第255回:気球騒動記(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

『赤い風船』ならいいけれど

 ずいぶん前のことだけれど、浅田美代子さんというアイドルがいた。彼女のデビュー曲が『赤い風船』だった。やや頼りない歌唱力が逆に魅力になって(?)大ヒットした。ぼくはそのころ芸能雑誌の編集者だったので、彼女とはずいぶん親しくしていた…。
 まあ、それはぼくの古い思い出。そんな可愛い「風船」なら大歓迎なのだが、このところ「風船」ならぬ「気球」が国際問題になっている。
 「気球」を巡って、スパイだの偵察機だの、なんだのかんだのと大騒ぎ。アメリカがとうとう撃墜してしまい、戦火の火蓋が切って落とされそうな状況になった、というのだから穏やかじゃない。
 まったく、騒ぎ立てる政治家ってヤツは手に負えない。

気球撃墜!

 発端は2月4日、米国防総省が「アメリカ南東部サウスカロライナ州の沖合で、中国製の気球を撃墜した」と発表したことだった。4日午後、米国F22戦闘機が短距離空対空ミサイルを発射、気球を撃墜して残骸を回収した。これに対し、中国側は強烈に反発、強硬な報復手段をとると応じた。こうなると、双方引っ込みがつかない。例によって非難合戦。簡単には収まりそうもなくなった。
 実はその数日前から、アメリカ国内上空に浮かぶ気球がSNS上でも話題になり、UFOだ、気象観測気球だ、いやスパイ用だ…と喧しかった。
 しかし同様のものは、これまでも何度も目撃されていた。それをUFOに見立てて楽しんでいた人たちもいたくらいだった。ま、UFO説ならなんとなく“異星人ロマン”で盛り上がれる。けれど共和党が「これは中国のスパイ気球だ。その証拠に、米軍の機密基地の上を狙って飛んでいる」と注目し、民主党の対中国強硬派も同調、「すぐさま撃ち落とせ」と主張したことから世論が湧き上がった。
 これが実際にスパイ気球なのかどうかははっきりしない。最初はスパイだと断定していた米国政府だが、4つも連続して撃墜してしまってから、どうも雲行きがおかしくなってしまった。

 14日には米情報機関が、「4日に撃墜した気球以外の3つの飛行物体は無害だった可能性がある」と分析結果を発表したのでややこしい事態になった。つまり、ひとつは気球ではなく無人飛行体、あとの2つは商用気球か気候観測用だったかもしれないというのだ。そして残骸回収は難航中だという。
 さすがに無害のものを撃墜してしまっては具合が悪い。アメリカ側の態度が、やや軟化し始めた。
 だいたい、米国側の発表も釈然としない。最初の気球の残骸は回収したが、あとの3つの飛行物体の残骸は回収できなかったというのだ。しかし、追尾して撃墜したのだから、墜落場所などは、米側は把握していたはず。それが「回収できなかった」というのは不自然だ。つまり、回収して調べても「スパイ気球」であるとは言えないので「回収できなかった」と言ってごまかした可能性もあるとの指摘もある。

えっ、1200ドルの気球?

 撃ち落とされた中国側だって黙っちゃいられない。
 「中国沿岸の気候観測用の気球が、風向によって設定コースを外れ、予期せぬ方向へ飛んで行ってしまっただけ。スパイ機能なんかついてはいない」と主張。さらに「米側もこれまで、中国近辺に10個以上の気球を飛ばしてきているではないか」と指摘した。こうなるともう水掛け論。
 きちんとした証拠を示せぬ限り、水掛け論にケリはつかない。両国間の不信感と対立感情が高まるだけだ。
 米国内の強硬論に乗せられて撃墜したのはいいけれど、さてどうしたものか?
 バイデン大統領もそれは承知。なんとか振り上げた拳の下し方を躍起になって探っているようだ。
 毎日新聞(17日夕刊)は、次のように書いている。

 バイデン大統領は16日、米軍が南部サウスカロライナ州沖で撃墜した中国の気球について、「中国軍と関係がある高度偵察気球の一つだ」と断定し、「我が国の主権を侵害する行為は容認できないという明確なメッセージを送って撃墜した」と述べた。「撃墜したことを謝罪するつもりはない」とする一方で、この問題などを中国の習近平国家主席と協議したい意向を示した。(略)
 そのうえで、米中関係について、競争が紛争に発展しないように責任をもって管理したいとの考えを示し、「習氏と話すつもりだ。真相を解明したい」と語った。(略)
 一方、米軍が10日から3日連続で撃墜した三つの飛行物体については、「中国や他の国の偵察活動であることを示すものはない」とし、民間企業や気象を調査する研究機関などの気球だった可能性が高いという情報機関の評価を紹介した。(略)

 だいたい「中国や他の国」というのだから、中国以外の国の、それも民間の商用気球だった可能性もあるということだ。共同通信が17日に配信した記事が面白い。

 米国の愛好家団体が飛ばした気球が11日から行方不明となっており、カナダ北西部で米軍のF22戦闘機がミサイルで同日撃ち落とした物体ではないかとの憶測を呼んでいる。米メディアが16日伝えた。愛好家らの気球は安いもので12ドル(約1600円)ほどだといい「12ドルの気球を1発40万ドルのミサイルで撃ち落としたのか」とやゆする報道も出ている。
 気球が行方不明になったと明らかにしたのは、米中西部イリノイ州の団体。幅80センチの小さな気球に無線機を取り付けた「ピコ気球」と呼ばれる気球を飛ばし、そのうちの一つが11日に米アラスカ西海岸近くで音信不通となった。

 この報道の信憑性は分からないが、米軍があとの飛行体の残骸を公表しないのは、そんな事情があるのかもしれない。こうなると、煽られた世論に迎合した政府米軍が引っかかった苦い笑い話としか思えない。
 バイデン氏は、一応は強気な発言をしているが、実は4つのうち3つは「誤爆」だったことを匂わせている。だから「謝罪しない」とは言いながら、もし“バイデン・習近平”会談が実現すれば、なんらかの釈明をせざるを得ない。そこは、水面下の打ち合わせで、双方が落としどころを探っている。
 実際、18日には、ブリンケン米国務長官と王毅中国外交責任者が、訪問先のドイツで会談し、ブリンケン氏は中国を非難しながらも「両国が緊密な連絡を取り合うことが必要」ということで合意したという。つまり、お互いに強い口調で非難し合いながらも、テーブルの下ではこっそり手を握り合っている、というわけだ。
 アメリカは、対ロシアでウクライナに対し巨額の援助を行っていながら、中国と新たに事を構える余裕などない。中国も、コロナ政策の失敗や、少子高齢化の急速な進展で、とてもアメリカとの対立を激化させることは出来ない。
 愛国を標榜する者たちの煽動がいかに恐ろしいものか。それが世論という形をとった時、「撃墜」などというキナ臭い事態が起きる。

日本政府のアホさ加減

 それにつけても呆れ返るのは、日本の政治家たちの言動だ。
 アメリカが当初、中国気球撃墜というかなり厳しい対応を見せたことに、自民党の国防族は何の検証もなく追随した。例によって「撃墜だあー、撃ち落とせーっ!」と喚き始めたのである。少しは冷静に状況を見てから判断すべきなのに、ただ単に「アメリカが撃墜したんだから、我が国も気球なんか撃墜だ。これまで何回も中国気球を我が国上空を通過しているじゃないか」である。
 頭へ血が上れば、いったい何をするか分からない連中、怖くて仕方がない。

 かつて河野太郎氏が防衛相だった時に、これと同様の気球に関して問われ「どこへ行くかは、気球に聞いてください」と、例によって人を小馬鹿にした答弁を、へらへら笑いながらしたではないか。政府にはまったく危機感などなく、気象観測気球が流れてきただけとの認識だったのだ。
 ところが、アメリカが「撃墜」したと聞くや、「我が国も撃墜だ。ミサイルを使用しろ」などと豹変。これを呆れなくて、いったい何を呆れたらいいのやら。なんでもアメリカ様に従えばいい、というだけの思考停止。
 前述したように、アメリカは「米中首脳会談」で事態の鎮静化を図ろうとしている。そうなれば、日本だけが強硬策の赤っ恥ということになる。
 朝日新聞(18日付)に、こんな記事があった。

 外国の気球などによる領空侵犯を想定し、政府は武器使用の要件を緩和した。米国が中国の気球を撃墜してから2週間で早急に対応した。(略)
 浜田靖一防衛相は17日の記者会見で、武器使用の要件を緩和する意義を強調した。「無人機や気球といった多様な手段による領空への侵入の恐れが増すなか、国民の生命・財産、我が国の主権を守るために一層、厳正に対処してまいりたい」
 これまで自衛隊法84条に基づき、外国の航空機による領空侵犯に対し、武器を使えるのは「正当防衛」か「緊急避難」の場合に限っていた。(略)
 しかし、米国が4日に中国の気球を撃墜したことをきっかけに、防衛省は「安全保障上の空白」を認識。16日に無人機への武器使用の要件を緩和する方針を示した。「地上の国民の生命・財産」や「航空路を飛行する航空機の安全」などを守るためには、正当防衛や緊急避難にあたらなくても使用を認めるとした。(略)

 例によって、なんの法的裏づけもせずに、ともかくやっちまえ! である。
 自衛隊法84条では攻撃対象はあくまで外国から来たもの。しかし、民間機の領空侵犯に対しては、国際条約で武器使用は認められていない。
 つまり、「外国の無人機でしかも軍事目的であること」が攻撃の必要条件となる。これをどうやって識別するのか。さらに、「国民の生命・財産が危機に瀕している」との根拠は何か。
 これらのことを、なにも決めないまま「武器使用を認める」というのは、そうとう乱暴な話だと思う。

危機には冷静になれ!

 どうも岸田政権は、判断は遅いしやることは後手後手に回るケースが多いのに、なぜかわけの分からないことは即決判断する。統一教会問題、LGBTQやジェンダー問題、少子化対策などに関しては、もう気が遠くなるほど遅いのに、慎重に判断しなければならないことに関しては、何も考えずにあっさりと踏み込んでしまう。
 防衛費倍増、原発稼働期間延期や新増設、マイナンバーカード、沖縄の軍事基地化、インボイス制度、高齢者保険料値上げ、その他もろもろ…。

 政治家は危機の時ほど冷静でなければならない。
 大切なことは十分に議論した上で決めなくてはならない。
 だが岸田政権は冷静さを失ってすぐ熱くなる。
 大事なことほど議論もなく決めてしまう。
 岸田政権は自ら危機を創り出している。
 こんな政権に任せておいては日本国が危ない。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。