第186回:自由な猫と「マイナス」カード(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 秋です。
 ぼくが住んでいる辺りも、少しずつ樹々の葉が色づき、空も高くなりました。世の中、さまざまな出来事、いやなことのほうが多いけれど、ベランダで青空に浮かぶやわらかな雲を見ていると、少しは滅入っていた気も薄らいでいきます。
 我が家の狭い庭にも秋の陽射し。あれ、我が家の半野良猫ナゴがのびをしている。この猫は、ほんとうに自由だ。

我が家の半野良猫ストーリー①

 ぼくは犬も猫も大好きだ。かつては犬を2匹飼っていた。ゴンタとゴンベーという兄弟犬で、超純粋の雑種(笑)だった。もう数十年も前のことだ。猫もけっこう飼っていた。数えたら、ほぼ50年間で8匹になる。すべて捨て猫や迷い猫。でも、やはりみんな先に逝ってしまう。けっこう悲しい。だからもう、犬も猫も飼うまいと思った。
 ところがある日、庭に迷い込んできた猫がいた。
 ぼくの顔を見てニャーニャーと、物欲しげに鳴く。なんだか痩せて貧相な猫だった。かわいそうに思って、皿にミルクを注いであげた。その飲みっぷりのいいこと。よほどお腹がすいていたんだろう。すると味を占めたのか、それから毎日のように庭先に現れる。仕方がないので、猫の餌を買って来て食べさせてやった。
 いつの間にか、居ついてしまった。居ついたとは言っても、朝と夕方、きちんと飯時になると現れ、食事が終わるとそそくさとどこかへ消えてしまう。なんとも現金なヤツだった。しばらく餌をやっていたら、最初に出現した時の痩せっぽちが、結構ふっくらと太ってきた。ぼくら夫婦はこの猫を「梅ちゃん」と呼んでいた。梅干しババア(失礼)みたいにしわくちゃばあさんにみえていたからだ。ところが梅ちゃん、1カ月ほど皆勤した後、ぷっつりと姿を消した。
 恩知らずめ。いなくなる時は「どうもお世話になりました」の一言ぐらいあってもしかるべきだろう。それに、買いこんだ猫餌が無駄になっちゃったじゃないか、「猫の恩返し」はないのかと、夫婦でブツブツ言っていた。
 ところが、またまたある日のこと。庭でミャウミャウと声がした。出てみると、なんと梅ちゃん、仔猫を3匹ひき連れていた。うわっ、梅ちゃん、どこかで子どもを産んでいたんだ。我が家のあたりは市とはいいながら、両隣は農家さんという田舎町。納屋は両隣にある。その納屋で産んだのだろうか。
 おっぱいを飲ませて、仔猫らが少し大きくなるのを待って連れてきたのか。出産のためだったら、そりゃあバクバク食べて準備するよなあ。
 梅ちゃんは「この子たちにも食事をさせてください」と必死さの漂う目でぼくを見上げる。これは仔猫用の餌を買いに行くしかない…。3匹の仔猫には、ジェーピー、ドット、コムという名前を付けた。ドットは牡、ジェーピーとコムは牝だった。だけど、見ているとドットがいちばんトロイ。
 仔猫を抱きあげようとすると、梅ちゃんがフーッと背中の毛を逆立てる。一度など、撫でようとしたぼくに手に猫パンチ。これがけっこう強烈で、手の甲に血がにじんだ。家の中に入れようなんてとんでもない。噛みつかれるのがオチだ。とても家猫で飼えるような気配はなかった。

我が家の半野良猫ストーリー②

 親子4匹、飯時には判で押したように現れる。
 ぼくらはケガを覚悟で4匹をつかまえ、とりあえず避妊手術だけはすませた。それもあってか、猫どもは一層ぼくらを敬遠するようになった。むろん、食事はきちんと摂りに来るという根性だけは持っていたが。
 15年前、会社を辞めた時、ぼくは退職金をつぎ込んで家を改築した。もうここを「終の棲家」にするしかないな、と心を決めたのだった。
 ここで問題が起きた。猫をどうするか。
 改築作業が始まれば、猫はとても家には寄り付くまい。ぼくらはその間、近所のマンションに間借りした。そこで大工さんにお願いして、猫の餌と水は毎日補充してもらった。大工さんたち、親切にそれをしてくれたのだが、猫たちはどこかへ消えた。仕方ない。ま、人間のほうが大事だからな、と諦めた。
 新居に帰って来てしばらくたったころ、またも庭でミャア。見るとドットである。ジェーピーとコムの姿はない。梅ちゃんとともにどこか新しい餌場を開拓したのだろうか。いちばんトロイと思っていたドットだけが帰ってきた。そしてドットは庭に居ついた…。
 カミさん曰く「ここにいればご飯は食べられるよ。お前はトロイから、この餌場は残してあげる。アタシたちはどうにかなるから、ここで頑張るのよって、梅ちゃんがドットに言い聞かせたのよ」と解説。んなこともあるまいが、それからドットは半野良猫として我が家の庭を住処とした。
 しばらくして、もう1匹、三毛の牝が現れた。鳴き方がナーゴナーゴだったから、「ナーゴ」と名付けた。ぼくは沖縄・名護の辺野古埋め立て工事に大反対して、何度も辺野古へ通っていたから、いつの間にか「ナゴ」に変わった。これが妙にドットと仲がいい。ナゴも居ついた。そんなわけで、ドットとナゴが半野良猫として我が家の庭を縄張りにした。
 寒さの冬は猫小屋(小さめの犬小屋を買ってきた)をしつらえ、毛布にホカロンを入れてあげたし雨は完全に防げた。2匹は寄り添うように寝ていた。
 ドットは15歳を越えて、去年の猛暑に耐えられなかった。ひっそりと庭の隅の草むらの中で息を引き取った。弱ってから、何度も冷房の効いた家の中にいれようとしたのだが、抵抗は最後まで強かった。かかりつけの獣医さんは「野良の誇りですかねえ」と。
 今ではナゴだけが半野良猫として、猫小屋を独占している。コイツも根性曲がりで、いまだに頭も撫でさせてくれない。家に入れるなんて、ぼくは最初から諦めている。

 しかし考えてみると、こんなに自由な猫もいない。なんの制約もない。飯は「子ども食堂」ならぬ「猫食堂」できちんと摂れるし、遊びに行きたくなれば終日姿を見せないこともあるが、それでも飯時には現れる。飼い主(?)には媚びないし、手を出せば引っ搔くという「猫の矜持」は失っていない。まあ、コイツも今年で14年を越えた。「孤高の半野良猫」として生涯を終える気なのだろう。

ところで「マイナカード」の話

 自由な猫の矜持、その半分でも3分の1でも、ぼくは持ちたいものだと思う。ところが、その自由を奪い、矜持を踏みにじろうとする画策が進む。
 「マイナンバーカード」というとんでもない代物を、とにかく全国民に押し付けようとする連中だ。何に使えるのか、どんな利便性があるのかなど、しっかりと説明もせずに、「とにかく持て」とやかましい。タレントを動員してのテレビCMのしつこいこと。あれだけ大騒ぎしているのに、普及率はまだ40%にも届いていない。何に役立つのか、中身がはっきりしないから怪しいと思われているのだ。
 業を煮やした政府、とうとうカネで釣る作戦に出た。カードを取得すれば3万円をくれるという(11月9日時点)。しかしよく内容を見ると、現金じゃなく「マイナポイント」3万円分なのだという。何なんだ、マイナポイントって?
 実はこのマイナポイント、これまで5千円分を付与する事業はやって来たのだ。しかし何ともめんどくさい。少し説明しよう。

 カード会社を選んで買い物や電子マネーでの決済をすると、利用額の25%がポイント還元される。つまり、5千円を還元してもらうには、2万円の買い物が必要ということになる。5千円をもらうために2万円使え、というわけだ。3万円を還元してもらうには、決められた期間内に12万円を実際に使う必要がある。なんかヘン?
 だいたい、貧困対策としての意義を強調していたのが政府ではないか。それなのに、一定期間中に12万円もの買い物を貧困家庭に強いるって、本末転倒だろう。現金を配れば貯蓄に回ってしまうからポイント制にするというのだが、苦し紛れの論法だ。とにかくこのカードを普及させるための手段なのだ。

「マイナスカード」と命名しよう

 このカード、いったい何に使うのか?
 これほど政府自民党が躍起になって普及に猛進するには、それ相応の理由があるはずだが、そこがいまだに曖昧モコモコなのだ。
 実際には、身分証明書、免許証、健康保険証、住民票などの各証明書、最終的には預貯金口座や納税証明などにまで紐づけして、所持者のプライバシーを丸ごと1枚のカードに集約しちまおうということらしい。いずれは、PASMOなどの交通系カード、図書館の貸し出し記録も包括しようとの案まで出ているという。
 要するに、預貯金はいくらあるか、いくら税金を納めているか、どんな病気を持っているか、家族構成はどうか、住所異動の回数や場所、勤務先、所属組織、読書の傾向から思想傾向、それに「マイナポイント」を使えば、いつどこで何を買ったかがたちどころに知られてしまう。国民ひとりひとりが丸裸。いままで各省庁や自治体がそれぞれで管理していた情報を、1枚のカードにまとめてしまおうという発想なのだ。政府にとってはこんなに便利なことはない。けれど、国民にとって、何がメリットなのか?
 あなたは耐えられますか? 3万円で個人情報を丸ごと売り渡しますか?
 もしカードを落としてしまったらどうなるか。あなたのプライバシーがそっくり他人の手にわたる。考えただけでも恐ろしい。
 問題点はまだある。
 過疎地に、マイナポイントを扱える商店がどれだけあると思っているんだ! 店がなきゃ使えないだろうよ。
 決済会社を選んで電子決済をする? できない人は高齢者に限らずたくさん存在する。そういうIT弱者への配慮は微塵もない。
 だいたいが「マイ」っておかしい。 Myは、自分のという意味だろう。勝手に人に番号を振っておいて、「これがあなたのマイナンバーですよ」はないだろう。「そんなのオレのじゃない」とぼくは言いたい。
 考えれば、これは「マイナカード」なんかじゃなく、押し付けられたほうにとっては「マイナスカード」でしかない。

自由な猫から「自由」を奪うな!

 自由な猫には、カードなんかいらない。
 いやしかし「管理チップを埋め込まないペットは飼ってはいけない。そんなペットは殺処分にする」なんてことを政府が言い出す日が来るかもしれない。
 いやいや、最終的には「マイナンバー・チップ」を体に埋め込んでいない人間は、すべての行政サービスから排除する、なんて究極のディストピアが招来しないとも限らない。むろん「上級国民」は例外…とかね。

 本来、住むところと食料は政府が保証するのが当然だ。
 ぼく(政府)がいて、猫(住民)の食事と住居(猫小屋)を保証しているから、ナゴは自由でいられる。その自由をひもで縛り、狭いケージに押し込めて、飼い主の言うことを聞けば餌は恵んでやるよ、というのでは自由の意味なんかない。
 国民が自由に生きることができれば、その国は豊かなのだということを、我らの政府はまったく理解していない。
 そういえば、『自由を我等に』(ルネ・クレール監督)という映画があったな。そんなスローガンを叫ばなくてもいい世の中にしなくちゃならない。

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。