第209回:原発と裁判官と農業者(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 興味深い映画の試写DVDを観た。
 9月から公開予定の『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』というドキュメンタリー映画である。つまり、司法(原発差し止め裁判)と環境(農業と再生可能エネルギーの両立)の両面から、「原発はとめられる」と訴える映画なのだ。これが、最近では珍しいほどのど真ん中ストレート。
 なにしろ、原発推進派も登場させて賛否両論を問うなどという、いわゆる「両論併記」的な小ざかしい表現は一切しない。まったくてらうことなく、小原浩靖監督は「原発は、なぜ運転してはいけないのか」と剛速球を投げ込んでくる。まさにこの監督、大谷翔平か佐々木朗希か(笑)。ぼくは打ち返すことなんか忘れて、いつの間にか引き込まれていた。それほど真っ直ぐな映画なのである。

 監督に呼応するように、出てくる人物たちがみな豪胆であり、揺るがない目をしている。最初に登場するのは、樋口英明さん。2014年、関西電力大飯原発(福井県)の運転差し止め判決を書いた元福井地方裁判所裁判長だった方だ。
 彼が淡々と語る「なぜ運転してはいけないのか」は、まことに平易だ。中学生でも理解できる内容でなければならない、と樋口さんは語る。ではなぜ、これまでの裁判官は、素人には理解できないような判決を書いたのか。それについて、面白いのは「裁判官の資質」についての樋口さんの解説だ。
 裁判官はほぼ文系出身。だから電力会社はものすごく難解で細部にわたる科学的な(と思わせるような)証拠や書類を提出してくる。だが実際には、それを十全に理解できる裁判官はほとんどいない。したがって、結局は「原子力規制委員会が認めたから大丈夫」ということで請求を却下する…という流れになる。すなわち、裁判官自身の検討以前に「規制委の承認を得た原発は安全」という道筋が出来上がっている。

 「私は専門家ではない。電力会社が作成して規制委が認めた資料であれば、専門家たちのきちんとした論議の上のこと。それに従った判決は、いわゆる『社会通念』に照らしても安全と認められる」という結論に流れていく。これでは何のための裁判なのか分からないし、結論は見えている。
 このあたりはかなり、辺野古米軍基地工事などの裁判に関する「沖縄司法」にも言えるような気がする。

 樋口裁判長は、もっとも分かりやすいデータを示して判決文を書いた。それは「ガル=基準地震動」という単位に関するデータだ。詳しい説明は、この映画を観てもらえればよく分かるのだが、それこそ中学生でも一目瞭然なのだ。つまり、電力会社が安全基準として出してきた耐震性(ガル)を上回る地震が、この10年以内にも、何度も起きていたという事実を、そのまま図示して説明する。
 その上での「運転差し止め判決」なのだから、これに反論できるはずもない。データは公表されたものだからだ。だが実際は、この判決は上級審で覆される。それが日本司法の現実なのだという苦い事実。

 樋口さんと対談して、なぜ原発裁判で市民は勝てないのかを考えるのが、原発訴訟で闘う河合弘之弁護士。
 河合さんは海渡雄一弁護士とともに、多くの原発裁判を支えてきた方だ。河合さんと樋口さんの対談は、原発の持っている危険性や利権や政治のありようにも及び、聞くものを引き込んでやまない。

 映画のもう一方の主役は「原発をとめる農家たち」である。
 福島県二本松市で、「二本松営農ソーラー」を営む近藤恵さん。農業と再生可能エネルギー(太陽光発電)の両立を目指す農業者たちの事業の在り方を、これもストレートに描いていく。太陽光パネルの設置に関して、どうすれば広大な面積に設置されたパネルの下で農作物を育てることができるのか。それを実践する近藤恵さんや大内督さんたちの実際の姿を通して描いていく。
 親子二代にわたっての無農薬の有機農業の経験から、農業そのものの未来を見つめていた農家が、あの原発爆発による放射線被害によって大打撃を受けてしまう。そこからどう立ち直っていったか。明るく話す農業者たちの力強さには、多分、小原監督も敬服したに違いない。

 太陽光パネルを設置した土地の下に何を植えるか。
 再生エネルギー電力を売却しながら、同時に作物でも利益を得るという姿勢。しかし、そこに立ちふさがる「許認可」という壁。これもまた、ある意味では原発利権と結びついているのかもしれない。
 きちんと書類を整え、資金繰りのめどもつけながら申請しても、なぜか1年半も待たされるという現状。まるで行政は「再生エネ阻止」のために動いているのではないかとも思いたくなる。
 この許認可制度によって、途中で諦めざるを得なかった事業者がどれほどいたかと、近藤さんや大内さんは苦笑いする。
 しかし、「百姓は屈しない」のだ。

 農から反原発の実現を目指す飯田哲也さん(環境エネルギー政策研究所)も、積極的にこのような農業者と一緒に活動し続ける。映画は飯田さんの活動にも密着する。様々な地域で、農業と再生可能エネルギーの両立による「原発阻止」の動きが見える。それが「エネルギーの民主化」だと、「ソーラーシェアリング」というシステムの発案者でもあるCHO技術研究所の長島彬さんは語る。

 都会でも、たとえばクレヨンハウス代表の落合恵子さんは、毎月の「朝の教室」で原発とエネルギーを学ぶ会を主宰する。その教室に、樋口英明さんを招き講演会を開いていた。クレヨンハウスでは無農薬野菜販売なども積極的に行い、都会と農業地域を結び付けようとする事業を行っている。

 こういう方たちが、この映画に勢ぞろいする。だから、見ている者の胸に「希望という火」が灯る。原発に関する書籍や映画は、ともすればまなじりを決したり、詳細なデータの海に沈没したりするケースが多いけれど、本作『原発をとめた裁判長』は、論旨明快、理解容易、希望横溢、未来楽観の映画なのである。

 よって、原発の運転は許されない。

 これが樋口裁判長の、あまりに明快で単純な結論。
 本作は、そこに至る過程を描いた、ほんとうに面白い映画なのである。

『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』

公式サイト:https://saibancho-movie.com/
9月より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開予定

※現在、映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』を全国の劇場へ届けるために宣伝・配給費の支援を募集するクラウドファンディングが実施されています。詳しくは、クラウドファンディングのサイトをぜひご覧ください。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。