第184回:「国ガチャ」(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 妙な言葉が流行っている。「親ガチャ」である。
 要するに「親は選べない」という意味で、ゲームセンターやソーシャルゲームなどにある「ガチャガチャ」からきた言葉らしい。どんな親の元に生まれるかで人生は決まってしまう。最初から人生は運でしかない、というような感じらしい。
 どうも、あまり気分のよくない言葉だ。端からすべてを諦めている。どうせオレ(アタシ)なんか、努力したって親を見てりゃ未来は分かる。そういうことなのか。
 「親は悲しいよなあ。懸命に育てた子どもにそんなことを言われるなんて」と、ぼくがある若い人にそう言ったら、「そんなにひどい意味じゃないんですよ。まあ、ちょっと世の中を愚痴ってみた、というくらいの軽い気分で使うんです」だと。
 一所懸命頑張っても就職はうまくいかないし、派遣やバイトで食いつなぐしかないとなれば、愚痴のひとつも言ってみたくなるだろう。でも、世の中を愚痴ってもどうしようもない。だから親を愚痴の対象にして「親ガチャ」などと言ってみる…。

 でもさ、ぼくのような年寄りは思うのだ。そりゃ対象が違うだろう、と。それなら、むしろ「国ガチャ」じゃないのって。

 若い人たちが、自分の「生きづらさ」を身近な存在にぶつけて憂さを晴らす。かつて、生きづらさは「世の中」、もしくは「社会」や「国」へ不満をぶつけるのが普通だった。数十年前、日本を含む世界中で激しい学生運動や若者の反乱が起きたけれど、それは「国家」「社会」の在りように対する異議申し立てだった。60年安保闘争、60年代末全共闘運動などがそれだった。
 その中でも、日大の不正経理に対する日大生の怒りが、あの歴史に残る「日大闘争」のきっかけだったが、今、同じような事態が起きているけれど、学生たちはピクリとも動かぬ。世の中は様変わりした。

 政治への批判なんぞを口にすると、最近は「あいつはアブナイ人」とか「ヤバいヤツ」などと言われ、そして最後には、「就職に不利になるぞ」なんてことになるのだという。だから、社会や政治に対してではなく、もっとも身近な存在「親」を不満の対象にする、ということになる。
 「あーあ。オレももっと金持ちの家に生まれたかったなあ」というわけだ。
 しかし、なぜ親が現在のような境遇にあるのか。そこを考えなければ、いつまで経ったって世の中は変わらないし、愚痴ばかりの人生で終わるだろう。
 親の生活が苦しい。それは決して親の責任ばかりじゃない。親が怠けていたから、というわけでもない。考えれば、やはり政治に行き着くのだ。
 朝日新聞(10月20日)に衝撃的な数字が載っていた。

(略)経済協力開発機構(OECD)の2020年の調査(物価水準を考慮した「購買力平価」ベース)によると、1ドル=110円とした場合の日本の平均賃金は424万円。35ヵ国中22位で、1位の米国(763万円)と339万円も差がある。1990年と比べると、日本が18万円しか増えていない間に、米国は247万円も増えていた。この間、韓国は1.9倍に急上昇。日本は15年に韓国に抜かれ、いまは38万円差だ。(略)

 ただし、これは単純平均だから額面通りに受け取ってはやや公平さを欠く。なぜなら、特にアメリカでは所得格差が凄まじいからだ。なにしろ人口の1%の富裕層が、全米の所得増加分の35%超を占めるという。その1%の富裕層の所得を除けば、アメリカの平均賃金はぐんと下がる。だから、平均賃金の比較も割り引いて考えなくてはならない。
 だがそれを割り引いても、日本の平均賃金の水準が、G7(先進7か国)の中では最下位だという事実は変わらない。
 さらに朝日の記事を続けると、別の面からも所得の低減が見えてくる。

(略)給料から引かれるものとしては、社会保険料の負担が増している。17年までの30年間で月額2万6千円の負担増だ。(略)

 その低賃金から引かれる社会保険料は増大の一途だ。上がらない賃金に、社会保険料が圧をかける。月額2万6千円とは、年間31万2千円だ。自民党政権が言い続けた「社会保障のための消費税」とは、結局、ウソだったのだ。上げた消費税をすべて社会保障費に回すなら、なぜこんなに社会保険料が増加することになったのか。
 まさに、日本は世界でもまれな「低成長の国」になってしまったのだ。

 「親ガチャ」を嘆くのはいい。だがそれなら、なぜきみの親がそんな状況にあるのか、をも考えてやらなければ不公平だろう。
 上がらない給料なのに、例えば大学の授業料などはどんどん上がる。私立文系では、1990年には年間授業料は平均で約50万円前後だったものが、 2020年では83万円ほどに上昇している。理工系は当然ながらもっと高い。前述したように、親の賃金はまったく増えていないのに、である。

 では、なぜそんなことになったのか。その一因は「税制」にあることは明らかだ。
 岸田首相は当初「金融所得課税」を表明していた。これは、株式譲渡益や配当金に課される税金で、税率は一律20%(所得税15%、住民税5%)と定められている。実はこれが大きな問題なのだ。
 金融所得で潤っている人には、その所得に応じて多めの税金を払ってもらったって罰は当たるまい。ところがこれがそうじゃない。いわゆる累進課税(税率が所得に応じて上がっていく)が、金融所得税率には反映されないのだ。つまり、高額所得層については税率が有利になっている。
 かつて樹木希林さんのカメラのCMに「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに…」というのがあってけっこう笑ったものだが、税金に関していえば「豊かな方はより豊かに、そうでない方はそれなりの生活を」というわけだ。

 ぼくは「親ガチャ」よりは、むしろ「国ガチャ」だと思っている。
 確かに親は選べない。でも生まれてくる国だって選べないじゃないか。
 ぼくもあなたも、この国を選んで生まれてきたわけじゃない。気がついたら「この国」だっただけだ。そういう意味では「国ガチャ」と言うしかない。
 けれど、「親ガチャ」と「国ガチャ」には、決定的な違いがある。「自分の親にはがっかりだ」といくら思ったとしても、いまさら親は変えられない。「この親」は、やはりどこまで行っても「この親」だ。
 だが「この国」は変えられるのだ。いまの政府の政策によって「親ガチャ」が生じたとするなら、この国の政治を変えることによって「国ガチャ」は変えられるのだ。より良い国に作り直すことによって国を一変させることができる。もしかしたら、「親ガチャ」だって「国ガチャ」の変革で多少は変えられるかもしれないじゃないか。

 もっと賃金が上がる。
 非正規の労働環境が正社員主体の働き方に変わる。
 税の不平等が是正され、それが人々に還元される。
 人権が尊重され、ヘイトが罰せられる。
 外国人労働者が当たり前になり、共生社会が実現する。
 ジェンダー平等が実現され、選択的夫婦別姓制度や同性婚も当然の社会になる。
 子どもの人権条約により、子どもたちがのびのびと生きられる。

 「国ガチャ」の変革によって、こんな世の中が実現するなら、「親ガチャ」などという言葉も自然に消えていくのではないか。
 そのためにも選挙に行って、「この国に生まれてよかった」という「国ガチャの変革」を実現したいものだ、などと老人のぼくは考えている……。

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。