「優生手術は、私から幸せな結婚や子どもというささやかな夢をすべて奪いました。信頼していた夫に、子どもを産めなくする手術をしたことを打ち明けた途端、夫は私のもとを去っていきました。周囲は私だけを非難し、精神的な病気になり、働けなくなりました。精神的なストレスが積み重なり、PTSDという診断が出ています。優生手術によって、私の人生は狂わされてしまったのです」
宮城県に住む飯塚淳子さん(70代)は、涙ながらにそう口にした。16歳で、なんの説明もなく強制不妊手術を受けさせられた女性である。
3月21日、衆議院第一議員会館大会議室。この日開催されたのは、「最高裁判決を待つまでもない! 優生保護法問題の政治的早期・全面解決をめざす3・21院内集会」。
「不良な子孫の出生を防止する」という旧優生保護法のもと、障害者らが強制不妊手術を受けさせられていたことを知っている人は多いだろう。旧優生保護法が存在したのは1948年から96年まで。厚労省によると、この間、実に約2万5000人が強制的に不妊手術を受けさせられている。
この手術を受けさせられた人々が国を訴え始めたのが2018年。多くが被害から半世紀以上経ってからの提訴だった。現在、全国各地で39人が原告となり、裁判を闘っている。しかし、原告の多くは高齢者。提訴から6年が経つ中で、すでに6人が亡くなった。そんな原告らの一部がこの日、衆議院第一議員会館に集まったのだ(一部はオンライン参加)。
会場は超満員で、立ち見も出るほど。国会議員も自民党かられいわ新選組までが揃っていた。その光景が、この問題への関心の高さをうかがわせた。
そんな中、原告たちがマイクを握り、あるいは手話で次々と訴える。
兵庫の原告で脳性麻痺の鈴木由美さん(60代)は、12歳頃、母親に「入院するから」と言われて不妊手術をされたという。車椅子の彼女は、当時は後ろからの支えがあれば立つことができたので、てっきり立てるようになる手術を受けるのだと思ったそうだ。しかし、なされたのはあまりにも残酷な手術。子宮を摘出された彼女は以後、後遺症で約20年間も寝たきりの生活を余儀なくされたという。
宮城の原告の千葉広和さん(70代)は、18歳の時、施設の仲間とともにライトバンに乗せられて診療所に連れて行かれ、強制不妊手術を受けさせられた。病院の看護師からは、脱腸の手術だと虚偽の説明を受けていたという。
知的障害がある千葉さんは、「物心ついた時から大人になるまで、親や周囲の人たちの言いなり」で、「今回の裁判は、生まれて初めて自分の意思で決めました」と語った。「生まれて初めて」の決断がこの訴訟への参加を決めたことで、それが60代後半もしくは70代になってからであるという事実に、ただただ胸を打たれた。
福岡の原告で聴覚障害がある日田梅さん(70代)は、結納の日、夫の家族から衝撃的なことを告げられる。「子どもを作らない手術をするという条件で結婚を許可する」と言われたのだ。そうして夫が手術をされたものの、子どもを持てないことが辛く、橋の上から飛び込むことを考えたこともあるという。夫も原告の一人だが、裁判直前に倒れてしまい、以後、寝たきりで現在も入院中。
「私たちの人生を返してください。私たちの幸せを返してください。過去には戻れませんが、国は私たちに謝ってほしいです」と訴えた。
他にもこの日、多くの原告が涙ながらに「人生を返してほしい」と思いを述べた。
集会のはじめには、今年2月に亡くなった熊本の原告・渡邊數美さんへの黙祷の時間が設けられた。
79歳で亡くなった渡邊さんが睾丸摘出手術を受けたのは10歳の時。幼い頃から変形性関節炎で少し足を引きずっていた渡邊さんだが、体調が悪く病院に行った際、なんの説明もなく手術されてしまったのだという。
以降、男性ホルモンが正常に分泌しなくなったことから筋肉や骨が弱くなり、骨粗しょう症に。人工関節を五ヶ所に入れるなど、手術をしてから70年もの間、ずっと身体の不調に苦しんできたという。訴訟中も人工関節を入れ替える手術をするなどし、さらに体調は悪化。昨年は転倒して肋骨を骨折していたという。そんな状況から、渡邊さんは以下のような言葉を残している。
「体は年々衰えて、次に転倒等してしまったら、死んでしまうのではないか、と思って毎日必死に生きている。早く解決してほしい」
そんな渡邊さんと連絡がとれなくなったことから弁護団の一人で自宅を訪れ、亡くなっているのが発見されたという。部屋の中での転倒が原因となった死だったそうだ。本人がもっとも恐れていたことが起きてしまったのである。
もし、渡邊さんが手術を受けていなかったら。骨粗しょう症になることもなく、これほど転倒の不安を抱えることはなかったのではないか。
そんな渡邊さんは生涯の中で2度ほど結婚の話があったらしいのだが、「断種した自分では相手を幸せにしてあげられない」と断っているという。そのことで、自殺未遂をしたこともあったと弁護団の一人は話してくれた。
話を聞きながら、言葉を失っていた。
優生手術とは、そういうことなのだ。
人生の伴侶としたい人が現れても、お互いに想い合っていたとしても、一緒になることができない。もし自分だったらと思うと、耐え難い理不尽さに、人生を台無しにされたという怒りにどうにかなってしまいそうだ。
「人としてやって良いこととやってはいけないことがある。生殖機能を取ってしまうなど、人のやることではない。睾丸摘出されたことで、自分の体はボロボロになった。いっそ、睾丸をとったときに殺してほしかった」
生前の渡邊さんの訴えである。
他にも、子どもがいれば今頃は可愛い孫がいたかもしれない、家庭があったかもしれないと語る人が多くいた。夫婦二人で暮らしてきたものの、夫や妻に先立たれて、今は一人暮らしという人も少なくなかった。
このような人々の訴えに対し、国は「当時は合法だった」の一点張り。だからこそ、全国で裁判が始まったのだ。
さて、ここまで読んで「ひどい話だけど、自分は障害がないから関係ない」と思う人もいるかもしれない。しかし、原告の中には障害がない人も多くいる。
ある人は19歳の頃、警察に手錠をかけられて精神科病院に連れていかれ、受診歴などないのに「精神分裂病」と言われて手術を受けさせられている。また、救護院に入所させられている時に、説明なく手術された人もいる。「非行」を理由に強制不妊手術をさせられた人もいる。もう、無法地帯としか言いようがない。そんな優生手術を可能にした旧優生保護法が、96年までこの国に存在していたという事実にはただただ戦慄する。
今年5月には、最高裁での弁論が予定されている。が、原告らは、「最高裁判決を待つことなく、すべての被害者に救済を」と訴えている。そう、原告は39人だが、手術を受けた人は約2万5000人。提訴している人々は氷山の一角なのだ。
あまりにも取り返しのつかない、あまりにも差別意識剥き出しの優生手術。
私がこの日、原告の人々から一番多く聞いた言葉は「悔しい」だ。
国は彼ら彼女らの声に、真摯に向き合ってほしい。