第609回:『彼女はなぜ、この国で 入管に奪われたいのちと尊厳』〜改めて、ウィシュマさんの死から考える。の巻(雨宮処凛)

 「どうせ死んでもオオゴトになんてならないだろ」

 この国には、長らくそんな意識が共有されてきた場所がある。

 それは入管の収容施設だ。

 2021年3月、スリランカ女性のウィシュマさんが亡くなったことで大きく注目された入管問題。今年9月には、入管施設で14年に亡くなったカメルーン男性の死をめぐる裁判の判決が出た。収容されていた男性は体調の悪さを訴え、「死にそうだ」ともがき苦しんでいたにもかかわらず職員は放置。その結果、命を落とした。地裁は入管職員に救急搬送を要請すべき義務があったと認め、国側に165万円の賠償を命じた。

 ウィシュマさんの死をきっかけにその劣悪な処遇が注目されるようになった入管だが、07年以降、17人が施設内で命を落としている。うち5人は自殺。しかし、入管の問題は多くの日本人にとってブラックボックスで、積極的に知ろうとしなければ存在すら知らないような場所だった。

 私自身、入管の収容施設には数年前に一度だけ行ったことがある。雰囲気は、何度か面会などで行ったことのある拘置所と非常によく似ていた。面会室はやはり拘置所と同じような作りで、収容者に出されているという弁当も見せてもらったが、それはご飯に焼き魚などのつましいものだった。このようなメニューが様々な国籍の人に1日三食出されているわけで、この食生活が長い人では何年も続くのである。

 それだけではない。これまでにも入管では、女性の着替えやシャワーの様子まで監視カメラで監視されることが問題になったり、猛暑でも夜にエアコンが切られてしまう施設があること、身体の不調を訴えてもなかなか医者に診てもらえないことなど多くのことが問題視されてきた。

 しかし、問題が発覚するのはほんの一部。入管の職員以外が中の様子を知ることは滅多にない。入管施設に入っているのは当然全員外国人。選挙権もないことから政治家もなかなか動かない。中にいる外国人が劣悪な状況や人権侵害を訴えたくても、言葉の壁もあり、また、そもそもどこに訴えればいいのかわからない。そんな事情もあって、長らく、この問題は放置されてきた。

 自殺者が出ても、ハンストの果てに餓死者が出ても、職員による制圧の果てに死者が出ても動かない政治と声を上げない日本社会(もちろん、一部の人はずーっと前から声をあげてきた)。面会に行く支援者はごくごくわずか。そんな状況が続いていたからこそ、入管の職員たちの間には「ここでは何をやっても揉み消せる」「どうせ死んでも大したことにならない」という意識が形成されてきたのだろう。そうでなきゃ、ウィシュマさんがあれほど苦痛を訴えながらも見殺しにされたことの説明がつかない。

 さて、そんなことを書いたのは、彼女の死に関する本を読んだからだ。

 それは『彼女はなぜ、この国で 入管に奪われたいのちと尊厳』(和田浩明+毎日新聞入管難民問題取材班/大月書店)。

 1987年生まれの彼女は3人姉妹の長女としてスリランカ最大の都市・コロンボに生まれる。

 教員養成短大を卒業後は、日本人を含む外国人の子どもに英語を教えていた時期もあるという。そうして20代後半で日本への留学を決意。日本を選んだ理由には、「女性1人で行くなら安全な国のほうがよい」と母親に言われたこともあり、ウィシュマさん本人も「日本なら安全だ」と話していたという。まさかその「安全」と信じていた国で命を失うなんて、本人も家族も思ってもみなかっただろう。

 留学先となった日本語学校の書類には、英語で以下のように書かれていたという。

 「母国では英語教師として訓練を受け、実務経験もある。スリランカで語学学校を開く考えがあり、そのために新たな言語を身につけたい。多くのスリランカ学生が、技術力や良好な文化のため日本で学んでおり、私も日本で現地の先生に正しい発音を学び、力をつけたい」

 そうして2017年、29歳で、念願の来日。

 30代を前にしての海外留学だ。決心は相当のものだったろうし、キャリアアップを目指しての自己投資だったのだろう。年間の学費は65万円。弁当工場でのアルバイトをしつつ日本語学校で学ぶ日々が始まった。

 しかし、ある男性との出会いが彼女の人生を大きく変える。来日翌年、それまで100%近かった学校への出席率が5割に急減し、18年5月にはゼロになってしまうのだ。学校側がウィシュマさんの寮の部屋を訪問すると、見知らぬスリランカ男性がいたという。
 その後、彼女は学校をやめてその男性と静岡県で同居を始めるのだが、在留資格を失ってしまう。彼女が静岡県内の交番に駆け込んだのはその翌年、20年夏のことだった。所持金はわずか1350円で、その場でオーバーステイで逮捕されてしまい、名古屋入管に収容される。

 が、この収容に問題はなかったのか。

 彼女は収容後、支援者に、以下のように語っている。

 「来日して2ヶ月後にスリランカ国籍の男性と知り合い同棲。最初は優しかったが、その後、暴力をふるうようになった。銀行通帳やカードも取られた」

 「男性のDVから逃れるために警察に助けを求めた」

 「彼(同居男性)に薬を飲まされて流産させられた。その後、一週間くらい体調不良が続いた」

 このような証言から、彼女がDV被害者だったことは明白だ。そしてDV被害者は在留資格にかかわらず、国の「配偶者からの暴力の防止および被害者の保護等のための施策に関する基本的な方針」で、保護対象となると規定されている。また、法務省の「DV事案に係る措置要領」も、外国人の場合は本人の同意を得て事情聴取して本省に報告。本人が希望すれば配偶者暴力センターや警察に通報するよう定めている。

 が、ウィシュマさんは「DVを受けていた」という訴えをしているにもかかわらず、婦人相談所などに保護されることなく入管施設への収容となってしまった。しかも恐ろしいことに、名古屋入管の職員は、この措置要領の存在すら知らなかったという。

 このことに関しては、移住者と連帯する全国ネットワークなど5団体が連盟で声明を発表しているのでぜひ読んでみてほしい。

 さて、入管に収容されてからは、報道されている通りだ。

 彼女の体調は悪化し、それは深刻になり続けるにもかかわらず、放置され続ける。尿検査では飢餓状態を示す数値が出たにもかかわらず、精神科への受診が指示される。収容されてから半年ほどで体重が20キロも減っており、本人も「私死ぬ」「救急車呼んで」と訴えるのに、職員は「ボス(上司)がOKしないと」「病院に行けるようにボスに話してあげる」などと言うばかり。

 死の3日前には車椅子の背もたれに置いた頭がふらつき、口の両脇から泡が出ていて唇も黒ずみ、面会した支援者は「このままでは死んでしまう。すぐ入院させて点滴を打って」と職員に訴えるものの「ちゃんとやっている」「予定はある」という返事。死の2日前にはその状態のウィシュマさんを診た精神科の医師が「詐病の可能性もある」と記録。死の前日には血圧・脈拍も脱力のため測れず、問いかけにも「あー」「うー」としか反応しない。それでも放置され続け、その翌日、彼女の命は失われた。オーバーステイでの逮捕から、7ヶ月後のことだった。

 彼女の死を防ぐチャンスは、数え切れないほどあった。

 まずはDV被害者として婦人相談所などに保護されていれば、まったく違った結果になっていただろう。そして名古屋入管において、適切に医療が受けられていれば亡くなることなど絶対になかったはずだ。その機会は、7ヶ月の間に数え切れないほどあった。

 腹立たしく思うのは、彼女に対応した人のうち、「プロ意識」を持った人が一人もいないのではないかということだ。

 例えば措置要領を知らない名古屋入管の職員。特にDVは命に関わることである。最低限、運用や通知などは現場の職員であれば熟知しているべきなのに、それすらも知らない人間が現場にいる。これは恐怖と言っていい。

 体調不良を放置し続けた職員の罪も重い。どのような時にどのようなタイミングで医療につなぐのか、そのような教育が徹底されていない人が今も現場に配置されているのであれば、同様の事件はこれからも続くだろう。

 そして死の2日前のウィシュマさんを診て「詐病の可能性」と記録した医師。ここで医師の立場から治療の必要性を訴えていれば命が救えた可能性もあるのに、どれほどの偏見があったのだろうと背筋が寒くなる。

 このように、プロ意識のない人が現場にいると重大な事故が起きる。それで給料をもらっているのに、外国人相手のブラックボックスで、何をやっても問題にならないと思っている人たちが長年かけて作り上げた慣習の果てに、多くの命が失われてきたのではないか。

 もちろん、個人の意識の問題だけでなく、構造的な問題は山ほどある。

 ウィシュマさんの死を機に、やっと注目され始めた入管問題。この本の帯には「法治国家の中の無法地帯=入管」という言葉がある。

 「安全」と信じていた国で、33歳で命を奪われたウィシュマさん。生きていたら、今年の12月には35歳になるはずだった。絶たれた未来を思うと、本当に言葉もない。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。