秋葉忠利さんに聞いた:核の被害を、再び起こさないために。被爆者の体験と平和へのメッセージを、世界に発信する

今年2月、ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領が「核の使用」をちらつかせたことは、世界に大きな衝撃を与えました。そんな中、インターネット上でいち早く「核の不使用」を求める署名の呼びかけを始めたのが、前広島市長の秋葉忠利さん。署名への反響は大きく、わずか10日間ほどで5万筆以上が集まったといいます。署名を立ち上げた経緯、そして核廃絶や平和への思いについて、お話をお聞きしました。

「核兵器の先制不使用宣言」を求める署名

──今年3月、インターネット署名サイトの「Change.org 」で〈「核兵器を使わない」と、ただちに宣言して下さい!〉と題する署名の呼びかけを始められました。その経緯からまずお聞かせください。

秋葉 2月末にロシアのプーチン大統領が核兵器の使用に言及したというニュースを見て、最初に頭に浮かんだのは、何度も写真で見た原爆投下直後の広島の光景でした。どこに核兵器が落とされるにせよ、あの光景が再び現実のものになってしまうかもしれない。それは何としてでも止めなくてはならないと考えて、すぐに署名を立ち上げたのです。
 被爆者の方たちも、おそらくはみなさんいてもたってもいられない気持ちでおられたと思います。そのメッセージを国際的に発信したいという思いもあって、英語版の署名も後追いで立ち上げました。立ち上げから10日ほどで5万筆が集まるなど、関心の高さを感じています。

──集まった署名についての書簡を、ロシア大使館経由でプーチン大統領に送るとともに、日本の岸田首相にも送られたのですね。

秋葉 岸田首相は、広島一区から出ているただ一人の衆議院議員です。広島一区というのは原爆ドームがあり、原爆の爆心地も含まれる場所。そこから選出され、そして総理にまでなった国会議員として、そして一人の人間として、彼には被爆者の体験、そしてそれを起点とする平和への希求の声を世界へ発信していく責任があるはずです。
 本来なら、今回のプーチン大統領のように「核兵器を使う」と脅しをかけるようなリーダーが出てきた場合には、すぐに現地に飛んで行くなり国連に働きかけるなりして、誰よりも早く「やめろ」と声をあげるべきだったと思います。その意味で、岸田首相にもこの署名のことを知ってもらおうと、5万筆が集まった時点で書簡を送りました。

──呼びかけ文では、プーチン大統領だけではなくすべての核保有国首脳に向けて「核兵器の先制不使用」の宣言を求めています。

秋葉 核の被害を防ぐためには、ロシアだけではなくすべての核保有国が核抑止論から抜け出し、「核兵器の使用はしない」と宣言する必要があります。だからこそすべての核兵器を禁止する「核兵器禁止条約※」が生まれたわけですが、この条約が批准国に求める「核兵器またはその他の核爆発装置を開発、実験、生産、製造、その他の方法で取得、保有、または保管してはならない」という内容は、核保有国の現状とのギャップが非常に大きいのも事実です。
 核保有国がこの条約に批准するためには、ただ核兵器を廃棄するだけでなく、産業や経済をはじめとする社会全体の構造、そして社会意識を変えていく必要に迫られることになります。また、核実験や核兵器の原料となるウランの産出現場などで被曝した人に対しても、多額の補償を行うことが求められるでしょう。そうなると、誠実な政治家であればあるほど、「そんな大きな変革を社会にもたらすような力は自分にはない」と考え、批准に二の足を踏むかもしれません。
 だから、まずは最初のステップとして「核の先制不使用」を宣言してもらう。これなら宣言するだけですし、中国やインドのようにすでに宣言している国もあります。アメリカでさえ、「対中抑止力の低下」を懸念した日本の反対で断念したものの、オバマ大統領の時代に宣言を検討していました。つまり、核兵器禁止条約の批准よりもかなりハードルが低いわけで、実現可能性がはるかに高いのです。
 そして、各国が先制不使用を宣言し、その重要性が広まっていけば、核保有国の間で核廃絶に向けた社会変革を受け入れる世論を形成することができるかもしれません。そうなれば、核弾頭の廃棄など核廃絶への具体的なステップの実現にもつながっていくはずです。

※核兵器禁止条約:核兵器の製造、保有、使用などを禁止する国際条約。非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」などの働きかけにより、2017年に国連で採択され、21年1月に発効。これまでに60の国と地域が批准しているが、アメリカ、ロシアなどの核保有国は参加していない。

──署名に対して寄せられたコメントなどで、印象的なものはありましたか。

秋葉 英語版のほうのコメントで、「世界のリーダーたちが(核使用を)止められないのに、署名で止められるわけがない。ばかげている」というものがありました。
 政治について語るときにこういうことを言う人は多いのですが、私はまったく反対だと思っています。世界のリーダーたちがうまくやってくれていれば、私たち市民が口を出す必要はありません。でも、リーダーたちだけではうまくいかないから、私たちが発言して状況を変えていかなければならないのではないでしょうか。
 それに、署名運動というのはいろいろな役割があります。核廃絶のために何かしたいけれど、自分には何もできないと思っている人も、署名運動なら参加して、行動している人たちと連携できたという安心感を得られる。さらに、そのつながりから新しいエネルギーが生まれて、また別の取り組みが始まることもあるでしょう。
 署名運動をすれば解決するということではなく、核廃絶のためには何でもやらなきゃいけない。そのうちの、すぐにでもできる形として署名運動があるのだから、まずはこれから始めましょう、ということなのです。

秋葉忠利さん。インタビューはオンラインで行った

──今も署名の呼びかけは続いていますが、今後の展開などは考えておられますか。

秋葉 もうすぐ10万筆に達しそうなので※、そうしたらもう一度プーチン大統領と岸田首相に書簡を出そうと思っています。同時に、他の核保有国の首脳にも「今回の戦争で核を使わないでください。核保有国として責任ある態度を示して、核の先制不使用を宣言してください」と訴える手紙を出す予定です。
 そんなの読んでもらえるの? という人もいるでしょうが、大統領や首相本人ではなくても、その周辺の誰かは必ず読んでいます。その誰かが関心を持ってくれて政府の中枢に伝わり、何らかの形で政治決定に影響を与えるということは、十分にあり得るのです。
 あるいは、署名運動がマスコミに取り上げられ、それを見た誰かがまた別の行動を起こすこともあるでしょう。とにかく、大事なのは一人ひとりが、できる努力を続けていくことだと思っています。

※このインタビューの後、4月28日で署名数は10万筆を超えた。

「非核」と広島に導かれて

──さて、秋葉さんは1999年から2011年まで3期にわたって広島市長を務められ、それ以前からさまざまな形で核廃絶の運動に関わられています。ご出身は広島ではなく東京ですが、そもそも核の問題に関心を持たれたのにはどのようなきっかけがあったのでしょうか。

秋葉 原爆について初めてちゃんと知ったのは、小学生のときに学校の団体鑑賞で見た映画です。『原爆の子』だったか『ひろしま』だったのか、はっきりタイトルは覚えていないのですが……。

──どちらも、被爆者の証言をもとに原爆による被害をリアルに描いた映画ですね。

秋葉 戦後の日本では、GHQのプレスコード(報道基準)で、原爆に関する報道は禁じられており、被爆者たち自身でさえ放射能被害の実情について知ることもできない状況でした。1952年にサンフランシスコ講和条約が成立して、ようやく少しずつ情報が出てくるようになったのです。
 映画の被爆者の姿を見ながら「これが自分だったら……」と考えたら怖くなって、2日間学校を休みました。数ヶ月くらいの間は、飛行機の音を耳にするだけで映画の原爆投下の光景を思い出し、怖くてたまらなかったのも覚えています。
 さらにその後、高校生のときにアメリカに留学したのですが、そこでアメリカ社会における原爆に対する意識に触れて、大きな衝撃を受けました。つまり「原爆投下は正しかった」。かつてトルーマン米大統領が原爆投下直後の記者会見で語ったのと同じ「原爆よりもパールハーバーが先だった」「原爆により戦争が早く終わり、日米合わせて50万人の命を救うことになった」という話を、歴史の授業の中で教わるわけです。
 なんとか反論しようとしましたが、英語力や知識も不十分でしたし、多勢に無勢の状況でとてもできませんでした。その悔しさがやがて、被爆の実相をアメリカ社会、そして世界中に伝えたい、それが自分に課せられた「宿題」なのではないかという思いへと変化していったのです。

──そこから、その「宿題」を果たそうとされてきた……。

秋葉 大学時代も、日本にいるときは原水爆禁止世界大会の通訳を務めたりしていましたが、実際に行動を起こしたのは再びアメリカで生活するようになってからです。転機になったのは1975年、ボストンに住んでいたときにたまたま聞いたあるラジオ番組でした。
 それは「原爆投下は正しかったか」をテーマにした聴取者参加番組でしたが、電話で寄せられる意見のほとんどすべてが「正しかった」だったのです。アメリカの中でもかなりリベラルといわれるボストンでさえ被爆の実相がまったく知られていないことに、またしても大きなショックを受けました。
 もっと原爆について、被爆について知ってもらわなくてはならない。その思いを強く抱き、原水禁世界大会の通訳仲間、それから広島国際文化財団などの協力を得てスタートさせたのが、世界中のジャーナリストを広島・長崎に招待して被爆者の声などを直接取材してもらうというプロジェクトでした。

──「アキバ・プロジェクト」ですね。

秋葉 プロジェクトは1979年から約10年続き、アメリカだけではなくヨーロッパやアジアのジャーナリストにも、とてもいい記事をたくさん書いてもらうことができました。
 ただ、メディアはどうしても新しいこと、珍しいことに目を向けがちです。一人の記者がこの問題をその後も追い続けてくれる、ということにはなかなかならず、次の展開にも結び付きませんでした。本気でアメリカ社会全体、世界全体に被爆の実相を伝えていくのであれば、単に被爆者を取材したという記事ではなくて、もっと深い部分にまで踏み込んでまとめていく必要がある。それなら、まずは私自身が考えていること、目指していることを一冊の本にしてみてはどうだろう──。
 そう考え、当時勤めていたアメリカの大学のサバティカル(有給休暇)を利用して、まず1年を広島で過ごしました。しかし、結局それだけではとても時間が足りず、アメリカの大学を退職して本格的に広島に拠点を移すことにしたのです。
 そこから、縁があって政治の世界に身を置くことになり、衆議院議員を経て広島市長を務めました。日本に帰ってきたときには、まったく考えていなかった展開でしたね。

──アメリカを経て広島へ、何かに導かれてきたという感じですね。

秋葉 そうですね。何か、不思議なものに導かれたという気がします。

「自分たちと同じ経験を、他の誰にもさせてはならない」

──「アキバ・プロジェクト」もそうですが、秋葉さんが核廃絶運動に取り組まれる中で、「被爆者のメッセージを世界に届ける」ことに、とりわけ力を注いでこられたように感じます。その思いはどこにあるのでしょうか。

秋葉 1985年に「アキバ・プロジェクト」の一環で、アメリカ人俳優ジャック・レモンを広島に招いたことがあります。彼は、原発事故をテーマにした映画『チャイナ・シンドローム』の主演俳優でもありますが、こんなことを言っていたんです。
 自分は、核や原発についても勉強してよく分かっているつもりだったけれど、原爆によってどんなひどいことが起こったのかは、広島に来るまでまったく知らなかった。にもかかわらず、そんな自分を広島の人たちは友人として迎え入れてくれて、それがとても感動的だった──。
 彼が感じたことは、とても大切だと思っています。つまり、なぜ原爆によってあれほど苦しんだ被爆者たちが、その原爆を落としたアメリカの人間を「友人」として迎えられるのか。それは、そこに「自分たちと同じ経験を他の誰にもさせてはならない」という思いがあるから。そしてその「他の誰にも」の中には当然アメリカ人も、さらに言えば原爆投下を決定したトルーマン大統領や原爆を開発した科学者たちさえも入っているのです。広島の平和公園にある原爆死没者慰霊碑に「過ちは繰返しませぬから」と、人類全体を主語とした文章が刻まれていることも、そのことを象徴しているのではないでしょうか。

──原爆を投下した相手を憎むのではなく、その相手にも自分と同じような目に遭わせてはいけない、と考える……。

秋葉 その背後には、被爆者の方たちが味わってきた長く、深い苦しみがあります。もちろんほとんどの人は原爆投下の当初、敵に対する憎しみを抱いていたでしょう。被爆した家族が「かたきを取ってくれ」と言い残して亡くなったという話も聞いたことがあります。
 しかしその後、彼らは戦後を生きる中で、なぜ自分たちはこれほど苦しまなくてはならないのかという意味を問い、考え続けた。その上で、核の非人道性、非人間性を表す究極的なメッセージとしての「他の誰にも」という言葉にたどり着いたのだと思うのです。その思いを世界に届けること、そしてジャック・レモンが言っていたのと同じことを多くの人に感じてもらうことが、とても大事だと考えています。

──市長在職中は、核廃絶を目指す世界中の地方自治体で構成され、広島市が会長市となっている「平和首長会議※」での活動にも力を入れられていました。会員都市は秋葉さんの会長在任中に、それまでの440都市から 5,000都市以上にまで増えたと聞きます(現在は8000以上)。

※平和首長会議:世界中の都市が国境を越えて連帯し、核兵器廃絶への道を切り開くことを目指し、1982年に広島・長崎両市が中心となって設立した非政府組織(設立当初の名称は「世界平和連帯都市市長会議」)。

秋葉 核廃絶、平和を目指す運動において、都市の連帯というものは非常に重要だと考えています。世界には、これまでの戦争で大きな被害を受け、その悲劇の記憶を鮮明に保っている都市が数多くあります。都市と都市とは、そうした被害を二度と繰り返さないようにしようという点で連帯できるはずだと思うのです。
 都市という存在は、基本的に軍隊を持ちません。軍隊を持つ国同士の間では、過去の被害の検証をしようとするときにも、どうしても「国家」が先に立って、実際に被害を受けた一人ひとりの命が矮小化されてしまう。アメリカに対して原爆の話をすれば「パールハーバーが先だ」となるように、「どちらが先に攻撃したか」に目が行って、戦争や核兵器そのものの恐ろしさ、人類の未来における意味合いといったことが見えなくなってしまうのです。
 だから、国の存在、軍隊というものの存在なしに議論ができるということはとても大きい。私は国連も、軍隊を持たない都市の代表が発言権を持って議論できるような場にすべきだと考えています。

──都市と都市が、国同士とは違う形で連帯するということですね。

秋葉 そうです。それによって、国家主義にとらわれずに人間的な価値を優先した議論ができるようになる。自分たちが受けた被害と同じようなことがまたもたらされようとするなら、それが仮に自分の所属する国によるものであっても絶対に反対する、ということですね。
 もちろん、国家に対しての都市の影響力がそこまであるのかという問題はあります。しかし、日本であればたとえば原発建設の際に一応は立地自治体の同意を得ることが義務づけられているように、個人の立場よりもはるかに強い発言権があるのは間違いないでしょう。少しでも実現可能性が高い道を選んで、新しい展開を探っていくことが重要だと思います。
 平和首長会議では、2003年に発表した「2020年ビジョン」の中で、目標の一つに「核兵器禁止条約の締結」を掲げました。そこから世界的なロビー活動を展開し、中間目標であった「2015年までの締結」こそ成らなかったものの、そこから2年遅れの2017年には締結が実現しています。そのように、幅広く連帯しながら努力を重ねることで、目標に確実に近づいていくことはできるはずだと思うのです。

9条の「戦争否定」のメッセージを、世界へ発信しよう

──しかし、その核兵器禁止条約についても、「世界唯一の戦争被爆国」であるはずの日本は参加を見送りました。最近では、非核三原則の見直しや「核共有」を求める声が政治家からも上がり始めています。この状況をどう見られていますか。

秋葉 核兵器禁止条約の成立にあたっては、オーストリアなどが大きな役割を果たしましたが、本当なら、戦争被爆国である日本こそがその役割を担うべきでした。それができなかったのは、日本政府の姿勢に「戦争」のメンタリティがしみこんでいるからではないかと考えています。
 「受忍論」という言葉があります。1980年、厚生大臣の諮問機関である原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)が報告書の中で打ち出した、「戦争被害は国民が等しく受忍すべきもの」という考え方です。つまり、戦争の被害については、すべての国民が甘んじて受け入れなければならないのであって、国には補償の義務はないということ。のちに成立する「被爆者援護法」も、この意見書に沿う形で作られています。

──東京大空襲など、他の戦争被害についてもしばしば使われているロジックですね。

秋葉 この「受忍論」の背景にあるのは、国民一人ひとりの命や生活よりも、国家が優先するんだという意識です。だから、国家の存続のためなら核兵器を保有することも考えるのが当然だということになる。戦争についての日本政府の考え方の基本には、常にこの「受忍論」があるのではないでしょうか。
 かつてはそれでも戦争体験を持つ政治家が政府の中枢にいて、自分の経験に照らして戦争を否定しなくてはならないという考え方を強く打ち出していました。しかし、そうした政治家もほとんどいなくなった今は、その「戦争否定」の考え方がすっぽりと抜け落ちてしまっている気がします。
 今の政治家たちは、「核共有」が国民の命や生活を守るために絶対に必要だと論理的に考えた上で言っているのでさえない。国家を存続し、威信を高めるために「何が何でも核兵器を持ちたい」という結論が先にあり、それを正当化するために「安全保障環境が」「核抑止が」と、さまざまな理屈を持ち出しているだけのように見えます。だから、核共有によって北朝鮮や中国、ロシアを刺激して敵に回すことになるリスクからは目を背けているわけです。

──特にロシアのウクライナ侵攻以降、日本でも世界でも、これまで以上に軍事力を重視する声が高まりつつあるように思えます。その中で、「戦争放棄」を掲げる日本の9条は、どのような役割を果たしていくことができるでしょうか。

秋葉 3月に、ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会に向けて演説を行いましたが、その中で軍事支援を求めてくることはありませんでした。後に駐日ウクライナ大使が明らかにしたところによれば、日本の憲法、特に9条に対して配慮したからだといいます。戦争のさなかにある国でさえも、そうした発言をする。9条の重みは、それだけ国際的にも広く受け止められているんだと感じました。
 そして私は、日本と9条にはそれだけの実績があると考えています。

──どういうことでしょう。

秋葉 第二次世界大戦からの数十年を見ても、平和や人権、人道についての世界的な感覚は大きく変わってきました。今回のウクライナ侵攻では、「国際法違反だ」「非人道的だ」というロシアへの批判が世界中で巻き起こっていますが、たとえば東京大空襲や原爆投下の当時、そうした批判はほとんど行われなかった。70年代まで続いたベトナム戦争でさえ、そこまでではなかったと思います。
 つまり、戦争の中であっても「民間人を犠牲にする」ことは、絶対に踏み外してはならないラインであるという共通認識が、世界的にできてきた。「一人ひとりの人間の命より国家が優先する」という価値観が崩れ始めているわけです。その意味で、以前よりも「世界は平和になっている」と言っていいのではないでしょうか。
 そして、そうした共通認識が生まれてくるにあたって、9条を持つ日本が果たしてきた役割は、決して小さくはないはずです。被爆者の声をはじめとする平和を希求するメッセージ、そして戦争には関わらない、戦争に依存しない社会のあり方を9条の存在を通じて世界に発信してきたことは、無意味ではなかったと思います。
 ウクライナで今、戦争が続いて多くの人々が犠牲になっていますが、こうした事態を避けるためには、戦争というもの自体を否定していくしかありません。戦争を肯定する限りは、弱い人間を犠牲にして国家が生き残るという構図が絶対に生まれてきます。そうならないためには、世界全体が戦争を否定して、難しい問題が生じてもきちっと戦争以外の方法で解決していくような仕組みを作っていかなくてはならないのです。
 だから、ウクライナで戦争が続く今、日本がすべきは軍事力強化ではなく、9条が掲げる「戦争否定」のメッセージを、改めて強く世界に発信していくこと。そして、被爆者の声とともに「核兵器は使わせない」「核の先制不使用を宣言してほしい」という声を広げていくことではないのでしょうか。軍事力優位に傾く世界の趨勢を変えていくために、少しでも努力を積み重ねていくことが重要だと思います。

(取材・構成:仲藤里美)

あきば・ただとし 原水禁国民会議顧問、広島県原水禁代表委員、前広島市長、数学者。1942年東京生まれ。東大理学部数学科・同大学院修士課程卒業。マサチューセッツ工科大学(MIT)で 博士号を取得後、ニューヨーク州立大学、タフツ大学などで教鞭をとる。広島修道大学教授を経て、1990年から衆議院議員、1999年から広島市長を3期12年務める。アジアのノーベル賞といわれる「マグサイサイ賞」(2010年)など、多数の平和賞を受賞。『新版 報復ではなく和解を』(岩波現代文庫)、『数学書として憲法を読む』(法政大学出版局)など著書多数。

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