第578回:生活保護を受けるのは「他人に迷惑をかける」と姉を殺害 フランス人から見て「行政虐待」に映るこの国の福祉。の巻(雨宮処凛)

 「生活保護拒み 姉に手かけた」

 12月2日、ある事件の判決が下された。

 今年3月、都内に住む82歳の女性が、寝たきり状態の姉(84歳)の顔にウェットティッシュを置き、手で押さえて窒息死させて殺害した事件だ。姉妹は長年二人暮らしをしていたものの、姉は5年ほど前に介護が必要な状態となり、妹一人で姉を介護する「老老介護」状態が続いていた。そんな二人の収入はひと月に約10万円の年金のみ。

 ケアマネージャーからは生活保護を受けて姉を施設に入れたらどうかと提案されていたものの、妹は拒み続けていたという。理由は、「税金からお金をもらうのは他人のお金で生きることで迷惑をかける」から。

 そうして今年、姉の体調が悪化したことで「これ以上介護できない。迷惑をかけないためには終わらせるしかない」と、姉を殺害。自ら110番通報したという。この日、妹には懲役3年執行猶予5年の判決が言い渡された(朝日新聞2021-12-3)。

 ニュースを知った時、コロナ禍の2年近くで相談を受けてきた人たちの顔が浮かんだ。

 今年のお正月の相談会に訪れた50代の男性は、携帯が止まり、住まいと職を失い、所持金が1000円を切り「今日が初めての野宿になる」と言いながらも、生活保護申請を勧めると「それだけは嫌だ」と首を横に振り続けた。

 また別の相談会に来た高齢の女性は、仕事がなく食費、生活費を限界まで削って生活し、体重が何キロも減ったと語ったものの、生活保護の話をした途端、「不愉快です」と怒りをあらわにした。

 2ヶ月ごとにやっている電話相談にも、生活保護を利用しないと死がちらつくような状況なのに、頑なに拒否する人たちがいる。

 「1月に解雇と言われ会社都合で退職届を出した。年金だけで生活できず仕事を探しているが見つからない。生活保護は人間が終わったと一緒だと思っている」

 「自営業者。65歳で体調不良となり、生活困窮。生活保護は絶対に受けたくない」

 「80代夫婦。家電小売業だがコロナで収益がゼロに。持ち家で月7.5万円の年金収入のみ。税金や借金の滞納もかなりあるが、生活保護は恥なので受けたくない」

 これらの言葉は、「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守るなんでも電話相談会」に寄せられたものである。

 強烈な忌避感の背景にあるのは、自民党議員が積極的に行ってきた生活保護バッシングだろう。それが確実に人の命を奪い続けているのに、バッシングをしてきた当人は今も国会議員の座に座っている。このことに激しい違和感を持つのは私だけではないはずだ(「ナマポ」発言のあった石原伸晃氏はバッチリ落選。と思ったら内閣官房参与になるらしい……)。

 さて、生活保護を忌避する理由には、「家族に知られたくない」というものもある。生活保護を申請すると、DVや虐待がない場合、家族に連絡がいくからだ。これを「扶養照会」といい、これがあるから生活保護だけは受けたくないという人が本当に多いのだが、今年の4月、運用が変わっている。本人が扶養照会を嫌がる場合、丁寧な聞き取りをするよう、通知が出たのだ。よって現在は問答無用に扶養照会されることはないはずだ。もし、無理にされそうになったら、「扶養照会については、4月1日施行の通知が出てますよね?」と言うといいだろう。

 話を戻そう。またしても起きてしまった、「生活保護絡み」の悲しい事件。

 胸を痛めていたところ、「日本の福祉の異常さ」を突きつけられる原稿を読んだ。それは『Journalism』12月に掲載された「仏社会学者が見た日本の貧困 「不可視化」を招く自己責任論」。

 著者はフランスの社会学者のメラニー・ウルスさん。この号の特集は「公助はあるか」で、私も「コロナ禍で見えた女性の困窮」と題した原稿を書いているのだが、フランス人から見た「日本の自己責任論」の異様さに、目を見開かされる思いがした。

 まず彼女は、日本の貧困を敗戦直後から振り返る。「国民総飢餓」だった敗戦後、貧困解消は社会の優先課題で、1946年、旧生活保護法が施行。50年には無差別平等原則を掲げたものに改正される。

 その後、高度経済成長の波に乗り、日本は一躍「一億総中流」に。貧困は見えなくなり、65年には「貧困率」のデータ公表が打ち切られる。そうして日本の貧困は、地下に潜るように見えなくなっていく。

 が、90年代にはバブルが崩壊。それによって都心部ではホームレスが増加するものの、95年の生活保護の保護率は0.7%とかなり低く、「本来であれば貧困が問題になるべき時に、日本では貧困は解決したものであるかのようにされた」と彼女は書く。この背景には、90年代当時、「ホームレスは生活保護は受けられない」など間違った言説が根強かったこと、実際に役所に行ってもそう言われて追い返されたことで保護を利用する人の数が伸びず、貧困がデータに現れなかったことがあるだろう。

 そんな生活保護の利用者は、当時も今も8割ほどを高齢者、病気や障害で働けない人が占めている。生活保護について、メラニーさんは以下のように書く。

 「生活保護受給者は時に、自業自得だ、国の保護に甘えているなどと後ろ指をさされることを恐れ、申請を諦めた人も少なくない。また、受給率の低さは、そうした意識や、保護に値する人とそうでない人の評価に恣意が入るという行政運用の結果でもあるだろう」

 そうして彼女は、日本の福祉事務所を観察した際のことを書く。フランス人の目に、日本の福祉はこのように映っているという貴重な報告だ。

 「現場では、申請を希望する健常者は疑われ、時に非難され、受給者は管理される。担当職員は、本来の任務である保護よりも、調査や監視を任務だと感じているかのようだった」

 「相談は職員による取り調べと化しており、職員は申請を退けるための情報を見極めようとする。最初の重要な判断基準は『就労能力』なので、事実上65歳以下の健常者ははねられたり、受付窓口では、社会で支配的な価値観や基準からかけ離れている人も除外されたりしやすい。高度成長期から継承されている価値観やモデルに順応できる人、国家の保護に値する人を選んでいるので、貧困であるかどうかは副次的な基準……少なくとも、私にはそう映る。現場で見られた脆弱な人々に対する行政の冷ややかな眼差しや敬意を欠いた対応は、言葉の暴力や象徴暴力であり、それが彼らを無視し、貶め、尊厳を傷つけているという意味で『行政虐待(administrative maltreatment)』(貧困撲滅NGOが提唱した『制度的虐待』から着想を得た概念)の一種だと言える」

 「行政虐待」。強い言葉だが、フランス人の社会学者にこの国の「福祉の窓口」はそう映るのだ。

 さて、それではフランスはどうなのだろう。

 日本で忘れられた貧困が「再発見」されたのは2008年の年越し派遣村あたりだが、フランスで「新しい貧困」が発見されたのは70年代。それを理解するため、多くの議論や考察が行われ、貧困は「社会的排除」の一形態と認識されたという。

 それに対して日本では、「相対的貧困と絶対的貧困への理解や違い、国民的合意がない」とメラニーさんは書く。それだけではない。

 「多くの日本人にとって、この言葉は日本の敗戦直後の極貧状態をイメージさせるようだ」

 そこからアップデートされていないのである。

 一方、フランスでは社会的排除に対して「社会参入」の概念をもとに貧困対策が構築され、「貧しい人も市民である」ことが改めて確認された。このような国民のコンセンサスが得られたからこそ、フランスの窓口では水際対策が見られないのだという。

 翻って日本に目を移すと、老老介護での事件の判決が下された翌日の12月3日、北海道苫小牧市の職員がTwitterで、生活保護を利用する人を「人間ではない」などと中傷したことが報じられた。

 同日、奈良県生駒市の女性が市を提訴したことが報じられている。理由は、自身が電気やガスを止められるほど生活に困窮しているのに、生活保護の申請を却下されたから。市内で一人暮らしをする女性は、月収が3万9000円しかなく、4月にはライフラインも止まってしまったため生活保護申請。しかし、二回も却下されてしまったのだ。

 どう考えても違法な対応に思えるのは私だけではないだろう。「行政虐待」という言葉が決して大げさでなく思えてくる。

 さて、ここで貧困対策に本腰が入れられているフランスの状況を見てみよう。まず、前提として相対的貧困率は日本より断然低い。

 例えば18年、税金と社会保障による再分配後の貧困率は、フランス8.3%、日本で15.4%。ちなみにOECDの調査では、調査対象となる17カ国のうち、再分配の効果がもっとも薄い国が日本。分配が、格差是正に役立っていないのである。これが政治の責任でなくてなんなのだろう。再分配がうまくいっていないということは、政権を担う人々が「仕事ができない」ことと同義である。

 さらにフランスの社会保障制度には家族給付や社会的ミニマム(無拠出最低限所得保障制度。国民の10%に付与されている)などがあり、なんと国民の20%が家賃補助制度の給付を受けているというのだから、今すぐ「フランス並みの給付を!」とデモに繰り出したくなるではないか。

 ここまで読んで頂いてわかったのは、貧困が再発見されて10年以上経っているのに、日本では「現在の貧困」を理解するための議論も考察もほとんど行われず、多くの人が「敗戦直後」みたいなものが貧困だと思っていることだ。敗戦の年から、もう76年経ってるんだけど……。いや、一般の人の意識がアップデートされていないのはある程度仕方ないが、政治家であれば大問題だ。それを思うと、生活保護を利用する人の服装や髪型などにやたらと言及していた某政治家の意識が、いかに古いものかがよくわかる。

 が、すでに70年代のフランスでは、そういう古い貧困イメージでは現実に対応できないと積極的にみんなが学び、合意形成が行われていたのである。

 ここまで書いてつくづく思うのは、アップデートできていない人間は、有害なので政治の場から今すぐ去ってほしいということだ。

 学ぶ努力をせず、昭和の貧困イメージで語り続ける政治家がどれほどの人の命を奪ってきたか。今一度、本当に本気で考えてほしい。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。