第115回:日本に弾薬庫が増えていく意味(三上智恵)

 安保3文書が国会審議も経ずに閣議決定されて、全国的には「軍事費の拡大」と「増税」が大きく問題視されている。一部の平和に敏感な人の中には、「反撃能力」という名で敵の軍事施設を攻撃し、判断次第では事実上の先制攻撃も可能、つまり専守防衛の仮面を脱ぎ捨てたことを最も問題だと考える人もいる。でも思いのほか少数のようだ。

 しかし私に言わせれば、今回の安保3文書で一番の恐怖は、同盟国や同志国と共に日本が主体となって侵攻する敵と戦うと宣言したことであり、その攻撃力のシステムを結局、南西諸島に集中させる方針が明確になったこと。まさに安倍政権が作った「戦争できる国」は菅政権、岸田政権と進んで「ここで戦争する国」へと変貌し、私たち沖縄県はいよいよ戦場にさせられる日が近づいたと恐怖に震える。ところが、それでもまだ多くの人が、沖縄の方面が以前よりキナ臭くなった、という程度にしかとらえていないという現実がある。

 予算の中で明らかになった項目は南西諸島に関するものが目立って多いし具体的である。

  • 那覇に司令部がある陸上自衛隊を増強、師団に格上げの調査設計費用に2億円
  • その司令部の地下化に向けた調査に1億円
  • 自衛隊那覇病院の大幅拡充と地下化、建て替え検討に1億円
  • 沖縄市池原の自衛隊施設に弾薬燃料の補給拠点の準備費用に2億円
  • 与那国島の電子戦部隊新設に38億円
  • 与那国に新たにミサイル部隊を入れるための用地取得費、金額未公開

 「ここで戦争しますよ」と言わんばかりの体制がこれだけ予算化され、着々と進んでいくことについて、不思議なほどに全国の関心は薄い。
 
 自衛隊による南西諸島の軍事要塞化にいち早く警鐘を鳴らしてきた軍事ジャーナリストの小西誠さんは、「今となっては軍拡反対・軍事費2倍化反対、改憲反対の一般的なことだけを主張するのは、琉球列島軍事化の容認だ」という厳しい意見を繰り返し述べられている。

 この言葉に付け加えるなら、南西諸島を犠牲にするまやかしの「抑止力」がどんどんむき出しの暴力となって南の島々の暮らしを潰していくことを正視せず、情報を集めもしない平和活動家が、閣議決定の積み重ねですでに破砕されている9条をいまさら「守れ」と叫び続けるとか、「安倍政治云々」「辺野古の海を守れ」「増税反対」という看板を掲げ続けるだけだとしたら、私も「いま、そこですか?」と素朴な疑問をぶつけてみたくなる。

 南西諸島から火の手が上がればすぐさま日本に燃え広がり、国土が戦場にされるという流れがここまで見えているのに、熱心な平和運動家でも目を背け続けるのはなぜだろう?あえて目の中に3枚くらい鱗をつけてでも、旧態依然とした活動にとどめたい理由があるのかと考え込んでしまう。言いすぎだと反発してもらってもいい。その怒りついででいいから、今回の短い映像を見て、この後の文章を最後まで読んでほしい。

 今回の動画は、沖縄本島のど真ん中に位置する沖縄市の「弾薬庫建設反対」緊急集会だ。沖縄市と言えば、極東最大の空軍基地「嘉手納」の門前町として発展した地域で、米軍が闊歩し多国籍な空気の漂うコザという町が中心にある。占領時代には、鬱積した米軍の圧政に反発したコザ騒動があった場所としても知られている。その最も人通りの多いコザの十字路で、1月25日夕方、急遽「自衛隊の弾薬庫建設反対市民集会」が開かれた。

 広大な嘉手納基地を抱える沖縄市の、どこに自衛隊の基地があったのか? と思った県民も多かったと思う。嘉手納弾薬庫の一角が返還された場所に、陸上自衛隊の射撃訓練場が設けられ「自衛隊沖縄訓練場」という名前であることを私も今回初めて知ったのだが、そこに補給拠点を設けるための検討費用が2億円計上されたのだ。補給拠点とは、弾薬や航空燃料などを備蓄し、前線に補給する拠点である。要は米軍の嘉手納弾薬庫の隣に日本の弾薬庫を造っていこうという話だ。去年、すでに嘉手納弾薬庫と辺野古弾薬庫を自衛隊も共同使用することが決まっているが、それだけでは想定される戦闘を継続するのに到底足りないということなのだろう。自衛隊用地の中にも今後、大量の火薬類を運び込まないことには「持久戦ができない」というのが防衛省の見立てなのだ。

 「持久戦」とは何のことか? 安保3文書を受けて軍事戦略の専門家がメディアで提案していた「統合海洋縦深防衛戦略」という計画を聞いて私も愕然としたのだが、日本は攻撃を受ける事態になっても、すぐに白旗を上げて戦争を終わらせるわけにはいかないということで、防衛研究所・防衛政策研究室長の高橋杉雄さんが作戦を示している。彼の言い方はこうだ。

 米中の対立になった時に、アメリカは勝てるのか? 勝てないのか? 高橋氏によれば、中国の戦力は米軍の7割だから勝てはするそうだ。ただし、世界中に配置されているアメリカ軍がすべて直ちに中国戦に参加するわけにはいかないから、かれらが駆けつけるまでに日本は半年~1年時間を稼げばよい、として「統合海洋縦深防衛戦略」を推奨する。「縦深作戦」つまり、一定の攻撃を覚悟しながら敵を縦に誘い込んで長期戦に持ち込む戦略をとる、という話なのだ。

 私は沖縄戦の本を書くにあたって必死に旧日本軍の古い資料を読む中で「縦深作戦」という言葉に初めて出会った。例えば1944年のサイパン戦までは、日本軍は敵の上陸を何としてでも阻止したいと、島の海岸線の防御を重視した。だが物量に勝る米軍にすぐに突破され、上陸されたらあっという間に組織的な戦闘は終わってしまった。その教訓から日本軍は島嶼防衛の形を切り替えた。結果は同じ玉砕であっても、いくつも防御ラインを設定して敵を中心部まで誘い込む「縦深作戦」に転換。その結果、沖縄戦はあのような戦いになったのである。

 上陸地点となった北谷~読谷の海岸線で日本軍は全く抵抗することなく、米軍の上陸を許し、順番に日本軍の布陣する砦に誘い込んで司令部のある首里に向って戦線を徐々に南下させていった。確かに「長く敵の足を止める」「多くの出血を強いる」縦深作戦の狙いは達成したかもしれない。しかし長く内陸部に引き込んで戦う戦略は、住民に多大な犠牲が出る。それが予想できたにもかかわらずに縦深作戦を採用した責任者は、戦争犯罪を問われるべきではないだろうか? 残酷な作戦を発案・遂行したものは、今からでも追及されるべきと私は思っているくらいだ。

 問題なのは、自衛隊が沖縄戦の歴史からその反省を引き出した形跡があまり見られないことだ。国外向けのみならず、国内向けにも戦争の責任をうやむやにしたツケが、こんなところにも現れている。まさか令和の時代になって、再びこの「縦深作戦」なる言葉が、自分の生きていく場所を舞台に軍事専門家によって語られなおすとは! 米軍が来てくれるまでの時間稼ぎ!? 戦略家は、最後に勝てばよい、と考えるものなのだろうか?

 制海権も制空権も危うくなった場合には、島嶼の闘いは備蓄してある弾薬や燃料・食料が尽きれば戦闘は終了である。だから平時に備蓄しておかねば話にならない。対中国戦になったら、日本は西側諸国の期待に応えて、持久戦を覚悟しなければならないらしい。負けてもらったら困る、と物資を送り込む他国の応援も受け入れながら、ウクライナのように、白旗など上げられない終われない戦争になる可能性が高い。だから、弾薬庫をどんどん造る意味をちゃんと理解したい。弾薬が豊富にあれば自衛隊も心強いだろうなどという話ではない。十分な備蓄があれば持久戦が展開できる、やがて米軍が本気を出して加勢してくれるだろうから、最後は勝てるだろうという作戦を可能にするための準備なのだ。

 それって、冗談じゃない。これではまるで沖縄戦の二の舞である。沖縄の人々は当時砲弾の雨の中でも、ここは厳しい闘いでも日本全体では勝っているのだろうと信じていた。こちらに向かっている戦艦大和さえ逆上陸してくれれば一機に形勢が逆転すると信じて待っていた。とっくに沈んでいる大和を待っていたのは住民だけではない。騙されて闘っていた沖縄戦の日本兵たちも、加勢が来ると信じて歯を食いしばっていたのだ。その歴史を知っていながら、なぜそんな涼しい顔をして「縦深作戦」などと言えるのか。防衛省の専門家は当然、過去の日本軍の戦略を熟知している。わかっていながらも、「こうすれば勝てる」と考えてしまうのが軍人脳だとしたら、到底ついていけない。そんな判断を信じて命を預けるなどできっこない。

 弾薬庫をどんどん造っていくことがなぜ怖いのか? 暴発の危険、もちろんある。爆発の連鎖で敵の攻撃以前に死者が出ることもある。しかし一番の恐怖は、有事には真っ先に攻撃対象になることだろう。ただし、それだけではない。たくさん備蓄があると、軍の上層部は「3カ月は持つ」とか、「半年は戦える」と考えるものなのだということを肝に銘じておくべきだ。どういう戦争が想定されているのか、私たちは考えないといけない。それはシェルターでしのげる期間なのか? 逃げるタイミングはあるのか? ところで同じ国内に、安全なエリアなどあるのか?

 そこまで考えをめぐらさずとも、結局答えは最初から一つしかないのだと思う。他の国がどう言おうと、隣の国とは仲良くするしかないということ。腕力を使って相手の考えを変えさせるという発想は、ここまでフォーメーションが見えてきた段階では命取りにしかならない。これは、「家の近くに弾薬庫ができたら嫌だよね」という個別の基地負担レベルの話ではないのである。

 弾薬庫の問題は、今後日本中で持ち上がってくるだろう。先週発表されたばかりだが、防衛省は敵基地を攻撃可能な「スタンド・オフ・ミサイル」も保管できる大型の弾薬庫を大分市の陸上自衛隊大分分屯地と青森県むつ市の海上自衛隊大湊地方総監部に2棟ずつ新設する。このほかにも、奄美の陸上自衛隊瀬戸内分屯地や、海上自衛隊の横須賀地方総監部や舞鶴地方総監部にも弾薬庫を新たに整備する計画だという。

 「有事に組織的な戦いを継続する能力を確保する」ために58億円の経費で5年かけて弾薬庫を増設するとニュースを耳で聞いて、これが「国土を戦場にする時間稼ぎの縦深作戦に備えたものだ」と理解できる人はどのくらいいるだろうか。

 世界中のどの戦争も、国民に問うてから始まったものはない。あの沖縄戦のように、私たちは知らぬ間に戦争のど真ん中に叩き込まれるかもしれない。でも、これだけの戦争準備に反対しなかった今の日本国民は、すでに戦争を覚悟していたと後世の人々にはジャッジされても仕方がない。戦争を肯定したつもりなんてないのに始まってしまうなどとんでもない、と思うならば、戦争の準備がどこでどう進んでいるのか、ちゃんと把握して、わかった人から隣の人に伝えて行こう。そして戦争を止める心の準備をしておこう。みんなが日々の選択肢の中で戦争から遠ざかることだけを選びとり、戦争に近づく芽を逃さず摘んでいく感覚を備えていけば、軌道修正は不可能ではないはずなのだから。

三上智恵監督『沖縄記録映画』
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標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』『沖縄スパイ戦史』――沖縄戦から辺野古・高江・先島諸島の平和のための闘いと、沖縄を記録し続けている三上智恵監督が継続した取材を行うために「沖縄記録映画」製作協力金へのご支援をお願いします。
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三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。14年にフリー転身。15年に『戦場ぬ止み』、17年に『標的の島 風(かじ)かたか』、18年『沖縄スパイ戦史』(大矢英代共同監督)公開。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)、『女子力で読み解く基地神話』(島洋子氏との共著/かもがわ出版)、『風かたか 『標的の島』撮影記』(大月書店)など。2020年に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社)で第63回JCJ賞受賞。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)