第300回:変な言葉のほうになってございまして、これ以上の文章は控えさせていただきます(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 テレビニュースを見ていて、なんじゃこりゃ? と思った。
 最近は、大学生の就職状況が好転し、学生側が売り手市場になり、企業側が内定者を引き留めておくのに苦労しているというニュースだった。そこで企業は「オヤカク」ということをやり始めたという。つまり「ほんとうにわが社へ就職してもらえますよね」と、内定学生の「親に確認」を取る、というのだ。それを略して「オヤカク」というらしい。まったく、なんでも略語にしてしまう。
 ニュースでは、当の学生(男性)にもインタビューしていたが、こんなやり取りだった。

Q:あなたは、誰に就職の相談をしていますか?
A:お母さんですね。

 ギョッとした。えっ、「お母さん」?
 ぼくらの時代には、就職先を親に相談するなんて、ほとんど考えられなかった。自分の行く先は自分で決める。それが当然のことと思っていた。まあ、時代が変わっているのだから、今は学生が親に相談するのが当たり前になっているのかもしれない。そういう時代なのだろう。
 だが、ぼくがギョッとしたのは、そのことではない。「お母さん」というこの学生の言葉である。ちょ、ちょっと待てよ。仮にもテレビで取材されているんだぜ、「お母さん」はないだろう、と思ったのだ。
 この学生、就活中なのだから、きっと20歳は超えているはずだ。それが「お母さん」とは恐れ入る。ニコニコと満面に笑みを浮かべながら言ったのだ。少なくとも、自分の親のことを他人に話す場合、父、母、と呼ぶのが常識だとぼくなどは思っていたのだが、もうそんな常識は通らないらしい。仲間同士でのじゃれ合いの中での会話ならともかく、テレビカメラの前で「お母さん」とは……とぼくは呆れてしまったのだ。こういう人は、企業の面接で「御社は」を連発するのだろうな。
 ぼくも会社員時代に、なんども面接官をさせられた経験がある。その時、とてもイヤだったのがこの「御社」という言葉だった。まあ、それは感覚の問題だから仕方ない。でもそういう人が会社員になると、今度は「我が社は……」を連発することになる。これもぼくの嫌いなフレーズだった。

 こんな具合に、どうもぼくの神経を逆撫でにする言葉が、このごろは多すぎるような気がする。

 中でも、最近もっとも不快な言い回しが「……してございます」である。主に、高級官僚たちが乱発する。国会の予算委員会等の審議の場で答弁に立った官僚たちが、議員の質問に対してこれを使う。例えば……

Q: この計画についての話し合いは行われたのですか?
A:その件につきましては企画会議を〇日に行ってございます。

 ぼくはイラつくのである。なんで「行っています」もしくは「行っております」ではいけないのか。この異様なほど慇懃無礼な言葉遣い、心の中では相手をバカにしているように思えてならない。
 官僚たちがいつから、こんな言い回しを始めたのか定かではないが、あの財務省による書類改竄で、苦悩の末に自殺した赤木俊夫さんを切なく思い出す。この件に絡んで国会招致された佐川宣寿元理財局長が、頻りにこの言葉を連発していたような記憶があるのだ。

 記憶にございません。
 記録は残してございません。
 お答えは差し控えさせていただきます。

 こんな無内容な言葉を、ぼくらはいったいいつまで聞かされるのだろう。「差し控える」のなら、さっさと議員も官僚も辞めちまえ! と、ぼくは何度、テレビに向かって悪態をついたことだろう。
 シラーっとした顔で「差し控える」や「記憶にない」を連発する官房長官や“ナンとか5人衆”らには、には、汚語ではあるが「カエルの面にしょんべん」を進呈しておく。

 上にも書いたが、「……させていただきます」もイヤな言葉だ。前にもこのコラムで触れたことがあるような気もするが、やはり気持ちが悪いので、また取り上げておく。
 これも国会審議の場でのやり取りに多い言い回しである。追いつめられた閣僚たちによって頻発される。
 むろん、もっとも多いのが「お答えは差し控えさせていただきます」だ。単に「差し控えます」では相手が納得しないが、「させていただきます」と丁寧に言えば分かってくれるとでも思っているのか。
 慇懃無礼は余計な怒りを買うだけだ。このやり取りは、聞いていて本当にイライラする。ふざけんじゃねえ、とテレビ画面に向かって思わず濡れ雑巾でも投げつけたくなる。ま、雑巾なら厚顔無恥な汚れ議員にはちょうどいいだろう。

 沖縄・辺野古での基地反対の抗議の現場に、ぼくも何度か参加した。警官隊は、座り込んだ人たちをそれなりに丁寧に扱う。両脇を抱えて他の場所へ連れて行く。「交通の邪魔になるので、他の場所に“移動していただきます”」である。
 自民党議員たちの裏金問題では、残念ながら「逮捕者」は出ていないようだが、もしそうなればきっと検察は言うだろう。「逮捕させていただきます」……。
 どんなに言葉を飾ったって、いい加減なヤツはどこまでもいい加減だ。

 言葉は生き物である。だから、時代に合わせて変遷する。その中でも最近、猖獗を極めているのは「……になります」だ。これらはいわゆる「政治用語」ではないが、ぼくは聞くたびに落ち着かない気分になる。
 例えば、こんな具合だ。
 店員さんがケーキを運んできて「こちら、モンブランになります」
 なんでこんなに“なっちゃう”のだろう。なぜ「こちら、ご注文のモンブランです」ではいけないのだろう。現在では、お店ではほぼ100%が「……になります」という。店だけではない。あらゆるところで「なる」のである。

 あれが有名な富士山になります。
 あの野鳥が可愛いメジロになります。
 こちら、美味しいケーキになっております。
 あそこが観光地として有名な素敵な梅園になります。
 遠くに見えますのがみなさんご存じの国会議事堂になります……。

 やたらに「なる」のである。
 別にこれが若者言葉であるとも思えない。テレビを見ていたって、アナウンサーまでが「これが……になります」をけっこう連発している。どうしちゃったんだろう。こういうの、一度気になると、なんだか耳について離れない。

 もうひとつ「……のほう」ってのも、ぼくはイヤだ。
 例えばこう。「こちら、モンブランのほうになります」。なんで“ほう”なのかさっぱり分からん。最強なのが「ほう」と「なる」が合体して「……のほうになります」である。まさに“ナニソレ珍用語のほうになります”だ。
 繰り返すが、なぜ「こちらモンブランです」ではいけないのだろうか?

 気にし始めると、こんな具合のほうになる。
 変な言葉のほうになってございまして、これ以上の文章は控えさせていただきます。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。