白井明大さんに聞いた:「私は決めた」。国のために人がいるのではなく、人のために国がある

「戦争はしないよ。永久にしないよ」──詩人の白井明大さんは、今年3月に出版した著書『日本の憲法 最初の話』(KADOKAWA)で、日本国憲法の条文に込められた意味を独自に「詩訳」して伝えようと試みました。主に日常の中の光景を詩にしてきた白井さんが、なぜ今「憲法」と向き合ったのか。「詩訳」を思い立ったきっかけや憲法への思いについて、お話をうかがいました。

「この憲法、いいよ」と伝えたかった

──今年3月、日本国憲法の条文などを「詩訳」した『日本の憲法 最初の話』を出版されました。詩人である白井さんが、なぜ憲法の本を作られたのでしょう?

白井 始まりは2020年、新型コロナウイルスの感染が拡大しつつあった年の春です。4月に緊急事態宣言が発令されて、家の外にもなかなか出られなくなっていたころでした。当時僕は沖縄に住んでいたのですが、沖縄県外にもほぼ出られない。誰かと会って話すことさえほとんどできない状況でした。
 そんな中で迎えた5月3日、憲法記念日の朝にふと「憲法のことを書いてみようかな」という考えが浮かびました。人はどこにも動けなくても、言葉は自由に飛んでいける。だったらせっかく憲法記念日だし、憲法についての言葉を「飛ばして」みようと思ったんです。

──それが「詩訳」だったのですか。

白井 もともと日本国憲法の前文がとても好きだったので、それを詩にして──というか、自分の言葉でわかりやすく置き換えて発信してみたらどうだろう、と思いついたんですね。でき上がったものをSNSに投稿したら、「いいね」と言ってくださる方がいて。「こういうふうに言葉が届いていくのもいいものだな」と思いました。
 翌年、もう少し読んでもらえる機会を広げたいなと思って、その前文詩訳を載せたフリーペーパーを作りました。知り合いの書店や雑貨店に置いてもらったり、SNSで告知してコンビニのネットワークプリントを使って広げたり、最終的には3000部以上作った計算になると思います。「うちの店にも置きたい」「好きな喫茶店に置いてもらうから送ってほしい」と連絡をくれた方もいらっしゃいました。文章にふりがなを振って小学1年生の子どもに読ませたというお母さんが「息子も、自分で読めたといって誇らしげでした」と言ってくださったのも嬉しかったですね。
 そんななかで、フリーペーパーを読んでくれた出版社の方の協力を得て、前文以外の部分も「詩訳」して書籍化することになった──という流れです。

──単に現代語にするのとはまた違うわけですが、どんな思いで訳されましたか?

白井 最初から「詩に訳そう」と決めていたら、もっと肩肘張っていたと思うんですが、当初はあくまで自分の好きな言葉、いいなと思う言葉を知ってもらいたいというのが出発点でした。好きな小説とか音楽を、友だちに「読んでみてよ」「聞いてみてよ」と伝えるような感覚ですね。でも書いてみたら、ふだん僕が書いている詩と何も変わらないな、これは「詩に訳した」と言っていいんじゃないかな、と思いました。
 詩にはいろいろな働きがあって、「心を伝える」というのもその一つだと思うんです。憲法の条文には「なぜその条文ができたのか」「そこにどんな考え方や哲学があるのか」という制度趣旨が詰まっていて、それがいわば憲法の「心」ともいえる。その「憲法の心」を、「詩訳」を通じて感じてもらえれば、と思いました。

──後に出版された絵本版(『わたしは きめた: 日本の憲法 最初の話』絵:阿部海太、ほるぷ出版)のタイトルにも使われていますが、前文「詩訳」の最初、「私は決めた」がとても印象的でした。

白井 あそこで言いたかったのは「国が最初じゃないよ」ということなんです。国があって国民がいるんじゃない、先に人がいて、その人たちが伸び伸びと平穏に暮らしていける社会にするために国というものをつくった。そして、その人たち──「私」が自由意志で、私の名において、国を形づくる憲法をここに定めると宣言したわけですよね。
 だから、国のために私がいるんじゃなく、私のために国がある。国家権力の源には一人ひとりの、私の、あなたの生きる権利があるのであって、国にはその一人ひとりに尽くす責務があるんだ、国の都合で戦争をするなんて論外だ。そういうことをまず表現したいと思ったんです。

日本国憲法 最初の話(日本国憲法 前文)

私は決めた。
ちゃんとした選挙で選んだ代表の人たちで
国会を作り
その代表の人たちを通して
私が行動することを。
私たちと私たちの次の未来の人々のために
さまざまな国の人々と
手を取り合うことで生まれる実りと
私たちの国の
ありとあらゆるところで
自由がもたらす恵みを
しっかり握って離さないようにして
まちがっても政府の行ないで
二度と戦争を
引き起こさないようにすると決めた。
(後略)

「私の」自由、「私の」権利

──書籍はその「最初の話(前文)」から始まりますが、その後はただ順番どおりに条文が並べられているわけではありません。どのように構成を考えていかれたのでしょう。

白井 憲法の中でも、人権に関する規定をまず訳したいというのは最初から頭にありました。憲法といえば取り上げられることが多いのは9条だし、それももちろん訳したかったのですが、平和主義の前に、人間には生まれたときから一人ひとり生きる権利があるんだという、基本中の基本からスタートしたほうがいいんじゃないかという気がしたんですね。

白井明大さん ※取材はオンラインで行いました

 9条の平和主義が高く掲げられた理想だとしたら、その理想に手が届くようにするためには、「自分には生きる権利があるんだ」ということをもう一度噛みしめて確かめて、地に足を着けて立つ必要があるんじゃないか。誰かに認められたから人権があるんじゃなく、私にもあなたにも命があるから権利があるんだ、誰もが自由で平等なんだということを、みんなが心の底から確信できることがすべての始まりなんじゃないかなと思いました。
 だから、まずは「私の」権利、「私の」自由についての話から始めたかったんです。その方向性は、わりとすぐに決まりました。

──それが第1章の「私のあなたの自由と人権の話」ですね。11条(基本的人権)や19条(思想及び良心の自由)、24条(両性の本質的平等)などの「詩訳」が収められています。

白井 財産権などももちろん大事ではあるんですが、これだけ経済格差が広がっている中で「あなたには財産権がありますよ、自由競争を保障しますよ」と言っても始まらない。まずは精神的な自由と人権、そして社会権に比重を置いた話をしたいと思ったんですね。
 一人ひとりに生まれたときから人権がある。そこを共有できたら、次に他者との関係が出てきます。人間は地球上でしか生きられないけれど、そのどこかで戦争があったら安心して暮らせないし、環境破壊が進んだら住める場所がなくなってしまう。さらに、こんな小さな一つの星で暮らしているのに、互いに差別したり仲違いしたりするなんて無意味ですよね。そういうふうに、他者とともにこの星で暮らしていくためのさまざまな約束を、2章として位置づけることにしました。

──9条の平和主義も、その「約束」の一つだということですね。
 
白井 「戦争をしない」というのは、人が生まれて平穏に暮らしていくために「最も避けなくてはならないことリスト」の一つですよね。なぜなら、戦争があったら自由で権利を持っているはずの人間が、人間らしく生きられないから。憲法全体がまず「人間が人間らしく生きる」ということを大事にしていて、その上で念押しの約束として9条が「平和」という理想を掲げているんだと思います。理想といっても、遠くの宙にぽっかり浮いているようなものではなく、一人ひとりの私やあなたが地に足をつけて平穏に暮らしていく、生きていく、それを支えるためのものだという感覚がありますね。

戦争はしないよ(日本国憲法 9条)

1
戦争はしないよ。
永久にしないよ。

だって私は
正義と秩序の土台の上にある
世界の平和を
ちゃんと
心から希ってるから。

たとえ
国と国の間のもめごとでも
戦争だとか
武力による威嚇だとか
武力の行使だとか
そんな解決方法なんて
永久にごめんだな。
そんなのポイッと放棄するよ。
(後略)

9条は、国際社会に復帰するための「約束」だった

──9条の他には国際連合憲章や気候変動に関するパリ協定、また1章にも女性差別撤廃条約や労働基準法、大飯原発の再稼働差止判決など、憲法以外のさまざまな法律や条約、宣言、裁判の判決文が「詩訳」されて収められています。

白井 たとえば、憲法14条は「法の下の平等」の原則を謳っているけれど、今も男尊女卑の状況はしぶとく残り続けていますよね。その中で女性差別撤廃条約ができてきたということは、これは憲法の仲間だな、こういう「仲間」たちも入れて本を作ろうと思ったんです。先にお話ししたように、「これ素晴らしいよ、読んでよ」と思えるものを共有したいというのが出発点なので、読んで「いいな」と思ったものだけを選びました。
 他にも入れたかった法律や条約はあるんですが、この本はあくまで憲法に興味を持ってもらうための「窓」で、その窓ごしにちらっと見て気になった人が、もっと専門的な本を手に取るためのきっかけになれたら、と願っています。

──ふだんは別々に読んでいる文章を続けて読むことで、また違った発見もありますね。2章で、憲法9条のすぐ後に国際連合憲章が出てきますが、内容が重なる部分が非常に多いと感じました。日本国憲法公布の前年、1945年に起草されたものですから、時代的なものがあるのかな、と。

白井 僕自身も、これまで別々にしか読んだことがなかったのですが、訳していくうちに、これはつながっているんだな、9条も急に出てきたものではなく、時代の流れを受けた国際的な約束として形成されてきたものなんだなと改めて感じました。
 だからこれは、「なかったこと」には絶対できない約束なんだと思います。かつての大日本帝国はとんでもない戦争を仕掛けて、たくさんの命やものを奪い、破壊した。でも、その国はもう滅んだ。私たちは新しい憲法を作って、新しい国としてスタートする。その最初のスタート地点で「戦争なんて二度としない」と約束しよう──。これは自分たちにとっての誓いでもあると同時に、もう一度世界の中で他の国々に受け入れてもらうための最低条件でもあったんだと思います。

──しかし、敗戦から80年近くが経った今、その9条を変えるべきだという声もあります。

白井 それは、じゃあ国際社会に復帰するための約束を反故にするのかという話でもありますよね。「許してもらった」側でありながら、それを勝手にひっくり返すというのは道理に反し信頼を損ねる行為ですし、あまりに恥ずかしくないでしょうか。
 よく「どこかの国が攻めてくるかもしれないから9条を変えるべきだ」とも言われますが、本来はその前に「戦争が起こらないように、どうしたら他国といい関係を築けるか」ということのほうを、もっともっと真剣に考えなくてはならないはずです。戦争というのは外交における最悪の失敗、例外中の例外なんですから、そこに対する心配だけを膨らませて、その前にやらなくてはならない大事な仕事に目を向けないのはおかしいのではないかと思います。

──最近は、9条のみならず「自由」「平等」など、憲法に書かれているような理念を「机上の理想論」だとして片付けてしまうような、冷笑的な空気が社会に広がっているようにも感じます。

白井 それは、本当に「社会の空気」なんでしょうか。今の政治体制のもとで税金を私物化したり、国富を不当に私有財産に付け替えたりしている人たち、あるいは格差社会やさまざまな差別構造を維持したい人たちの声があまりに大きいがために、「社会の空気」に見えているだけなんじゃないかという気がしています。
 この本のコラムでも紹介したのですが、俳優のエマ・ワトソンが国連本部でスピーチしたときに、18世紀イギリスの政治家エドマンド・バークの言葉を引用していました。「悪が勝つ条件は、ひとつだけ。善良な人々が何もしなければいい」。
 何もしなければ、「悪が勝つ」ことになってしまう。だから私たちは、「おかしい」「間違っている」と思うことがあれば、「社会の空気がこうだから……」とあきらめるのでなく、ちゃんと声をあげていかなくてはならないんだと思います。憲法12条にも「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とありますよね。その「不断の努力」をさぼってしまったら、格差や差別構造を温存したい人々が今以上に大手を振って歩くような社会になってしまうでしょう。それだけは、なんとか防がなくてはならないと思っています。

(取材・構成/仲藤里美)


『日本の憲法 最初の話』(KADOKAWA)

しらい・あけひろ 詩人。1970年生まれ。2004年、第一詩集『心を縫う』(詩学社)を刊行。2012年、『日本の七十二候を楽しむ ─旧暦のある暮らし─』(絵:有賀一広、東邦出版/KADOKAWAより2020年に増補新装版発売)が静かな旧暦ブームを呼んでベストセラーに。2016年、『生きようと生きるほうへ』(思潮社)で第25回丸山豊記念現代詩賞を受賞。そのほか『島の風は、季節の名前。旧暦と暮らす沖縄』(写真:當麻妙、講談社)、『希望はいつも当たり前の言葉で語られる』(草思社)、『いまきみがきみであることを』(画・カシワイ、書肆侃侃房)など著書多数。

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