そうとうハードだ。ぼくはパソコンと大格闘してなんとかクリアしたけれど、カミさんはガラケーなので、手続きにぼくの別のアドレスを使うということにしたのだが、これに数時間もかかってしまった。検査ひとつ、簡単に受けられない国なんて、どこが先進国なんだ! と腹を立てながら。
 今年の3月に生まれた初孫。その子にコロナなんかうつしたら一生悔やんでも悔やみきれないことになる。というわけで、仙台で2泊して孫と初お目見え。すっかり仲良し(?)になった。そこから、ぼくの実家のある秋田の田舎町へ向かった。ここには姉がまだ元気で暮らしている。姉を伴って、2年越しの親父とおふくろの墓参り。少し気が晴れた。秋田からは日本海沿い、鳥海山のふもとや象潟を経由して、山形県鶴岡市の温泉宿に1泊。そして帰京、という旅程だった。
 ずいぶん久しぶりの旅だった。そう、どこかへ泊りがけで出かけたのは、もう2年以上前のことになる。それだけ、コロナってやつに、ぼくら夫婦でさえ縛り付けられていたわけだ。

「墓じまい」

 少し温泉でのんびりしたこともあって、気は緩んでしまったようだ。
 田舎はいいなあ。でも、それは淋しさの裏返しでもある。
 以前の墓参りの際、我が家の菩提寺の若い住職は「ここら辺でも『墓じまい』がけっこう始まりましてね」と淋しそうに言っていた。誰も「墓守」をする人がいなくなって、結局、墓を閉じなければならなくなる、ということだ。
 ぼくの家の墓だって、姉が「墓守」できなくなったら、多分、もうそれで終わりだろう。ぼくら夫婦だってもう高齢。そう頻繁に墓参りになんか行けそうもない。わが娘たちは、鈴木とは違う姓を名乗っている。
 実兄はすでに他界した。彼は根っからの無宗教者で「墓はいらない」との遺言を残したらしい。弟夫婦はクリスチャンで、どうもそちら方面でなんかを考えているらしい。つまり、秋田の我が家の墓は、いずれ「廃墓」になる、それも近いうちに…。

ゴーストタウン化と巨大モール

 それにしても、我がふるさとの衰亡ぶりは切ないほどだった。ふと、『廃市』という福永武彦の小説のタイトルが頭に浮かんだ…。
 わが町の、かつてのメインストリートは、駅からまっすぐに南へ向かう3キロほどの通りだ。ぼくが幼かったころ、そこは眩しいくらいの大通りで、道の両側には隙間なく店舗が並び、近郷近在の農家の人たちが、コメを倉庫へ運び込むついでに買い物を楽しんでいく、というそれなりの町だったのだ。まあ、60年以上も昔の思い出だけれど。
 ところが今はどうだ。
 駅前から実家までの道を、ゆっくり歩いてみた。かつて「大通り」と呼んでいた道がこんなに狭かったなんて、幼かったぼくの印象とはまるで違う。通りはいまや一方通行。あまり車なんか通らなかったころは、買い物客などで賑わっていたのだが、今は人の気配がまるでしない。よく言われるシャッター街。西部劇で言うならゴーストタウン。ぼくが歩いて実家に向かう途中、ほとんど人に出くわさなかった。

 町を迂回するように、広いバイパスができている。
 バイパス沿いに大きなモールや量販店が立ち並ぶ。回転寿司やら洋服店などの全国チェーンも、広大な駐車場を備えて営業中。しかし、ここまで来るにはどうしたって車が必要だ。だからこの町ではもう、車なしでは生活が極めて不便だ。わが姉は、つい最近「免許返納」をしてしまった。近所の親しい人が買い物に行くときに誘ってもらうしか手だてはない。かくして、高齢者はひっそりと家にこもることになる。
 これは、家に居たくって居るのではない。出歩くこともできずに、家に押し込められている、というのが実情なのだ。
 大型店の出店規制緩和は、高齢者を直撃した。近所の小店舗がほとんど潰れてしまったから、買い物難民と化したのだ。それが、自民党政府が推し進めてきた「規制緩和」の実態である。儲けたのはむろん、大資本。

「生きじまい」

 ぼくだって、そろそろ「免許」については考えなければならない年齢に近づいている。そういえば、免許更新のハガキが来ていた。多分これが、ぼくの人生最後の免許更新になるのだろう。
 生きにくい世の中は政治が作り出す。なんとかもう少し楽に生きていける社会を実現するために、さて、ぼくに何ができるか。
 「生きじまい」というものも迫っている。
 どのように生きることを閉じるのか、せめて平和な暮らしの中で眼を瞑りたい、とぼくは思う。そういう政治が行われることを願っている。
 もうじき「総選挙」だ。ともあれ、今の与党には、ぼくは絶対に投票しない。戦争も辞さず、などというキナ臭い連中がいる党なんか、ぼくはまっぴら御免である。
 ふるさとは静かだった。けれど、それが高齢者にとっての「安らかな生活」だとはとても思えない。暮らしやすいとは思えない。人々がひっそりと息をひそめているような静けさが素敵であるはずがない。

 ふるさとの人気(ひとけ)のない町を歩きながら、次はいつ、帰郷できるだろうか…とぼくは考えていた。

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。