第284回:戦争は「ウソ」をつく(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

「殺させていただきたい」

 もう、たまらんね。
 このごろ、なんだか言葉がひどすぎる。
 ぼくは長い間、雑誌や書籍の編集を仕事にしてきたから、友人たちからは「少し言葉にこだわり過ぎる」と言われることもある。だから気になっても、なるべく黙っているようにしているけれど、それでも最近のメチャクチャさにはいささか腹が立つ。
 それはなにも、若者言葉がどうとか、女子高生の隠語じみた言い回しがどうの、などということではない。もう根本的に言葉の使い方がおかしいと感じてしまうことが多すぎるのだ。
 テレビニュースを見ていて頭を抱えた。ある外来種の有毒の害虫が校庭で繁殖し、その駆除をするという話なのだが、その学校の教師(だと思う)が、「早く全部殺させていただきたいです」と言ったのだ。
 えっ、殺させていただきたい? さすがに「びっくりしたなあ、もう」(三波伸介さん、古い)である。「殺す」という言葉と「いただきたい」がくっつくか?

 この「…して(させて)いただきたい」が妙に流行り出したのはいつごろからだろう。なんでもへりくだればいいってもんじゃないのだが、とりあえず、相手を立てておけば波風は立つまいという言葉遣い。相手とぶつかることを極力避けたいという、なんとも情けない言葉の使い方だと思う。
 これもあるニュースで勤め人が、マイクを向けられて、「はい、この会社で働かせていただいております」
 バッカじゃなかろうかと、ぼくのような老人は思ったのだ。「働いてやっています」が本来でしょ! 労働者と雇用主は対等なんですよ! でも、この“労働者”は、なんの屈託もなくそう言ったのだ。
 買い物客がデパートの初売りかなんかで「買わせていただきました」は、もう当たり前になっている。客が「買わせていただく」とは何事か。それじゃあ店側は「売ってやる」ということになるのか。
 いずれ、警察が「逮捕させていただきます」と言い出すだろう。

国会での言葉遣い

 同じように、過度なへりくだりが、実は相手をバカにしているんじゃないか、と思わせる言い回しがある。国会で政府委員として答弁に立つ官僚たちの言い回しだ。
 「~してございます」だ。こんな風に使う。「その件につきましては、早急に実現できるように努力してございます」
 なんじゃ、これ? なんで「努力しております」じゃいけないのか? これがもっとひどくなると「~させていただくことにしてございます」。まあ、「お前なんかにゃ分かるまいが、こちらのやることに口出すんじゃねえよ」と、内心でペロリと舌を出している感じがして、聞いていると妙に腹が立ってくる。
 こんな言い方は、少し前までは聞かなかったと思う。多分、安倍首相時代に、言葉尻を捉えられないように、質問相手の野党議員をごまかすために使い始めた言い回しじゃないかと、ぼくは邪推しているのだが。

 だが、官僚たちよりもっとひどいのは、やはり首相も含めた閣僚たちだ。
 何かと言えば口に出すセリフ「それは個別の問題ですので、ここでのお答えは差し控えさせていただきます」。
 なんでもかんでも控えさせていただいちゃうのだ。これでは予算委員会だろうが他の委員会だろうが、深い議論などできっこない。
 このパターンがとくに多いのは、松野博一官房長官の記者会見での受け答えだ。例えば木原誠二前首相補佐官の妻の疑惑についての質問にも、得意の「個人のプライバシーに関するご質問にはお答えを差し控えさせていただきます」である。ほとんどすべてがこの答弁で、それ以外は官僚からのペーパーの流し読み。
 同じことは、国会の予算委員会などでも頻発する。最近のひどい例は、武見敬三厚労相の場合だ。彼は質問を聞いていなかったのか、まるで関係のないペーパーを読み始めた。質問者が呆れて質疑を止めた。さすがに議場は騒然、野党質問者と自民党議員が苦笑し合う、という不思議な光景さえ現出した。
 もはやこれは「言葉の軽さ」以前の問題だ。しかも武見大臣の場合、同じことが1度ではなく2度も繰り返されたのだから、大臣としての資質を問われても仕方がない。
 だが、こういうのは「コイツ、アホじゃねえの」と呆れてしまうけれど、人間の命にはとりあえず関わりはない。しかし、戦争となるとそうはいかない。

イスラエルの詭弁

 ハマスの奇襲攻撃に端を発した戦闘は、とうとう「戦争」と言わなければならない段階に達した。11月2日、イスラエル軍はガザ北部の中心都市の「ガザ市」を完全包囲したと発表。さらに5日には、ガザのちょうど中間線にあたる「ガザ渓谷」を完全封鎖した。南北に細長いガザは、北と南に完全に分断されてしまった。その上で、イスラエルは「北部の住民は南部へ避難せよ」と言う。道を閉ざしておきながら「移動せよ」とは、土台無理な話ではないか。
 むろん、ハマス側は徹底抗戦の構え、ガザ地区に張り巡らした500キロメートルにも及ぶという地下道に身を潜め、ゲリラ戦に打って出ている。あのベトナム戦争で、圧倒的な兵力の米軍に抵抗するベトコン(南べトナム解放民族戦線)が採った戦法だ。
 そんな中、イスラエル軍は、負傷者を運ぶパレスチナの医療救急車の車列を砲撃、15人の死者が出たという。これに対し各国から強い非難の声があがったが、イスラエル側は「救急車がハマスの戦闘員を運んでいたから砲撃したのだ」と弁明。
 また病院や学校にも情け容赦のない空爆を加えて、たくさんの子どもや病人が犠牲になった。ガザの保健当局は4日、「いまだ2千人の行方不明者の報告があり、破壊された建物のがれきの下敷きになっているとみられる。そのうち子どもが1200人以上」と発表した(東京新聞11月5日)。さすがにグテレス国連事務総長は「ガザは子どもたちの墓場と化した」と、怒りで顔面を歪めながら発言した。
 この事態にもイスラエル側は「病院地下には地下道があり、そこがハマスの拠点になっているから空爆した」と説明している。だが、約500キロにも及ぶ地下道があるというのなら、狭いガザ地区なのだから、病院や学校の地下にもそれが掘られているのは当然だろう。イスラエルの言い訳はほとんどリクツになっていない。どこを標的にしても、同じリクツが成り立ってしまう。つまり、「我々はガザのどの地点であろうとも、自由勝手に空爆するのだ」とイスラエルが言っているのと同じだ。
 イスラエルのやっていることは、「無差別爆撃」なのだ。
 かつて小泉純一郎首相が国会審議で、苦し紛れに「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」と強弁して失笑を買ったことがあるけれど、イスラエル側が述べているのは「我々が空爆するところは、どこでもハマスの拠点なのだ」ということに等しい。そんなデタラメなリクツがあるものか!

戦争を煽るもの

 戦争はウソをつく。
 それは日本の歴史を顧みてもすぐに分かる。「東洋平和のための戦い」というのが、太平洋戦争のスローガンのひとつだった。「勝ってくるぞと勇ましく 誓って故郷(くに)を出たからは 手柄立てずに死なれよか~」で有名な軍歌『露営の歌』の歌詞にも「東洋平和のためならば なんで命が惜しかろう」とある。
 他国へ侵略に出かけておいて「東洋平和のためならば」もないものだと思うけれど、それが戦争の正体なのだ。
 「ABCD包囲網」というのもあった。アメリカ(America)、イギリス(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)の4カ国に日本は包囲され資源封鎖されたのだから、それを打ち破らなければならない、と政府は国民の敵意を煽って戦争へと駆り立てた。日本が列強に伍して植民地争奪を目指したという事実を糊塗するための宣伝だった。
 要するに「我が日本は他国からの攻撃を受けている。それに反撃しなければならない。団結せよ」である。むりやり仮想の敵をこしらえて、反撃せよと煽る。戦争を仕掛けたのはこちらなのだけれど、国民は熱に浮かされる。やられる前にやれ。
 満州事変、盧溝橋事件、張作霖爆殺事件など日本軍の謀略も、すべては中国軍の仕業とされ、戦端が開かれていく。謀略とは、すなわち「戦争のウソ」のことである。

 今回のイスラム組織ハマスのイスラエルの奇襲攻撃と、それによって開始されたイスラエル軍の凄惨な報復攻撃。これは対テロという名の戦争である。
 先週のこのコラムにも書いたけれど、ハマスとイスラエルの軍事力には圧倒的な差がある。まともに正面からぶつかったら、ハマスなどひとたまりもないだろう。だからこそ、イスラエルは抑制的でなければならない。ここまで来たら、どこで矛を収めるか、検討しなければならない。だが、ネタニヤフ極右政権には停戦の意思など皆無だ。
 それどころか、前述したように「戦闘員を運ぶ救急車を爆撃」「病院や学校の地下にあるハマス拠点を空爆」などと、信じられないような言い訳をする。国連が運営する学校ですら爆撃を受け、多くの子どもたちが死んだ。
 「ハマスのせい」が子どもを殺す理由になるとは、ぼくは思わない。

 ウソはウソを呼ぶ。
 次には、イスラエルは「なぜ子どもを殺すのか」と批判されても、「彼らは小さいけれど、戦闘員ではないと言い切れない」などと言い出すかもしれない。
 ウソにウソを積み重ねて、戦争は遂行される。
 イスラエルの死者は当初の1400人のまま、増えてはいない。一方、パレスチナ側の死者数はついに1万人を超えたという。その7割が女性と子どもたちだという。

 こんな言い方はしたくないが、イスラエルよ、もういいだろう。報復は十分以上にしたではないか。なんとか戦争を停止してくれ。もうこれ以上、血だらけの子どもたちの映像を、ぼくらに見せないでくれ。
 ぼくはささやかな「ガザの子どもたちへのカンパ」をした。
 「即時停戦」を訴えるデモにも出かけている。
 これ以上、ぼくにできることはない。
 殺すな、とそれでも声をあげる。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。