第119回:「戦う覚悟」を強要する政府~麻生発言に揺れる沖縄(三上智恵)

 「戦争とは爺さんが始めて おっさんが命令し 若者たちが死んでゆくもの」

 これは大橋巨泉さんの残した言葉だ。まさに、リアリティもなく戦争を語り、無責任にも他国を含む国民や若者の命を消耗する決断が自分にできるかのように錯覚して戦争の覚悟を促す、そんな老人がこの国の中枢に生息している。「老害」ここに極まれり。広辞苑の【老害】の欄に麻生太郎氏の写真を入れてもいいくらいだ。沖縄県民は怒っている。なぜ、どれだけ怒っているかはまず抗議集会の動画を見てほしい。テレビ局は一社も来ていなかったから、ほとんどの人が初めて見る映像だろう。

 8月8日、台湾を訪問中の麻生自民党副総裁は台北市内で開かれた国際フォーラムで発言した。

 「今ほど、日本・台湾・アメリカをはじめとした有志の国に、強い抑止力を機能させる覚悟が求められている、こんな時代は無いのではないか。『戦う覚悟』です」

 中国を念頭に実戦も辞さないという好戦的な日本の要人の発言に、当然中国は強く反発。「日本の一部の人間が執拗に中国の内政と日本の安全保障を結びつけることは、日本を誤った道に連れ込むことになる」と態度を硬化させた。続くキャンプデービッドでの日米韓首脳会談で浮かび上がった中国包囲網と、台湾の副総統がアメリカに立ち寄ったことと合わせ、中国は対抗措置とみられる大規模な軍事演習を台湾近海で19日から始めている。これでまた南西諸島のきな臭さは倍増してしまった。

 台湾近海で大きな軍事演習があると、最も台湾に近い与那国島に影響が出る。去年の8月も、中国軍の演習中弾道ミサイルが日本のEEZ内で島の近海に着弾し、大騒ぎになった。と言っても、ケガ人が出たわけでもなく数日間出漁を見合わせただけだが、「中国の軍備増強で生活が脅かされる気の毒な島民」というニュースは、これでもかと全国に流れた。
 去年のケースも、アメリカ議会のペロシ下院議長の突然の台湾訪問がもたらした緊張が起点となって、お互いの陣営の軍事演習強化のデモンストレーションが過熱した結果であった。それとまったく同じで、今回の中国軍の活発な動きは麻生・バイデン・台湾副総統らの行動を受けたものだ。であれば、結局のところ、与那国島の漁業者を震え上がらせているのはいったい誰なのか? 火のないところに着火して回るような行動をとっているのは、どこの国の誰なのか。南西諸島が危ないというが、危なくしている不穏な秋波はどこから送られているのかをきちんと見極める必要がある。

 失言で世の中を沸かせる名人である麻生氏は、炎上が人気の秘密だとご本人も十分理解した上でやっているそうだから、暴言だ、失言だと騒いで彼を喜ばせることに加担したくもない。なにより、問題の麻生氏の発言内容は、事前に官邸で練られた文言であり、了承の上だったことが複数の関係者の証言で分かっている。

 強烈な発言の背景には、中国をけん制するだけでなく、支持率が低迷する岸田政権へのテコ入れや、麻生派の事情など、様々な自民党の思惑があるらしい。温和なキャラの岸田総理に代わって過激な言動が売りの人物に「戦う覚悟」を言わせて日本の本気度を見せ、バッシングは麻生氏が引き受ける。それも党内の役割分担なのだ、という解説も、もはや私にはどうでもいい。問題は、戦後初めて日本のリーダーが「中国と戦う覚悟を持て」と国際社会にぶち上げてしまった、その事実である。

 このニュースを聞いて私は頭を抱えたが、すぐさま「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」のメンバーから、「これは発言の撤回を求めるべきだ」という声が集まってきた。「戦う覚悟」を押し付けられる前に「戦わない覚悟」を共有しなければ。記者会見を開くか、緊急抗議集会を開くかが話し合われた。危機感を持って動き出した皆さんにはある共通認識があった。それは、「戦う覚悟」は我々沖縄の住民に求められている、という危機的な受け止め方である。

 麻生氏の言葉にはもちろん「誰に」という目的語はない。ただ、「今ほど日本、台湾、米国などの有志国に強い抑止力を機能させる覚悟が求められている時代はない」と力説した文脈からは、対中国に対して抑止力を発揮するべき日・米・台3カ国に、戦う覚悟を求めているのだろうと解釈はできる。アメリカや台湾というよその国に、殺し、殺される戦争の覚悟を強いる権利などあるのだろうか? と多くの日本人が呆れた気持ちになったとは思うが「これは私に向かって言ってる」とまで思った人は、全国でどのくらいいるだろうか。沖縄には、やはりそう来るのか、という強い危機意識と憤懣やるかたない気持ちを持った人が大勢いる。そこに本土と沖縄の大きなギャップがある、ということがまず、大きなニュースだと思う。

 「私たち沖縄の人々に向けた言葉だと思ってます。戦う覚悟があるか? と問われるなら、ありません! といいたい」

 「沖縄に言ってるとわかってゾッとした。違うよ。私たちはやらないよと表明しなければ」

 「ふざけるな。うちらは戦いません!」

 これらはみな、8月13日の夕方、沖縄県庁前で開かれた抗議集会に参加した若い女性たちの言葉である。告知期間もない緊急集会だったので参加者数は200人余りだったが、持ち寄った怒りと危機感のエネルギーは相当なものだった。

 「麻生さんは、戦う覚悟の意味が解ってないんじゃないかと思ってます。戦う覚悟っていうのは人を殺す覚悟なんです。自分の子どもに、人を殺す覚悟を持ちなさいって言えないですよね?」

 遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんは悲しそうな眼のまま、実感を込めてこう続けた。

 「私たちは、絶対に戦わない。日本という国が戦うことを決めても、うちなーんちゅは戦わない。なぜなら、沖縄戦で、戦うというのがどういうことか嫌というほどわかっている。絶対に断るって。やるならあなたたちだけでやって下さいよって言いたい。私たちはそれを受け入れる気は全くありません!」

 今年95歳になった横田千代子さんは、戦争当時17歳。サイパンの上陸戦で次々に家族を失い、ご自身も何度も砲弾を受け九死に一生を得たサバイバーである。この日は一番乗りで会場に現れ、居ても立っても居られないと怒りに肩を震わせていた。

 「麻生さんが目の前にいたら顔を叩きたいくらい、怒りを感じています。もう、蛆虫、いえ、本来は人に言ってはいけないことだけど、もう人間として生まれ変わってきてほしくない、というくらい許せない」

 千代子さんは1944年、サイパンの家の敷地内にいた部隊のお世話もしていた。その中に、あることがきっかけで仲良くなったYさんという兵士がいた。敵の上陸が迫った時に、別れ際に千代子さんはどういっていいかわからず、口をついて出た言葉は「立派に死んでください」だった。彼女はそのことをずっと悔やんでいる、と話してくれたことがあった。
 
 サイパンの守備隊は敵の上陸を阻止しようとして海岸で木っ端みじんにやられてしまう。彼のいた部隊もそうだった。千代子さんは、兄も父も義姉も失って自身も怪我をしながら必死に北へ逃げていく中で、Yさんの戦友と再会した。そして、こんな話を聞いた。最後は上半身だけになり砂浜に刺さったようにして立っていたYさんは「あの娘に会ったら、最後まで立派に戦ったと伝えてほしい」と戦友に言ったと。

 私は千代子さんから何度も聞いたこの話が、とても「痛くて」忘れられない。そうやって「戦う覚悟」を強いられた皇軍兵士らがどのようにして死んでいったかも目の当たりにしている千代子さんが、今更「戦う覚悟」を強制しようという為政者の言葉を聞いて、それこそ全身引き裂かれるような痛みを感じていることがひしひしと伝わってきた。あの時、戦う覚悟をして短い人生を散らそうとしている青年に、「リッパニシンデクダサイ」とさらに覚悟を求めるようなこと言ってしまった自分。そんな徹頭徹尾「軍国少女」だった自分の過ちを繰り返し体内に呼び起こして自分に突きつけ、反戦平和活動に突き進んできた千代子さん。

 まだ拾えない兄や父の骨を求めて、去年も94歳でサイパンを訪ねている千代子さんの戦後の日々は、彼女より10歳年下の麻生財閥の御曹司が見てきた世界とは異次元ほど違っていたのだろう。そうだとしても「玉砕」の地から令和4(2023)年まで命を繋いできた彼女にとって、薄ら笑いを浮かべながら「戦う覚悟」を呼び掛けた麻生氏の姿は、妖怪にもハエの幼虫にもたとえられないほど薄気味悪く、許しがたいものだったに違いない。

 ここまで読んでも、「確かにとんでもない発言だけど、沖縄の人々に戦う覚悟を持てと言ってはいないよね? うがち過ぎでは?」と感じる人もいるかもしれない。だとしたらそれは、本土に暮らす人と沖縄にいる私たちを隔てる壁が想像以上に大きいことの証左である。

 なぜ、沖縄県民が「我々に言ってるのだ」と思うのか。それはこの10年でどんどん戦争する国へと変貌する日本のスピードを追い越すほどの勢いで、自衛隊による南西諸島の軍事要塞化が進められてきたこと、攻撃力を持ったミサイル部隊が入ってきて戦場にされる心配が年々増していることと無関係ではない。ミサイルがどんどん運び込まれ、戦車が島を走り、PAC3は常駐するようになった。本土の人々は、ここまであからさまな戦争準備を肌で感じる環境にまだないだろう。さらに「シェルター建設」「全島避難」とか、逆に避難せずにインフラを支える協力者が必要だという話も出て、自衛隊だけで戦争はできないなどというセリフもあちこちで聞くようになった今、かつて戦前の政府がそうだったように、戦争に備える側が沖縄県民に何を求めるかが予測できるようになっているのだ。

 例えば思い起こされるのが、戦前、軍隊が分析した沖縄県民像の報告書のたぐいだ。沖縄県民は徴兵忌避が多いとか、敵愾心が弱く忠誠心がない、などと散々な評価で、急いで皇国臣民に仕立て上げねばならないと重点的に皇民化教育が強化された。まさに今自衛隊は、隊員や武器弾薬をどんどん増やしても、肝心の住民の協力が得られなければ作戦に支障が出ると考えているだろう。つまり、どうやって住民に「逃げずに戦う哲学を持たせるか」が課題であることは間違いない。そんなことを心配する日常をすでに我々は過ごしている。

 私はこのところずっと思っている。怠惰で意気地なしですぐに逃げたり降参してしまう島民しかいない島では戦争はできない。ならば、その方が戦争は遠のくのではないかと。戦争訓練に参加するよりも昼寝していた方がいいわ、と白旗を枕に寝っ転がり、横に「我々は貴様らのために頑張っておるのだっ!」と憤慨する兵隊さんを見てもヘソ天で寝ている。そんなぐうたらな人がかっこよくて、国に忠誠を尽くす人がかっこよく見えない世界観をこちらも早く構築しないと、あっという間に「命を掛けて大切なものを守る」という美学がドラマで、映画で、ニュースでもてはやされるようになるだろう。今ならまだ、白旗を持った猫がデザインされたTシャツを着て外を歩けるだろうが、そんなものを着ていたら袋叩きにされる時代がやって来る。「戦う覚悟」が副総裁によって宣言されたのならば、それはそう遠くない未来に来てしまうかもしれない。

 徹底した皇民化教育は功を奏し、皇国臣民の誇りをもって戦争に協力した沖縄県民は、捕虜になるのは恥、自分だけ助かりたいなどと考えてはならないと思うに至り、アメリカ軍の呼びかけに対して投降しなかった。もしも私がタイムマシンに乗ることができたら、迷わず1945年6月の沖縄に行ってこう言って回りたい。

 「命乞いをしましょう、この戦争は大負けです。白旗上げて助かりましょう。死ぬ必要はないんです。捕虜になるのは恥じゃないです。家族や自分の命を守ることこそ尊いんです」と。でも実際にそんなことを言いながらガマに入って行ったら、スパイだと決めつけられて命はないだろうけれど。

 「国民が一丸となって戦う覚悟を持つこと。それが抑止力だ」などという呪いの言葉を、呪いだと見抜けない国民が増えているのではないか。「戦う覚悟? 誰に言ってるのかしら。自衛隊かしら。麻生さんまた叩かれるわねえ」なんてのんびり傍観していると、騙されやすい日本人はまたすぐにあの時代の空気に戻ってしまうのではないかと危惧する。麻生発言に対し、脊髄反射で恐怖と危機を感じ取る沖縄県民の姿がこの状況にブレーキをかけることを願いながら、いま動画を編集している。

三上智恵監督『沖縄記録映画』
製作協力金カンパのお願い

標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』『沖縄スパイ戦史』――沖縄戦から辺野古・高江・先島諸島の平和のための闘いと、沖縄を記録し続けている三上智恵監督が継続した取材を行うために「沖縄記録映画」製作協力金へのご支援をお願いします。
引き続き皆さまのお力をお貸しください。
詳しくはこちらをご確認下さい。

■振込先
郵便振替口座:00190-4-673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎銀行からの振込の場合は、
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
店番 :019
預金種目:当座
店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号:0673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。14年にフリー転身。15年に『戦場ぬ止み』、17年に『標的の島 風(かじ)かたか』、18年『沖縄スパイ戦史』(大矢英代共同監督)公開。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)、『女子力で読み解く基地神話』(島洋子氏との共著/かもがわ出版)、『風かたか 『標的の島』撮影記』(大月書店)など。2020年に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社)で第63回JCJ賞受賞。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)