第116回:海を越えて 世代を超えて~2.26緊急集会に1600人結集~(三上智恵)

「怒りや憎しみの言葉が飛び交う場所には行けない」
 「〇〇反対! 〇〇するな! 出ていけ! などのネガティブワードではない何かを……」
 こんな意見が次々と若い世代から出された。そのたびに運営会議は何度か緊張した場面に直面した。この不協和音は吉とでるのか、それとも? 今までにない展開に私は興味津々だった。

 沖縄を戦場にしかねない国防策が次々に報道される中で、もっと県民全体で声を上げようと企画された緊急集会。安保3文書が出た直後に「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」が個人や団体に呼び掛けて、2月26日の開催に向けて急遽準備組織が動き出した。と言っても、ノーモアの会は連絡係的な存在にすぎず、どんなメンバーで何をやるのか、主眼をどこに置くのか、だれを実行委員長にするのか、全く一から手探りで決めていくその過程は、平坦ではなかった。

 2カ月足らずの間に7、8回の全体会議、運営会議が行われ、正直しんどかった。母体も予算もない個々人の横一線のつながりで、よくも短期間に集会が組めたと思う。最終段階では70以上の団体が「団体として」賛同してくれた形になったが、当初集まったときにはすべての人が、団体に属していても「個人参加」で、回を重ねる準備会に参加してもらって、どんな組織や集会になっていくのか見定めたうえで、団体で参加を決めてくれればという順序だった。すると、最後の一週間ほどでどんどん参加団体が名乗りを上げてきた。駆け込み式に70団体を超え、うれしい悲鳴となった。
 過去の沖縄の大きな県民大会は、いつも県庁や市町村、教職員組合や労働組合などが組織力を発揮してバスを出すなど動員をかけてきたが、このように全く新しいつながり方で集会を開く試みは、かつてなかったと思う。中心になって呼びかけ議事進行を担った山城博治さんら中心メンバーの負担は相当なものだっただろう。

 しかし、思い切って一歩踏み出した人には、必ず同じように踏み出したかった仲間が集まるものだ。今まで辺野古や高江で顔を見るお馴染みの人も、全く初めてお目にかかる方もいて、また会議に参加した年齢層も90代から20代までと実に幅広く、多様な意見が出てどうまとめていくのか気が遠くなる場面もあった。特にこういう場にほぼ参加しない20代、30代が何人も来てくれて、しかも年功序列の風習が強い沖縄社会では珍しく、はっきりと意見を言った。スローガンやデモのあり方が、若い人には入りづらい。言葉が怖い。明るい未来が想像できるような希望の持てる表現を模索したい。怒りや否定ばかりでは……。それに対して理解を示す人がいる一方、戸惑うベテラン勢も多かった。

 「ミサイル反対という代わりにラブとかピースを強調しても目的がぼやけるのでは?」
 「若い人がそうでなければ集まらないというなら、若い人は自分たちでそういう会を持ったらいいんじゃないですか」

 思い切った意見に対して、大先輩たちからこう言われてしまっては、沖縄の優しい若者は普通、遠慮してしまうところなのだが、29歳になる瑞慶覧(ずけらん)長風さんはきっぱり反論した。

 「それは、そっちで勝手にやればいいと、ぼくたちを切り捨てるということですか? シニア層と若者を繋いで大きな力にしようとその方法を考えているのにあまりにも残念です」

 瑞慶覧長風さんは南城市の市議会議員。父親の瑞慶覧長敏さんは元国会議員、元南城市市長で、祖父の瑞慶覧長方さんも長く県議会議員を務めたという政治家一家に育っただけに、肝が据わっている。これに対しては先輩の方も、切り捨てたと思われたら心外です、そんな意味ではなかったと言い直して、会議のあとでも対話は続いていった。ほどなくお互い笑顔で話す関係になっていて、これを見ていたもっと若い人たちはきっと、一瞬対立した形になっても、受け止めてもらえ、乗り越えられるんだという自信になったと思う。運動の現場を取材している中で、あまり見たことがない新鮮な場面だった。

 また別の運営会議の場でのことだが、スローガンを5つに決めようとアイディアを出しあっていたときのこと。「空港・港湾を軍事利用するな!」「安保関連三文書は憲法違反だ!」「ミサイル・弾薬庫はいらない!」などが並ぶ中で、介護の仕事をしながら平和ガイドも務める30代の平良友里奈さんが言った。

 「あの、ひと枠だけでいいので、スローガンを若者に決めさせていただけないでしょうか?」

 7、8種類挙がっているのをどうやって5つにするかでおじさんたちがウンウン唸っているときに、丸々枠ごとくれというのはなかなか思い切った意見だと私も感じていた。具体的な文言はありますか? と聞かれて彼女が出したのが「争うよりも愛しなさい」だった。

 ベテランの女性たちが笑いながら言った。
 「愛しなさいって言われてもね~。沖縄に犠牲を強いる政府を愛せって、無理でしょ」
 「愛しましょう、ならわかるけど、愛しなさいって上から目線じゃない?」

 平良さんは、この言葉は沖縄出身で全国的に人気のラッパーであるRude-α(ルードアルファ)さんの「うむい」(想い)という曲の歌詞にある彼の「おばあの言葉」なので、語尾を変えたりはできないと話す。実は去年、慰霊の日の動画でマガジン9でもこの曲はすでに紹介している。ラップの部分もあるが、全体的には広い世代に受け入れやすい優しい曲調で、沖縄の歴史と平和への思いが歌われているとても素敵な曲だ。しかし会場のほぼ全員がRude-αと言われてもピンとこないようで、議事は暗礁に乗り上げたように見えた。

 そのときに博治さんが空気を変えた。よし、それを一番頭に持って来よう! と言ったのだった。個別の主張とは別に、大きな哲学がまず最初にあってもいいじゃないか。博治さんの英断で、若手の3人の顔がパアッと明るくなった。ちゃんと受け止めてもらった。そう思った瞬間だったのかもしれない。「争うよりも愛しなさい」というスローガンはそんな風に決まった。満場一致ではなかったが、この集会に向けてかなりの時間を費やした準備会議の場で、当初はぎくしゃくしているようにも見えた世代のギャップが確実に埋まっていく過程を目の当たりにした。

 ギャップと言えば、自衛隊が離島に進出しミサイル基地を新設していった問題について、最初から沖縄本島の関心が薄かった。アメリカ軍基地問題を抱えてきた沖縄本島周辺地域は大衆運動の歴史的な積み重ねがあるが、宮古島以西の島々は二大県紙の購読者数も少ないので、軍事基地に抵抗するノウハウが乏しい。私としては、自衛隊増強は南西諸島を戦場にするものなのだから、もっと沖縄全体の問題として早くから取り組むべきだと言い続けてきたのだが、問題が「自衛隊問題」と矮小化されたり、オール沖縄体制の中で日米安保の是非はコンセンサスがないので触れないという問題があったりで、なかなか大事な情報を共有できない恨みがあった。

 それについては、宮古島で自衛隊ミサイル基地問題に早くから取り組んできた上里清美さんが、動画でもぴしゃりとおっしゃっているように、沖縄本島の離島に対する歴史的な差別を持ち出したくなるほどの、長い年月の放置とも言える状況があったと思う。県庁に陳情しても県の問題として報道されず、防衛省に陳情しても沖縄県として動いていないから相手にされない。「人頭税(にんとうぜい)」という、首里王府が離島にだけ強いた残酷な税制を思い起こさせると彼女は言う。離島の人たちは死に物狂いで働いて厳しい税を納めても、翌日から家族に食べさせる分にも不自由したという過酷な制度だった。それが廃藩置県のあとも長らく残っていた。宮古・八重山地域のことはどうでもいいのか? という空しさを、この自衛隊ミサイル基地問題で幾度となく想起させられたのだろう。

 しかし今回は遅まきながら、離島の各現場で闘ってきた中心メンバーに交通費の補助を出して集会に参加してもらえることになった。当日の会場からのカンパで幸いまかなうことができた。おかげで、自衛隊との共存が始まっている与那国島や宮古島、そして今月開所予定の石垣島分屯地の様子などを直接聞く機会を持つことができた。
 なので今回の緊急集会は、世代間のギャップと、離島と沖縄本島のギャップの二つを埋めていく大きな一歩になったという意味でも、歴史的な集会だったと思っている。私の見立ては大げさに聞こえるかもしれないが、参加者の高揚感は、ぜひ動画を見てほしい。ようやくここまで来た。こういう場を作ってほしかった、という意見をたくさん聞くことができた集会だった。

 実は、私たちは1000人を目指すと豪語しながらも、配布資料を500部しか刷っていなかった。それが1600を超えたと聞いたときは感慨深いものがあった。那覇の街に、最後尾が全く見えないほどのデモ行進が進んでいく様を見るのは何年ぶりだろうか。主催者が用意したカードではなく、参加者が持ち寄った思い思いのゼッケンやプラカードも新鮮だった。家族連れや若者が交じっている姿も久々に見た気がする。それだけ、沖縄が戦場になるという危機感が拡がってのことだから単純に喜ぶことはできないが、黙っていては平和は守れない、何もしなければこのとんでもない国防策を受け入れたことになってしまうという認識を共有する人が増えることが、何よりの希望である。

 いつもは打ち上げに来ない具志堅隆松さんも参加した夕方からの交流会では、離島からの参加者も、また若者組の笑顔もあふれていた。次は大きな公園で、数千人単位の屋外の集会を成功させて、夏には万単位の県民大会を目指す。そんな大きな目標も無理ではないかもしれないという話も出て大いに盛り上がった夜だった。

 沖縄が軍事作戦を遂行する側にとって使い勝手が悪ければ、ここを足場に戦争をしようという考えを改めざるを得ない。ここは人の住んでいる島である。是が非でもその考えを改めてもらう以外ない。そのために繋がりなおす可能性、新しい絆が拡がっていく手応えを、この日の参加者は多少なりとも感じていたのではないだろうか。

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標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』『沖縄スパイ戦史』――沖縄戦から辺野古・高江・先島諸島の平和のための闘いと、沖縄を記録し続けている三上智恵監督が継続した取材を行うために「沖縄記録映画」製作協力金へのご支援をお願いします。
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三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。14年にフリー転身。15年に『戦場ぬ止み』、17年に『標的の島 風(かじ)かたか』、18年『沖縄スパイ戦史』(大矢英代共同監督)公開。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)、『女子力で読み解く基地神話』(島洋子氏との共著/かもがわ出版)、『風かたか 『標的の島』撮影記』(大月書店)など。2020年に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社)で第63回JCJ賞受賞。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)