森達也さんに聞いた:負の歴史に向き合わなければ、また同じ過ちを繰り返す――映画『福田村事件』

今年は関東大震災から100年。発災後の朝鮮人虐殺については歴史的事実として広く知られていますが、そのなかで闇に埋もれた事件があります。福田村事件。千葉県福田村(現・野田市)で、香川県から来た被差別部落出身者の行商団が、朝鮮人と間違われて村の自警団によって虐殺されたのです。この事件を忘れてはいけない。直視しなければまた同じことが繰り返される――事件を知ってから20余年、ずっとその思いを抱き続けてきた映画監督の森達也さんが、事件から100年目の今、劇映画として世に問います。ドキュメンタリーを手がけてきた森さんにとって、初めての劇映画にかける思いをうかがいました。

[福田村事件とは]
1923年9月6日、千葉県東葛飾郡福田村(現在は野田市)で、香川県から来た行商団9人(3人の子どもと妊婦一人を含む)が、村の自警団に殺害された事件。行商人たちが讃岐弁で話していたことから、朝鮮人と疑われたとされる。事件後、福田村と隣の田中村の村人計8人が逮捕されるも、4年後大正天皇死去の際、恩赦で釈放。行商団のうち6人は生き残って帰郷したが、被差別部落出身者だったこともあって、事件が明るみに出ることはなかった。

構想から20年、抱き続けた思い

――森さんが福田村事件を知ったのは、いつごろだったのでしょう。

 2001年ごろだったと思うのですが、最後に残った生存者の証言をきっかけに「福田村事件を心に刻む会」というのができて、事件の現場近くに慰霊碑が作られることになったという記事を、新聞の地方版で目にしたのです。でも概要がよくわからない。興味を惹かれ、現場に行ってみたり数少ない資料を調べたりして企画書にまとめました。そのころ僕はテレビの仕事をしていたので、報道番組の特集枠にできないかと考えたのです。で、民放各局のプロデューサーに持ち込んだのですが、軒並み断られました。

――どういう理由で?

 明確に説明はされなかったけれど、朝鮮人虐殺とさらにそこに被差別部落の問題がからんでいるなんて、ナーバスすぎるというのが大方の反応でした。でも、事件があったのは事実だし、このまま忘れ去るわけにはいけない。あきらめきれずにいたら、3年ほど前に、やはりこの事件に関心を持って、映画にしたいと考えていた人たちに偶然出会ったのです。「森さん、福田村事件を映画にしたいんだって?」「はい、そうです」「俺たちもそう思っているんだ、じゃあ一緒にやろう」ということになった。それが今回企画の荒井晴彦さん、脚本の佐伯俊道さん、脚本とプロデューサーの井上淳一さんたちで、そのスタッフの座組のなかに監督として迎え入れてもらったというかたちです。

――20年来の思いがやっとかたちになったわけですね。そこまで森さんの心に引っかかっていたものは、なんだったのでしょう。

 25年前にオウム真理教のドキュメンタリーを撮るために教団施設に入ったときの、あの衝撃ですね。世間では悪魔のように言われていた信者たちの一人ひとりは、驚くほど穏やかでやさしく、ごく普通の善良な人々でした。その仲間が凶悪犯罪を犯した。目の前にいるこの善良な信者たちも、指示されていればサリンをまいたかもしれない。以来、なぜ普通の市民がこれほど残虐な殺人者になれるのか、ずっと考えてきました。
 その後もアウシュビッツやカンボジアのキリング・フィールド、済州島など、虐殺の歴史の跡をたどって行き着いたのは、虐殺に加担した人がとりわけ冷酷で残忍で邪悪な人だったわけではないということ。ふだんはよき家庭人だったり善良な一市民だったりした。それがなにかのきっかけで虐殺者になる。人間は善良なままに、凶悪な行いができる生きものなのだ。ならば善と悪を分ける境界はなにか。どこにあるのか。それが『A』(オウム真理教信者を撮ったドキュメンタリー。1998年公開)以来の僕のモチーフの一つになりました。
 福田村事件も、普通の村人が鍬(くわ)や鋤(すき)を持って「朝鮮人狩り」をしたわけで、僕の食指が動いたのも当然ではありました。しかも朝鮮人だと思って殺したのが日本人で、さらに被差別部落の人々だったという二重三重のねじれがあって、これは映画にする価値のあるテーマだと、直感したのです。

映画『福田村事件』から (c)「福田村事件」プロジェクト2023

人は集団になると変異する

――普通の人が凶暴な殺人者に変転する、その契機になるのが「集団化」だとおっしゃっています。

 ヒトは群れる生きものです。なぜなら弱いから。だからこそ言語などコミュニケーション能力が発達し、文字を発明して文明が生まれ、地球上でこれほどに繫栄した。でも群れには副作用があります。一人ひとりがバラバラに動いていたら天敵に襲われて危ないから、個が全体に動きを合わせようとする同調圧力が強くなる。
 ある種のバッタは群れ化すると個体の性質まで凶暴に変わる「相変異」を起こす。人間も集団になったとき、水が氷へと性質が変わるような「相転移」を起こしやすい。「私」「僕」といった一人称単数の主語を失い、「われわれ」「国家」などの集合代名詞に置き換わると、人はやさしいままで、限りなく残虐になれるのです。
 とくに恐怖や不安を感じたとき、群れは集団化を進めるために同質であることを求め、異質な者を見つけて攻撃しようとします。肌や髪の色、言葉、信仰、民族、何でもいいのです。自分たちと違う少数派を標的として攻撃することで、集団を守ろうとする。そうして虐殺や戦争が起きる。

――同調圧力が強いと言われる日本では特に、集団の「相転移」が起きやすいのかもしれませんね。

 オウム事件以来、日本社会は体感治安が悪化して、少数者を異物として排除する空気がどんどん高まってきています。そんななかでかつての石原慎太郎都知事の「三国人発言」(※)のような権力者が差別をあおる発言が出ると、福田村事件のようなことが起きる可能性は充分あります。というか既に、ヘイトスピーチやクライムは頻発している。100年前の出来事として映画を観るのではなく、現在進行形の映画だと思って観てほしい。
 人類の歴史は過ちの繰り返しです。そのことに真正面から向き合わなければ、また同じ過ちを犯してしまいます。ところがここ十数年、これもオウム以降なのだけど、日本の政治も社会も映画も、自分たちの失敗など負の歴史を自虐史観などと揶揄しながら、目を背けて直視しない傾向がとても強くなった。
 福田村事件に限らず、関東大震災直後は朝鮮人だけでなく中国人も社会主義者も殺された。それを正面から描いた劇映画って、ないんです。別に政治権力が禁止しているのでなく、自分たちが早々に「店じまい」してしまった。炎上するようなテーマには近づかない。視聴率や動員が低迷することが予想されるから、国家や社会を批判するテレビドラマや映画を作ろうと誰も思わなくなる。つまり市場原理です。特に映画については、気がつけば欧米や韓国とは圧倒的な距離がある。メディアがだめになったというけれど、だめになったのは社会なんです。社会がもっと成熟すれば、成熟した映画ができる。本作がその突破口になれば、と思っています。

※2000年、当事の石原慎太郎東京都知事は自衛隊の式典で、「『三国人』(戦後まもなく、日本在住の朝鮮半島・台湾出身者を指す差別的な言葉として用いられた)が災害に乗じて騒擾を起こした場合は、自衛隊に治安出動を要請したい」などと発言した

加害側を描く

――これまでドキュメンタリーを手がけてこられた森さんにとっては、本作が初めての本格的劇映画となりました。

 ドキュメンタリーも劇映画も僕の中ではそんなに大きな違いはないんです。今回の福田村事件は、ドキュメンタリーにするには素材がなさ過ぎて無理だったということもあって、実話に基づいたフィクションということになりました。僕もできる限り現場に行ったり、資料を調べたりはしましたが、それは事実というより自分の思考や感覚を補強するためですね。史実の検証は「資料魔」といわれる脚本の佐伯さんにお任せしました。

――時代背景としては、1918年の第一次世界大戦終結後の不況、米騒動、シベリア出兵、日本統治下の朝鮮で活発化する独立運動、スペイン風邪(インフルエンザ)の流行と社会には不穏な空気が充満していました。なにか悪いことがあると新聞は「いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論をあおり、市民の不安と恐怖は沸点に達しようとしていた。そこに関東大震災が起きたわけです。発災後の混乱の中で、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが飛び交い、パニックになった住民らが自警団を作って朝鮮人を虐殺する事件が各地で起こり、数日後には隣の千葉県にまで波及し、福田村事件が起きます。
 登場人物一人ひとりが、その時代背景を背負ったキャラクターとして描かれていますね。

 加害者側をしっかりと描くことは前提でした。普通こういうテーマだと被害者側に立ったほうが感情移入しやすいし、共感を集めやすい。でもそれでは加害者がモンスター化してしまう。それは絶対に違う。あなたと同じような善良な人間でも、集団に帰属して個を失ったとき、これほど残虐に振舞ってしまう。そのテーマをどのように示すかは大きな課題でした。ですから映画の前半では、事件が起こるまでの村人や行商団の人間模様や風景を描きました。

映画『福田村事件』から (c)「福田村事件」プロジェクト2023

――村人で言えば、村長さん。大正デモクラシーに感化されたリベラル派なのだけれど、頭でっかちで村人を率いるリーダーとしてはちょっと頼りない。彼の「デモクラシ〜」という言い方が、滑稽に聞こえました。

 うーん、高い理想を掲げるわりには現実的には無力な人物ですよね。あれは僕かもしれないし、「マガジン9」を応援するあなたかもしれない。揶揄しているわけではないけど、今の時代に至ってもこれが大方のリアルな実感じゃないかと思っています。

――主人公の澤田智一も、朝鮮での日本軍の暴虐を目の当たりにして絶望して帰郷したか弱きインテリとして描かれています。対してその妻は自由奔放な大正モダンガール。この二人は実在の人物ですか?

 史実にはないフィクショナルな設定です。本作は群像劇で、澤田夫妻が主人公というわけではないのですが、加害側と被害側をパラレルに描くための触媒のような役割として設定しました。

――村長に比して圧倒的な存在感を持っていたのが、自警団のリーダー格、つまり虐殺の主導者である在郷軍人。水道橋博士さんという意外なキャスティングで、迫真の演技は見どころの一つですね。

 最初はぎこちなかったけれど、撮影が進むほどにどんどんうまくなって、みごとに演じきってくれました。キャスティングの狙いとしては、でっかくて猛々しい、「いかにも悪役」というイメージにしたくなかったというのもありました。水道橋さんにしてみれば、自身の信条とは真逆のキャラクターになりきることを要求されたわけで、相当な負担だったのではないかと思います。

――村人の中で際立っていたのはなんといっても東出昌大さん演じる、渡し守の倉蔵です。キャラクターとしても村の同調圧力から一歩距離を置いて、個を貫いている。憎らしいほどかっこいい。

 倉蔵は渡し守です。つまり田畑を持たない。村落共同体的なヒエラルキーのなかでははぐれ者的存在として設定したキャラクターです。撮影している僕らもほれぼれするくらい、東出さんには野性的な色気や浮世離れしたスケール感があって、はまり役でした。
 ちなみに彼は、森が劇映画を撮るなら役は何でもいいからぜひ出たいといって、早々と申し出てくれたんです。

――その倉蔵をしてでも、いったん始まった虐殺を止めることはできなかった。

 集団の動きには閾値があります。そこを超えたら止めることは困難です。リベラルなインテリにも、普段は周囲に迎合しないアウトサイダーでも。僕にもあなたにも止められず、逆に加担したかも知れない。それが集団の力学です。

――それと忘れてならないのが、村の女たちです。彼女たちは一見、顔も髪型も皆同じで区別がつかないほど、無個性に見えます。ところが実際には、お国を支える銃後の母、嫁でありつつ夫の出征中に密通したりと、したたかなところがある。虐殺にも加担している。
 ほかにも澤田の妻・静子、朝鮮人の飴売り、新聞記者など、物語の要所要所で女性たちが重要な役回りを担っていることが印象的でした。

 加害者側と被害者側、両方ともそれぞれの暮らしがあり喜怒哀楽がある人間だったということを描くには、生活の基盤を支えている女性キャラクターは不可欠です。
 戦争とか虐殺は男の文化だと思われがちですが、史料を調べてみると朝鮮人虐殺には女も加担しているんですね。集団の暴走は防衛本能が根底にありますから、子どもを守らねばという母性が発動して、攻撃的になることは充分あり得ます。
 でも、かつてロシアがチェチェンに侵攻したとき、チェチェンとロシアの母親たちが連帯して戦争に反対したことを僕は覚えています。与謝野晶子は戦地に行った弟に向けて「君死にたまふことなかれ」と呼びかけたけれど、あの時代に男は絶対にこんなフレーズを口にできなかったはずです。女性は集団の暴走を抑止する力にもなり得るのでしょうね。

重なり合う差別

――一方の被害者である行商団、この中にもいろいろなキャラクターが混じり合っています。朝鮮人を下に見る者、水平社宣言(※)に希望を見いだす者、さまざまです。

※全国水平社(部落解放同盟の前身となった団体)の創立大会で読み上げられた宣言文。被差別部落出身者が自主的な運動で部落差別からの解放を目指すことを宣言したもの

 被差別部落民も朝鮮人もともに弱者でありながら、どっちが上だ下だという弱者同士の差別があったり、時には共感があったり。複雑なんですね。その辺はきれい事にしたくなかったので、行商団のメンバーの差別的な発言も入れました。
 ただ、彼らが被差別部落出身者だから殺されたのかといえば、そうではないでしょう。村人たちの間では、差別の前に自分たちの村を守らねばという防衛本能が働いたのだと思います。
 この自衛という発想は軍隊でもおなじで、どこの国の軍隊も侵略のためとは言わず、自衛を大義にしていることには気をつけなければいけません。
 それと忘れてならないのは、「日本人なのに殺されたから問題だ」という文脈に流れてしまうと、とんでもないということ。被差別部落の人でもどこの国の人であっても殺しちゃいけない。そのことはきちんと映画で伝えたつもりです。

――そしてもう一つ森さんならではの視点は、メディアの問題です。「千葉日日新聞」という架空の地方紙編集部が出てきますね。

 メディアの視点は絶対いれたいと思っていました。映画では直接的には描いていないのですが、「千葉日日新聞」の部長は、もとはリベラルな志を持って幸徳秋水らの「平民新聞」にいたのだけれど、それでは飯が食えないという現実に直面して、やむを得ず政権や世相に迎合するような記事を書くようになったという設定です。彼はその結果、デマをあおることになるのですが、それに対して「新聞は真実を伝えるべき」と、まっすぐ「あるべき」論を主張する若い女性記者がぶつかる。ジレンマを抱えたデスクと正義を貫こうとする若手、今のメディア状況をストレートに重ねました。

――そして事件が起こる。これから始まる惨劇に観客を引き込む吸引力は圧巻でした。後半は息もできないほど、スクリーンに釘付けになりました。

 撮るほうもきつかった。コロナ流行時の炎天下で、40分の虐殺シーンを撮るのは大変でした。表現に配慮しつつも、本当にこんなことがあったのだという事実はしっかり伝えたいと思いました。

――子どもや妊婦が殺されるという残酷な事実を、グロテスクにならずごまかさず直球で描く。劇映画として、万人にすすめたくなる傑作だと思いました。

 そう言われるとうれしい。映画は教科書じゃなく、エンターテイメントですから。

――次に撮りたいテーマは、決まっていますか?

 次はねえ……昨日は南京大虐殺を劇映画にしたいと思っていました。でも今日はホラー映画を撮りたいという気分です。ドキュメンタリーだってまたやるかもしれないし。要するに白紙です。

――どんな映画が出てくるのか、ワクワクします。南京大虐殺も、戦後日本が正面から向き合ってこなかったテーマですね。ぜひとりあげてください。楽しみにしています。

(撮影/甲斐章彦 構成/田端薫)

この記事は「デモクラシータイムス」の協力のもと、番組での内容に加えて追加取材を行ったものです。デモクラシータイムスの番組はこちら→「【著者に訊く!】 森達也さん 映画『福田村事件』

もり・たつや 1956年広島県生まれ。テレビドキュメンタリーの仕事を経て映画監督に。ドキュメンタリー映画の代表作に『A』『A2』『311』『FAKE』『i─新聞記者ドキュメント』。『A3』(上下巻/集英社文庫、講談社ノンフィクション賞受賞)『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)『集団に流されず個人として生きるには』(ちくまプリマー新書)など著書多数。

映画『福田村事件』

9月1日(金) テアトル新宿、ユーロスペースほか全国公開
 
▼公式サイト
https://www.fukudamura1923.jp/

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