日本の国会の惨状に触れる前に、オーストラリアの政治状況について簡単に触れます。
オーストラリアでは今年後半(10~12月の間)、憲法改正国民投票が実施される予定です。その内容は、アボリジニ、トレス海峡諸島(パプアニューギニアとの間に点在する島々)の先住民の存在を憲法前文に明記するとともに、国の政策決定にこれら少数派住民の意見を反映させるシステムを導入するための条文を設けることなどが内容です。
そして、憲法改正国民投票を実施するため、オーストラリア国会では現在、主要な手続きを定める国民投票法の改正案の審議が、昨年12月から始まっています(私見ですが、今春には成立すると見込んでいます)。ちなみに、オーストラリアの国民投票法は、いわゆる手続法(1984年制定)と実施法の二つに分かれています。現在、国会で審議が進められているのは前者の改正案で、それが成立した後に、2023年後半に憲法改正国民投票を実施するための法律が、別に制定される段取りとなります。
憲法改正をめぐるオーストラリアの動きを、日本との比較、重なり合いの中で見ることが有益です。
第一に、少数派の権利が関係する憲法改正がテーマとなっていることです。日本でも最近、衆議院憲法審査会の自由討議等を通じて、同性婚法制化の賛否が議論になっていますが(ただし、憲法解釈上の障壁を残さないよう、第24条第1項に出てくる「両性」「夫婦」を「両者」に改める案が審査会に提出されるかは不透明)、反対意見が根強く残る中、社会の少数派を多数派に置き換える過程がどのように進んでいくか、という共通の視点を持つことができます。世界史の通説に従えば、キャプテン・クックがオーストラリア大陸に上陸したのは1770年のことで、約250年前の出来事ですが、先住民としての権利、自由が長く害されてきた問題を、現代の視点でどう解決していくか、注目すべき点です。
第二に、国民投票法の改正が立法課題と位置付けられている点です。いみじくも、オーストラリア国会で現在審議されている改正案は、①国民投票運動を行う団体の収支を明確化すること、②外国人からの100豪ドル(約9千200円)以上の寄附を禁止すること、といった内容が含まれており、まさに日本の国民投票法の改正論点(後述)とも一致しています。
第三は、制度論ですが、憲法改正の承認要件が厳格であることも共通しており、国民投票で承認が得られるのかどうか、という点です。オーストラリアでは、憲法改正国民投票において有権者の過半数が賛成することに加えて、州(6つ)の過半数(4つ以上)が賛成することも承認の要件となっています。これは「二重の過半数」とも言われます。オーストラリア100余年の歴史の中で、憲法改正国民投票は44回行われていますが、承認されたのは8回しかない(承認率は2割を切っている)現実があります。
法改正の期限(折り返し点)が近づきつつあるも
オーストラリアでは、憲法改正国民投票を実施する前に、その手続法に当たる国民投票法の改正(バージョンアップ)を進める確かな動きがあるにもかかわらず、日本はまったくの逆を向いているとしか言いようがありません。
まず、思い返していただきたいのは、2021年6月18日に公布され、9月18日に施行された国民投票法の改正法です。施行から3年(つまり2024年9月18日)を期限の目途として、国民投票運動のためのインターネット広告に関する規制、国民投票運動の資金に関する規制などについて検討を加え、必要な法改正を行うことになっていますが、そのスケジュールがまったく見通せません。現状、法改正の期限の折り返し地点が近づいているタイミングにありますが、G7広島サミット後には、衆議院の解散、総選挙がいつ行われても不思議ではないため、何の具体的成果、前進もないまま、期限を迎えてしまうのではないかと思います。手続論を飛ばすのは今に始まったことではありませんが、必要な改正が行われなければ、国民投票法それ自体が不完全な施行状態に陥ります。過去には、国民投票権の年齢が18歳以上か20歳以上か、いずれにも確定しない状態になってしまったことがありましたが(2010年5月~2014年6月)、そんな不完全施行状態にあっても、当時の自民党を中心によくも中身の憲法改正の議論が出来たものだと、甚だあきれるばかりです。今も相変わらず、中身の話ばかりが表に出てきます。
「やってる感」演出のためだけの改正協議
昨日(3月7日)午前、日本維新の会、国民民主党、有志の会(二党一会派)の国会対策委員長が会談し、いわゆる緊急事態条項の新設を内容とする憲法改正原案について、実務者協議の場を設けて、できるだけ早期に成案を得ることで合意しました。憲法改正問題に限らず、昨今の社会的注目度の高い政策の協議が、政局色の濃い「国会対策」という枠組みで仕切られがちであることに強い違和感を覚えますが、それを置いても、緊急事態条項の新設に関して、両党の間に大きな意見の隔たりがあるように見えず、よほどの関係悪化がない限り、基本的な合意にはさほどの時間を要しないと考えられます。緊急事態において、議員の任期・選挙期日の特例を定めたり、内閣による緊急政令、緊急財政処分(国会による法律案、予算の議決に代わるもの)を行ったりする場合に、裁判所による統制(事後審査)を認めることでは両党の見解は一致しているものの、維新案は「憲法裁判所」の創設を以前から提言しているため、「憲法裁か最高裁か」という違いが、現時点でみられる程度です。
仮定の話ですが、何らかの憲法改正原案の内容で合意できたとしても、維新・国民・有志の二党一会派だけで、衆議院に原案を提出することはできません。国会法の定めによって、議員100名以上の賛成(別に提出者を含めて最低101名)を要するところ、単純足し算で55名しかいないので、絶対的に足りません。
なぜ、このタイミングで、憲法改正原案の起草を睨んだ協議を始めるのか。統一地方選挙(4月)を控えた今、他党との優位化、差別化を図るための「政局的憲法改正論」が再び台頭してきたのだと考えます。古い話になりますが、12年前の今頃(同じように統一地方選挙を控えていました)、衆参の憲法審査会はまだ正式に動いていませんでしたが、野党だった自民党が、国会の憲法改正発議要件を各議院の「総議員の3分の2以上の賛成」から「過半数の賛成」へと引き下げようとする憲法第96条の改正原案を提出し、半ば強引に憲法審査会を動かそうと画策したことがありました(しかし、未遂に終わりました)。「やっている感の演出」を主眼に、自党の有利・不利を計算に入れた政局化を狙っていたわけですが、今後、残りの国会会期で繰り広げられるであろう憲法改正論議も、その域を出るものではありません。まして、国政選挙が近いとされているので、なおさらです。
最初に、オーストラリアの例を引き合いに出しましたが、国内少数派への配慮という憲法テーマに向き合っている点、改正手続きを定める国民投票法の整備を着実に進めている点で、すでに日本は遅れています。「憲法に基づく政治」を標榜しつつも、この「差」はどんどん拡大していくでしょう。オーストラリアは過去の失敗が一定の経験則になっていますが、日本は、議論をしないこと、議論をやっているフリをすることに政治的エネルギーが注がれる傾向が強く、時間だけが無為に過ぎていきます。政局的憲法改正論には一切振り回されない自覚が必要です。