重度障害の当事者である市川沙央さんが小説『ハンチバック』で芥川賞を受賞したことが大きな注目を集めているが(まだ読んでない。読みたい)、この5月に第54回大宅壮一ノンフィクション賞を、そして7月に本田靖春ノンフィクション賞を受賞した『黒い海 船は突然、深海へ消えた』がすごい。
著者は伊澤理江さんで本作がデビュー作。しかし、デビュー作とは信じがたいほど丹念な調査報道によって未解決事件の闇を少しずつ暴いていく。
本書が取り上げるのは、2008年に起きたある海難事故。
太平洋上で碇泊中の中型漁船が、突如として沈没。17人もが命を落としたのだ。が、現場は「沈みようがない状況」だったという。
犠牲者の数から言っても大事故。しかし、あなたはこの事故を覚えているだろうか。リーマンショックや秋葉原無差別殺傷事件、そして年末には年越し派遣村のあった年に起きた事件を、私はまったく覚えていなかった。いや、覚えていないどころか、最初から知らなかったのだろう。一報を耳にした記憶もないのだ。
この、「多くの人の記憶にない」ということも、奇妙な事故の重要なキーワードである。
事故が起きたのは、千葉県銚子市沖の洋上。犬吠埼から東へ約350キロという太平洋の真っ只中。
2008年6月23日。この日、第58寿和丸は「パラ泊」中だった。「パラ泊」とはパラシュート・アンカーを使った漂泊のことで、船体は安定し、安全性が高いものだという。この日の波は高かったものの海はさほど荒れていたわけではなく、20人の船員たちは束の間の休息を楽しんでいた。
しかし、午後1時を過ぎた頃、右舷に「ドスン」という衝撃が走る。7〜8秒おいて「ドスッ」「バキッ」という二度目の衝撃。波で傾いたのであれば、傾きは間もなく戻るそうだ。が、船体は戻ることなく急激に傾き、2度の衝撃からわずか1〜2分で転覆。
海に投げ出された者もいれば、船内に残された者もいた。
20人のうち、助かったのはわずか3人。その時、船のどこにいたかというわずかな違いが生死を分ける結果となった。船とともに沈まずとも、海に投げ出されては長くは持たない。偶然、浮きなどにつかまり、小型ボートに辿り着いた3人だけが奇跡的に助かった。現場からは4人の遺体が回収され、行方不明者は13人。船は深海5000メートルに沈んだ。
それから、3年。やっと公表された調査報告書に、生存者や関係者は大いなる違和感を抱いたという。
事故原因が「大波」によるものだとされていたからだ。
しかし、波が原因で、これほど急激に船が沈むことはないという。また、生存者たちは誰もが「2度の衝撃」をはっきり覚え、証言していた。しかし、報告書ではそれが重視されることはなかった。
何より重要だったのは、生存者たちだけでなく、救助にあたった僚船(同じ船団の船)の乗組員も目撃した「大量の黒い油」だ。
海に投げ出された生存者は、溺れかけながら油の混じった海水を飲み、髪も体も油まみれだったという。なんとか小型ボートに乗り、ボートにあったタオルで顔や体を拭くと、布は油で真っ黒になったそうだ。
それだけではない。僚船で救助にあたった乗組員は、海に浮いている数人を引き上げたが、海は油で真っ黒。引き上げた人たちの体も油まみれで、滑ってしょうがないことから4人がかりで引き上げたという。すぐに人工呼吸などをしたが、息を吹き返すことはなかった。
しかし、報告書では油の量はほんのわずかなものとされているのだ。
著者がこの件を知ったのは、偶然のことだった。別の取材をする中でたまたま耳にしたのだ。しかし、まるで何かに導かれるかのように猛然と取材を進めていく。
なぜ、いつ漁を再開してもおかしくない状況の船が水深5000メートルに転覆したのか。135トン、全長48メートルの船体をひっくり返すような波や風ではなく、沈みようがない状況だったのに、なぜ悲劇は起きたのか。
事故を調べていくうちに、第58寿和丸と同様の「謎の事故」は、世界各地で起きていることがわかってくる。しかし、取材すればするほどに著者の前にはさまざまな壁が立ちはだかる。なぜなら、それは軍事機密に触れることだからだ。
詳しくは本書を読んでほしいが、読んでいて思い出したのは、この事故の7年前である2001年に起きた愛媛県立宇和島水産高校の漁業実習船「えひめ丸」の事故だ。
本書にも、この事故についての記述が登場する。
ハワイ近海の太平洋上を航海中に、船体に轟いた2度の衝撃。そこから沈没まで、わずか5分。乗組員35人のうち、助かったのは26人。8人の遺体が船内から見つかり、一人は現在も行方不明。
えひめ丸乗組員の命を奪ったのは、海中から急浮上してきた米国海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」だった。事故当時、海面には油が漂い、救命ボートに逃れた生徒や船員らも油で汚れていたという。
「資料を読み込めば読み込むほど、沈没に至る状況が第58寿和丸とそっくりだ。新たな取材の扉が開いたような気がした。そして、膨大な資料をさらに精読し、私は確信を持ち始めた」
著者はこのように書いている。
ひとつの漁船事故から浮かび上がる、海を舞台にした各国の壮絶な覇権争い。
15年前の事故が今、問い直されている。