第215回:「呼称問題」について(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

猛暑で頭が働かない

 「ちょっと待ってよ、こちらの心構えができるまで」と言いたくなるような高温が、このところ続いている。まだ6月だというのに、もう梅雨明けだという。この先、どうなってしまうのだろう。突然の猛暑の到来で、頭がうだっていて、なかなかうまく働かない。原稿を書こうと思ったって、まるでテーマが浮かんでこない。

 ぼくは散歩が好き。時間さえあれば、少々の雨だって平気で出かける。家の近所や、出先の知らない街をうろつく。サングラスにハンチング、そしてマスクといういかにも怪しげな男がご近所を歩いていても、ケーサツに通報するのは勘弁してください。それは、ぼくかもしれませんから。
 実は、散歩がぼくの思索(そんなエラそうなものじゃないけれど)の時間で、たいてい歩きながらコラムのテーマを探している。選挙ポスターなんか、格好のコラム・テーマになるはずなのだ。
 けれどこの暑さ、さすがになかなか散歩に行く気にもなれない。だから、原稿のテーマが見つからない。そんなときはどーするか。新聞をめくるか本を開くか。そこで何かがひらめかないか? あちゃ、ひらめかない。
 小難しい政治問題も世界情勢も選挙のことも戦争の状況も、どうも考える気にならないし、書くのもイヤ。

南伸坊さんのおキラク本

 おキラクな本でも読むしかないな。
 そうそう、それにピッタリの本を最近ゲットしたばかりだった。
 『あっという間』(南伸坊、春陽堂書店、1600円+税)である。おキラクもここまで行けば、もはや天国極楽、あぁいい湯だな~である。
 帯にこう書いてある。
 「おじいさんは 時間のたつのが とってもはやい 一週間なんて あっという間だ」

 南伸坊さんとは、ずいぶん古い知り合いである。ぼくが「明星」という雑誌の編集者だったころ、さまざまなタレントさんの似顔絵を描いてもらうことで知り合った。多分、50年ほど前になるなあ。編集部の整理班にいた松尾宣政さん(この人、すてきな物知りで、かつては『F6セブン』という若者向け雑誌の編集長だったという。あんまり好き勝手に雑誌を作ってしまったのであえなく廃刊。「明星」で整理・校正をやっていた)に、「誰かうまい似顔絵を描いてくれる人、いませんかね」と相談したら、即座に「南くんだな」というわけで、知り合った。何しろ「現代の眼」などという新左翼バリバリの雑誌の似顔絵を描いていたというから、おっそろしい人かな、と恐る恐る会いに行った。
 ニコニコ顔の優しい人だった。でもその頃、シンボーさん、長髪だったんだよ。長髪のシンボーさんって想像できます? それを知っている数少ない人のひとりなのだ、ぼくは。ともかく、お互いに若かったもんなあ。名前も「シンボーさん」ではなく「伸宏さん」だったけれどね。
 以後もちょくちょく仕事を頼んだ。南さん「初めて原稿料を振り込んでもらったのは、明星のリキさんだった」とどこかで言っていたな。(ちなみに「リキ」とはぼくのことです。なぜそうなのかは、大した理由じゃないから触れません)。

シンボーさんの場合は「ツマ」

 前置きが長くなったけれど、この本、完全に脱力系。どーでもいいことが、どーでもいい感じでズラズラと書かれていて(これ、究極の誉め言葉ですからね!)、寝しなに読む本としては最適。ゼッタイに悪夢になんか誘われない。ほわぁ~んと目を瞑れば、ぼわぁ~んとした夢へ誘い込んでくれるのです。
 どんな気持ちのいいことが書いてあるのかって? こんな具合。

 おじいさんのコロナ
 おじいさんの意見
 おじいさんの日常
 おじいさんの趣味

 と、テッテー的におじいさんである。そうそう、そうなんだよと、おじいさん界ではちょっと先輩のぼくはうなずきながら読んだのである。だってね、不安で仕方のない「大腸検査」だって、この本を読めば、な~んだ、大したことないじゃん…ということになる。森羅万象、大したことはないのである。
 でね、この本で面白いのはシンボーさんだけじゃない。「ツマ」さんがステキな共演者なのである。シンボーさんは、お連れ合いのことを「ツマ」と書く。ふふ~ん、ツマなんだよねえ。
 さて、ぼくは妻を何と呼ぶか。ぼくはこのコラムでも時折、無理やり出演させている妻のことは、「カミさん」で通している。これは、さまざまな呼び方を考えた末にたどり着いた呼び方である。これなら、まあ多少は尊敬の念も入っているし(多分)、何しろ「カミ」だからねえ…というわけである。
 カミさんってのは、意外と使いやすい呼び方です。親しい人にだったら「お宅のカミさんは元気?」なんて気軽に聞けるしね。
 ぼくが尊敬する方のFBを読んでいると「家人」という呼称が出てくる。これ、かなりカッコいい。夫婦がお互いを尊重している感じが出ている。
 むろん「連れ合い」というのも、最近はそれなりに普及してきた。これもなかなかだ。連れ合い、パートナーとの呼び方は、それこそジェンダーフリーで誰にでも使える利点もあると思うし。

相手の「連れ合い」の呼び方が難しい

 夫が妻のことを呼ぶときは、それなりに様々なパターンがある。では、妻が夫のことをどう呼ぶか。
 うちのカミさんは、友人と話すときは「夫」と言っているらしい。「旦那」や「主人」だとか「亭主」などは死んでも使わないと宣言している。上下関係じゃないし、あなたは私の雇用主じゃないからね、と正論である。「うちの人」とか「連れ合い」も、時と場合によっては使い分けるらしい。まあ、相手の顔を見ながらだね。

 だけどここで面倒なのは、相手の連れ合いの呼び方である。「お宅のカミさん」はいいけれど、目上の人には使いづらい。まさか「あなたのツマは…」とは言えないし、まあ、順当なところは「お連れ合い」だろうけれど、普通は「奥様」とか「奥さん」と言っちゃうよねえ。女性の場合は「お宅のご主人」が普通だろう。
 考えてみれば「奥様・奥さん」は、女は奥に引っ込んでいるべきもの、というようなニュアンスがあるから、まるで現代にふさわしくないし、「差別的」と言われても仕方がない。意識して使っているわけじゃないとしても「無意識だからかえって問題だ」と言われてしまいそう。だから最近は、ぼくもこれを使わない。
 うむ、ぼくは当面は、自分ちのことは「カミさん」、相手の人には「お連れ合い」で通すしかないなと思っている。

妻さん、夫さん

 この「夫婦の呼称問題」に関して、面白い記事を見つけた。
 毎日新聞(6月26日)〈文化の森〉というページの「夫婦の呼称」という大きめの特集。要するに、夫婦のことをどう呼べばいいのか、ということ。取材して記事を書いたのは反橋希美記者。

 取材中、「ご主人・旦那さん」「奥様・奥さん」と言った呼び方は控えてください。
 京都のコーヒー焙煎所がメディア向けにこんな依頼文を公開したと知り、興味をかき立てられた。記者(42)は、友人や取材相手らの配偶者をどう呼ぼうかと長年悩んできたからだ。「夫が上、妻が下」や「夫が外、妻が内」の意味がひそむ呼び方は避けたい。では、どう呼べば?
 ヒントを求め、店を訪ねた。

 京都府大山崎町の「大山崎COFFEE ROASTERS」。店を営む夫婦から差し出された名刺にまず目をひかれた。
 中村まゆみ
 中村佳太
 店名の下に、妻、夫の順で名前がある。(略)
 話題になった依頼文を作成したのは佳太さん。2月、ツイッターで「ジェンダーギャップ解消のためのメディア関係者へのお願い」と題し、2人の連名でこんな文書を投稿した(一部抜粋)
1. 弊店は、中村まゆみと中村佳太の両名にて共同経営を行っております。
2. 両名の名前を紹介いただく場合には、「中村まゆみ・中村佳太」の順番でお願いします。
3. 取材の最中、「ご主人・旦那さん」「奥様・奥さん」という呼び方はお控えいただき、名刺に記載する名前で呼んでいただきますようお願いいたします。(略)

 記事はけっこう長いので、興味のある方は探して読んでいただきたい。
 要旨は、このお店が評判になり、カルチャー誌などからもたびたび取材を受けてきたが、取材者が佳太さんは名前で呼ぶのに、まゆみさんは「奥さん」で済まされる。これはおかしいと思うようになり、前記のような依頼文を公開した、ということだ。勉強して、社会の「構造的差別」に気づいたという。
 すばらしい「気づき」だと思う。やがてふたりは知人らの配偶者のことを、名前か「夫さん・妻さん」と呼ぶようになる。「耳慣れないだけで、意外と普通に受け止めてくれます」とふたりは言う。

 そうか、そうなれば、先ほどのぼくの戸惑いも消えるか。やってみようかな。でも、えっ? という人たちの顔が浮かぶなあ?
 シンボーさんならどう言うだろうか。田中角栄の物真似で「んー、まそのぉ、これがまあ、オットセイの夫のブルドーザーでありますから、まそのぉ、ツマらん事態のはっしぇいということで、まぁそのぉ…」的な流れになるんだろうなあ(ぼくまで、何を言っているか分からなくなる)。

ぼくが絶対に使わない言葉

 ところで、ぼくは「うちの嫁」という言い方は、絶対にしない。どうもこれだけは脳が受け付けない。いまどき「家の嫁」かよ、と思うのだ。どうも関西方面では、この言い方が多いようだが、ぼくは受け付けないなあ。
 そういえば、『必殺仕事人』では「うちの婿殿」という言い方が出てきたが、あれは皮肉で面白かったけどね。

 でも「夫さん」「妻さん」が普及するには時間がかかるだろうなあ。
 パソコンだって抵抗する。この文章を書いていて、「夫さん」は一発変換できたけれど「妻さん」のほうは、對馬さん、津間さん、都間さん…、「そのような変換は、当機種ではお取り扱いしておりません」ということなのかねえ。

 ふーっ、それにしても暑い!

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。