第117回:最高裁判事国民審査の在外投票 改正法案が閣議決定されたけれど(想田和弘)

 最高裁判所の裁判官の国民審査で、海外に住む日本人も投票できるようにする法案が、10月14日に閣議決定された。今年5月25日に下された最高裁大法廷の判決を受けて、ついに日本政府が重い腰を上げたのである。

 5月の判決で最高裁は、一審、二審に続いて、在外日本人が投票できぬ現行の国民審査法を「違憲」と断じた。国会が立法措置を怠ったとして、僕も含む原告1人当たり5千円の賠償も国に命じた。裁判官15人全員一致の判決だった。最高裁が法律を違憲と断じた例は過去にたった10件しかなく、本件は11件目の画期的なものとなった。

 その結果を、政府もさすがに無視できなかったのだろう。

 原告の一人として裁判に加わった者としては、嬉しい気持ちも、誇らしい気持ちもある。自分達が起こした訴えが最高裁で全面的に認められて、国の法律と制度を良い方向に変えようとしているのだから。

 しかし、なんだか割り切れない気持ちも残る。

 NHKの報道によると、改正案での在外投票では、投票用紙に裁判官の名前ではなく、1から15までの数字が印刷される。そして、国民審査(衆議院総選挙)の告示日に審査対象者の名前と番号が示され、在外投票者は罷免したい裁判官の数字の上に「×」を書く。そういう方式になるようだ。

 その方法に、異論はない。

 というより、それは「審査対象者の名前を載せた投票用紙を印刷して海外に届けるのが間に合わない」と裁判で主張し続けていた国に対して、専門家や私たちが提案してきた対案のひとつなのである。

 だからこそ、モヤモヤしてしまう。

 最高裁で負けたことを理由に、対案をあっさりと採用できるのなら、なんで最初から採用してくれなかったのか。

 過去のことは水に流すのが日本的な美徳だとしても、この件は簡単に水に流すわけにはいかない。

 だって想像してみてほしい。

 私たちが裁判に訴えた時点で、国が「あっ、なるほど、たしかに在外邦人が投票できないのはおかしいですね」と法律の不備を認めて、さっさと今回のような法改正をしていたら、どれだけ無駄な労力と時間とお金が節約できただろうか、と。

 もし世の中のあらゆる不備や不条理がそのように素直に正されていたら、きっとこの国は誰にとっても住みよくなるだろう。

 しかし現実には、国は法律の不備を認めようとしなかった。

 それが霞ヶ関の慣例だからなのか、国家の沽券の問題なのか、理由はよくわからない。とにかく国は、一審と二審で「違憲」と断じられても、「投票用紙が間に合わない」の一点張りで抵抗し、最高裁にまで持ち込んだ。

 おかげで、原告側の時間や労力はもとより、裁判に関わった大勢の国家公務員の時間も労力も報酬も、無駄に浪費されたのである。

 優秀な国家公務員の皆さんが、無理筋な裁判の抗弁を書くことに執心するのではなく、もっと生産的で、人々の役に立つことに時間を使ってくれたら、どれだけみんなが幸せになれることか。

 そう思うのは、僕だけだろうか?

 実は同じことを夫婦別姓裁判の過程でも書いたが、改めて申し上げておきたい。

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。