第257回:「改正」と「改定」(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 かつて「60年安保闘争」という巨大な市民運動が盛り上がったことがあった。年号が示す通り1960年のことである。
 岸信介首相による「日米安全保障条約改定」に反対する市民、労働者、学生、それに商店主や農業者までが加わった、一大国民運動であった。

 ぼくは当時、秋田県の片田舎の中学3年生だった。何も知らない15歳の少年にも、なんとなく騒然とした世の中の雰囲気は伝わって来ていた。用事があって職員室に入っていくと、いつもは下手なダジャレばかり飛ばして生徒たちを呆れさせている教師や、謹厳実直で笑顔のひとつも見せたことのない先生が、なにやら難しい顔で議論をしている、なんて光景に出会うこともあった。
 1960年、敗戦の年から15年。ようやく戦後復興の兆しが見え始めた頃ではあったが、田舎の中学生の周囲は相変わらずの静かな山と川だった。そんな中で、政治なんてものとは無関係だと思われていた教師たちが、いつもは見せない厳しい顔でなにやら議論している光景は、ぼくには実に不思議だった。日本教職員組合(日教組)は、どんな田舎の学校でもそれなりに頑張っていたのだろう。
 今では、職員室の中でそんな話をしようものなら、あっという間に停職処分や僻地への転勤が待っている。あの安倍晋三元首相が国会で「ニッキョーソ、ニッキョーソ」と厭らしいヤジを飛ばしたように「ニッキョーソ」は、安倍氏を先頭にした極右派にとっては天敵だったのだ。
 「教え子を再び戦場へ送るな」という日教組のスローガンは、戦争に傷ついた国民の間にも定着していた。だから、「60年安保闘争」の風は、ぼくが育った東北の片田舎にまで吹き込んでいたのだった。

 国会前のデモの様子を、ぼくも、ラジオで聞いたような気がする(それがリアルタイムだったか、当時の録音を別の機会に聞いたのだったかは定かではない)。
 「暴力です、凄まじい警官隊の暴力ですっ! 警棒を振るってこちらにまで押し寄せてきていますっ!」などと、絶叫するアナウンサーの興奮状態の実況中継がラジオから流れていたのだ。
 中坊のぼくだって、6月15日に樺美智子さんが国会前での警官隊との衝突の中で亡くなったというニュースは知っていた。
 当時のアナウンサーは、身を張ってデモの真ん中に飛び込んでいった。振るわれる警棒の下で、殴られながらも実況中継を続けていた。今は、平穏なデモ(パレードなどという呼び方は、ぼくにはどうもしっくりこない)にさえ、寄り添って中継しようとするテレビ局など、探したって見つからない。

 ところで、上に書いたように、あの「安保闘争」は、「安保条約“改定”阻止闘争」なのであった。繰り返すが、「改定」阻止闘争だった。
 必要があって、当時の新聞を調べてみたことがある。
 まだ運動が盛り上がらないころは、小さな記事で「安保条約“改正”反対運動…」というような見出しも見かけた。“改正”だった。
 その後、日本労働組合総評議会(総評)や日本社会党を中心に、広い層を糾合した「日米安保条約改定阻止国民会議」が発足し、この条約の内容が次第に明らかになるにつれ、徐々に運動は盛り上がりを見せ始めた。いわゆる全学連(全日本学生自治会総連合)の運動への登場もそれに拍車をかけた。
 日米間の交渉は1958年ごろから始まっていたが、60年に至って、安保反対は国民運動の様相を呈し始めた。そしてこのころから、新聞の見出しもほとんどが「安保条約“改定”阻止運動」と、“改正”ではなく“改定”と書かれるようになったのだ。
 それは、当時の研究者や学者、文化人といわれる人たちが、丁寧に安保条約の条文を吟味して、その内容の不平等な偏りと危険性を指摘したことによるのだろうし、新聞記者たちも、これは“改正”ではなく“改定”なのだと気づいたからではなかったか。

 広辞苑によれば、改正は「改めて正しくすること」、改定は「従来のきまりなどを改め定めること」とある。つまり、改正は「従来よりよくすること」であり、改定は「良し悪しに関係なく、変えること」だ。
 だから、「安保反対運動」は、「改正阻止」ではなく「改定阻止」といわれたのだ。

 ところで、現在の憲法論議はどうだろう?
 現在のあらゆる新聞は「憲法改正」と書く。ぼくは、残念ながら「憲法改定」という見出しを、最近の新聞紙上で見かけたことがない。もし今も「憲法改定」と書いている新聞が存在するなら、教えてほしい。

 このことに、ぼくは引っかかるのだ。
 その新聞社が「今の日本国憲法は正しくないから、正しい方向へ変えるべきだ」との社論を持っているのなら「改正」でもいいだろう。新憲法草案を社として発表したことのある読売新聞社や、ことあるごとに“憲法改正”を叫ぶ産経新聞社であれば、「憲法改正論議高まる」などと見出しに打つことは、それなりに理のあることだろう。
 しかし、ほかの新聞社やテレビ局のニュースなどはどうなのか? 朝日新聞も毎日新聞も東京新聞だって沖縄の2紙だって、やはり憲法論議に関しては「改正」の2文字を使っているではないか。
 だからぼくは問いたい。
 「あなたの社は、社論として『憲法改正』をすべきだと考えているのですか?」
 「現行の憲法は正しくないのだから、正しい方向へ変えるのがいいとお考えですか?」と。

 少なくとも、ぼくは「憲法改正」という言葉を使ったことはない。むろん、他人の文章を引用したりする場合は使うけれど、自身の文章の中では絶対に使わない。「憲法改定」か「改憲」とする。

 日本語が乱れているという。こんな根本的な、日本の進む方向を決定づけてしまうような事案にさえ、きちんともとの意味通りの言葉を使わないのであれば、「日本語の乱れ」は決定的であろう。
 新聞やテレビが圧倒的に「改正」という言葉を使う以上、それに日常的に接する読者や視聴者は、いつの間にか「正しくないものは正しい方向へ変えるべき」と刷り込まれていくのは当然だろう。
 新聞やテレビが、世論を「改正」へ誘導しているのだ。

 マスメディア各社は世論調査で「憲法改正賛成が反対を上回った」などと報じる。しかし、そのような方向に読者や視聴者を、意識してか無意識でかは知らないけれど、引きずっていっているのは、マスメディア自身であると言わざるを得ない。
 少なくとも、客観的な記事を書くのであれば、憲法に関しては「改正」ではなく「改定」とすべきだとぼくは思う。

 このように書けば、「重箱の隅をほじくるような議論だ」と、例によってネット右翼諸氏から批判されるかもしれないが、これは決して重箱の隅ではなく、とてつもなく大きくて重要なことだと思うのだ。

 こんなちいさなコラムに反応してくれるマスメディアはないだろう。
 それでも、読んでチクリとでも胸の痛みを感じるような記者が、ひとりでもいてくれたらぼくは嬉しい。

 ここまで書いてきたときに、大江健三郎さんの訃報が伝えられた。「憲法改定」に強く反対しておられた大江さんが亡くなられた。大江文学に親しんできたぼくは、ふたつの意味で悲しい。せめて静かに手を合わせる……。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。