昨年末、政府は国の安全保障政策に関する「安保関連3文書」(「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略(旧防衛計画の大綱)」「防衛力整備計画」)を閣議決定しました。反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有、防衛費の大幅な増額など、戦後日本の安保政策を根本から変える内容。国是とされてきたはずの「専守防衛」を踏み越えるもので、平和憲法に反しているとの批判も起こっています。それは、果たして本当に私たちの安全を高めるものなのか。元防衛官僚の柳澤協二さんにお話をうかがいました。
「結論ありき」で進められた3文書閣議決定
──昨年末に閣議決定された安保関連3文書には、「日本に向けてミサイルが発射された」場合に、相手国のミサイル発射基地を攻撃できる能力(「反撃能力」)の保有が書き込まれ、防衛費の大幅な増額も示されるなど、これまでの日本の安保政策を大きく踏み越えた内容が書き込まれています。柳澤さんはこれについて、どうご覧になりましたか。
柳澤 本来、この3文書というのは、日本の安全保障とはどういうものなのかという基本方針が先にあり(国家安全保障戦略)、そのために何をしていくのか(国家防衛戦略)、そしてその一部としての防衛力を具体的にどの程度備えるか(防衛力整備計画)という流れで検討・策定されるべきものです。ところが、今回決定された3文書を見ると、まず反撃能力の保有や防衛費の増額による防衛力増強という結論が先にあって、それを理由づけるための防衛戦略を設定し、さらにそれに合わせて安全保障の基本方針を決める……という流れになっている。議論の順番がまったく逆だという印象を受けました。
──防衛費増額などの「結論ありき」だということですね。戦後の安保政策全体の大転換だともいわれています。
柳澤 もちろんそうでしょう。反撃能力の保有など、私は完全に専守防衛の逸脱だと考えています。ウクライナ戦争などを受けて戦争への不安が広がる中、「今までと同じことをやっていたのでは安全が守れない」と感じる人が増えている。「だから、抜本的に力を付けて、戦争をできる国にしよう」というのが政府の発想ではないでしょうか。
──そうした方向性は、アメリカの圧力もあってのことでしょうか。
柳澤 もちろん、アメリカも同盟国である日本が防衛力を強化することを歓迎し、評価はしているでしょうが、直接的に圧力をかけてきたというわけではないでしょう。むしろ第二次安倍政権以降は、日本政府のほうが前のめりに、イニシアティブを取って「防衛力強化」の方向に動いてきたように思えます。
戦後しばらくの日本には「とにかくもう戦争は嫌だ」という思いが広くあって、政治家も戦争経験があれば、政治的な立場にかかわらず「戦争だけは絶対ダメだ」という発想を共有していたと思います。それが近年、戦争を知らない世代が意思決定を担うようになって、そうした歯止めがなくなってきたのではないでしょうか。
国民の側も、私のような戦後すぐの生まれはまだ「戦後の平和のおかげで経済発展して生活がよくなってきた」という実感があり、「平和憲法」と「生活」が自分たちの中で結び付いていました。ところが、今の若い世代にはそうした実感もない。その中で、中国がどんどん力を付けてアメリカに追いつこうとしている、日本の国際的な地位が弱くなっているといった状況もあって、「もっと軍事力を付けなくては世界から舐められる」という考えが広がっているのではないかと感じます。
反撃能力の保有をめぐる、さまざまな矛盾と疑問
──先ほど、反撃能力の保有は、専守防衛の逸脱だとおっしゃいました。政府は、反撃能力の保有も含めて「専守防衛の範囲内」であり、憲法の平和主義にはまったく変更はない、としています。
柳澤 今はミサイル戦争の時代ですが、ミサイル技術の発達で、以前のように「飛んできたミサイルを迎撃する」ことが難しくなっています。そのため、ミサイルが発射される前に相手国のミサイル基地を破壊しないといけないということで、敵基地攻撃の議論が出てきたわけですね。
そして、敵基地攻撃の際には「相手が日本に対する攻撃に着手した」ことが前提になるのだから、これは専守防衛の範囲内であって、憲法にも反しないというのが政府の主張です。しかし、ここには矛盾や疑問がいくつもあります。
──どういうことですか?
柳澤 まず、「ミサイルが発射段階にある」ということは、人工衛星からの情報などによってある程度はわかるかもしれません。しかし、そのミサイルがどこに向かって飛んでくるのか、つまり本当に日本を狙ったものなのかどうかは、発射されてからでないとわからないのです。
では、どうやって「相手が日本に対する攻撃に着手した」と判断するのか。政府は「個別具体的に、そのときの状況に応じて判断する」と説明しています。それはつまり、状況証拠で判断するということですね。でも、状況証拠による判断に「絶対に間違いがない」なんてあり得ません。もし、本当は別の場所に向かっていたミサイルを「日本を狙っている」と誤判断して反撃してしまったら、「先制攻撃」したのは日本の側だということになってしまうのではないでしょうか。
──そうなれば、国際的な非難を受けることになりますね。
また、相手が「攻撃に着手」してからこちらのミサイルを飛ばして、果たして発射前に間に合うのか、という問題もあります。そう考えると、そもそも「攻撃されたときにだけ反撃する」なんていうことが可能なのか? とも思えてきますね。
さらに言えば、なんとか「反撃」がうまくいって、相手のミサイル基地を破壊するのに成功したとしても、それで終わるわけではありません。相手国の基地がそこだけのはずはありませんから、他の残った基地から必ず報復のミサイルが飛んでくる。「敵基地」と簡単に言いますが、これはつまり、相手国の本土を攻撃するということ。そうしたら当然、相手だって日本の本土に反撃をしてくるでしょう。そうしてミサイルの撃ち合いが拡大し、私たちの頭上にもどんどんミサイルが降り注ぐ。そういうことになっていくのは目に見えています。
「ミサイルの数を増やせば、抑止力が高まる」わけではない
──岸田首相は、反撃能力の保有そのものが「相手に攻撃を思いとどまらせる抑止力となる」とも述べていました。
柳澤 岸田首相を含め政治家の一部は、保有するミサイルの数を増やせばその分抑止力が高まると思っているようですが、それはまったくの誤りです。
抑止というのは、「うちの国を攻めてきたら倍返しにするぞ、ひどい目に遭わせるぞ」といって相手に攻撃を思いとどまらせようとする、ある意味で非常に恐ろしい概念ですが、それが効果を持つかどうかは「こちらがどれだけの軍事力を所有しているか」ではなく「相手がそれをどう受け止めるか」によって決まります。そしてそこには、互いの錯誤や誤算、思い込みが働く。結果として抑止が破綻してしまう可能性は、非常に高いのです。
たとえば、こちらが軍事力を上げることで、逆に相手が「早いところやっつけてしまわなければ」と追い詰められて、かえって攻撃を呼び込む可能性もあります。あるいは、相手がこちらの軍事力を見誤って「大したことないや」と判断して攻めてくるかもしれない。そもそも、相手が「どんなひどい目に遭わされたとしても、これだけは譲れない」と、攻撃への強固な意志を固めていれば、いくらこちらが軍事力を上げても意味はありませんよね。
にもかかわらず、抑止力をミサイルの数だけで計れる定量的なものだと考えてしまうと、終わりなき軍拡競争になります。相手が3発持っているからこちらは6発、そうしたら向こうも6発備えてきたからこちらは12発……とエスカレートしていく。しかも、そうなってさえ抑止が働くという保証はまったくないわけです。
──「これだけミサイルを備えれば安心」ということは、絶対にないわけですね。
柳澤 そのとおりです。そして、これまで日本が掲げてきた「専守防衛」には、「攻撃を加えられたときには抵抗するけれど、こちらからは攻め込まない、他国の本土にまではダメージを与えない」という意味合いがありました。それが他国に対する「だからあなたたちの国も、日本の本土を攻撃するなんていうことは考える必要はないですよ」というメッセージにもなっていた。つまり「専守防衛」は、相手の「やられるかもしれない」という恐怖が戦争の引き金を引くことを避ける手段になっていたわけです。
それをかなぐり捨てて、「攻めてきたらやり返すぞ、相手国の本土にまでダメージを与えるぞ」というメッセージを出すというのは、「やるならやってみろ」と煽っているのと何も変わらない。「反撃能力」の保有を決め、しかもそれを前面に押し出すというのは、安全を確保するための政策としては誤りとしか言えないと思います。
防衛費増額で、「国力」は上がる?
──安保関連3文書では、防衛費の大幅な増額も示されています。2023年から5年間の防衛予算は、現状の約1.6倍の43兆円と設定されました。
柳澤 これも、先に「43兆円」という金額ありきで進められてきたように思います。本来なら、こういう理由でこれだけの兵器が必要で、人件費や修理費がこれだけかかって…と、全体のバランスを見ながら金額を積み上げて、初めて「これだけの予算が必要です」という話にならなくてはならない。それなしに「増額します」というのでは、軍事的にもまったく意味がありません。
──一応、NATO諸国に倣って対GDP2%にまで引き上げる、という数字が目安として出てきていますけれども……。
柳澤 対GDP1%では危険で、2%なら安全で、なんていう議論は成り立ちません。それに、2%に増やしたところで、たとえば中国の軍事力にははるかに敵わないわけで、これもまったく意味のない数字だと思います。
これまでの対GDP1%でも、日本の防衛費は世界第9位と、かなりの規模でした。それを倍の2%にしたとすると、アメリカ、中国に次ぐ世界第3位になります。1位、2位とは大きな開きがあるとはいえ、核兵器を持っているロシアやインドよりも上位に来るわけです。
今、日本はGDPの倍以上、約1200兆円の借金を抱えているといわれます。そんな国が、「防衛費を倍増して国力を上げるんだ」なんて言って、世界第3位の軍事大国になろうとする。これは、すごく危ない国のあり方だと思います。毎日の生活が苦しいのにピカピカの高級車に乗っているようなもので、健全とはとてもいえないですよね。
──物価高などで国民の生活がどんどん苦しくなっている中、防衛費増額のための増税も叫ばれるなど、非常にいびつだと感じます。
柳澤 そもそも、「国力を上げる」というなら、少子高齢化を先になんとかすべきでしょうし、4割にも満たない食料自給率や、1割強しかないエネルギー自給率ももっと上げることを考えるべきではないですか。国力というのは本来、そういうところからできてくるものだと思います。いろいろな要素をバランスよく取り入れて、調整していくのが政治の役割なのに、そこがまったく崩れてしまっている。このままでは絶対にいつか破綻がやってきて「防衛栄えて国滅ぶ」みたいなことになりかねません。
──しかし野党も、増額の規模や財源に疑問は呈しても、増額そのものには反対しないという姿勢が目立ちます。
柳澤 世論調査などで、増税はともかく「増額」には賛成する国民が多いという結果が出ている(※)から、それには逆らわないでおこうということでしょうか。しかし、そんなやり方で自分たちの政策を決めるような野党なら、私はいらないと思います。むしろ、「政府はこう言っているけれど、これはこういう理由でおかしい」と切り込み、自分たちが考える「日本の進むべき方向性」を提示して、世論の方向性のほうを変えていく。それが本来の野党の役割ではないのでしょうか。
※2022年末の各社調査結果。2023年1月のJNN世論調査では、増額に「賛成」が39%、「反対」が48%と逆転した。
「安心供与」で、戦争の必要性をなくす
──ただ、おっしゃるように世論調査で、防衛費倍増に「賛成」の意見も多いのは、ウクライナ戦争など不安の要素が大きいからだと思います。その不安を少しでも減らすために、何らかの変化が必要だと考える人は多いのではないでしょうか。
柳澤 ウクライナ戦争だけではなく、北朝鮮のミサイル発射や台湾有事への危機感もあって、戦争への不安がかつてなく大きくなっている時代だというのは事実だと思います。ただ、「だから戦争に備えて軍事力をつけよう」と考えるのか、「だから戦争を回避するために努力しよう」と考えるのか、本来ならそこには二つの選択肢があるはずです。
にもかかわらず、今はその前者ばかりが議論されるという、問題設定そのものが非常にゆがんだ状況にあると思います。最初に、今回の3文書は戦後安保政策の大転換だという話をしましたが、見方を変えれば「とにかくアメリカと仲良くしながら軍事力を高めて安全を確保しよう」という方向性は、これまでと何も変わっていないんですね。
そうではなく、さらに抜本的なところを転換させて、武力だけではない別のやり方で安全を高める方法を、本気で追求するべきではないでしょうか。それはつまり、外交の力ということです。抑止の考え方を全否定するわけではありませんが、戦争を防ぐには、そこに外交の力を組み合わせる必要が絶対にあると考えています。
──安保関連3文書にも、一応は「外交」について書かれていますが……。
柳澤 しかし、その内容は簡単に言えば、アメリカなどとともに「中国を封じ込めて排除しよう」というだけのもの。それは外交とは言えません。今のように「とにかく軍事力だ」という勇ましい雰囲気の中で議論が進んでいくと、「自分たちは強くなった」と勘違いして、自分の言いたいことだけ言うのが外交だと思い込んでしまうのかもしれない、と思います。
抑止を補い、戦争を防ぐための外交において、考えるべきは「安心供与」だと思います。これは、簡単に言えば「戦争の必要性をなくす」ということ。つまり、戦争が起こるときには、必ず双方に「戦争をしてでも守りたい、実現したい」と考えている欲求が存在します。「こちら側はそれを絶対に脅かさない」と約束することで、相手に安心を供与し、戦争する理由そのものをなくしてしまうわけです。
──具体的には、どのようなことでしょうか。
柳澤 たとえば、日本で今「戦争になるかもしれない」という不安が広がっている理由の一つは、台湾有事だと思います。
台湾と中国が対立を深めていて、軍事衝突が起こるようなことになれば、アメリカが「台湾防衛」を掲げて軍事介入し、米中戦争になるかもしれない。日本も、在日米軍基地の使用を認める、自衛隊が米軍とともに行動するなどの形でアメリカに協力することで、戦争に巻き込まれるのではないか──ということですね。
しかし、そもそもこの「有事」の原因は何でしょうか。中国にとっての、一番の「戦争をしなくてはいけない理由」は、「台湾の分離・独立を防ぐこと」です。アメリカも、中国が武力行使しなければ軍事介入はしませんから、「台湾の分離・独立」がなければ、そもそも軍事的な衝突は起こらないことになります。
もちろん、台湾には台湾の「中国に併合されたくない」という欲求があります。しかし、だからといって戦争をしたいわけではないでしょう。だから、そこをうまく折り合わせて、「中国は台湾を武力で併合しない、しかし台湾も分離・独立を追求しない」というところで中国と台湾、そしてアメリカが合意できれば、そもそもの台湾有事の動機がなくなってしまうことになるわけです。
国民の命は、政治家のものではない。
戦争を防ぐための、具体的な政策論を
──日本も、その合意を実現するために尽力して、戦争を防ぐということでしょうか。
柳澤 私は、それが今の日本にもっとも必要なことだと思っています。「外交で平和を」というと「弱腰だ」と批判されたりしますが、これは決して簡単なことではありません。まずは、当事者が戦争をしてまで欲しいものは何なのか、それぞれの要求や「これ以上踏み込んだら戦争になる」という「レッドライン」を正しく認識する。そして、「お互いに戦争をしたって得なことはないでしょう」とあちこち説得しながら、当事者が納得のいくぎりぎりの合意点を探り当てていく。これはいわば「外交のアート」のようなものです。
また、日本だけでなく、韓国やフィリピンなど、アジア諸国はみんな米中の戦争なんて起きてほしくないと思っているはずですから、そうした国々を巻き込んで、「戦争を起こさない」という国際世論を作っていくこともできるでしょう。意見の違いはなくならなくても、その対立が戦争という形に発展していくことは、外交によって止められるはずなのです。
──しかし、これまでの日本の外交姿勢からすると、アメリカに対して異を唱えたり、説得したりするようなことができるんだろうか? とも思ってしまいます。
柳澤 たしかにそうですが、前例がないわけではありません。たとえば1987年に成立した米ソ「中距離核戦力全廃条約」では、調印に向けた過程の中で、アジアにおける軍縮をめぐり当時の中曽根首相がレーガン米大統領(当時)に出した書簡が交渉の内容に影響を与えたことがわかっています。
「今までやったことがないからできない」のではなく、今までやったことがないようなことをやらなくては安全が守れない、そういう時代になっているのだと思います。現政権はその「やったことがないようなこと」を「軍事力を持つこと」と考えているのだと思いますが、その前に、これまで軽視され続けてきた外交の可能性を、もっと議論していく必要があるのではないでしょうか。
少し前にロシアのプーチン大統領が、今回のウクライナ戦争で戦死したロシア軍兵士の母親たちと面会したときにこんなことを言っていました。「人は誰でもいつかは死ぬ。交通事故でもアルコールでも、多くの人が死んでいる。問題はどう生きたかなんだ」と。
あなたたちの息子さんはちゃんと意味のある生き方をしたんだからいいだろう、要は「名誉の戦死」を遂げたんだ、ということなのでしょうが、私は今までの人生で聞いてきた中でも、もっとも許すことのできない言葉だと思いました。兵士の人生はプーチン大統領のものではない。戦争のときには、必ずそうした主客転倒が起こるんですね。
──戦争になれば、戦争を始めることを決めた人たちではなく、一般の市民の命が犠牲になる。それは、ロシアだけのことではありませんね。
柳澤 そのとおりです。国民の命は政治家の持ち物ではありません。すべての国の政治家は、そうした「命への畏れ」のようなものを持っていなくてはならないと思います。
その「命」を守るために、なんとしても戦争だけは防がなくてはならない。これは、私の原点にある思いでもあります。ただ、そのために「平和を守ろう」と言っているだけではだめで、どのように戦争を防ぐのかという、具体的な政策論が求められているのではないでしょうか。今こそ、「国際社会からなめられないように軍事力を」などという感情論ではなく、理性と知性をこそ働かせて、外交の力を発揮するときだと思います。
(取材・構成/仲藤里美)
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写真提供/新外交イニシアティブ
柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ)1946年生まれ。元内閣官房副長官補・防衛庁運用局長。歴代内閣の安全保障・危機管理関係の実務を担当。現在、国際地政学研究所理事長、「自衛隊を活かす会」代表を務める。『自衛隊の転機 政治と軍事の矛盾を問う』(NHK出版新書)、『新・日米安保論』『非戦の安全保障論 ウクライナ戦争以後の日本の戦略』(ともに共著、集英社新書)、『官僚の本分』(前川喜平氏との共著、かもがわ出版)など、著書多数