第271回:非人道的武器のばらまき(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

地雷原を作る

 米バイデン大統領が、ウクライナへの「クラスター爆弾」の供与を発表した。ぼくは愕然とした。国連等で「非人道的爆弾」と名指しされ、使用禁止が求められている爆弾を、戦争当事国へ譲り渡すというのである。
 どんな爆弾なのか?
 簡単に言えば、ひとつの爆弾の中に数十から数百個の小さな爆弾が詰め込まれており、これが空中で爆発して、広範囲に爆弾の雨を降らせる。しかも厄介なのは、この小型爆弾が不発弾化する割合がとても高く、それがそのまま地雷のようになって地上に残る。つまり、1個のクラスター爆弾が空中で爆発すると、それ自体の破壊力もさることながら、後々までその辺り一帯を「地雷原」にしてしまうのだ。
 ウクライナのゼレンスキー大統領は、バイデン大統領に対し「クラスター爆弾供与を感謝する。これはロシア軍に占領されたウクライナ領土でのみ使用する。ロシア領内で使用するつもりはない」と述べた。
 確かに、一時的な戦略には有効だろう。しかし、もしウクライナ軍の反撃が成功してロシア軍が撤退したとすれば、戦後は自国内のかなりの地域が「地雷原」化していることになる。それでもいいのだろうか? 地雷原と化した自国領が、戦争が終結した後の復興の大きな妨げになるとは考えないのだろうか?
 一方ロシアのプーチン大統領は、「もしクラスター爆弾をウクライナが使用するなら、ロシアも同じように反撃する」と、こちらもクラスター爆弾を使用すると明言した。ウクライナ側はこれに対し「ロシアはすでにクラスター爆弾を使っているではないか」と反論。どちらも「非人道的武器使用」を止める気配がない。
 抑止論が崩れて行く過程を、ぼくらは今、まざまざと目にしている。お前が使うならこちらも同じもので報復する。いわゆる「核抑止論」が崩壊していくのも間近だと感じる。局所的な破壊ですむ小型の核なら、使うことも辞さず…か。

オスロ条約はあるけれど

 だいたい、なぜこんな「非人道的武器」が野放しになっているのか。いや、実は野放しではないのだ。
 この爆弾に対する各国の反発は強かった。クラスター爆弾の製造・使用の禁止を求める声が、とくに平和団体を中心に強まった。そこで各国は、「オスロ条約(クラスター爆弾禁止条約)」を制定。これが2018年に発効し、日本も批准した。現在、締約国は111カ国にのぼる。
 ところが、アメリカもロシアも、この条約に加わっていない。そしてウクライナも批准していないのである。多くの国が「非人道的爆弾」と認め、その製造も使用も禁止しているのに、やっぱり米露は加わらない。「核兵器禁止条約」と同じことだ。そして、なぜかウクライナも加わっていない。
 さすがにイギリスやカナダは、今回のアメリカのクラスター爆弾供与を批判している。戦争の激化と長期化を懸念し、戦後復興の妨げになるという、真っ当な批判である。だが、戦争当事者の耳にその批判は届かないし、軍需産業との癒着も噂される米政権も聞く耳を持たない。
 いったいどのくらいの人たちが、こんな非人道的武器で命を落とし、足や手をもがれて障害を負うことになるのだろう。

日本政府の対応は?

 ひるがえって日本政府はどうか。
 松野官房長官は7月10日の記者会見で、「米国とウクライナの2国間のことに、日本政府としてコメントすることは差し控える」と例によって中身のない見解(とはいえない)をボソボソと述べただけ。日本は「オスロ条約」の批准国だ。当然、非人道的武器使用は控えるべきだ、と言うかと思ったが“控えた”のはコメントだった。条約との齟齬を問われても、相変わらずの官僚ペーパー読みでごまかす。
 ここで注意しておかなければならないのは、日本はオスロ条約締結国であり、自衛隊はクラスター爆弾を保有してはいないけれど、在日米軍はこの爆弾を備蓄していると言われていることだ。だから、日本は表立って「アメリカのウクライナへの非人道的兵器の供与に反対する」とは言えないわけだ。
 ここでも、日本のアメリカへの「ケツ舐め外交」が顔を出す(汚い表現で申し訳ないけれど、これ以外の言い方が思いつかないのです)。

ああ、外遊

 肝心の岸田首相は、折からの大水害を尻目に、悠々の外遊ときたもんだ! 河野デジタル相だって負けちゃいない。マイナンバーカード大騒動もなんのその、のんびりと十数日間の外遊中。もう呆れてものも言えない。
 ぼくのふるさとは秋田だ。悲惨な水害状況のニュースを見ながら、ぼくは真剣に岸田を憎んだ。
 ぼくの実家は何とか水害を免れたが、ぼくが高校に通っていたころに見慣れた秋田市の惨状には息を飲んだ。ほんとうに、被災された方たちにはお見舞いの言葉もない。
 だが岸田文雄首相は、そんなことには何の言及もなく、嬉しそうに手を振って飛行機に乗り込んで行った。その時の岸田のツイート(7月16日)が、これである。

 本日より、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタールの3カ国を訪問します。エネルギーにとどまらず、協力分野が拡大する3カ国との間で、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の堅持に向け連携を確認するとともに、産業多角化等新しい分野でも日本ならではの協力を拡大する考えです。

 これがそんなに緊急を要する外交日程なのか。「日本ならではの協力を拡大…」とは、どう読んでも、日本がこれら3カ国に何らかの“資金協力”するとしか思えない。恩を売って、国連等での支持取り付けが目的で、この大災害発生中に行かなければならないとは、とても思えないのだ。
 そして聞き飽きた「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序…云々」は、いったいどういうつもりだろう。今の日本が「法の支配に基づく自由で開かれ」ているとでも言うつもりなのか。
 ほとんど真剣な議論をすることもなく、国会では重要な法案が次々に成立していった。入管法、LGBT法、GX(グリーン・トランスフォーメーションなどという横文字に隠して原発の60年超の稼働延期等)、防衛費増税、マイナンバーカード、インボイス制度、社会保険料値上げ…。
 どれひとつとっても、我々庶民にやさしい法律ではない。それを、さしたる議論もなしに、時には「閣議決定」という禁じ手を多用して、どんどん成立させていく。
 野党(この場合、維新、国民民主は野党から除外して考える)は、一応は反対の姿勢を示すけれど、それとてポーズ以上の域を出ない。
 “体を張って”反対の意思表示をしたれいわの山本太郎代表には、なんと「懲罰動議」の動きもあった。さすがにこれは撤回されたけれど、立憲の一部にはこの懲罰動議に載る動きもあったのだ。こうなると戦前の「大政翼賛会」的状況に近くなる。
 野党の先頭に立って“体を張って”でも抵抗すべき立憲の泉代表は、のらりくらりで口を開くたびに言うことが違う。期待度減衰指数はもうどん底。

 暗いなあ……。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。