第294回:ドラゴン 怒りの鉄拳…?(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 あーあ、これで終わりかあ……。
 つまらない田舎芝居を観せられていたようで、なんとも釈然としないし、マジで観ていた自分にも腹が立つ。
 やけに景気のいい前振りをぶち上げられて、ちょいとは期待して観ていたものの、途中から、あれ、この芝居はどうも尻つぼみになりそうな気配だな、下手な台本じゃなきゃいいが…と思っていたら、その危惧が当たって、なんともしまらない幕切れ。ちょ~ん!と柝(き)が入って、はいお終い。
 なんだよ、これ!

検察庁の看板にべったりと…

 かつて、検察庁の看板に黄色いペンキがべったりとぶっかけられたことがあった。1992年のことである。
 当時、世間を騒がせた政界汚職事件に「東京佐川急便事件」があった。東京佐川急便のオーナー経営者らが巨額の特別背任に問われた事件だが、その過程で、当時自民党副総裁として権勢をふるい、「政界のドン」とまで呼ばれていた金丸信氏に、5億円もの闇献金疑惑が浮上した。
 東京地検特捜部は金丸氏に出頭を要請したが、彼は政治資金規正法違反と5億円の受領を認める「上申書」を提出して、出頭には応じなかった。地検特捜部は結局、事情聴取もせずに金丸氏を略式起訴、罰金20万円であっさり一件落着。
 おいおい、5億円の疑惑にたった20万円の罰金かよ、と当然ながら検察への世論の風当たりは猛烈で、その結果、前述のように、怒った市民が黄色いペンキを検察庁の看板にぶちまけたのだった。
 世論の怒りに奮起したのか(?)検察は、その後、東京国税局と合同捜査を行い、金丸氏の巨額脱税を暴き、1993年にようやく金丸氏を逮捕するに至った。この際、金丸事務所の金庫から「金塊」が押収されたことも大きな話題になった。これによって、検察は面目を取り戻したと言われた。それが「東京佐川急便事件」の顛末である。
 さて、今回はどうなるか? パーティー券による裏金は6億円? いや、各派の金額を総計すればもっと多額の“ごまかし金”が発覚する。
 それらは政治資金規正法にのっとった記載をされておらず、当然税金を納めていないわけだから「脱税」であることは間違いない。だとすれば、あの「金丸事件」と同様に、検察は国税局との合同捜査で安倍派幹部などをひっくくることも視野に入れていいのではないか。そんな意見が、世間ではかなり大きいのだが、検察はこれで一件落着ということにしたいのだろうか。
 大山鳴動して、大ネズミはお目こぼし、小ネズミ数匹とごきぶりゾロゾロでお終いでは、あまりに後味が悪い、悪すぎる。
 検察は世論の怒りを追い風にして「脱税」で再捜査を目論んでいる、などという見方をする向きもあるけれど、それはやはり“うがちすぎ”だろう。ただし「検察審査会」が動いて「起訴相当」の意見を出せば、再捜査もあり得る。
 『ドラゴン怒りの鉄拳』という映画があった。むろん、ご存じブルース・リーの大活躍カンフー映画である。今年は辰年、つまりドラゴンの年である。「アチョーアーッ!」という、あの怪鳥のような気合を込めた声を張り上げて、検察の“怒りの鉄拳”が甦るか?
 そうはならないだろうなあ……。

ああ、究極のブーメラン

 それにしても、安倍派5人衆(この呼び名がまた、出来の悪い時代劇の悪役みたいで不快だが)とかいわれていた連中の肝っ玉の小せえことよ。何が幹部だよ、“癌部”じゃねえか、と毒づきたくなる。
 例えば世耕弘成氏。毎日新聞(1月24日付)。

 自民党安倍派「5人衆」の一人、世耕弘成・前参院幹事長は19日夜、記者会見し、安倍派の政治資金パーティー裏金事件を巡る自身の政治資金収支報告書不記載について「秘書が報告しないまま、政治資金収支報告書の簿外で管理していた還付金について受領していたことを把握することは残念ながらできませんでした」と釈明した。その上で「私の管理監督が不十分だったという指摘は否定できない」と監督責任を強調し、「国民の皆様の政治不信を招き、関係者に多大なご迷惑をおかけしていることについて、心からおわびをもうしあげたい」と陳謝した。
 5年間の不記載額は1542万円だったと説明。2012年に安倍内閣で官房副長官に就任して以来、経済産業相、参院自民党幹事長など「大変責任が重く、多忙な役職に就きつづけた」ため政治資金管理は「秘書に任せきりの状況」だったとした。(略)

 だいたい「還付金」って何だよ! まるで正当な金のように聞こえるが、要するに黒い「裏金」じゃないか。これも「自民党辞書(言い換え集)」に載っている言葉なのか!
 そして、ここでも例の「秘書が……」パターンのお出ましである。ふざけんなっ! と、でっかい喝を入れなきゃならない。だが、ここでかつて自分が書いたツイートが掘り起こされたものだから、そりゃ世耕サンの顔色も真っ青になるわ。

 小沢幹事長不起訴? 会計システムまで構築し、収支報告時には、貴重な限られた時間を犠牲にして、担当秘書にひとつひとつ質問しながらじっくりと確認した上で書類を提出していることが、空しくなってきます。(2010年2月3日)

 こんな見事なブーメランも滅多にないね。
 少し説明すると、小沢一郎氏の政治資金管理団体「陸山会」が所有していた不動産を巡って、それが隠し財産であると、2006年に「週刊現代」が報じた件で、小沢氏の秘書3人が市民団体により政治資金規正法違反容疑で告発された。
 裁判は、2010年~14年に及んだ。3人は結局、執行猶予付きの有罪となったが、小沢氏は最終的に無罪となった(詳しい成り行きは省略する)。
 この裁判の過程で世耕氏が発したのが、上記の“ツイート”だったのである。世耕氏自身は政治資金について「担当秘書にひとつひとつ質問しながらじっくりと確認……」とまで言ってしまっているのだから、今回の「政務多忙につき、秘書に任せっぱなし」は、いくら何でもひどすぎる、いや、アホすぎる。
 むろん、ほかの“癌部”だって負けちゃいない。「5人衆」の西村康稔氏も萩生田光一氏も、そろいもそろって「秘書が」の合唱輪唱である。
 ♬ひしょがひしょが ひしょひしょ うらがねひしょ~~♬  なんだかオウム教団の不気味な歌を思い出す。あれは ♬しょーこーしょーこー しょこしょこしょーこー♬ だったか。
 こんな連中ばかりの派閥なのだから、安倍派解散は当然の帰結だろう。
 だが「派閥解消」はどうも、岸田首相の“一発芸”に終わりそうだ。麻生派、茂木派、森山派は解散には否定的だし、解散を決めた二階派の大将だって「いずれ人は集まってくる」などと平然と述べている。
 「まあここは、世間の目もうるさいことだし、とりあえず解散ってことで様子を見よう。人の噂も75日、政策集団として再結集すればいいよ」てなもんなのだろう。

できない(やらない)理由(リクツ)

 能登半島大地震の後遺症(いや、まだ災害の真っ最中だが)は、なかなか解消されない。なにしろ、災害対策に没頭しなければならないはずの政府自民党がこんな有様なのだから、対策が滞るのも当たり前だ。
 最近の各メディアの世論調査では、岸田内閣の支持率はほぼ20%前後で横這いのままだ。大災害発生時には、政府の対応策への期待値が高まり支持率が回復するのだが、岸田首相の目はまるで被災地に向いていない。何しろ現地入りが地震発生の2週間後だった。状況把握ができていないのだから、災害復旧は遅れる一方。だから支持率も回復しない。
 SNS上では、いまだに山本太郎バッシングや政府批判を許さない連中のおかしな言動が続いている。ぼくのツイートも、けっこう絡まれている。そんな中で、ちょっと面白い記事を見つけた。
 朝日新聞(1月20日夕刊)のコラム「藤田直哉のネット方面見聞録」である。ぼくは、ふむふむそうだよなと、うなずきつつ読んだ。

災害対応「できない理由」探すより

 (略)発災の当初に発せられた、ボランティアなどが殺到して渋滞が起こっているという情報は本当か、否か。現地からの写真には、混んでいるものも、すいているものもあり、ネット上で見ているだけでは真偽を判断するのは難しい。(略)
 それならヘリが行けないのはどうしてかという疑問に、「地面が割れていて着陸できない」「田んぼは軟弱で着陸できない」「気候が」「地形が」などと理由を説明する人が多数現れた。数日後、「できない」と言われたヘリ発着を自衛隊が次々と行った。
 今回の地震の反応においては、「できない理由」を人々が自発的に語り、政府を擁護する現象が非常に印象的だった。そこではまことしやかに「素人が思いつくようなことは、専門家はちゃんと検討して、していない以上、理由があるのだ」という説明がなされていた。
 政府や専門家がやること・やらないことは、いつも最善で理由があるという思い込みがあり、勝手に理由を探して正当化しているのだろう。(略)
 もちろん、「素人」の意見が常に正しいわけではないが、しがらみのない素人が言える意見も大事なのだ。
 「できない理由」は、あるのが当然である。だが、そこを乗り越えないと、社会は良くならず、日本は停滞を続けてしまうのではないか。避難所の設備や環境も、阪神・淡路大震災のときと大きく変わっておらず、他の国と比較して劣悪だという指摘があるが、「できない理由」を探し改善を遅らせると、震災関連死の増加につながりかねない。(略)

 このコラムは、ここから類推して「少子化」や「政治とカネ」「芸能界の性加害問題」までにも言及している。
 確かに、みんな同じ構造だと思う。
 こういう問題が起きるたびに「少子化はジェンダー問題に起因する」とか「政治はカネがかかって当然」「芸能界はそんなところ」「面白さを否定するな」「売れないヤツのやっかみ」などと、権威や権力を擁護する意見がネット上に溢れる。
 みんな、そんなに支配されたいのかなあ……と、ぼくなどは思う。
 「寄らば大樹の陰」って、決してカッコいいもんじゃないけどなあ。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。