第589回:ミュージシャンたちのコロナ禍と、五輪という祝祭の陰で起きていたこと。の巻(雨宮処凛)

 「深刻な現場で取材、活動を続けていますが、辛くなったりしませんか?」

 貧困問題をメインテーマとして16年、時々、こんなことを聞かれる。

 確かに落ち込んだり、メンタルにダメージを食らうことは多い。ずっと野宿していた人のあかぎれだらけの手。福祉事務所の冷たい対応。この十数年で何度も起きてきた餓死事件。それでも「自己責任」と突き放す政治家。なぜ、人間の尊厳がここまで奪われなければならないのかと憤慨することも多々ある。それでも活動を続けていられるのは、ズバリ、ライヴがあるからだ。

 ライヴ。私の場合、主にヴィジュアル系バンドのライヴだ。

 10代の頃にXやLUNA SEA、黒夢を皮切りに様々なバンドにハマり、一時期は遠ざかっていたものの、十数年前に第二次ブームが自分の中で勃発。以来、足繁くライヴに通い続けてきた。辛い時、しんどい時、いろんなことを忘れたい時、ヴィジュアル系バンドのステージは、いつも私を鮮やかに別世界に連れ去ってくれた。「ライヴのその日」を楽しみにいろんなことを乗り越えることもあれば、ふらっとライヴハウスに行くこともあった。そうしてキラキラ光るステージと、一糸乱れぬ暴れっぷりのバンギャの皆さまを見ていれば、嫌なことなんて一瞬で忘れられた。

 そんなライヴに、もう長いこと行ってない。理由はただひとつ、あの憎きコロナのせいだ。第二次ブーム以降、ライヴハウスに半年行かないこと自体、ほぼなかった。それなのに、この2年間、ほとんど行ってない。コロナでただでさえ辛いのに、ライヴに行けないというフラストレーション。

 いや、私なんかはまだマシだ。ただの一観客なのだから。これがミュージシャンやライヴハウスで働く人だったら、生活そのものが大打撃を食らっているだろう。そんなミュージシャンたちがこの2年間をどう生きてきたのか、アーティストたちが語った本が出版された。ジョー横溝氏の『混沌を生き抜く ミュージシャンたちのコロナ禍』(毎日新聞出版)だ。

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 本書に登場するのは、名だたるミュージシャンら。

 細美武士氏、TOSHI-LOW氏、SUGIZO氏、SKI-HI氏、佐藤タイジ氏、DIR EN GREY の薫氏、マヒトゥ・ザ・ピーポー氏、Watusi氏、清春氏、曽我部恵一氏、近田春夫氏、そしてロフトプロジェクト代表の加藤梅造氏だ。

 コロナで大変な業種としてまず頭に浮かぶのは、飲食や宿泊、観光業などだ。

 実際、近隣の飲食街を見てみると、コロナ前と光景ががらりと変わっている。閉店したままシャッターが閉じているところもあれば、改装され、新たな店になっているところもある。

 店が潰れたら、誰でもわかる。しかし、例えばライヴがなくなったりミュージシャンの仕事がなくなっても、よほどの音楽好きでない限り、ほとんどわからないのではないだろうか。が、振り返れば、私も所属する「新型コロナ災害緊急アクション」(コロナ禍で困窮者支援をしているネットワーク)には、さまざまなジャンルのアーティストからのSOSが一定数、届いている。コロナで仕事がなくなった、もしくは他の仕事もしながら音楽活動などをしていたが、どちらの収入も尽きて住まいを失いそう/失ったなどのSOSだ。

 また、コロナ禍初期の2020年はじめ頃には大規模イベントの中止が重なったことから、設営や警備の仕事がなくなったという電話相談も多く受けた。コンサートやイベントは、多くの労働力に支えられていることを思い知った。

 さて、そんな音楽業界のコロナ禍の2年を振り返ってみよう。

 時系列で振り返ると、20年2月26日、Perfumeの東京ドームコンサートが開演直前に中止に。これ以降、あらゆるコンサートやイベントが中止、延期となっていく。

 2月末からは、ライヴハウス受難の時代が始まった。29日、大阪のライヴハウスでクラスターが発生したことが発表され、大きく報じられたからだ。3月20日には東京のライヴハウスでもクラスターが発生。このこともワイドショーで大きく取り上げられ、ライヴハウスへの風当たりはより厳しくなっていく。そうしてオリンピック延期が発表された翌日の3月25日、小池都知事がライヴハウスへ自粛を要請。4月末には、無観客の配信ライヴをしていた東京・高円寺のライヴハウスに「自粛しなければ警察を呼ぶ」などと書かれた貼り紙が貼られるなどした。

 本書には、この時期の貴重な証言がある。曽我部恵一氏のものだ。

 曽我部氏は、「コロナでライヴがなくなるのを見た最初」の日を20年3月19日だったと語る。後輩が出るライヴに、3バンド出る予定だったのが、一組が急遽出演を辞退したのだ。

 「その時は『コロナなんてよくわからないものでライヴをやめるなんてあり得ない』って話してたんです」と曽我部氏。しかし、あっという間に状況は変わった。

 「僕も3月29日に千葉でライヴをしたんだけど、その頃はもう『今日ライヴやります』とは言えない状況になってた。ライヴの告知なんてしたら絶対に叩かれるから。チケットは売り切れていたので、ライヴはやりましたけどね。/つまり3月19日と29日の約10日間で感覚が変わったんです」

 そこからのライヴハウスやミュージシャンをめぐる状況は「過酷」の一言と言っていい。中止、延期になるライヴ。会場代やチケットの払い戻し、手数料など負債ばかりが積み重なっていくという話を、私も少なくない人から耳にした。

 ミュージシャンやライヴハウスが痛感したのが、この国には政治的に力を持つライヴハウスなどの業界団体がなく、ミュージシャンのユニオンなどがないことだろう。それによって、政策の優先課題にはのぼらない。政府への働きかけもスムーズにはいかない。

 それだけでなく、「不要不急」という言葉がミュージシャンを追い詰める。

 一方、コロナ禍初期の20年3月、ドイツでは文化相が「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要」と断言し、大規模支援を約束。フランスでも、芸術家に対する支援の拡充が進んだ。

 しかし、日本での支援は遅々として進まなかった。

 そのことについて、SKI-HI氏は以下のように語っている。

 「ひとつ思ったのは、文化・芸術が本当にナメられているんだなってこと」

 「国が文化・芸術を極端に軽視した行動をとる、および、そのことに対して一般市民が違和感を覚えないことへの絶望は大きかったです」

 そんな中でも、ミュージシャンたちは配信ライヴを行うなどしてコロナ禍を耐えてきた。一方、感染が落ち着けば、人数制限をするなど対策をしながらライヴやフェスが開催されるという流れもできてきた。

 しかし、21年夏、またしても音楽業界に逆風が吹き荒れる。愛知県で開催されたフェス「NAMIMONOGATARI2021」の「炎上」だ。ノーマスクや酒の提供、密状態などの様子が連日ワイドショーで流され、大きな非難を浴びることとなった。

 そうして、現在。第6波の中、以前のようなライヴの空間は戻っていないし、いつ戻るか、想像もつかない。

 この2年間、多くのライヴハウスが閉店し、また多くのバンドが解散、活動休止に追いやられてきた。その中でも頑張っているバンドもいる。が、久々のライヴ直前にメンバーや関係者のコロナ陽性が発覚してライヴが中止になった、なんて話もあちこちで聞いた。心が折れないように、なんて言えないほどに音楽業界の人々は辛酸を舐めてきた。なぜ、ここまで苦しめられなければならないのか。2年間、何度もそう思った。本書に登場するSUGIZO氏が所属するLUNA SEAも、メンバーのコロナ陽性によってアリーナ公演が延期になっている。

 しかし本書を読めば、この2年間、ミュージシャンたちがどれほど試行錯誤してきたかがよくわかる。ある意味で、これほど試行錯誤を強いられた業界はないのかもしれない。それは時に右往左往にも見えつつ、しかし、試行錯誤した分だけ、確実にパワーアップしている。

 本書でマヒトゥ・ザ・ピーポー氏は、ライヴという遊び場についてこう語る。

 「そもそも、わたしは遊び場ってそういうもの(雨宮注・ワクチンパスポートのこと)と関係ないところにあると思っていたんです。それこそ自治みたいなものをイメージして喚起していたあの場所が、実は国の影響を受け、時代の影響を受ける、完全に独立した場所ではなかったとすごく意識させられました」

 また、佐藤タイジ氏はコロナ以前の音楽業界について以下のように語る。

 「もともと下り坂だったわけやん。CDは売れなくなり、サブスクみたいな作り手や演奏する側にお金が残らへんようなビジネスモデルになって、俺らミュージシャンはライヴで食うしかないっていう状況になってたところに、コロナ禍が来たわけやん。CDやサブスクで食えているヤツなんか、本当に一握りしかいないから。となったら、新しいものを作るしかないと思って、俺は小規模野外ライヴの『ソラリズム』を提唱したわけ。いわゆるツアーミュージシャンが年中やれる場所を作れたら面白いやんって」

 このように、コロナ禍だからこそ生まれた新しいライヴのスタイルもある。野外だから換気の面でも安心感があり、200〜300人だったら大規模フェスよりは安全。そこに休業中のライヴハウスの機材を持っていって開催するのだ。

 そんなことが実現した理由について、佐藤タイジ氏は、「3・11に抗う人たちの集まり」の力と表現する。そう、11年前の震災以降、アーティストやスタッフは、新しい挑戦を続けてきた。

 例えば佐藤タイジ氏はソーラー発電でロックフェスを作りあげてきたし、SUGIZO氏は被災地支援をしつつ、脱原発や環境問題に声をあげてきた。やはり本書に登場するTOSHI-LOW氏も、3・11以降、被災地に駆けつけ復興支援をしてきた人だ。

 このように、ミュージシャンという枠を超えた活動をしてきた人たちだからこそ、コロナ禍でも様々な創意工夫をしてきたわけである。

 そして本書に登場したミュージシャンの多くが、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて3月23日に急遽開催されたウクライナ人道支援ライヴ・「PLAY FOR PEACE」(オンライン)に出演したことも特筆しておきたい(発起人はジョー横溝氏)。

 この国には、「物言うミュージシャン」が一部だけど、確実に存在する。そのことが、とても誇らしい。そして参加した中には清春氏もおり、SUGIZO氏は共同発起人の一人で、10代からLUNA SEAと黒夢の大ファンである私は感激しきりだ。

 今、私は10代の自分に「あんたの男を見る目は間違ってなかった!」と叫びたい。「ミュージシャンが政治に口出すな」と言われる国で、彼らははっきりと自分の意見を発信している。その姿は、カッコいいの一言に尽きる。

 さて、そんな『混沌を生き抜く』と合わせて読んでほしいのが、3月25日に出版された私の新刊『祝祭の陰で 2020一2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)だ。

 共同通信の連載で、2年間、未知のウイルスによって止まったコロナ禍の日本列島をくまなく巡った記録である。

 北海道から沖縄まで、全国各地を訪れた。

 閑古鳥の鳴く沖縄・国際通り。

 「自粛しろ、だけど補償はしない」という国の生殺しのような方針に怒りの声を上げる宿泊・飲食・観光業。

 「今が一番の危機」と嘆く創業七〇年の老舗菓子店。

 コロナ重点医療機関がまざまざと感じた「命の優先順位づけ」の現実。

 障害者大量虐殺の現場である相模原・やまゆり園で行われようとしていた聖火の採火。それに反対の声を上げた遺族たち。

 オリンピック準備のために公園を追い出された野宿女性。

 電話相談に届いた「臓器を売りたい」という声。

 「コロナの発生源」と集中砲火を浴びた屋形船。

 そうしてあらゆるエンターテイメントが打撃を受ける中、ライヴができず、歌舞伎町のホストになったアーティスト。そう、コロナ禍では、転職したアーティストも多くいる。

 中でも印象深いのは、「復興五輪」と謳われながらもその「復興」から取り残されたとしか思えない人々だ。度重なる台風被害にコロナ禍というダブルパンチの千葉・南房総、やはり台風の爪痕が生々しい長野・千曲川。中でも忘れられないのが、東日本大震災から10年以上が経つ福島だ。

 聖火リレーに合わせて常磐線が開通し、避難指示区域が解除された双葉駅周辺には、震災直後の光景がそのまま残り、あちこちにホットスポットが点在していた。聖火リレーでテレビに映る場所だけがピカピカに整備されているものの、その前には崩れ落ちたままの建物が残る。そんな光景に頭に浮かんだのは「欺瞞の五輪」という言葉だ。

 いまだ帰還困難区域である浪江町・津島にも入った。全身を防護服に包み、線量計を持って立ち入ったそこは自然あふれる美しい場所で、しかし、人が住むことは今も許されていない。放射線量が高く、思い出の品を持ち出すこともできないまま、家は廃墟に変わりつつある。

 「オリンピックどころじゃない」

 どれほど多くの人から聞いただろう。

 そうして「第5波」の昨年夏。

 医療崩壊と言われ、自宅で命を落とす人が後を絶たず、支援団体の炊き出しには発熱していたりとコロナ陽性と思われる家なき人々が訪れ、しかし、原則「自宅療養」の中、家のない人は入院もできず療養施設にも入れず、というまさに野戦病院のような状態で、この国では、なんとオリンピックが開催されていた。

 そんな不条理劇場のような2年間を追った本である。

 『混沌を生き抜く』と合わせて、ぜひ手にとってほしい。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。格差・貧困問題、脱原発運動にも取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『ロスジェネのすべて』(あけび書房)、『相模原事件裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(太田出版)。「反貧困ネットワーク」世話人、「週刊金曜日」編集委員、フリーター全般労働組合組合員。