第303回:オノマトペ政治観測?(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 世耕弘成元自民党参院幹事長の「政倫審」での答弁ぶりを見ていて、ぼくの頭にとっさに浮かんだ句(?)。

 ペラペラとああペラペラペラペラ

 ところで、松尾芭蕉の作と伝えられるこんな句もある。
 松島やああ松島や松島や
 あの芭蕉ですら、あまりの松島の美しさに感動して、他の言葉が出てこなかったと、まことしやかに伝わっているが、実はこれ、芭蕉の句ではないという説も強い。
 ま、それはこの際どうでもいい。芭蕉ではないけれど、世耕氏のあまりのペラペラ答弁に驚愕して、ぼくはほとんど言葉が出てこなかったのだ。こういうのを、まさに「二の句が継げない」というのだろう。

 日本語は、他言語に比較して「オノマトペ」が豊富だといわれる。
 オノマトペとは、簡単に言えば「擬音語」「擬態語」である。英語では「onomatopoeia」と表記しているから、別に日本語特有ではないけれど、確かに日本語では他言語よりも多いらしい。そういえば、沖縄語には「ワジワジーする」(いらいらする、癪にさわる)というオノマトペがあったな。
 世耕氏の場合、「ペラペラ」というのが擬態語ということになるだろう。あいつはペラペラとよくしゃべる、とか、彼はペラペラと薄っぺらいヤツだ、ペラペラで中身がないな、などとあまりいい意味では使われない。
 その意味どおり、まさに世耕氏の答弁は口先ばかりでほとんど意味がなかった。「立て板に水」どころか「立て板に油」と思われるほどのペラペラぶり。そのくせ中身は「知らぬ存ぜぬ」「記憶にない」の一辺倒。いったいなんのために政倫審に出てきたんだよ、あんたは! である。

 最近の政治家たちを見ていると、こんな“オノマトペ政治家”ばかりが目に付く。ひどいものだ。
 加藤鮎子大臣など、予算委員会での答弁ぶりは見ていて気の毒になるほどのオロオロぶり。質問の意味がほとんど理解できず、手にしたペーパーのどこを読んでいいのかさえ分からずに立ち往生。ぼくは“オロオロ大臣”と命名した。しかし、こんな人を大臣にせざるを得ないほど、自民党は人材豊富なのである。

 政倫審でのキーマンと目された下村博文氏の答弁もひどかったなあ。
 彼は以前に、裏金キックバックを継続したことについて「ある人が言い出した」と語っていた。ところが政倫審では「誰が言い出したかは分からない」を、アッケラカンと繰り返すばかり。誰か分からない人を“ある人”などと言うだろうか? アッケラカンってのも、オノマトペの一種だろう。アッケラカン議員である。
 西村康稔前経産相や高木毅前国対委員長、松野博一前官房長官、塩谷立元文科相などの安倍派幹部はそろいもそろって記憶喪失者ばかり。こういう連中は、ズバッと全員クビにしたほうがいい。そう、ズバッもむろんオノマトペ。
 ところで安倍派幹部のひとり、ギトギトに脂ぎっている萩生田光一氏はなぜか表に出てこない。けっこうな裏金を懐に入れながら雲隠れ。陰ではひそひそと「あの人はズルい」との声が多数なのだが、黙り通して逃げ切るつもりらしい。
 だが、グズグズの岸田首相、ズバリッどころかコソコソと適当な“処分”でお茶を濁そうとする気配。なにしろ、次回選挙で彼らを「非公認」にするということで収めてしまおうというのだから、呆れてアングリ開いた口が塞がらない。こちらまでオノマトペ症候群に襲われてしまう。

 3月25日、疑惑の一方の中心であった二階俊博氏が突然、次回選挙には立候補しないと表明した。そうなると選挙での「非公認」なんて処分は何の意味も持たなくなる。その上で息子に跡を継がせようという算段らしい。
 すたこらさっさと逃げを打っての世襲交代。記者会見では「不出馬は責任を取るということか、年齢のためか」と聞かれて「お前だって歳を取るんだよ、バカヤロー」と、ぼそりと捨て台詞。これが自民党の大親分だったのだ。

 幹部連中がそんな有様なのだから、自民党青年局だって負けちゃいない。やってくれます、エロパーティの花盛り。ネチネチと薄着ダンサーを触りまくり、口移しの千円札で大はしゃぎ。お札は涎でベチャベチャだったんじゃないのかね、汚い! それでも足りず、埼玉青年局では裸男の緊縛ショーだと。うへっ、気持ち悪くてゲロゲロです。
 いったいどーなってんだぁ、自民党っ! ほんとうにグッチャグチャで腐臭漂う泥沼と化している。
 とにかく世も末、こちらの頭がクラクラする。

 米軍の事故後、しばらく飛行停止していたオスプレイが飛行再開した。木原稔防衛相は「米軍側から丁寧な説明を受けた」として、あっさり再開を認めた。そして千葉県木更津の自衛隊基地のオスプレイもドドドドーッという凄まじい爆音を立てて訓練再開。住民たちへの説明もさっぱりなされないままだった。
 どこまでいっても、日本はアメリカにへいこらするばかり。

 ただただ泥まみれの政治だけなら、まだ正しようもある。けれど、ウクライナやガザではドンパチがいまだに収まらない。
 そこへもってきて、今度はロシアのコンサートホールでの大量殺人。ダダダダッと響く銃声、飛び交う銃弾、まさに阿鼻叫喚、バタバタと血にまみれて倒れる人々。世界中、狂っている。

 イスラエルのネタニヤフ首相は、もはや狂気の域にずっぽりと足を踏み入れている。さすがにバイデン大統領もイライラを募らせているようで、ネタニヤフに自重を促し、ラファなどへの攻撃を抑えるように言い始めた。
 だがネタニヤフは「アメリカがもしわれわれを支持しなくても、ハマス撲滅まで作戦は続行する」と行け行けどんどんの超強気。もし今、イスラエルで選挙があれば、ネタニヤフの右翼政権は勝利できないだろうという観測もあり、政権維持のためにもスパッと戦争を止めるわけにはいかないという事情もあるらしい。
 アメリカではトランプ返り咲きの「もしトラ」の可能性が高まっているというし、そうなれば世界の混迷はぐーんと深まるだろう。
 考え始めると、背筋がゾクゾクしてくる。
 もっとふ~んわりしたやさしい世の中が来ないものか。

 あまりにひどい世の中だから、最初は適当なお遊びのつもりで書き始めた今回のコラムだけれど、どうもチャラチャラした感じでは終われそうもない。結局、どしんと重い気持ちに戻っていく。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。