第190回:慣れちゃいけないこともある(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 最近、マスクの外し方がとても上手になった。マスクを付け始めたころは、やたらに紐が眼鏡のつるに引っかかって苦労したものだ。無理にマスクを外そうとすると、眼鏡が耳から落っこちてしまう。何度も眼鏡を地面に落としたな。
 このごろは、外出から戻ってマスクを外すのにも、ほとんど失敗はない。寒くなって、マスクをしているとすぐに眼鏡が息でくもってしまうが、それも、うまく眼鏡の下にマスクをかませることで、前ほどはくもらない方法を見つけた。眼鏡をしているみなさんも、そういうマスクの上手な装着法を会得したでしょう?
 それにね、マスクに慣れないころは、マスクをしていることを忘れてペッと唾を吐いて、あちゃ、マスク付けたままだった、マスクがべちゃべちゃ、なんてこともあったけれど、さすがに今はそんな失敗もなくなった。やたらに唾を吐くもんじゃありません、とカミさんに叱られていたけれど、そんな悪癖もなくなりました(笑)。
 人間、なんにでも慣れるものだ。
 マスク越しでは相手の顔がよく分からない。道で知人と行き違っても、通り過ぎてからからあれは〇〇さんじゃなかったかな、なんて振り返ったりすることもよくあったのだが、最近はなんとなく姿かたちや雰囲気なんかで判別できるようになった。相手もそうらしくて、マスク越しに「あ、こんにちは」「お元気そうですね」なんて挨拶できるようになった。ま、たまには知らない人に挨拶しちゃって怪訝な顔をされることもあるけれど。
 繰り返すが、人間、なんにでも慣れるものだな。
 でもね、髭を剃るのが以前は毎日だったのが、最近は2日に一度、3日に一度、なんてことになった。マスクしてるからいいじゃないか、というわけだ。

 しかし、慣れていいことといけないことはある。
 ぼくは毎日、新聞記事をチェックして、大事なことだなと思ったら切り抜いてファイルしている。あの、2011年3月11日以降に始めた習慣だ。最初は「原発」の記事だけだったけれど、次第にそれだけじゃ世の中分らん、ということで「原発」と「憲法・沖縄その他」という2種類のファイル帳になった。それがもう「原発」はNo.47、「憲法・沖縄その他」はNo.65に達した。
 新聞は、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、それに沖縄タイムス電子版だ。あとはその時々の週刊誌や、月刊誌などの気づいた記事、更にはネットで見かけた気になる記事なども時に応じて切り抜く。もうそりゃ雑多なものだ。読書欄でオヤッと思った書評や、出版界の動向なんかの記事もチェックする。出版業界出身のぼくだから、古巣のことはやっぱり気になるのだ。
 そんなファイルを、原稿を書くときなどにペラペラとめくる。すると、世の中、あんまり変わってないなあ…という思いに駆られる。イヤになってしまうこともある。一昔前の牧伸二さんだったら「あ~あヤんなっちゃった、あ~ああ驚いた」とウクレレ弾きながら嘆きそうな記事の多いことよ。

 驚いたのは石原伸晃氏の内閣官房参与就任と、たった8日間でその参与を辞任という、落語にもならない呆れたオチのお話。
 こんなもんニュースでも何でもない、ただのバカとアホウの絡み合い(鶴田浩二さん)ですよ。総裁選で味方してくれたのに衆院選で落選しちゃったから、岸田さんがとりあえず「内閣官房参与」という肩書を与えてお金と地位を保証してあげますってこと。その給与だって考えてみりゃぼくらの税金だ。こういうのを「政治の私物化」という。
 それだけでも非難囂々だったのに、石原氏が代表を務める政党支部がなんとコロナ対策の「雇用調整助成金」をちゃっかり受給していたことがバレてしまった。こりゃ、どう贔屓目に見てもアウトだろう。一般の事業者には何度申請書を出しても「内容不備」で突っ返すお役所が、一発で助成金を交付する。話にならんよ、まったく。
 実は石原氏だけではなく、大岡敏孝環境副大臣や山本左近衆院議員(どちらも自民党)が代表を務める政党支部や政治団体も同じことをやっていた。1カ月100万円の「文通費」という勝手放題のお小遣いをもらっていながら、まだ欲しいというのが政治家なのか。コイツら、最初は「手続きは適正だった」と開き直ったが、石原氏が辞任ということになって「助成金30万円は返金します」だと。バレなきゃ黙ってポッポへ入れていたわけだな。もはや文を書くときは「政治家」には「いやしい」とルビを振らなきゃいけない。

 金のことじゃないけれど、松井一郎大阪市長の言い訳にも唖然茫然だ。大阪14区の維新の府議や市長ら30人を集めて大宴会を開いていたことが発覚。
 大阪府のルールでは「会食は4人までで2時間以内」となっているのだが、なんと30人で松井氏は3時間以上も在席したという。それを記者に質問されると「宴会ってのはちょっと、選挙の反省会ですよ」「4人の席が8つくらい、私はそれを回って…」「2時間くらいしかいなかった」とシドロモドロ。
 これじゃあ、府民にいくら自粛を強いたところで効き目があろうはずもない。

 そんな維新が「改憲論議をもっと」と言いだし、国民民主党までが尻馬に乗る。それを見越してか、芳野友子連合会長は「立憲民主党は共産党との共闘はやめて、国民民主党と肩を組め」と相変わらずの横槍。
 連合までが「改憲路線」に国民を引きずり込もうとしているみたいだ。連合とは労働者のための組織だったはずだが、いつの間にか妙な政治意識の組織に変質してしまったようで恐ろしい。

 政治家だけではなく、日大だってひどいものだ。田中英寿前理事長の逮捕を受けて、日大は12月10日に記者会見を開いた。疑惑が取り沙汰されてすでに2カ月以上も過ぎたのに、今になってようやくだ。
 その会見で加藤直人学長は、「田中前理事長とは永久に決別する」とは言ったが、何ひとつ具体的なことは明らかにしなかった。なにしろこの加藤学長、田中前理事長の子飼いと言われていた人物。田中氏の専制独裁ぶりを傍で見ていたはずなのに、それに関しては何の釈明も出来なかった。1960年代末の「輝ける日大闘争」を記憶している人たちからは、なぜ学生たちは立ち上がらないのか、との叱咤激励の声も飛ぶけれど、この様子では日大の再建は難しいだろうなあ。

 新聞を見ていると、しみじみとつらくなる。
 コロナ禍への対策費はいくらあっても足りないはずなのに、防衛費だけは膨張の一途だ。2014年度には、補正を含め5兆885億円だったものが、2021年度には6兆1160億円とたった7年間で1兆円以上も増えている。これまでは、国内総生産(GDP)比の1%以内とされてきた防衛費だが、自民党は衆院選の公約で2%以上への防衛費倍増を訴えていた。与党が圧倒的多数を占めてしまったのだから、そうなる可能性は高い。
 しかも岸田首相は「敵基地攻撃能力の保持」などとも言いだした。自民党内の「極右派」への配慮だろうが、危険水域への突入だ。中国との緊張を名目に、防衛費の異常な増加だけが目立つのだ。
 本来は自民右派の歯止めとなるべき公明党なんか、もう言葉は悪いが「屁のツッパリ」にもならない。

 自国の防衛費だけじゃない。米軍の駐留費負担(いわゆる思いやり予算)の膨張も目に余る。2022~26年度の5年間で、毎年平均2千100億円を負担することで、日米が合意したという。現在の水準よりも、毎年100億円ずつ増額する計算だ。国民への10万円のコロナ対策給付で大揉めしている裏側で、こういう事案だけはまったく滞りなくすんなりと決められていく。
 ぼくは、ぼくの納めている税金が、こんなところで蕩尽されていくことには我慢がならない。しかし、自民公明が衆院選では勝ってしまった。有権者は武器や米軍の費用には無頓着のようだ。しみじみつらい。

 オリンピックも、もうええ加減にせえ! である。
 東京五輪であれだけ懲りたはずなのに、またしても札幌五輪招致などと言いだしている人たちがいる。「既存の施設を利用して開催費用は最低限の大会にする」などとどこかで聞いたセリフが飛び交っている。「東京で懲りたはず」というのはそれだ。同じことを小池都知事も安倍元首相も森元会長も言っていなかったか? その結果、どれだけの「無駄金」が五輪のために使われたのか、いまだにその内容は明確になっていない。
 しかも、あのバッハIOC会長までが、またしてもしゃしゃり出て「札幌を評価する」などと言いだした。アンタの顔などもう見たくない。
 そのバッハ(もう敬称や肩書をつける気になれない)、中国のプロパガンダに一役買って、テニスの彭帥選手の安全をアピールする。馬鹿に付ける薬はないが、人権無視の中国の尻舐めまでするとは恐れ入谷の鬼子母神。

 原発も危ない。
 政府は「新エネルギー基本計画」を策定。その中で電源構成に占める原発比率は20~22%との目標を示している。現状での原発比率は6%に過ぎないから、目標達成のためには原発の新増設が必要になる。しかし、そこは口を拭って明らかにしない。姑息!
 自民党内の原発推進派は「小型モジュール炉(SMR)」での建て替え推進を言い出している。そこへつけ込んだわけでもあるまいが、日立製作所と米GE(ゼネラル・エレクトリック)の合弁会社「GE日立ニュークリア・エナジー」が、SMRでカナダの電力会社の受注に成功した。
 従来の原発がほぼ100万キロワット級であるのに対し、SMRは30万キロワットほど。熱量が少ない分、冷却しやすく安全性にも優れていると主張するのだが、原子力産業がこれまでつき続けてきたウソと隠蔽と捏造を考えれば、そんな言葉を素直に信じられるはずもない。
 懲りない面々である。

 まだまだ同様のことは多い。
 人間、なんにでも慣れてしまうものだ、とは書いた。
 けれど、決して慣れてはいけないこともある。
 ぼくは慣れない。
 それがつらいのですよ。

 

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。