第14回:年末年始の大人食堂、アンケートから見える2022年の貧困(小林美穂子)

 生活困窮が原因となっていると思しき、やりきれない事件が続く。
 コロナ禍の閉そく感に飽き飽きしたした人々で賑わう年の瀬も、そして明るい一年を願ってカップルや家族連れが初詣に繰り出す年始も、私は東京・四谷の聖イグナチオ教会で開催された「年越し大人食堂」で、生活に困窮して途方に暮れる人たちを相手に生活相談員をしていた。
 一回目の大人食堂を12月30日に終えた翌日の大晦日は、ボランティアに来てくれた友人たちとカフェ潮の路に集まり、大量のお節料理を準備していた。ごちそうを食べるほどの金銭的余裕はなく、共に過ごす家族もいない人たちにとって、年末年始の世間の賑わいは眩しすぎて苦しい場合もある。
 この年末年始を乗り切ってくれるだろうか……部屋にこもってかろうじて生き続ける人たちの顔を思い浮かべながら、たくさんの優しい方々がこの日のために送ってくださったハムや伊達巻を切って切って切りまくり、見たこともないくらいに分厚い脂の乗った鰤を、二つの巨大フライパンで焼いて焼いて焼きまくり、どう扱っていいのか分からない蟹の足を折って折って折りまくりと、とにかく友人たちと総力を挙げた結果、50個のお節セットが出来上がり、つくろい東京ファンドの事務所にやってきた利用者さんたちにお配りし、年末年始の挨拶を交わしあった。
 夜になると風が出た。かじかむ指先をこすりながら、スタッフ三人で手分けして、受け取りに来られなかった人たちのお宅にお蕎麦とお節を配達して回った。私がお節を持って行った先の高齢の男性は、風呂上りの半裸姿で「大晦日は明日でしょ?」と、浮世離れした言葉を口にして私を笑わせた。どっと疲れが押し寄せた体で電車のシートに沈みこみ、しんと静まり返った大晦日の夜道を帰る。こうして私の2021年は幕を閉じた。

アンケートが伝えるもの

 大人食堂が開催された12月30日と1月3日の2日間で、訪れた人の数は計685人。
 ボランティアとして参加してくれた学生さんたちが寒い中、せっせとアンケートを配布してくださり、435人からアンケートを回収することができた。
 このアンケートの一番の目的は、貧困の現状を調査するため……と見せかけておいて、本当のところは、昨年4月1日から生活保護申請に伴う扶養照会の運用が変わったことを一人ひとりに知らせることにあった。
 扶養照会の運用が大きく変化して9か月経った今も、その変化を知らずに生活保護制度を頼れないでいる人たちに「実は変わったんですよ、ご存じでした?」と耳打ちする意図である。

 扶養照会に関する質問はアンケートの4番目。
 「生活保護制度に伴う扶養照会(親族へ知らされること)が2021年4月から本人の意思が尊重されるようになり、実質的に止められることになったのを知っていますか?」

 案の定、3分の2の来訪者は「知らない」と答えていた。他の質問には回答しても、この項目だけ空欄だった7%の無回答者は、おそらく、生活保護制度や扶養照会自体をよく知らないのではないかと推測される。そう考えれば、69%がまだご存じない。
 質問を食い入るように見て考え込んでいる若者に気づいた受付スタッフが、生活相談を勧めたところ、その日のうちに山本太郎さんや雨宮処凛さんなどスタッフに同行されて生活保護申請となった。
 扶養照会の運用変更を知らせるのが一番の目的だったとはいえ、他の質問回答もこれまでの現場での体感を裏付けするものだった。

生活保護の捕捉率と同じ数字が出た

 私が目を見張ったのは、2番目の質問「生活保護制度の利用をしているか?」であった。
 去年のアンケートでも気になっていたことだが、長引くコロナ感染による収入減や雇い止め、再就職の困難などが理由で生活困窮した人たちは、炊き出しやフードパントリー、社会福祉協議会が窓口となっている貸付や民間カードローンなどで何とか苦境を凌ごうとしていて、制度利用には消極的だ。口々に「なんとか自力で頑張りたい」とおっしゃる姿に、自己責任論が深く浸透していることを感じさせる。
 今回のアンケートは、一人ひとりに聴き取る形ではなく、並んでいる間に各自で記入してもらい、入口付近に置かれた回収箱に勝手に放り込んでもらうという方法を取ったため、遠慮なく答えていただくことができたと思う。

 この集計結果を見て、私は「この国の生活保護の捕捉率そのままだ!」と唸った。これまで数字でのみ認識していたものが、その日、人の形になって、冷たい風が吹く通りに行列を作っていた

〇生活保護捕捉率についてはこちら:「今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?」(日本弁護士連合会)。

 コロナ以前から非正規や日雇い、アルバイトなどの不安定就労をしながら、生活保護水準以下の生活をなんとか続けてきた人たちが、さらなる収入減によっていよいよ炊き出しに並ぶようになったのではないか。各地で行われる炊き出しを調べ、日々のスケジュールに組み込み、食費を浮かすことで何とか生活を保っている。コロナ前までは表出しなかった人たちが可視化されている。

生活保護費引き下げの影響も

 また、生活保護利用をしている人たちも、度重なる保護基準引き下げによって、現在の生活扶助が「健康で文化的な最低限度の生活」を送るには不足していると感じていることもアンケートで分かった。

 去年、ある福祉事務所のケースワーカーが「少なすぎますよ、これでは生活できない」と本音を漏らしたのを思い出す。
 現在、生活扶助の東京都(一部地域を除く)基準額は、一番額が多い年齢層で41歳~59歳の77,240円で、一番少ないのが75歳以上の71,900円だ(冬季加算は別)。
 前述のケースワーカーは、過去10年路上生活をしながら日雇い労働を続けてきた76歳の男性に対して申し訳なさそうに、そして呆れたように「少なすぎる」と言ったのだった。
 皆さんがこの額を、「7万しか」と思うか、「7万も」と思うかは自由だ。しかし、「ナショナルミニマム」は国が国民に対して保障する最低限度の生活水準を意味する。ナショナルミニマムである生活保護基準額は、最低賃金、就学援助基準、住民税非課税基準などの金額を決めるベースとなっている。つまり、ナショナルミニマムを引き下げれば、生活保護利用者以外の公共サービスにも影響を及ぼす。それを知った上で「7万円も貰って贅沢だ」と言えるだろうか。

「あいつらが俺らの仕事奪ってるんだよ!」

 コロナ禍で生活困窮する人たちの層は広がり、これまで炊き出し現場ではあまり見かけなかった若者の姿やお子さん連れが列に並ぶのが当たり前の光景となった。あちこちで開催されるフードパントリーには、一見貧困とは無縁に見える母子や幼い子どもたちを伴った若い夫婦、高齢者などが訪れるが、実際にお話を伺うと、事態は深刻であることが分かる。
 貧困は路上生活者やネットカフェ生活者にとどまることなく、確実に広がっている。
 大人食堂の場合は、若い層の来訪は確かに目立つものの、その年齢層は一番多い順に50代、60代、70代、40代と続いていた。ちなみに、女性の来訪者は全体の2割だった。

 生活相談ブースにやってきた男性は50代が多いという印象だった。日雇いの仕事をしている人たちにとって、年末年始は仕事が完全に無くなってしまうため、所持金が尽きれば炊き出しを利用する。

 最近、私がコーディネーターを勤めるカフェ潮の路に、貯金を切り崩しながら職探しを続ける50代男性がいらした。おずおずと二階に上がってきた男性は、最初はとつとつと、しかし感情が溢れ出すにつれ早口になった。
 「ハローワークで必死に就職先を探している。すでに50社以上応募しているけど何の返信もない。他にどこで探せばいいんですか」
 コロナ禍で仕事を探す人は増えて競争は激化している。
 「ガイジンに仕事取られてるんだよ!あいつらが俺らの仕事を奪ってるんだ」
 やり場のない怒りを男性は外国人に向けた。
 私はその前日、在留資格がなく、入管施設から仮放免中で、住むところも、所持金もなく、制度、医療、仕事へのアクセスのすべてを閉ざされている方の、絶望的な相談を受けていた。
 私たちのところに来る人たちは、誰もが「困っている」という共通点を持っているのに、その中で悲しい分断が起きてしまう。男性の苦しさにも共感しつつも、「それは違いますよ」と相談員にあるまじき否定をしつつ、真摯に説明をし、今こそ制度を使うべきであることを伝えた。貧困の現場には、いま、鬱憤や悲壮、怒りと絶望が高濃度で満ちている。

自己責任の果てに広がる荒涼たる社会

 私たちを追い詰め、苦しめ、分断させているものの正体を見極めたい。間違えて身近なターゲットを傷つけるのではなく、あるいは自分自身を傷つけたり、消したりするのでもなく、なにがこの悲しい、苦しい事態を引き起こしているのかを考えて欲しいのだ。

 「自己責任」という言葉を流布したのは誰だったか?
 困った時に利用すべき生活保護制度から人々を遠ざけるものは何か?
 生活保護利用者をバッシングしたのは誰だったか?
 自分はその時にバッシングに加担しなかったか?
 分断を喜んでいるのは誰か?
 なぜ、働き口がないのか。
 なぜ、働いても働いても、生活がまったく楽にならないのか。
 なぜ、未来に何の希望も展望も持てないのか。
 なぜ、貧困の連鎖に歯止めもかけられないのか。
 なぜ、なぜ。

 この疑問を考え続ければ、骨の髄までしみ込んだ「自己責任」という言葉を疑うようになるはずだ。人を、社会をむしばむその有毒な灰汁をこそげ落とし、洗い流し、自分たちを苦しめるものは、同じように苦しんでいる人たちではなく、国にこそあると気づくだろう。
 そこからはじめて、改善への細い道が拓かれるようになる。
 生活困窮の果ての悲惨な事件が報道されるたびに、彼らを追い詰めたものは何かと考える。

 「国や政治家が自己責任って言ったら、あなた達は要らないんだよ!!この国に生きる一人ひとりに尽くすためにちゃんと仕事しろっ!!」
 これを、私の2022年の始まりの叫びとさせてもらう。
 すべての人の人権、尊厳が守られ、一人ひとりの命と生活が大切にされるよう、そんな社会になるよう、今年も体が持つ限り、全力疾走する構えよ。疲れたら時々休むけどね。
 今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。