第183回:ヘタレな人(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 マスメディアも悪乗りした大騒ぎの自民党総裁選が終わったと思ったら、あっという間に「解散総選挙」だ。
 よく見てみると、岸田首相の組閣は、選挙でヤバそうな議員の救済策だったようだ。つまり、ナントカ大臣という肩書を利用して「選挙を有利に戦え」ということ。だから、あまり名前も知らないような人たちが、ズラズラと嬉しそうにひな壇に並んだ。
 芸人さんたちがバカ騒ぎをする「ひな壇芸」じゃあるまいし、そんな者たちを大臣席に座らせるなんて、政治をバカにしているとしか思えない。

 軽量級の岸田首相が、なんとか党をまとめるための人事として幹事長に就任させた甘利明氏だったが、これが見るも無惨な大失敗。そりゃそうだろう。2016年当時、経済再生大臣だった甘利氏には、UR(都市再生機構)からの収賄疑惑に絡んで大臣辞職した経緯がある。しかも疑惑について説明することもなく、「睡眠障害」を理由に病院に逃げ込み、結局、ウヤムヤのまま今日に至っているのだ。いくら国民が忘れっぽくても、あんな卑しい逃げっぷり、そう簡単に忘れられるわけがない。
 そんな国民感情すら考えなかったとすれば、岸田首相というのは、呆れるほど人間の気持ちを理解していないと言うしかない。とても首相の器じゃない。
 岸田首相のみっともない前言撤回ぶりは、公的に発した言葉をすぐにウヤムヤにしてしまうところにはっきりと表れている。
 少し例を挙げてみる。

◎分配なくして成長なし

 こう岸田氏が言明した時、まあその通りだなと、多くの人は思った。アベノミクスとやらの安っぽい経済政策を、やっと転換してくれるのかと、岸田首相を見直す気分さえ漂ったのだ。ところが発言から3日後、この言葉とはまったく逆のことを、白々しく所信表明で口走った。聞く方はボーゼン。なんと「成長なくして分配なし」と言葉が入れ替わっていたのである。
 まず労働者の賃金を引き上げることによって、人々の購買意欲をかき立て経済成長につなげていく。それが当初の発言の意味だったはずだ。しかし、当然ながら財界筋は賃金引き上げには難色を示す。すると突然、企業の業績上昇を優先して、その後に労働者への賃金配分を行うと、まったく逆になった。
 何のことはない、企業が儲かればその余滴が労働者に零れ落ちるというアベノミクスの「トリクルダウン理論」そのままではないか。どこが新自由主義からの脱却なんだ? 政策の根本を、いとも簡単に変えてしまう。無責任の極み。

◎金融所得課税の強化

 いやはや、こんなに簡単に「朝令暮改」する人も珍しい。
 「金融所得課税の強化」を言い出したときには、高額所得者には相応の負担をしてもらい、それを弱者救済の費用に回す、というふうに大方は理解した。つまり、これもまた「分配」の考え方である。いいじゃないか。
 ところがどっこい、そんなカッコいい表明もまた、すぐに「実施見送り」となってしまった。要するに、お金持ち様の税金を増やすなんて、そんな無礼なことはしませんよという、財界や富裕層への降参の白旗である。
 なら、最初から言うなよ、バカタレが! と、さすがに多くの人が批判の声を挙げた。すると今度は「首相在任中には考える」と軌道をちょっとだけ修正。
 「やる」⇒「やらない」⇒「やるかもしれない」⇒「でも今すぐじゃない」。
 いったいなんのこっちゃ!
 この人には「自分というもの」がまったくない。確かに「聞く耳」は持っているらしいが、それは「聞くだけ」。だけど聞き過ぎちゃって、ちょっと批判されるとすぐにあっちへフラフラ、こっちへユラユラ。とてもじゃないが、危なっかしくて政治の舵取りなんか任せちゃおけない。

◎所得倍増計画

 岸田内閣の目玉政策ともいえるのが、「所得倍増計画」である。
 むろんこれは、かつて池田勇人元首相が掲げた「所得倍増計画」の二番煎じ。1960年、安保闘争で揺れに揺れた政治の激動期。荒れた人心をなんとか経済政策で引き付けようとした池田元首相の考えだった。前任の岸信介元首相(安倍晋三氏の母方の祖父)の凄まじい強権政治からの脱却を図ったのだ。
 これはそれなりに成功した。日本の高度成長期の基礎を作ったといっていい。同じように、安倍菅政権の強権イメージをなんとか払拭しようとした岸田首相の窮余の一策が「新所得倍増計画」だったのだろう。
 だがこれも、あっという間の後退劇。なぜか、岸田首相の所信表明演説や自民党の選挙公約から消えてしまっていた。
 そして極めつけが、山際大志郎経済再生担当相の「所得倍増というのは所得が2倍になるということではない」との発言(14日)。倍増は2倍じゃない?
 岸田首相を援護するつもりの発言だったのだろうが、では、どういう場合が「倍増」になるんだい? 呆れて果てて開いた口が塞がらない。あの桜疑惑でのアベの答弁「募っているが募集はしていない」に匹敵する迷言だろう。
 あの首相にしてこの大臣あり。この内閣、上から下まで壊れている。

◎選択的夫婦別姓制度など

 首相就任前には、岸田氏は「夫婦別姓制度導入には前向きな立場」だったはずである。だがこれもまた、あっさりと持論を捨てた。なにしろ極右の高市早苗氏を政調会長に任命したのだから、こういう結果になるのは分かっていた。
 「政務調査会」というのは、党の基本政策を議論して道筋をつけていくところだ。その会長が「夫婦別姓は家族の絆を壊し、家庭崩壊につながる」などと、ほとんど100年前の封建的ご意見の持ち主なのだから仕方がない。同性婚など夢のまた夢。ジェンダーに関しても後退するばかり。
 異様な光景だった。日本記者クラブで18日に行われた9党首討論会では、「選択的夫婦別姓、LGBTQ法案に賛成の方は挙手を」との問いかけに、なんと8党首は挙手をしたのに岸田氏だけは手をあげなかった。もはや自民党だけが時代遅れになっているのだということを、岸田首相自らが示した場面だった。
 安倍氏の操り糸から離れられないフニャフニャ首相の面目躍如。しかし、ぼくだって岸田氏がここまでヘタレ(すみませんが、この言葉しか思いつきませぬ)だったとは思わなかったなあ。

◎桜・森友・河井案里疑惑

 総裁選直前までは、それなりに威勢がよかった岸田氏。
 9月2日のBS‐TBSの番組では、森友疑惑の財務省文書については「さらなる説明が必要」と話していたし、地元広島の選挙で河井案里側へ渡った1億5千万円というとんでもないカネについても「説明は必要」と繰り返していたのだが、総裁選に突入すると「再調査は考えていない」と豹変(いや、豹変というよりヘナヘナと態度軟化)してしまう情けなさ。むろん、安倍の影に怯えた弱虫小僧なのだった。
 これでは誰が本当の首相なのか、わけが分からない。とてもアメリカや中国と対等に渡り合えるタマじゃない。外交も無理だろうなあ……。

◎敵基地攻撃論

 その一方で、勇ましい連中の跋扈ぶりが岸田氏の右旋回を後押しする。
 岸田氏の出身母体派閥の宏池会は、前出の池田勇人氏が立ち上げたもので、長く保守本流と呼ばれ、平和主義を基本としていた。宏池会を率いた大平正芳氏、宮澤喜一氏、加藤紘一氏、古賀誠氏などに見られるように、自民党の中では護憲的なリベラル派と目されていたのだ。
 岸田氏の前の派閥領袖だった古賀誠氏などは『憲法九条は世界遺産』という本まで書いているほどの護憲派だ。ぼくがかつて編集した『憲法九条を世界遺産に』(太田光・中沢新一、集英社新書)にタイトルはそっくりだけど(笑)、考え方には賛成だ。
 ところが、安倍極右路線を隠しもしない高市氏らに引っ張られて、岸田氏はついに「敵基地攻撃論」まで言い出した。
 相手国にミサイル攻撃などの気配がある場合、その前に日本から相手国の基地を攻撃してしまう、という危険極まりない考え方だ。ミサイル攻撃の気配など、どうやって見分けるのか。仮にその気配を見誤った場合、日本が先に戦争を仕掛けることになる。日本の国是であるはずの「専守防衛」からはかけ離れた考え方だ。

◎防衛費GDP比2%超

 自民党の今回の選挙公約には、長年GDP(国内総生産)比1%以内に抑えられてきた防衛費を「GDP比2%以上も念頭に増額を目指す」と書き込まれた。
 いま必要なのが防衛費だというのなら、それは「いのちの防衛費」ではないか。ミサイルや航空母艦(「いずも」を「多用途護衛艦」などという奇妙なごまかし用語で、事実上の空母化してしまった)ではなく、PCR検査体制や医療設備の拡充、医療従事者たちへの手当、ワクチンの国産化などの「いのちの安全保障」を優先すべきだろう。
 いのちより軍事へ傾斜していく岸田首相には、リベラルの欠片もない。宏池会の諸先輩は草葉の陰で嘆いているだろうし、古賀誠氏も不快感を隠していない。

◎新資本主義実現会議

 次々と政策が後退する中で、岸田氏の残された主張は、どうも「新資本主義」というヤツだけらしい。しかし、それが何を意味するのかまったく中身が分からない。「アベノミクスの行き過ぎを修正し、新自由主義から脱却して、成長と分配の好循環を目指す」と、いかにも口当たりのいい言葉が並ぶけれど、具体的な政策はこれから議論に入るのだという。まあ、選挙目当ての大急ぎの公約なのだろう。
 その会議に15日、15人の委員が任命された。
 そのメンツを眺めながら、深い溜息をついた人は多かった。だって、15人中、学者はたった2人。シンクタンクから1人、そして連合会長。あとはほぼ企業経営者や財界人。これでは、どう考えたって財界寄りの政策提言機関である。
 たとえば、法人税や富裕層への増税などとても期待できない。むしろ、またしても「消費税アップで社会保障の充実を」などと言いだしかねない。現在の消費税が「福祉目的税」として設定されたものの、実際は福祉以外にも使われている。同じことを繰り返さない保証がどこにあるか?
 連合の芳野友子新会長が加わっているが、さて、どんな姿勢を示すのか。ぼくはあまり期待していないけれど。

 まさに「ヘタレ首相の後退日記」である。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。