第237回:国葬と自衛隊(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

「友人代表弔辞」の薄気味悪さ

 「安倍国葬」が終わった。様々な物議を醸しながら、それでも国民の半数以上の意見を無視して強行された。菅義偉前首相の「友人代表弔辞」が素晴らしかった、感動的だった…などという声もあるけれど、ほんとうにそうだったか。
 ぼくはリアルタイムでは「安倍国葬」中継を見ていない。そんなもん、見る価値などないと最初から思っていたからだ。ところが、後で「安倍国葬」に関する記事などを見ていると、やけに「菅弔辞」を誉めそやしているのに気づいた。実際はどうだったのか、ぼくはネットで探して「菅弔辞」を見てみた。これを感動的と持ち上げる人たちがけっこういることに、逆に驚いた。ぼくは薄気味悪くて仕方なかったのだ。
 なんでそんなに薄気味悪かったのだろう。
 東京新聞9月30日「本音のコラム」でジャーナリストの北丸雄二さんが書いていた記事を読んで、ぼくの「薄気味悪さの正体」が分かった。北丸さんはこう書いていた。

 最初にごめんなさいと言っておきます。顰蹙を買うことを書きます。巷間すこぶる評判の良かったらしい国葬での友人代表弔辞を聞いて、ものすごく気持ち悪いのはなぜかと考えて書いているのです。(略)
 この文体、故人がプーチンに呼びかけた「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」「ゴールまで二人の力で駆けて駆け、駆け抜けようではありませんか」と同じ人が書いたのってくらいの、恋々たる生乾きなポエム臭がしたんだ。だからゴメンナサイ、ムリ…。

 なるほど、ぼくの薄気味悪さの正体はこれだったのだ。
 とにかく、実際の安倍政策の内容やその結果などには少しも触れず、歯の浮くような美辞麗句まみれの下手なポエム。ひたすら個人の性格の良さ(?)や笑顔などを褒めまくる。誰が書いた原稿なのかは知らないが、ここまで個人を美化すると、やはりサブイボが出る。そこを北丸さんは、ずばりと指摘したのだ。

岸田首相、すべてがチグハグ

 「故人は静かに送るべきだ派」には申し訳ないが、安倍元首相の統一教会との抜き差しならぬ関係に知らん顔して「静かに送ろう」はないだろう。それでは、統一教会の被害者に申し訳ないし、なにより自民党にここまで介入させた原因をも闇の中に葬ってしまうことになる。安倍氏を静かに送ることは、同時に「統一教会の闇」も一緒に葬ってしまうのだ。それでは、爛れた政治は何ひとつ変わるまい。
 岸田首相は「安倍元総理はすでにお亡くなりになっており、旧統一教会との関連を調べるには限界がある」と何度も述べている。つまり、岸田首相には「統一教会問題を解明する」という意志は欠片もない。いや、できないというべきか。
 だが、安倍氏と統一教会の関係がどうだったのかをきちんと調査しなくては、統一教会問題は絶対に収束しない。岸田首相は「限界がある」と言うが、限界まで調査なんかしていないじゃないか。それは逃げ口上に過ぎない。
 細田博之衆院議長(この人がまだ議長席に座り続けていることこそ、日本という国の堕落ぶりを象徴している)や、他の自民党議員の統一教会との新たな疑惑が次々と明るみに出てきて、岸田首相は追い込まれている。何とか国民の目を逸らそうと、「物価高に政策を総動員する」と言い出したが、具体策はまるで見えない。
 逆に「新型原発の新増設」を突如表明し、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」なるものの初会合を開いて、防衛費の財源の在り方などを議論し始めた。「物価高に政策を総動員」するのなら、莫大な費用を要する原発新増設や防衛費(軍事費)増大よりも、なすべきことはもっとあるはずだ。
 岸田内閣、やることなすことすべてがチグハグ。
 食うことよりも、原発と兵器の優先か?

「文民統制」は機能しているか?

 「安倍国葬」で、もうひとつ気にかかったのは、自衛隊についてである。
 無理筋ではあったが、ともあれ「国葬」だったのだから、儀礼としての「弔砲19発」は、まあ仕方がないとしよう。しかし、実際の警備にあたった警察よりも、まるでお飾りのような自衛隊の利用の仕方には大きな違和感が残った。
 ことに、武道館の式場のど真ん中に大きなスペースを取って、ずらりと白い制服の自衛隊員たちを並ばせたのは、いったい何のつもりだったのか。かつての三島由紀夫の「楯の会」の制服に酷似しているような装いの若者たちは、なぜ「安倍国葬」に動員されたのかを理解していたのだろうか? それとも、ただ命令に従っただけか。
 安倍氏の骨壺を乗せた車は、わざわざ市ヶ谷の自衛隊駐屯地を経由して武道館へ向かった。その際も、礼装で敬礼する自衛隊員たちの列が葬送した。安倍氏の車は、なぜ防衛省を経由したのか。
 「戦後レジームからの脱却」を叫び、「戦前回帰」の夢を持ち続けた安倍晋三氏には、自衛隊という軍事組織こそがもっとも相応しい「送り人」だと、誰かが判断したということだろうか。確かにそう考えれば、戦前の軍国主義的な社会を再現しようとした安倍氏の葬儀には、軍人の敬礼がよく似合う。「国葬」だけではなく、安倍氏の私的な葬儀にも自衛隊の儀仗隊が動員されていたのも分かる気がする。
 しかし、これほど自衛隊を「本来任務」から外れた仕事(?)に動員していいものだろうか。どうも、自衛隊が政治家たちに弄ばれているような気がしてならない。
 自衛隊という軍事組織を戦前のように暴走させないために、「文民統制」が決められている。政治家という「文民」が、きちんと自衛隊の統制を行ってこそ「自衛隊は国民のものである」といえる。だが、その「文民」が今の自民党政治家たちのようにひどい有様であれば、自衛隊そのものが危険になる。
 統一教会という組織が自民党を侵食し政治を動かしているとすれば、「文民統制」の根本が揺らぐことにならないか。その意味でも、今回の「安倍国葬」はかなり危険でおかしな儀式であったというしかない。

「自衛隊」、組織の問題

 折しも、自衛隊内部では、時ならぬ嵐が吹き荒れていた。
 元自衛官だった五ノ井里奈さんが訴えていた隊内でのセクハラ行為に関して、謝罪を渋っていた自衛隊が、ついにその非を認めざるを得なくなったのだ。
 東京新聞(9月30日付)の記事。

元自衛官に「日常的セクハラ」
陸自トップ 認め謝罪
他の複数隊員も被害

 元陸上自衛官の五ノ井里奈さん(23)が性被害を訴えた問題で、防衛省は29日、これまでの内部調査の結果、セクハラ行為を認め、本人に謝罪した。所属の中隊で日常的に性的な発言や身体接触のセクハラがあり、2020年秋から昨年8月、演習場の宿泊施設で押し倒されるなどの被害があったと確認した。関与した隊員の特定を進め、速やかに懲戒処分にする。(略)
 今回の調査で、ほかにも複数の女性隊員がセクハラ被害を受けたことが判明。防衛省は、全自衛隊を対象にしたパワハラなどを含めたハラスメント行為に適切な対応ができているか調べる「特別防衛監察」も実施しており、ハラスメント根絶に向け対策を急ぐ。(略)

 だが、この謝罪に対し、五ノ井さんは同記事内で「本当に遅い」と怒りをあらわにしている。また、ニュース番組では「当事者が対面で謝罪すべきです」とも語っていた。
 記事ではぼかしているが、実際は男性隊員が押し倒した五ノ井さんの体にまたがり、下腹部を押し付けるなどの行為が繰り返されていたという。それが判明しても、現在までに当事者たちからの直接の謝罪はない。加害者たちが身を隠したままで直接の謝罪をしないのであれば、やはり自衛隊は組織として加害を認めたくないのだと思わざるを得ない。
 なんとか穏便にことを済まそうとするのは、他の官僚組織と何ら変わるところがない。しかし自衛隊とは、日本国内では特別な軍事組織である。それが事実を隠蔽しようとするのなら、これほど危険なことはない。
 五ノ井さんによる実名で顔を晒しての勇気ある訴えがなければ、自衛隊はこのまま隠蔽を続けただろう。事実、陸自トップの吉田圭秀陸上幕僚長も、これまでの調査が不十分であったと認めているのだ。
 この件は、ぼくの気がかりなど越えている。

 自衛隊内部に統一教会が浸透しているという報道はない。
 けれど、自衛隊という軍事組織を、統一教会の影響下にある政治家が都合よく使ったりすれば何が起きるか。考えるだけでも恐ろしい。
 そして、このセクハラ事件で明らかになったように、自衛隊そのものが内部に問題を抱えていることも異常な事態なのだ。

 「特殊な集団」に浸透されている政権が、自衛隊という軍事組織を「統制」しているのなら、それは危険極まりないことである。「文民統制」が泣いている。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。