第262回:「人権国家」なんて言うな!(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

「外国人嫌い」な人たちの矛盾

 不思議に思うことがある。
 少子化を嘆き、労働力不足に陥り始めた日本で、なぜこんなにも外国人を排斥し、国外退去を迫る人が多いのだろうか?
 むしろ、彼らを大切にして、仲間として一緒に暮らすほうが、衰退し始めた日本にとっては必要なことだとぼくは思うのだが、そうは思わず、やたらと外国人嫌いを声高に叫ぶ一群の人々がいる。そういう人が、政府官庁にもいるのだから始末に負えない。
 街を歩いてみるがいい。工事現場などで懸命に働く人々の中には、必ずといっていいほど外国人が混じっていることに気づくだろう。いや、むしろ外国人ばかり、という現場さえある。日本の労働現場のかなりの部分は、外国人労働者に頼っているのだ。そうしなければ、もはや日本の現場は回らなくなっている。
 少子化が進行し、労働力不足が深刻化している日本にとって、外国人労働者は、何にも勝る貴重な戦力だ。積極的に受け入れて、不足している労働力を補ってもらい、共に暮らしていくというのが、衰退日本のこれからの道ではないのか。
 だが、外国人を差別し、何かといえば「国へ帰れ」などと言い募る連中には、では、不足した工事現場の労働者に自らがなり替わるという決意でもあるのか。イヤな仕事を押し付けておいて、期限が切れたから不法滞在だ、さっさと帰れ、などと言い立てる神経が、ぼくにはよく分からない。まるで江戸時代末期の鎖国主義者みたいだ。
 そのくせ、外国人観光客の使う金に頼っている日本経済。あからさまな矛盾について、この類いの人たちは沈黙している。

人間を「処理する」という発想

 普通に暮らし、働き、税金も払っていた外国人が、ある日突然「不法滞在者」というレッテルを貼られて、本国への帰国を迫られる。中には日本で生まれ、日本語しか話せない外国籍の子どもを、親からむりやり引き離してしまうという、ほとんど“人非人”まがいのことをすることもある。拒否すると、「牢獄より非人間的」といわれる「入管施設」に強制収容されてしまう。
 入管施設、すなわち出入国在留管理庁の収容所のことである。
 なぜこれが牢獄以上に非人間的か?
 それは、収容期限がまるで分らないということからくる残酷さである。普通の刑事被告人であれば、裁判所の判決によって刑期が決まる。懲役〇年と示されて、釈放されるべき時期が本人にも分かる。指折り数えて刑期終了の日を心待ちにする。それが収容者にとっての希望である。
 しかし入管の収容者には、その期間が分からない。指折り数える夢さえ奪われてしまうのだ。いつ解放されるか分からない「牢獄」である。裁判も何もない。収容期間は入管当局者に恣意的に決められてしまう。これほどひどい「刑罰」があるだろうか?
 しかも、それを受けるのは、いわゆる「犯罪者」ではない。殺人犯でも強盗でも詐欺犯でも交通事故を起こしたわけでもなく、「不法滞在」と一方的に決めつけられてしまった人たちである。一旦収容されれば、いつ果てるとも知れない監禁状態に置かれたまま、日々を過ごさざるを得なくなる。
 死刑囚として世界最長の拘束を受けた袴田巌さんは、その延々と続く監禁状態に耐えきれず、ついに「拘禁反応」を発症、妄想の世界へ逃げ込んだ。そうしなければ、自己を保つことができなかったからだ。同じことは、入管収容所でも起きている。大声を上げたり、あらぬことを口走ったりするという症状が、収容者に出てくるのだ。これを非人間的といわずして何と呼べばいいか。
 実際、入管当局は収容者を人間扱いにしていないと思う。出入国在留管理庁のHPを覗いてみると、そんな気がするのだ。
 そのHPの中に「令和4年における難民認定者数等について」というページがあるが、そこには、(1)難民認定申請数 (2)処理数…などと言う記述が出てくる。
 何気なく書かれたものだろうが、ぼくはこの「処理数」という言葉遣いにゾッとしたのだ。必死の思いで難民申請したであろう人たちを「処理」するという。人間に対する言葉遣いとは思えない。難民申請をするような人は「人間扱い」しなくてもいい、という考えが底に潜んでいるとしか思えない。

入管法の「改定案」を巡って

 こんなひどい状況の基になっているのが「入管法」だが、その改定案(決して「改正」ではない)を巡っては、世界から厳しい目が向けられている。5月19日から始まるG7サミットを前に、日本はさらに醜態を晒そうとしているのだ。
 国連の人権理事会の専門家たちは、こんな日本の状況に厳しい勧告を行った。毎日新聞(4月21日付)の記事を見てみよう。

 国会で審議中の入管法改正案について、国連人権理事会の専門家らが「(内容が)国際人権基準を満たしていない」として、21日までに共同書簡で日本政府に見直しを勧告した。18日付で公表された書簡によると、難民認定申請が3回以上の場合は強制送還を可能にしている点や、裁判所による収容の当否の審査を欠き、収容期間の上限を設けていないことなどを指摘している。(略)
 書簡は、法案について「我々が同様の指摘をした2021年の法案(入管法改正案)と根本的に変わっておらず、国際人権基準を満たさない」と明言した。具体的には、難民認定申請が3回以上の場合に強制送還を可能にすることについて、危険な場所に難民を送還しない難民条約の原則に反していると指摘。送還対象者全員を収容する原則収容主義が維持され、収容を例外として自由を原則とする国際諸条約に沿っていないと記した。収容せずに送還手続きを進めるための新たな「管理措置」についても、保証金支払いや対象者の生活報告を求める内容が残っており、「差別的でプライバシーに反する」と批判。子どもの収容をしないなど、子どもの権利にも反すると強調した。(略)

 国連機関の専門委員たちに、これほど徹底的に批判されるのも珍しい。政府は口を開けば「日本は人権尊重国家である」と強調するが、こんな「改定案」を出してくる政府のどこが人権尊重なのか。この日本への勧告に対して、斎藤健法相は「この勧告は、国連人権理事会からの正式な指摘ではなく法的拘束力はない。一方的な公表に抗議する」と言明、もはや逆ギレ状態である。
 痛いところを突かれると逆ギレするのは、どうも自民党閣僚らの性格らしい。あの高市早苗経済安保担当相の開き直りぶりを見ると、それがよく分る。それにしても、これだけ具体的に「非人権的法案の瑕疵」を指摘されながら「一方的な公表に抗議する」とは、恐れ入谷の鬼子母神である。

外国人永住に猛反発する極右派

 以前からその非人間性について、入管は、ずいぶん指摘され批判も浴びてきたのだが、あのウィシュマさんの「獄中死」(としか思えない)をきっかけに、日本の「難民認定制度」や「入管収容施設の非人道性」について、世の中の目が厳しいものになってきた。それに伴い外国人労働者の問題も浮上してきた。
 「特定技能」という、きちんと考えて作られたとは思えない制度の問題もそうだ。朝日新聞(4月25日付)が以下のように報じている。

外国人労働者「永住」拡大へ
特定技能2号、11分野に

 人手不足の分野で外国人労働者を受け入れる在留資格「特定技能」について政府は24日、在留期間の更新に制限がなく、家族も帯同できる「2号」を現行の2分野から11分野に拡大する方針を自民党に示した。(略)
 経済界からの要望を受けた措置で、幅広い分野で外国人の永住に道を開く転換点となるが、自民党保守派などからは「事実上の移民の受け入れにつながる」といった反発が予想される。
 特定技能は、深刻な人手不足に対応するために、一定の専門性を持つ即戦力の外国人を受け入れる制度。2019年4月に導入され、1号と2号がある。
 1号には飲食料品製造、産業機械など、製造、農業、介護の分野などの12分野があり、「相当程度の知識または経験」が求められる。在留期間の上限は5年で、家族は帯同できない。(略)

 現行の「特定技能制度」も、考えれば相当に「非人道的」だ。何しろ5年間は家族と暮らせないのだ。子どもがいた場合、5年間の離れ離れ生活が親子にとってどんなに切ないものか、こんな制度を作った連中の、それこそ人権感覚を疑わざるを得ない。
 「2号」はもっと熟練した「特定技能」を求められるが、こちらは人手不足が特に深刻な建設と造船・舶用工業の2分野に限られている。要するに、財界からの要望が色濃く反映されている措置なのだ。
 ところが現在、1号の外国人労働者が約14万6千人なのに対し、2号はたったの10人である。たったの10人だよっ!
 2号は家族を連れてくることも可能だが、それがわずか10人である。政府はほとんど認めていないのだ。つまり、家族みんなで日本へ…などというのは、自民党政府お得意のゴマカシ政策に過ぎない。はなっから、外国人労働者の日本永住を認める気などないのだ。それを指摘されるのが嫌だから「特定技能2号」などという使う気もない制度を付け足したに過ぎない。そうでないと言うのなら、〈14万6千人:10人〉という圧倒的な非対称をどう説明できるのか。
 それを今度は改定して、家族帯同で永住も可能の分野を、2分野から11分野に広げるという。けれど、名目上は拡げたとしても、認定はかなり難航するだろう。岸田政権は、自民党極右派の「外国人永住に反対」という声を無視できないからだ。
 例の「日本は単一民族国家」という、まさに江戸時代から変わらぬ偏狭な民族主義を標榜する極右派が、自民党のかなりの部分を占めている。世界の潮流から取り残され、世界の孤児になる道を自ら選ぼうというのだから、それこそ「反日集団」だ。
 何かかがあれば、すぐさま「国へ帰れ!」と喚きたてるネット右翼を支持基盤とする連中なのだからどうしようもない。

現代の奴隷労働

 「現代の奴隷労働」とまで言われる「技能実習生制度」に関しては、もっとひどい。
 日本で様々な職業技能を学んで帰国し自国でそれを生かす、というのが建前だが、実際はほとんどが低賃金で過酷な労働を強いられているのが現状だ。「日本へ行けば稼げる」などという甘言に乗せられて来日したけれど、約束上の賃金は支払われず長時間労働を強いられる、という事例が頻発している。彼らは日本へ来るために多額の借金を負っており、それを返さなければならないから、条件が違うからといってすぐには仕事を辞められない。それをいい事に、雇用主がパスポートを取り上げたり、多人数を狭い部屋に押し込めたりといった報告が数多い。
 さすがに耐えきれずに逃げ出せば、入管によって「不法滞在」と認定され、強制収容の地獄が待ち構える。それが「現代の奴隷労働」と呼ばれる所以なのだ。そして、それをさらに推し進めようというのが、「入管法改定」なのだ。
 また、実習生は日本滞在中に妊娠すると、それも強制帰国の名目にされる。つまり、技能実習生には恋愛の自由さえ与えられていないのだ。
 これが「人権国家ニッポン」における外国人労働者の現状である。
 「日本で優れた技術を学んでもらい、帰国してからも日本と祖国をつなぐ礎となってほしい」などという綺麗ごとを並べ立てて、その実、使い捨ての低賃金労働力確保に走った日本の政策の酷さが露呈している。

 ぼくは日本人である。
 こんなことを書かなければならないことが、「日本人」として恥ずかしい。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。