第148回:高円寺に史上最低のゲストハウスが営業を再開、その名は「マヌケ宿泊所 MANUKE GUESTHOUSE」(松本哉)

 いや〜、盛り上がってきました。最近、急激に楽しいことになってきている。ここへ来てコロナ禍の陰鬱とした空気感がウソのようだ。何かっていうと、昨年末ごろから急に国境がほぼ開かれ、堰を切ったように各国のとんでもなく大バカで楽しい奴らが続々と日本に現れるようになって、我が街高円寺も海外からの人であふれ出したこと。これ予想してたし、去年の後半ごろからは受け入れの準備を徐々に進めてはいたけど、現実にそうなると、もはやたまげるしかない。日本に閉じ込められていた我々と同様に、海外のやつらも早く出かけたくてウズウズしてたところなので、一挙に解禁となって我先にと飛び出てきた感じ。
 そして、そんな来日する人々の中には当然、一定数の高円寺常連組もたくさんいる。みんな口々に「日本にもこんなところがあったのか!」と、他の街とは全然違う雰囲気を持つ高円寺や中央線一帯の謎のエリアにハマり始め、成田空港に降り立ってから浅草も秋葉原も新宿も渋谷も全てスルーして直で高円寺に向かってくる。こういう人結構多い。しかもみんな最低でも3年ぶり以上でやってくるので、決まってとんでもないテンションで現れる。こういう連中がどんどん乗り込んでくるとなると、こっちもウカウカしてられない。こっちがうかつにつまらない対応をして「なんだ、3年経ったらつまらなくなったな、高円寺」なんて言われたら癪なので、どうにかしてやつらを迎え撃たなきゃならない。そう、ガッカリされてたまるかコノヤロー、目にモノを見せてくれる!

 ってことで、なんと! 高円寺でコロナ前までやっていたゲストハウス「マヌケ宿泊所」を急遽復活させることになった。せっかく日本、そして高円寺まで来てくれる人たちを一日二日で帰したんじゃ、申し訳がたたない。やはりここは数日から1週間ぐらいは滞在してもらって初めてその街の良さがわかってくるので、そのためにも滞在できる場所は必須なのだ。
 そして、ここ「マヌケ宿泊所」はこれまで、世界各国の謎の地下文化シーンの人たちの交流スポットとしても機能していた超重要な場所。しかもここは海外から来る人たちが日本にいる人たちと知り合うだけじゃなく、世界各地の妙な奴ら同士が知り合いまくって世界大バカシーンが網の目のように繋がる場でもあった。おかげで、設備最低、サービス最低、スタッフも適当、オシャレ感ゼロでインスタ映え指数マイナス100、夜は商店街の喧騒で寝られない、エレベーターは古すぎて死と隣り合わせ、などの史上最低のゲストハウスにもかかわらず、世界各地の大バカスポット経由で続々と客人たちが訪れてきていた。まさに千客万来の大賑わい。
 ただ! 千客万来なだけで商売繁盛ってわけではない。間違った値段設定や、客室とリビングの広さのバランスがおかしかったりで、やればやるほど損をする史上空前の巨額赤字部門。もちろん、“無駄なもの”を削りまくって宿泊所として黒字化して利益を出すような営業をすることは簡単。でもそういうことじゃない。世の中、赤字の方が面白いことだってあるのだ。ってことで、お金のことだけで考えるなら、できれば再開したくないぐらい。しかし、交流を求める海外&国内の大バカたちからはゲストハウス再開を求める声が日増しに高まってきて、こっちは「やばいやばい、またあの赤字が戻ってくるのか〜」と、日々うなされて悪夢を見る毎日。…よっしゃ、もうしょうがない、やるしかねえ! 赤字だろうとなんだろうと、やっちまうしかない。死んだら終わりだからなコンチキショー!!!! 貧乏になって毎日納豆ご飯食べてやる!

 と、いうことで、湯水の如く金が消えていく巨額赤字部門のゲストハウスが満を持してリニューアルオープン!! しかもこのクソ物価高や電気ガスの高騰にもかかわらず、宿泊料金を値下げしてのオープン。完全に気が狂っている。どうだまいったか。いったい何が起きたかというと、実は昔の料金表を見ないまま「確かこんな値段だったかな?」と、外出先でウロ覚えで書き出して、先走ってそのまま発表したところ、よくよく調べてみたら以前より大幅に値下げしてた。「やべえ!」と思ったが、時すでに遅し。もう発表しちゃった! でも、そこでウロたえるなんてみっともない姿見せたら末代までの恥。こうなったら史上最大の痩せ我慢を発揮し、脂汗を拭きながら冷静を装いつつ「こういう値段になったんだよ」とか言いながら、そのまま値下げを断行。やられた〜! そしたら案の定、会う人会う人「あれっ? ちょっと安くなりましたねー」なんて言いやがって、内心「殺すぞこのやろー」と思いつつも「いやぁ、やっぱりこれぐらいが適正価格でしょ」なんて心にもないこと言いながら、満面の笑みで震える手で指パッチンしながら答えちゃったりして、もうどうにもこうにもならない。
 ええい、もうヤケクソだ。煮るなり焼くなり好きにしやがれ、べらんめえ! 俺、もう知〜らね!

1月7日、マヌケ宿泊所のオープニングイベントにて。まずは映画の上映やトークショーなど。そして夜はDJイベントやライブが行われ、再開早々警察沙汰に!!! でも夜は超満員になって大成功でした〜

 さあ、そう決断して再開準備に入ったことがニュースとして世界地下文化圏に知れ渡ると、音楽関係、芸術関係、謎の店やってる人やただの酒好き、オタクから学術関係、謎のヒッピーから各種活動家まで、さっそく世界の各方面からとんでもない量の連絡が来る。「再開したんだね。じゃあ今度日本行く時に泊まりに行くよ」という連絡もたくさん来るんだけど、それよりも「再開するの!? じゃあ日本行きのチケット取る!」という反応のやつらが異常に多いこと。でも、これってすごく嬉しい。マヌケ宿泊所があるから日本に来るなんて! 史上最低の宿にもかかわらず、その存在の意味を理解してきてくれるってことなんだろう。それは赤字冥利に尽きる。
 そしてその後、実際に続々とやってくる。突然遊びに来る人なんかもいて、「ギャー! 3年ぶりだ!!!」みたいなことが2〜3日に一回はある感じ。これ、もう完全にコロナ前の高円寺の感じに戻ってる。しかも、各地での自分や周辺のいろんな活動の生の情報も持ってきてくれるので、海外新情報が毎日のように更新され始める。しかも最近は世界のアンダーグラウンドシーンではネットやSNSに出さないのがトレンドと化してるので、そんな情報や作品は直接会って初めて知ることができる。これも、コロナ中の時間が止まったような世界が一瞬で吹き飛んだ感じ。いや〜、よかったよかった。3年程度なら挽回は楽だ。もしこの国境断絶が5年6年と続いていたらみんな年も取り生活も変わり世界の交流もまた一からやり直しになりかねなかった。ともあれよかったよかった。
 あ、せっかくなので、具体的にどんな感じの人々がやって来てるのか、少し紹介してみよう。

 まず、再開第一号のお客さんはドイツから。ドイツのケルンでヴィーガンうどん屋さんをやっている二人、ニコさんとノビタ氏がはるばる地球の裏側から高円寺へ。この二人はもともと高円寺とも縁が深く、ニコさんはかつては高円寺界隈にもよくいた日本の人で、数年前からドイツに移住してうどん屋を開業したこともあり、コロナ禍中はニコさんからはドイツ情報なども時々教えてもらったりしていた。一方のノビタ(こんな名前だけど一応ドイツ人。当時毎日昼寝ばかりしてたから命名した)は、現在は勤勉なうどん職人と化しているものの、かつてはケルンでバンドシーンやアクティビストシーンにいたので、ドイツに行った時はいろんな場所を案内してもらったりもしていた。もう十数年前になるが、ドキュメンタリー映画『素人の乱』ができた時は、上映ツアーで一緒にドイツを回ったりもした。
 そんな縁の深い二人が帰ってきたもんだから、東京の人々はもう寅さんが帰ってきたぐらいの勢いで集まってきて、「ドイツはいまどうなってるんだ!?」などと聞きまくる。やはりいくらネットやSNSが普及しても実際の肌感覚は直接聞いてみないとわからないので、いつの時代もこの長旅から帰ってきた人や久々に訪れた人に群がる感じは同じになる。3年ぶりの地球の裏側の情報。いやー、新鮮すぎる!

写真右上の二人がニコさんとノビタ。これは『素人の乱・残党ラジオFM88.0MHz』に緊急出演してもらった時の写真

 お次は香港からマイケルとナンシーが登場。この二人も香港地下文化シーンで会ったりしていたので久しぶりの再会。香港といえば2019年の大きな運動があった時にデモに参加しに行ったのが最後だった。その後どうなったのか気になっていたので、またも寅さん状態になり最近の香港の人たちはどうしてるかとか、街の雰囲気のことなどもたくさん教えてもらう。
 香港の運動はコロナの開始とともに下火になり、その後は強い行動規制などによって沈滞した空気になっていたみたい。外から見ていると、その統制された空気感の中でみんなどうしてるんだろうと気になっていた。でも、いろいろ聞いてみるとさすが香港、みんなの逞しさは健在で、コロナ渦中もいろいろと独自の場所や活動を守り続けていたし、最近の行動規制が緩んできたタイミングもあって新しいスペースをオープンしたとのこと。印刷機を導入し、いろいろなワークショップをやったりイベントをやったりする割と自由な空間。いや、印刷っていうのがいいね。この連載を読んでくれてる人なら勘づいてると思うけど、これからの時代は紙に字を印刷するっていうことはとても重要なこと。いや、やはりみんないい線ついてくるな〜。
 ということで、これは近々香港にも行ってみないといけないなー。

香港から駆けつけたマイケルとナンシー。香港でマヌケ宿泊所のステッカーをばら撒くために大量に持って帰ってくれた。これは頼もしい〜!!

 そして韓国からも来訪者。こちらはベクリョンくんというパンク小僧。予定とタイミングが合わず、結局ゲストハウスには泊まれなかったんだけど、東京滞在中は何度も高円寺に遊びに来ていた。彼とは実は初対面。韓国で出した本(『世界マヌケ反乱の手引書』韓国語版)や、韓国メディアから受けたインタビュー記事などを読んで、「面白そうだ!」と、訪ねて来てくれた。聞けば共通の知り合いもたくさんいたり、ソウルで遊んでる場所もよく知ってるところだったりと、案の定繋がりのある文化圏の人だった。
 バンドマンのノリで、さらにお互いカタコトの日本語と韓国語と英語を混ぜての会話なので、とりあえず飲んでバカ騒ぎする感じ。で、いや〜、楽しいやつだった、また来てね〜。…と、別れて韓国へと帰国していった。が、それから時間が経ってからTシャツやポスター、ステッカーなどが大量に入った箱と共に手紙が送られてきた。読んでみると、たくさん伝えたいことがあることが感じられる、すごく感動的ないい手紙。うわ〜、ビール片手にバカ話に終始しただけに、これは最高。
 ということで、これはまた韓国遊びに行かないとな〜。次に韓国に行ったら、ソウルの面白い場所をたくさん紹介してくれるとのこと。やばいやばい、また行くべきところが増えた!

ベクリョンととりあえず飲む。テンション高すぎて顔写ってない

おそらく翻訳ソフトなども駆使したであろう手紙。そのせいもあってか、なんだか誠実さが滲み出るすごくいい手紙。これは感動

 はい、そして言わずもがなやってくるのが台湾勢。先日、台湾に行ってきたばかりなので、その時に遊んだ友達の界隈から早速高円寺にやって来た。この彼女(アータオ)は台北でタトゥーの彫り師をやっており、自分も右手の指に「一日一善」と入れてもらったことがある。
 コロナ前の時期などは、ゲストハウスのお客さんの半分ぐらいは台湾人という勢いで常に台湾チームがいる感じだった。ということもあり、台湾に関しては個々人の繋がりっていうレベルをとっくに超えていて、すでにお互いの生活圏・交友圏が混ざってるぐらいなので、アータオももう普通に庭のようにして遊んでる。そして、彫師というのは他人の体に一生消えないものを入れるので、やはり墨を入れた人や入れられた人はお互い久々に会っても確実に「おお!」となるので普通に会った友達より少し深い友達の感覚になる。高円寺でもアータオにタトゥーを入れてもらった人はたくさんいるので、いろんな人に会いながら、もう外国感ゼロで普通に遊び回っていた。タトゥーの世界もなかなか奥が深そうだな〜。
 そして「来月は誰々が来るよ」「あいつは夏に来るって言ってた」などと台湾人襲来予告を山のように伝えてくる。これはまた高円寺台湾村が復活しそうな予感!!

台湾彫師のアータオ(右)御一行様。3年前、最後に来た時は高円寺中の人たちが酔った勢いで刺青だらけになったけど、今回は遊びに来ただけなので道具を持ってきてなかった。ほっと胸を撫で下ろす高円寺の人びと

 最後に紹介するのは、アラスカ人のSeth。彼は数年前、フラッと高円寺を訪れ、世界のどこかでマヌケ宿泊所を聞きつけてやって来て、たまたま一泊したお客さん。ところがその日たまたま宿泊代支払いの時に釣り銭が足らず「じゃ、2泊でいいや」と連泊し、そのまま高円寺で飲み始めてしまったが運の尽き、次から次へと大バカな友達ができ始め、「じゃ、あと3日」「次の週末まで」と、次々と延泊するハメになり、結局1ヶ月ぐらい高円寺にいたのが最初の登場シーン。で、その後も何度も高円寺を訪れ、長期滞在するという常連客になってしまった。
 それもそのはず、よくよく聞いたら世界各地のアンダーグラウンドシーンに精通したとんでもないやつ。お茶の研究をしながら、仕事はオンラインでもできる中国語ー英語の翻訳の仕事なので、アジア圏を中心にひたすら移動し続けてウロチョロしてるというすごい行動スタイルだ。各地でいろんなスペースを作る人がいるのは基本中の基本っていうぐらい大事なことなんだけど、こういう渡り鳥的な存在も同じぐらい重要。こういうやつらが行ったり来たりしてくれるおかげで「そういえば最近、あの都市にはこんな奴がいたよ」「この前、あそこに新しいスペースができた」なんて情報をたくさんもたらしてくれるし、逆に東京の情報を各地に行って広げてくれる。
 ってことで、このSethにマヌケゲストハウスの宣伝用ステッカーを大量に託して次の都市へ解き放つ。頼むぞ〜。そしてまた新情報をたくさん仕入れて帰ってきてくれ〜。

写真右の雪男のような不審風の人物がSeth。右側の二人も同じくゲストハウスに滞在中の人で、それぞれアメリカとポーランドから来訪。みんな各地で大バカな仲間たちにマヌケを紹介されてやってくるのがいい。そして高円寺で遊び歩くうちに完全に仲間になり、そして別の場所にまた散っていく

 さて、まあこんな調子。これが1ヶ月も経つか経たないかで起きる事態。当然、ここで紹介してない人もその隙間隙間でどんどん来ている。そして、今月以降の予定表を見ても続々と世界各地の地下文化圏の最高の奇人変人たちの予約が入っている(でも赤字)。いや〜、いいね〜!!
 ま、ともあれ当面の間はこの3年間のブランクを埋めるための交流期間みたいなもの。この3年間で、各地でアンダーグラウンドなところで自分たちで社会を作っていこうって人たちのシーンがどうなってきているのかを直接再確認しつつ、時期を見て次のステップでなんかやらかしていこうかってところか。あ、惜しむらくは今まだ中国の人たちが日本には観光で気軽に来られないこと。中国アンダーグラウンドもすごく面白いので、どんどんきて欲しいんだけどな〜。ま、それも時間の問題か。果報は寝て待とう。
 いや〜、これはまた慌ただしくなってきた!!!

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松本哉
まつもと はじめ:「素人の乱」5号店店主。1974年東京生まれ。1994年に法政大学入学後、「法政の貧乏くささを守る会」を結成し、学費値上げやキャンパス再開発への反対運動として、キャンパスの一角にコタツを出しての「鍋集会」などのパフォーマンスを展開。2005年、東京・高円寺にリサイクルショップ「素人の乱」をオープン。「おれの自転車を返せデモ」「PSE法反対デモ」「家賃をタダにしろデモ」などの運動を展開してきた。2007年には杉並区議選に出馬した。著書に『貧乏人の逆襲!タダで生きる方法』(筑摩書房)、『貧乏人大反乱』(アスペクト)、『世界マヌケ反乱の手引書:ふざけた場所の作り方』(筑摩書房)編著に『素人の乱』(河出書房新社)。