第646回:末期がん、余命わずかで死刑を宣告されたあるロスジェネ〜刑務所と生活保護・貧困ビジネスの後半生。の巻(雨宮処凛)

 最近、私と同い年で死刑を宣告された人の存在を知った。

 山田広志、48歳。1974年生まれで、75年生まれの私とは学年が同じである。旧姓は松井。寝屋川中学生殺害事件で死刑が確定している山田浩二死刑囚と養子縁組して山田姓になったという(その山田死刑囚は現在、溝上姓)。

 山田広志のことを知ったのは、『創』23年8月号。「末期がんを宣告され、さらに死刑判決を受けた被告の述懐」という記事で知った。

 記事のタイトル通り、今年3月に死刑を宣告されたそうだが(山田被告は即日控訴)、その前に末期がんで余命わずかと言われていたのだ。

 そんな山田被告の事件が起きたのは2017年3月。名古屋市南区で80代の夫婦が殺害され、逮捕されたのが山田被告だったのだ。が、私はこの事件を全く知らなかった。しかし、『創』の記事で山田被告が支援者の協力を得て「癌で死ぬか死刑が先か」というnoteを公表していることを知り、それを読んで非常に衝撃を受けた。

 驚いたことはいくつもある。

 まずは事件当時、彼が生活保護を受けていたこと。そして本人の手記によると、それを揶揄されたこと(noteによると、「仕事もしてないのにいいご身分ね」と言われ、「体に電流が流れた」らしい)が殺害のきっかけになったということ。

 それだけではない。中卒後、頼れる実家もないまま職を転々としてきた山田被告には今回の事件以前にも逮捕歴があること。出所後には生活保護を受け、劣悪な貧困ビジネスの施設に入り、耐えられずに逃げ出した経験があること。しかも貧困ビジネスにひっかかったのは一度ではないこと――。

 死刑と余命宣告、そのどちらが先になるかわからない同い年の男は、私が貧困の現場で出会う困窮者たちとよく似た経験をしていたのだ。しかもコロナ禍以降、一部の支援団体には刑務所出所者からのSOSが相次いでいる。行き場のない出所者に、刑務所が支援団体を教えているからだ。

 もしかしたら、出会っていたかもしれない、だけど出会うことはなく殺人を犯し死刑を宣告された山田被告。

 山田被告のnoteから、その経歴を振り返りたい。

 山田被告が生まれたのは74年6月。母、姉と3人の母子家庭だったようで、母親は水商売。彼が知る限りでも母は何人かの男性と付き合ってきたが、すべて既婚者だったようだ。

 そんな山田被告は中卒後すぐに働くものの、些細なこと(母親の「男」の酒を友人たちと飲むなど)から実家を勘当される。その後は電気工事の仕事をするも上司と喧嘩して夜の仕事へ。大きな転機となったのは、24歳の頃の大事故だ。タンクローリーに轢かれ、足に障害が残ってしまうのだ。

 そこから人生は大きく変わっていく。退院後、実家に戻るも居場所がなく、鉄橋の下で生活。自殺を試みるも失敗し、居酒屋で客の財布を盗んで留置場に。食べるものにも寝場所にも困っていた山田被告にとって、布団で寝られて食事も出てくる留置場は、「天国か!」と思うほどだったという。

 この時は執行猶予がついたものの、その後再び逮捕され、30歳前後で初めて刑務所へ。3ヶ月ほどで仮釈放された後はデリヘルの仕事を始めるが、トラブルで辞め、元ヤクザの知人に誘われ「タタキ(強盗)」をし、再び逮捕、実刑5年。

 出所後は東京でタクシー運転手になる。学科試験に一発合格するなどこの頃の記述を見るとやり直せるチャンスが到来したかに見えるが、事故で不自由になった足への負担が重く、退職。

 そこで彼が頼ったのが刑務所で知り合った元ヤクザ。少しの期間遊び、持ち金が尽きたところで生活保護を申請。が、役所から紹介されたのは「まさに貧困ビジネスよろしくのなんちゃってNPO法人」。「タコ室で、自分のスペースは一畳半」。しかも生活保護費から家賃、光熱費、管理費、食事代などでもろもろさっぴかれ、手元に残るのは2万円ほどという典型的な貧困ビジネス。耐えられずに3日で出たという。

 そうして都内某区の役所で生活保護申請するものの、「うちでは受けられません。『施設も入る所が無いです』」と言われてしまう。水際作戦だ。

「俺は仕方無く、住む場所も無く、金も無いので、とても困った……もうムショに戻るか?? ってなるぞ。」

 そう思った山田被告は近くのスーパーで大福モチを盗み、交番に自首するも相手にしてもらえない。よって居酒屋で女性客のバッグを盗んで自首。「やっと刑務所に入れる」と安堵するも、被害届を出さないと言われて10日で留置場から出されてしまう。

 この時は母親が迎えに来て家に行くが、「母の男のマンション」に居場所はなく、生活保護を受けることに。そうしてまた施設に入れられるものの、再び逮捕。4000円くらいのパチンコ玉を盗んで現行犯。3回目の刑務所行きだ。

 逮捕前に、山田被告は2回自殺未遂をしていたという。練炭自殺と大量の睡眠薬を飲んだがどちらも死に切れなかったそうだ。

 そうして刑務所から出所し、また生活保護の相談に行き、シェルターに入所。そこからシェルターよりはマシな貧困ビジネスに力を借りて生活保護申請。が、なかなか貧困ビジネスから抜け出せない状況に陥る。

 と、原稿執筆時に確認できたnoteはここまでで、そこから事件に至る経緯は不明なのだが、事件当時の17年、彼は生活保護を受けながらアパートで暮らしていたようである。

 事件の起きた3月1日は生活保護費の支給日。その日は役所に保護費を受け取りに行き、ケースワーカーと仕事の面接。その足でパチンコに行くものの、かなり負けてしまったようだ。苛立ちを抱えた帰り道に出会ったのが、被害者となる近所のTさんだった。

「『こんにちはー』と声をかけたら、『お兄ちゃん遊びの帰り?』
俺『まーそんな所です』
Tさんに『仕事もしてないのにいいご身分ね』と言われ、体に電流が流れた」

 そうしてシンクにあった包丁を持って被害者宅に行き、最初にTさんの夫を、そしてTさんを殺害してしまったのだ。

 この時、現金1227円の入った財布を奪ったことで「強盗殺人」となり、今年3月、差し戻し審で死刑を宣告された。

 が、死刑を宣告されても「だから? という感じでしたね」という感想だったという(『創』の篠田編集長との面会にて)。なぜなら、昨年、ステージ4の末期のすい臓がんで余命は長くないと宣告されていたからだ。

 『創』8月号に掲載された山田被告の手記によると、現在、がんは肝臓にも転移。体調の悪化は21年からだったそうで、食欲もなくなり、倦怠感が続き、体重が20キロも減ったのに医師には「様子を見ましょう」と言われ続け、やっと検査をした時にはステージ4となっていたのだった。

 ある意味で、拘置所・刑務所あるあるだが、これはこれで大問題だ。

 もちろん、彼のした殺人は絶対に許されるものではない。が、獄中にいることによって体調悪化の訴えを無視され放置され、命を落とした人は多くいる。この連載の第631回(伝説のバンド「THE FOOLS」のボーカルは、なぜ月形刑務所で命を落としたのか〜動画に写っていた死に至るまでの「放置」)で書いた伊藤耕さんも体調不良を訴えるものの放置され月形刑務所で命を落としている。また、拘置所で命を落とした中には、冤罪が疑われる人もいる。

 一方、ここまでの経歴を振り返ると、タクシー運転手の仕事に前向きだったように、社会復帰できるチャンスはあったようにも思うのだ。心を開ける支援者などがいれば、まったく違った人生になっていた可能性も否定できない。

 しかし、noteを読むと、彼が頼り、曲りなりにも助けてくれたのは刑務所仲間と貧困ビジネスだけだった。そして前述したように、彼自身、いわゆる「シャバ」には居場所がなく、刑務所に入ることを目的に罪をおかして自首している。

 もちろん、それでも事件時の彼は生活保護という制度にひっかかっている身ではあった。しかし、事件は起きてしまった。

 足が不自由な彼は、裁判には車椅子で出廷していたという。

 また、裁判で山田被告の弁護士は、彼に軽度の知的障害があったことを指摘し、事件時は心神耗弱の状態にあったと主張している。が、判決では「影響は限定的。完全責任能力があった」と判断された。

 余命宣告と、死刑宣告。そのふたつを受けたロスジェネは今、名古屋拘置所で最後の時間を過ごしている。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。