第282回:銃弾と投石、圧倒的な非対称(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 太陽と死は直視できない……。確か、17世紀の文学者、ラ・ロシュフーコーの言葉だったと思う。
 だが、世界はいま、死を直視しなければならない局面に立たされている。イスラエルとイスラム組織ハマスの「戦争」である。パレスチナ人が住むガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスが仕掛けた攻撃は、イスラエルにとっては寝耳に水、予測もしない事態だったらしい。

 強力な軍事力を持つイスラエルは、ハマスを見くびっていた。
 何しろ、この両者の軍事力は「圧倒的な非対称」と呼ぶしかないほどの差があるのだ。イスラエルの軍事費は、約234億ドル(2022年)で、世界15位。対して、パレスチナ側はハマス以外のヒズボラなど、他のイスラム組織を合わせても1億ドルに満たないとされる。つまり、簡単に言えば、イスラエルはパレスチナ側の200倍以上の軍事力を持っているということになる。
 これでは、普通に考えて勝負にならない。

 かつて「インティファーダ」という、イスラエルによって占領された地区のパレスチナ住民たちの抵抗運動があった。1987年から数度にわたって繰り返された。その際の映像の記憶が、ぼくの頭の中には消しようもなく残っている。
 銃器で重武装したイスラエル軍に向けて、投石やパチンコで抵抗するパレスチナの若者たち。それはまさに「圧倒的な非対称」がそのまま、鮮烈な映像として世界に伝えられたものだった。
 あの悲しい若者たちの抵抗を、ぼくは忘れることができない。
 投石する若者は、イスラエル軍の銃撃で倒れていった。1993年の「オスロ合意」で一旦、抵抗運動は止んだが、この間の死者は、パレスチナ側では1162人、イスラエル側160人と記録されている。それが、銃弾と投石の差だった。死者の数でさえ「圧倒的な非対称」なのであった。

 ガザ地区とは、イスラエルの南西部に小さく区切られたパレスチナ人の居住区である。居住区というよりは「やや大きめの監獄」(あるガザ住民の言葉)だ。なにしろ、東西5~8キロ、南北約50キロメートルという極小の地域に、220万人のパレスチナ人が押し込められているのだ。
 むろん、公園などはほとんどないし緑地帯は皆無だ。そこでの暮らしがどんなものか、ぼくには想像もできない。
 これでは「大きめの監獄」と住民たちが嘆くのも当然だろう。住民の多くは、他地区からの難民だという。故郷を追われたパレスチナ人たちが流れ着き、否応なく囲い込まれた地域だ。世界でもっとも人口密度が高い地区でもある。
 周囲は壁とフェンスで囲われ、厳重監視され、インフラさえもイスラエルが握っている。普通の刑務所にだって、水も電気も供給されているが、それは管理する側が自由にできる。止めようと思えば、いつでもストップできる。生殺与奪の権限を、最初から管理する側(イスラエル)に握られているのがガザ地区の住民なのだ。
 今回、ハマスの攻撃への報復として、イスラエル側はガザ地区へのガスや水道、そして電気までを止めたという。人間の生きる最低限の基盤を、イスラエルはあっさりと奪ってしまったのだ。
 ハマスが今回起こした無差別攻撃には決して同意することはできないが、その報復としてのイスラエルの措置は正しいのだろうか? 電気も水道もガスも、ハマスのみが使用しているわけではない。一般住民が頼っているのだ。

 イスラエルとは、欧米、とくにイギリスとフランスが強引に作り上げた「人工国家」だ。背景には映画『アラビアのロレンス』の物語もある(ぼくの大好きな映画で、ロレンスをピーター・オトゥールが演じた。)。
 アラビアのロレンスことトマス・エドワード・ロレンスは英国軍将校で、第一次世界大戦中にオスマン・トルコ帝国からの独立を目指すアラブの民を支援して戦った人物。彼の指揮により、アラブの民は要衝アカバを陥落させ、ダマスカスに入った(映画での、ロレンスが白いアラブ衣装を身につけ、剣を振りかざして「アカバへーっ」と叫ぶシーンは、まさに圧巻だった)。

 アラブ人の独立への願い。
 しかしイギリスは「三枚舌外交」と言われる卑怯な策を弄し、アラブを手玉に取る。アラブの独立を認めながら、裏ではユダヤ人の国家創設をも画策していたのだ。それが「3つの協定」と言われるものだ。
 1915年:フサイン―マクマホン協定(中東のアラブ独立)
 1916年:サイクス・ピコ協定(英仏露による中東分割に関する秘密協定)
 1917年:バルフォア宣言(パレスチナ地区でのユダヤ人居住区の建設)
 これがイギリスの「三枚舌外交」といわれるもの。つまり、相反する協定や約束を、たった3年の間に次々と結んでいったのだ。
 かくして、パレスチナ人が多く住んでいた地区に、突如、ユダヤ人国家が創設されることになった。
 自前の国家を持てず、迫害を受けて流浪の民と言われていたユダヤ民族の悲願は、こうして実現したのだが、当然ながら、居住地を追われたパレスチナ人の怒りと反発は強く残ってしまった。
 国連は1947年、パレスチナ分割案を示し、翌1948年にユダヤ人国家「イスラエル」が建国された。ユダヤ人国家とアラブ人国家の両立を図ったのである。
 しかしそれは、パレスチナ側には不利な分割案だと受け止められたために、周辺アラブ諸国はイスラエル建国に猛反発し、4度に及ぶ「中東戦争」が繰り返されることとなった。いずれもイスラエル側の勝利に終わった。その度にパレスチナ人たちは故郷を追われ、難民とならざるを得なかった。
 現在のガザ地区住民は、このような難民が大多数なのだ。
 イスラエルは世界各国の裕福なユダヤ人同胞からの支援をもとに、軍備を増強していった。その豊富な資金で核開発にも成功し、イスラエルは事実上の「核保有国」と見られている。しかしイスラエル自身は、保有しているかどうかを明らかにしない「あいまい戦略」をとっているため、核弾頭保有数などは推定でしかない。
 これが、極めて大雑把なイスラエルとパレスチナの関係である。

 その後も多くのユダヤ人が国家建設に参画し、次第にイスラエルは軍事強国化していった。故郷を追われたパレスチナ人たちは、前述したような抵抗運動を繰り返したが、圧倒的な軍事力の前に、ガザ地区に押し込められ「塀の中の囚われ人」と呼ばれるようになった。しかも、本来はパレスチナ人の居住区であった「ヨルダン川西岸地区」に、次々とユダヤ人入植者を送り込んだのである。
 現在、レバノン国境でイスラム組織ヒズボラがイスラエルと交戦中と伝えられる背景には、このようなパレスチナ人の事情がある。

 イスラエルの現在の政権は、ネタニヤフ首相が率いるイスラエルでもまれに見る極右政権である。彼はヨルダン川西岸へのユダヤ人の入植を積極的に推し進めてパレスチナ人と激しく対立し、今回も「ハマスは死人も同然、ガザからも地上からも一掃する」と激烈に国民を煽っている。

 ハマスやヒズボラがイスラエル憎しで戦うことには、パレスチナのとくに若者層の一定の支持があるという。ガザ地区での若者の失業率は50%を超え、しかも自由に外へ出て行くこともままならない閉塞感。
 ハマスやヒズボラの戦闘員リクルートは、これが背景にある。

 ガザ地区の地下には、そうとう堅固な地下通路が張り巡らされているという。あのベトナム戦争でアメリカ軍に痛撃を与え続けた「ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)」が使った戦術を、ガザ地区のハマスが用いているとすれば、イスラエルの侵攻もそう簡単にはいかないかもしれない。
 それがさらに悲劇を生むことになる……。

 ネタニヤフ首相は、ガザ北部に報復の地上戦を仕掛けると宣言した。一般市民の巻き添えを防ぐために、北部の100万人は、南部へ移動せよと警告した。あの狭い地区で、100万人が逃げ込む場所がどこにあるというのか。
 国連機関でさえ「それは不可能、ほとんど死刑宣告に等しい」と、イスラエルに移動命令の撤回を求めている。だが、イスラエルは報復の態度を変えない。
 相手を「テロリスト認定」すれば、何をしてもいいというのか。
 テロとは無関係な市民の命を犠牲にしてもかまわないのか。
 そうなれば、どちらがテロリストか分からなくなるではないか。

 血まみれになり、痛みと恐怖で震えが止まらないガザの子どもたちの映像を見た。
 戦争は地獄だが、地獄を作り出すのは人間だ。
 人間は、地獄の悪魔か……。
 書きながら、涙が滲んできてしまう。

 これを書いているのは、10月17日。現在のところ、まだイスラエルのガザへの地上侵攻は始まってはいない……。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。