第613回:「生まれてきてすみませんでした」〜死刑囚表現展〜の巻(雨宮処凛)

 「執行日に家族に言葉残すなら生まれてきてすみませんでした」

 この短歌は、今年の「死刑囚表現展」に応募されたものだ。

 死刑囚表現展とは、2005年から開催されてきたもので、今年で第18回目。毎年、多くの死刑囚から絵画や文章、俳句、短歌などの作品が応募されてくるそうだ。年に1回、そんな作品を集めた展覧会が開催されるのだが、今年の7月、表現展の「常連」である、秋葉原事件の加藤智大の死刑が執行。はからずも「遺作」となった作品は執行前にすでに表現展の方に届いているということで、それを一目見ようと会場を訪れた。

 驚いたのは、来場者の多さ。会場に入りきれないほどの人が来ており、多くの作品に人だかりができている。しかも大半が若い世代。死刑について関心があるのか、もしくは怖いもの見たさのサブカル的興味なのか、入場料が無料ということもあるのかわからないが、若者たちが死刑囚の作品に見入るのは不思議な光景だった。

 さて、加藤智大の遺作はと言えば、81点のイラスト。あまりにも膨大な量にまずは圧倒された。

 便箋に描かれた美少女のヌードが中心で、イラストの中には「首吊り自殺はセルフ死刑 死刑は、オート首吊り自殺」などと大描きされたものもある。

 81点ひとつひとつに「精神科医は間接殺人犯」「東京拘置所やまゆり園」「最低限文化的な生活」「サイコパスの育て方」などのタイトルがついているのだが、総合タイトルは以下。

 「画面内外における情報の量および質がヌードの猥褻性に与える影響に関する断片的な実験あるいは色鉛筆の代替品として導入されたカラーシャープでも自由な表現は不可能でない事実の証明」

 いちいち理屈っぽい加藤智大らしいタイトルだが、色鉛筆について説明すると、最近、規則が変わったのか使えなくなったらしい。かわりに導入されたカラーシャープでイラストを描いたのだろう。そんなイラストを見ながら、これが展示される頃、加藤は自身がこの世にいないことを想像していたのだろうかと考えた。が、いくら考えても死刑を待つ身の気持ちは到底わからない。

 さて、会場には16人の死刑囚の描いた絵が展示されていたのだが、「死刑囚の作品」と聞いてどんなものを想像するだろう?

 なんとなく、高齢の人が描いた水墨画っぽいものとか、達筆な書道とかを想像するのは私だけではないと思う。

 もちろん、そのような作品もある。が、圧倒的に少数。大半は、非常に俗っぽいものだ。加藤智大はそのまんま「萌え」系の美少女イラストだし(絵はものすごく上手い)、今年は『鬼滅の刃』のイラストが目立った。

 一世を風靡した「鬼滅の刃」ブーム。一時はテレビやSNSなど何を見ても鬼滅ネタばかりで、思わず私もアニメを観た一人だ。コロナ禍初期の話題を独占した感のある鬼滅だが、そのブームが死刑囚にもしっかり届いていることに、改めてハッとさせられた。厚い壁で隔てられていると思っていた「こっち側」と「あっち側」は、確実に地続きなのだ。

 展示されていたイラストの中には、「YOASOBI」に言及したものもあった。寝屋川中学生殺害事件の溝上浩二(旧姓 山田)死刑囚のものだ。イラストのタイトルは「YOASOBIの『夜に駈ける』がめっちゃ好きすぎて この楽曲の良さやMV 小説を知らない人達にも紹介したいと思い 便箋3枚を使ってその魅力や世界観を僕なりに表現してみた」(※YOASOBIの正しいタイトルは『夜に駆ける』)

 拘置所のテレビやラジオで「YOASOBI」を知ったのだろうか。

 また、文芸作品で応募してきた中には、『歎異抄をひらく』を手に入れ、貪るように一気に読んだことを描いている女性死刑囚もいた。歎異抄、よくわからないが新聞広告などでよく目にするアレだ。高齢者にかなり売れているらしい。やはりブームは死刑囚にも届くのだ。

 同じ世界を生きているということでは、やはり溝上浩二死刑囚の「鼻血」という詩にもハッとした。たまに鼻血が出るという内容なのだが、逮捕されるまで福島で除染作業の仕事をしていたという。3・11後、「こっちの世界」にいて除染作業をしていた人が、今、死刑執行を待つ身となっている。

 会場には、相模原事件の植松聖死刑囚の作品もあった。が、今年は絵画が2点。タイトルは「覚悟」「暦史は文化」というもので、植松らしいどぎついほどにカラフルなイラストだが、作品からは彼の変化が見える気がした。

 なぜなら、2年前の作品は、自らの事件を正当化し続けた法廷での主張を書き殴ったようなものだったからだ。今年のイラストには、そのような「主張」はなし。

 ここで振り返ると、2年前の作品はふたつ。

 ひとつは「より多くの人が幸せに生きるための7項目を提案いたします」とし、「安楽死」「大麻」「カジノ」「軍隊」「SEX」「美容」「環境」を挙げている。裁判でもまったく同じ主張をしていたのだが、例えば「安楽死」の項目には以下のように書かれている。

 「意思疎通がとれない人間を安楽死させます。また移動、食事、排泄が困難になり、他者に負担がかかる場合は尊厳死することを認めます」

 他の6項目にもそれぞれ荒唐無稽なことが書かれているのだが、もうひとつの作品はポスターのような感じで、以下の言葉が並ぶ。

 「極度の貧困で暮らす人 7億3600万人」
 「栄養不良に陥った人 8億2100人」
 「5歳未満の死者 540万人」
 「読み書きができない子ども 6億1700万人」等々。

 前回の原稿でも、植松が「障害者に使うお金を他のことに使えば戦争をなくせる」などと法廷で主張したことを書いたが、こうして「世界の不条理」を並べることで、自分の事件を正当化したいのだろうか。前回の原稿のウトロ放火事件で逮捕された男の主張も非常に似ている。

 「現在、日本、世界において多くの人が、罪のない人々が見殺しにされ、多くの困窮者が支援を受けられず、南米、アフリカ、アジアのそうした国々から来られた方も、支援を受けられず見殺しにされている」などと法廷で主張し、だからこそ、「在日特権」的なものは許せないという趣旨の発言をした男。

 このような主張の背景には、日本の衰退により、少ないパイを奪い合わないと生き残れないと多くの人が感じている状況もあるのだろう。

 そういえば、最近またひろゆき氏が優生思想的なことを言って批判されているようだが、私にとってこの「失われた30年」は、金に余裕がなくなると心にも余裕がなくなるということを、国を挙げて証明しているような年月でもある。

 さて、表現展に戻ると、自らが近い将来に受けることになる絞首刑の様子を描いた絵も多かった。これは毎年の傾向だ。首吊りにされる自身の絵からは死刑に対する恐怖が伝わってくるが、獄中で病死や自殺などで死なない限り、彼らは確実に絞首刑にされるのである。

 そんなこの国の死刑囚は、加藤智大が執行されたことによって106人となった。また、少し古いデータだが、20年時点で平均収容期間は12年9ヶ月、平均年齢は58.6歳。

 ちなみに、死刑囚の作品が展示されることについて、「不謹慎」「被害者や遺族のことを考えろ」という批判の声もあるだろう。

 が、賛否を問う前に、私たちは死刑について、あまりにも知らないのもまた事実である。一方で、死刑についてこの国の8割以上は「やむを得ない」という意見だ。

 表現展に行った後、平野啓一郎氏の『死刑について』という本を読んだ。そこで改めて気づいたことがある。それは、この国の死刑廃止運動が必ずしも成功していない要因のひとつを平野氏が指摘していた部分。「被害者の方たちへの理解、そしてケアという視点が弱かったからではないか」というものだ。

 その点は大いにあると思う。特に被害者の気持ちに立てば、死刑廃止運動は凄惨な事件を棚に上げ、殺人を犯した者の人権ばかりを主張しているように見えることは容易に想像がつく。自分が被害者の立場だったら、許しがたいものだろう。

 一方で、飯塚事件のように、冤罪が強く疑われるにも関わらず、DNA鑑定の信憑性に疑いが生じたことから、それを覆い隠すために執行が急がれたことが指摘され続けているケースもある。もし、自分だったらと思うと、やってもいない事件で逮捕され、誰かのミスを隠すために死刑にされるなんてたまったものではない。

 もうひとつ、死刑を考えるときに覚えておきたいのは、近年発生し続けている「死刑になりたい」を動機とする事件だ。

 『死刑について』でも、大阪の池田小事件、土浦連続殺傷事件、イオンモール釧路通り魔事件、京王線刺傷事件、渋谷区焼肉屋立てこもり事件などが紹介されている。

 死刑存置の理由に「犯罪の抑止効果」を上げる声は多いが、死刑制度があることが、無差別殺人を誘発してさえいることをどう考えるのか。ちなみに「願い」通り、池田小事件と土浦の事件を起こした2人の死刑はすでに執行されている。

 考えれば考えるほど、袋小路に迷い込んでいく思考。

 だからこそ、死刑について、もっと考えたい。加藤智大の執行から、改めて、死刑について考えている。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。