井﨑敦子さんに聞いた:政治の主役は「私たち」。思っていることを言える社会に

今回のインタビューのきっかけは、農業史研究者の藤原辰史さんがとあるトークイベントで紹介されていた冊子『NEKKO(根っこ)』を手にしたことでした。「お茶の間政治マガジン」を掲げた冊子は、政治を身近にひきつける試みにあふれていました。この冊子を作っているのは、京都市左京区に住む井﨑敦子さんと仲間の皆さん。その活動には、「政治」や「社会問題」という一見高そうなハードルを、ひょいっと乗り越えるための、さまざまなヒントが詰まっています。

「その気になれば、いろいろできるんだよ」

──『NEKKO』マガジンをとても面白く拝読しました。第1号が「選挙をやってみた。」、第2号は「自治じじむさいか。」という特集で、手に取りたくなるデザインも素敵です。どういうきっかけで作られたのでしょうか。

井﨑 ありがとうございます。まだまだ発展途上の冊子なんですけど、政治の「主役」は私たちで、その気になればいろいろできるんだよっていうことを楽しく読みながら気づいてもらえたら、という思いで始めました。編集スタッフは5人で、たまたま女性ばっかり。乾物屋さんだったり、デザイナーさんだったり、それぞれ働きながらなので年に一回ペースで作ろうかと言っています。

『NEKKO』は全国の取り扱い店での販売のほか、メールでも直接通販

──井﨑さんは、以前はオーガニックの八百屋さんを営んでいて、現在は介護職に就いているそうですが、政治や社会問題に関心をもつようになったのは、いつからだったのでしょうか。

井﨑 小さいころから親に「差別はダメだよ」「戦争はダメだよ」という本や映画を与えられていたので、割とずーっと関心はあったんです。母親の実家がお寺で、被差別部落のなかにあったので、父親と恋愛結婚するときに当時は双方の家族から反対されたということがあったみたいです。わたしは12歳までそのことを知らずにきたんですけど、ある日、父から「ここに座りなさい」と言われて聞かされました。要するに、親は娘が差別に遭ったときに耐えられるように、幼いころから英才教育みたいな形で本や映画を見せていたわけなんですよね。
 ただ、実際に何か自分でアクションをしたというのは、2015年の安保関連法案のときが初めて。当時やっていた八百屋に買い物に来ていた若いお母さんたちから、「安保関連法案はイヤだけれどデモに行くとかは、ちょっと……」という声を聞いて、それなら「戦争はいやだ、平和がいい」という意思表示として青い旗を揚げたらどうだろうな、と思って仲間と始めたのが「ピースフラッグプロジェクト」でした。

どんどん仲間も、活動も広がっていった

──「I hope peace」という文字を青い布にシルクスクリーンで刷って、持ち歩いたり、玄関に飾ったり、バッグにつけたりして、それぞれが平和への願いを表すプロジェクトですね。

井﨑 最初は仲間3人で始めたのですが、お店のお客さんを中心に「やろう、やろう」ってどんどん仲間が広がって、半年くらいで5000枚近くの旗が、日本全国だけでなく、ニュージーランドやアメリカ、台湾に旅立って行きました。
 その収入を次の活動費に充てようということになって、映画の上映会やイベントを開催するようになったんです。鎌仲ひとみ監督の『小さき声のカノン』とか小熊英二監督の『首相官邸の前で』などを上映しました。3・11のあと、京都には福島から避難してきたお母さんたちもたくさんいてメンバーになっていたので、郷土料理をつくってもらってイベントをしたり、保養キャンプへのカンパにも充てたりもしました。

──「ピースフラッグプロジェクト」のメンバーで、ファーマーズマーケットも運営しているとか。

井﨑 『食べものから学ぶ世界史』という本を出されている京都橘大学経済学部准教授の平賀緑さんに、多国籍企業と食の問題などについてのメンバー向けの勉強会をしてもらったんです。そこから「やっぱり近いところで、顔の見える小さな経済を作っていかないとダメだよね」となって、みんなで月一回のファーマーズマーケットを始めて、それはいまも続いています。
 あとは、「ピースフラッグプロジェクト」とは別に「くらしとせいじカフェ」というのもやっています。これは滋賀に住む友人たちが先にやっていたのが面白かったので「京都でもやらせてね」と言って始めました。政治家さんに食堂とかカフェに来てもらって、高いところから演説するんじゃなくて、一緒にご飯食べたり、お茶飲んだりしながら普段気になることとかを聞いてみましょう、というような会です。

仲間とみんなで手作りのピースフラッグ(写真:井﨑さん提供)

公職選挙法は市民が見直さないと損!

──そうやって活動が広がっていったなかで、2019年には京都市議会議員選挙にも挑戦されました。『NEKKO』の第1号は選挙のときの話が中心で、公職選挙法(公選法)への疑問や選挙活動の裏話なども紹介されています。

井﨑 もともと私が住む左京区には、無所属市民派の候補者を出して市民選挙をやる歴史があるんです。当選した人はいないんですけど。それで、友だちの間から「出たら、出たら?」みたいな感じで言われて悩んだんですけど、街角で思っていることを言えるのは面白そうだし、「じゃあやってみようか」って。
 当選することだけが目的ではなかったので、みんなが「もっと暮らしがこうだったらいいのに」という声を上げれば変えていけるんだよ、そのために選挙に行こうよ、っていうことを選挙中は訴えていました。最初は「泡沫候補」、つまり泡のように消える候補やって言われて(笑)、記者会見してもどこの新聞も書いてくれなかったんですよ。

──結果は落選だったものの、あと350票で当選というところまで集めたそうですが、実際に選挙に出てみてどうでしたか。

井﨑 白手袋とタスキとか「よく考えたら変だよね」って思うことが選挙活動にはたくさんあるんですよね。誰が考えたんやろう? そういうやりたくないことは一切しないで選挙をやってみました。白手袋をはめずに路上で手を振ってたら、間違えてタクシーが止まったこともありました(笑)。
 普通だったら、政党の党首とかといっしょに撮る三連ポスターと言われるものも、小説家のいしいしんじさんやミュージシャンのリクオさんと撮りました。政治家さんのポスターって、顔がバーン!名前がバーン! みたいなもので、政策は真逆でもみんな同じなのが不思議でした。それで友人のデザイナーさんに入ってもらって、みんなで意見を出し合って自分たちが本当にいいと思えるものになったと思います。学校近くの選挙掲示板を見て、小学生が「これが一番いい!」って私たちのポスターを指さしてくれて「よし!」って感じでした。

──選挙独特のルールが、ますます政治を身近なところから遠ざけている感はありますね。

井﨑 そもそも公選法そのものが、ものすごく変な法律なんやなっていうのもわかりましたよね。戦前にあった治安維持法と抱き合わせでできたような法律が温存されている。そもそも選挙に出るには、まず供託金がかかります。京都市議選の場合は50万円でしたけど、衆議院選挙だと300万円です。「そんなお金、普通は出せないよ」っていうような額で、これでは一般の人が立候補しにくいです。
 こういう謎ルールが、既成政党中心の政治の温存にもつながっている。私たちが政治参加する方法って投票かデモしかないように思いこまされていますけど、誰しも一定の年齢になったら被選挙権があるんです。もっと市民が公選法を考え直していかないと、本当に損しているなって思います。日本に長く暮らしていても選挙権がない外国籍の方の問題なども含めて議論が足りていないと思います。

選挙だって、自分たちがいいと思えるデザインで(『NEKKO』第1号)

「政治的なことはようせん」という人も

──周りの方の変化みたいなものもありましたか?

井﨑 選挙に出たことで、人間関係がすごく広がった一方で、一緒にずっとやってきたけど「政治的なことはようせん」って離れていった方もいます。やっぱりそういうのが「しんどい」っていう方もなかにはいらっしゃいましたねぇ。
 それに、選挙に出ると今度は何をしても「選挙のため」のように見られてしまうところがあるんですよね。たとえばファーマーズマーケットで違う場所を借りたいと思ったときに、代表に私の名前があるのをみて「政治的なことはちょっと」と断られてしまったことがありました。わたしは次の市政にも再挑戦することを明言しているので、余計にそうなってしまうんですけど、なんか「選挙に利用される」みたいに思われるのかな。

──井﨑さんが住む左京区は、京都大学をはじめ大学も多く、市民運動が根強い場所だと聞きます。

井﨑 そうですね。知事選でも市長選でも、左京区だけ革新派が勝つんです。ほんまに「独立したい」って話すくらい(笑)。たくさんの市民運動の担い手がいらっしゃって、層が厚いというか、何十年もそういうことが脈々と続いている土地柄やとは思います。「左京ワンダーランド」という個人商店が集まるお祭りもあるし、おいしいレストランができても、「でも、あそこは東京資本やろ?」っていうような雰囲気があるんです。
 でも、京都全体で見たら、いろいろ問題も起きてきています。公共施設が有料化されたり、府立植物園周辺を商業化する再開発計画が出てきたりといったことがあるんです。

「よく知らなくても」「当事者じゃなくても」しゃべっていい

──『NEKKO』の第2号で「自治」を特集テーマにされたのはなぜですか。

井﨑 国家、国っていう枠組みが本当に必要かって考え直す時に来ていると思うんですよね。「自分たちの町のことは自分たちで決める」という自治が基本で、国が決めてその言う通りにするのではなくて、自分たちの決めたことが国にいくという、いまとは逆の形になってほしいという思いがあって、このテーマにしました。

──2020年に『NEKKO』を始めたのと同時期に、インターネットラジオも始めています。

井﨑 はい、政治のハードルをラジオくらいに下げたいという意味で、「ラジオクライニ」っていう名前をつけて、NPO法人スウィングの木ノ戸昌幸さん、子どもの本専門店のメリーゴーランド京都・店長の鈴木潤さん、映像作家の丹下紘希さんといっしょにやっています。いろんなことを、「よく知らなくても」「当事者でなくても」しゃべったらいいんだよ、っていうのが、ラジオクライニでは一番大事にしていることですね。

──たしかに、よく知らないのに政治的な話題には触れるのはいけないような雰囲気を感じることがあります。変なことを言うと怒られそう、というか……。

井﨑 それがすごいハードル高いですよね。めっちゃ調べてからしか意見が言えへんっていうのを、ちょっと一回やめてみませんかって。そんなん言ったら死ぬまで意見言えないやん! って。
 学校教育の影響だと思うんですけど、「私なんて」とか「よく知らないから」と、思っていることを表現するのをためらう人が多くなっている気がするんですよね。でも、間違ってもいいし、正確じゃなくてもいいし、思っていることを言っていいんだよって伝えたい。
 「ラジオクライニ」のリスナーからは、「ちゃんと調べて話しなさい」ってお叱りのメールをもらうこともあるんですよ。でも、「間違うことがむしろ大事なんだ!!」みたいな、よくわからんことを返したりしています。

──率先して間違ってもいい場をつくっているんですね(笑)。

井﨑敦子さん。取材はオンラインで実施

日々、民主主義を耕すためのアクション

──井﨑さんは地域で仲間をみつけて活動を広げていったと思いますが、そのコツみたいなものはありますか。

井﨑 私たちも日々やっていることは小さな集まりなんですよ。でも、それが大事だと思う。たとえば上映会とか勉強会をやっても参加者が少ないと「こんなん何の役に立つの?」って思っちゃうかもしれないけど、いろいろな担い手がそれぞれに活動をやり続けていると、「これおかしい。どう思う?」ってなったときに、さっと集まれるようになるんです。
 今年2月ころに自民党京都府連のマネーロンダリング疑惑の報道があったんですけど、4月には市民で集まって公職選挙法違反を問う告発状を京都地方検察局に出したんです。「これはちょっとおかしい、ほっておいたらあかんよな」って言ったら、友人知人が30人くらいわっと集まってくれて、市民告発団がすぐできた。それは、やっぱり小さな活動があちこちで続いてきたからだと思う。
 「自分たちで何かやったって、2、3人しか来ないしな」と思わなくてもよくて、その2、3人が実はものすごく大事。そうやって日々、民主主義を「耕している」のだと思います。

──政治が身近なことだと知ってもらうには伝え方も大事ですよね。

井﨑 そうですよね。どう伝えるのがいいのか、難しいですよね。あの、これはいつも不思議だなと思うんですけど、街頭でチラシとかを配っていると「あ、大丈夫です」っていって断る人がすごく多いんですよね。「いやいや、大丈夫じゃないんですー!!」ってつい追いかけていきたくなるんですけど、あの「大丈夫です」って変な断り方やなあって思って。
 いま京都には北陸新幹線の延伸計画があって、昭和48年(1973年)につくられた計画がそのまま進められようとしているんです。京都市街の地下に直径10メートル以上のトンネルを掘って新大阪まで伸ばす計画です。パタゴニア京都さんの協力で、店頭でも反対の署名集めとかをやらせていただいたのですが、店内だとみんな受け取って真剣に見てくれる。でも、街角に出たら10人中7人くらいは「大丈夫です」っていう感じになってしまう。「自分が好きなパタゴニアが言っているなら見てみよう」となっても、街角だと「また何か文句言ってはるわ」って思われてしまうのかな。どうやって伝えるのがいいでしょうねぇ。

理不尽さに対して物が言える社会に

──伝え方は本当に難しいですが、ピースフラッグプロジェクトや『NEKKO』マガジンなどの取り組みは、とても参考になると思いました。2015年以降、多岐にわたる活動をされていますが、共通して井﨑さんが目指していることは何でしょうか?

井﨑 「自分が思ったことを口にしていいんだよ」っていうのが、政治の基本やと思うんです。だけど、それがものすごく忘れられていて、それをいいことに政治家とか一部の人たちだけが自分たちでどんどん物事を決めていかれる。やっぱりその流れを変えたいっていうのが一番大きいでしょうかね。
 3・11の原発事故の後、福島から京都に避難してきた友人たちといろいろな話をするなかで、理不尽なことをたくさん聞きました。わたしも部落差別を経験してきたので、その理不尽さとか、孤独感、しんどさは非常によく似ていると思ったんですよね。理不尽さに対して、やっぱりちゃんと物が言えるような社会にしていきたい。その敷居をぐーっと下げていかないと、世の中の構造が変わらないなって感じています。
 日本では煙たがられがちだけど、本当の意味での「民主主義」を耕してきたのは、やっぱり全国の市民運動やと思う。自分の名前を売りたいとかお金を儲けたいとかではなく、ず-っと市民運動を続けてきている人がいっぱいいる。そういう人たちが、この国の民主主義の担い手やっていう思いがすごくあります。何も大きなことはできなくても、私も生きている間はその一部でありたいんです。

(取材・構成/中村未絵)

井﨑敦子(いざき・あつこ)1964年生まれ。立命館大学二部文学部哲学科卒業。大学卒業後は生協職員を経て、2013年に京都市左京区北白川にオーガニック食材店をオープン。2015年夏 、安保関連法案に反対して「ピースフラッグプロジェクト」を始める。2016年秋、買い物を通じて顔の見えるコミュニティ作りを目指して「京都ファーマーズマーケット」を始める。2017年、「くらしとせいじカフェ京都」を始める。2018年、介護初任者研修修了。2019年、京都市議会議員選挙に挑戦するも落選。2020年、『NEKKO』、「ラジオクライニ」をスタート。(プロフィール写真:井﨑さん提供)

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