第185回:異形の夜(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

10月31日のこと

 10月31日、日曜日。
 実は、この日はぼくの誕生日。いくつになったのかを、嬉しそうに言えるような年齢じゃない。そろそろ冥途の土産の心配をしなくちゃならない頃合いだ。
 この日はカミさんが用事で終日、出かける予定だったので、前倒しで「生誕前夜祭!(笑)」を30日に催すことになった。都内に住む長女夫婦が、ぼくの大好きな日本酒と、なんとバースデーケーキを持参でやって来てくれた。バースデーケーキなんぞを貰ったのなんて、もう思い出すこともできない大昔。楽しい一夜だった。
 というわけで、31日。カミさんはいないので、ひとりでラーメン屋に出かけ、好きなつけ麺をズルズル。あとはしばらく読書。そして、夜の選挙結果を楽しみにしていた。夜の「選挙速報」を見ながら美酒に酔い痴れたいものだ、などと思いながら。

少しはワクワク

 総選挙公示日(10月19日)辺りでは、世論調査では自民堅調、維新飛躍、立憲伸長、という情報が大半を占めていた。しかし投票日が迫るにつれて、自民苦戦、野党共闘の成果で激戦区が急増、と変わり始めていた。まあ、政権交代とはいかなくても、与野党伯仲の状態は期待できるかもと、ぼくも少しだけワクワクし始めていた。
 テレビは「選挙特番」と称してみんな午後7時55分から横並び。それまでは、ニュースは相変わらず「10月31日、渋谷でのハロウィーンの大騒ぎ」を報じている。ぼくの「神聖なる誕生日」をバカ騒ぎで汚すなよ、とちょいと苦々しい気分。
 やがて8時。テレビは一斉に「当確」を報じ始めた。ほとんどが自民党。まあ、組織票をまとめた地方での世襲議員などが強いのは当たり前。そのうち、激戦区が開き始めたら様相は一変するはずだ、とぼくは楽観的に眺めていた。

異常な事件、イヤな予感

 そこへ、ニュース速報。
 私鉄京王線の特急電車内で刃物男が暴れ、10人以上が怪我、ひとりが重体、さらに車内に油のようなものをまいて火をつけたというニュース。ハロウィーン用の衣装を身にまとった若い男の犯行らしい。スマホ撮影での、逃げまどう乗客たちがテレビ画面に映し出された。停車した電車の窓から争って逃げ出す人たち。
 ぼくは妙な予感がした。なんだか悪寒で背筋が震えたんだ。これは、何か悪いことが起きる予兆じゃないか…と。
 京王線は、ぼくが日常的に使う路線である。しかも事件があった国領駅は、ぼくも用事で時々乗降する駅だ。刃物で刺された70代の男性が重体だという。それを聞いて恐怖感が募った。ぼくも70代男性である。被害者がぼくであっても何の不思議もない。たまたま乗り合わせた不幸。なんなんだこれは……。
 この夜、何か良くないこと、異様な場面に遭遇しそうな、とてもイヤな予感がした。やがて予感は当たることになる。

維新とは、トランプのいないトランプ党

 時間はどんどん過ぎていく。選挙速報が流れる。
 「自民堅調」は、当選や当確の数字によって、具体的な形を見せている。選挙戦後半になって流れ始めた「野党共闘による大接戦」は、確かに激戦ではあるけれど、そこから野党側が抜け出せない。次々に惜敗の様相となる。代わって「第3極」を標榜する維新が躍り出てきた。
 維新って何だろう?
 大阪の当選者は、ほとんど維新一色。大阪は、なんだか「別の国」のような気がし始めた。そして、あの辻元清美さんが落選、という一報。
 ぼくは彼女とはもうずいぶん長い間の知り合いで、時折インタビューしたり、電話したりの間柄。保坂展人さん、中川智子さんらとともに「土井たか子チルドレン」として登場したころからの知り合いなのだ。その辻元さんが落選。比例でも復活しないという結果。
 まさに大阪は「別の国」としか思えない。
 維新は、過激な言質を振りまく「トランプのいないトランプ党」みたいだと思う。だって、創設者の橋下徹氏はテレビのコメント屋さんになっちまったし、松井一郎維新代表は「市長の任期が終わったら政治家を引退」という。まあ、政治家の「引退」ほど眉に唾しなければならない言葉もないけれど。つまり、主導者がいない鵺(ぬえ)のような過激政党というわけだ。
 やたらと危ない発言や行動をする議員をワンサカ抱える政党が、ジワジワと数を増やしていく大阪。繰り返し「大阪都構想」で敗れているにもかかわらず、なお絶大な人気を誇る不思議。ヘイトスピーチを繰り返す議員を、表現の自由だと擁護する政党。
 コロナ禍では、大阪は日本でいちばんの死者を出した。医療施設や保健所などの医療資源を徹底的に壊した結果というしかないのだが、この「別の国」では、それもあまり問題にはならないらしい。やはり、不思議だ。

「出口調査」が狂い始めた

 「出口調査」というものがある。投票を終えた有権者を出口でつかまえ、誰に(どの党に)入れたかを問い、それを集計して結果を予測するもので、マスメディア各社は競って行う。そして予測に従って「当確」を打つのだ。いつから、こんな「当確競争」が始まったのか。かつては投票日だけだったのに、最近では「期日前投票」にもそれを実施している。そこまでして「当確早打ち競争」をしなければならない理由があるのだろうか? それがいつも、ぼくには疑問なのだ。
 しかし今回は、その「出口調査による予測」がかなり外れた。
 「自民党は過半数(233議席)獲得が微妙」「立憲はかなりの議席増」「共産党も議席増」などという各社の調査結果は大外れと言っていい。当たったのは「維新3倍増」か。いやそれだって、3倍増どころか4倍に近かったではないか。
 これほど外してしまう調査を、これからも続けるのだろうか?

党名アレルギー

 それにしても、立憲民主党の惨敗ぶりは悲しいほどだ。公示前に110議席を保持していたのに、結果は96議席。14議席も減らしてしまった。
 確かに激戦・接戦に持ち込んだ選挙区は多かったし、選挙区ではかなり善戦した。しかし比例区が惨敗という結果だったのだ。立憲民主党という政党名に問題があるのか、それとも単に党のイメージが浸透していないのか?
 「連合」は最後まで、立憲と共産の野党協力に不快感を隠さなかった。では連合は、今回の与党勝利、維新躍進、野党共闘不発という結果をどう考えるのだろう。ぼくは、じっくりと連合の意見を聞いてみたい。「労働者の組織」というのであれば、今回の結果をどう見るのかを表明すべきだろう。
 党名の問題ということになれば、やはり共産党にもそれは及ぶ。ぼくも、ここまで「共産党」という名前に有権者がアレルギーを持っているとは思わなかった。自民公明の与党が、後半戦で苦し紛れに連呼したのは「立憲共産党に政権を渡していいんですか」というデマである。これが効果を発揮してしまった。「やっぱり共産党はなあ…派」が、思った以上に多かったのだ。最近の「中国共産党」の強権政治ぶりが、同じ名称の「日本共産党」への忌避感につながったのも一因かもしれない。
 だが、それを言うなら自民党など「自民ナチ党」だろう。麻生氏の「ナチスに学べ」だの高市氏の「ナチ礼賛本への推薦文」を思い出せば、このネーミングはピッタリ。しかし残念ながら「自民党にはお灸を据えたい派」は、維新に流れた。
 共産党が本気で政権の一翼を担おうとするなら、まず「共産党アレルギー」の払拭を考えなければならない時期に来ているのだろう。

 ただ立憲については、不思議な記事があった(東京新聞11月1日付)。

無党派、比例で立民24%
維新も20%、自民を上回る

 共同通信の出口調査の分析だ。いわゆる無党派層では、投票先が 1位・立民 2位・維新 3位・自民 という順位だったというのだ。自民はわずか17%だった。とすれば、無党派層の低投票率が立憲民主党には響いたということになる(あくまで出口調査の結果が正しいとしての仮定だが)。やはり、野党は低投票率に泣いたことになる。ちなみに今回は、55.98%だったという。戦後3番目に低い投票率だ。先行きは暗い。

「ゾンビ復活議員」が跋扈する議事堂

 最後に指摘しておかなければならないのは「選挙制度」である。ヘンじゃないか、復活当選制度って?
 甘利自民党幹事長の選挙区落選は、この異形の夜の、ほぼたったひとつの溜飲の下がる出来事だった。しかし、その甘利氏「比例復活当選」という形で議席を確保した。落選議員がゾンビ復活、国会議事堂に棲息する。こんなおかしな制度も珍しい。
 ぼくは「小選挙区制」には、これが議論された時から反対してきた。「死に票」が異常に多い制度は問題だからだ。1人しか当選しない小選挙区制では、51対49で、当選が決まる。つまり49%の人の票が死んでしまう。それを救うための妙な手段としてつくられたのが「比例復活」という制度だ。
 この制度を強引に推し進めたのが、小沢一郎氏だった。当の言いだしっぺが、岩手3区で落選した。自分が作った制度で敗れたのだ。これも歴史の皮肉というしかない。
 このコラムでも何度か指摘したけれど、歪なものは直さなくてはならない。選挙は終わった。すぐにでも「選挙制度改革委員会」を発足させて、もっと民意がストレートに反映される制度に改革すべきだと、強く主張しておく。

 ぼくは、31日の日が改まる前にテレビを消した。
 チャラチャラと後出しじゃんけんで騒ぎまくる「選挙特番」には反吐が出た。
 ぼくの「異形の夜」はこうして終わった。
 ベッドに入って本を読み始めたのだが、うまく眠れなかった。
 本音を言おう、口惜しいいいいいいいなあ……。

我が誕生日の祝杯の食卓です

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。