三上智恵さん×山内若菜さん:「抑止力」のもとに進む軍事化で、奪われようとしているもの~映画『戦雲(いくさふむ)』

書籍『戦雲(いくさふむ) 要塞化する沖縄、島々の記録』を今年1月に出版、そして現在、6年ぶりとなる新作ドキュメンタリー映画『戦雲』が全国公開中の三上智恵さん。書籍の表紙や映画に出てくる絵を手掛けたのは、原発事故後に福島に通い続け、動物を主なテーマに命の大切さを描いてきた画家の山内若菜さんです。与那国島での三上さんの取材にも同行されたという山内さん。軍事化によって、何が奪われようとしているのか――お二人に共通する、命や自然と共にある人々の暮らしへの思いについて伺いました。

映画で伝えきれないことを、絵や音楽が伝えてくれる

――南西諸島では、自衛隊のミサイル部隊の配備、弾薬庫の増設などが進み、急速な軍事要塞化が進められています。2015年から8年かけて、三上智恵さんはそうした島々や沖縄本島をめぐって取材を続け、マガジン9の連載でも発信されてきました。それらをまとめた書籍『戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録』の表紙、そして現在公開中の映画『戦雲』にも山内さんの絵が使われています。まずは、おふたりの出会いについて教えていただけますか?

三上 若菜さんとは、一昨年にある平和イベントでご一緒したんです。イベント会場で起きている出来事をその場で絵に大きく描いていて、「面白いことする人がいるなあ」なんて思っていたんですね。会場に山内さんの作った『ウマとオラのマキバ』という絵本があったので、パラパラと見ていたのですが、描かれている動物たちの絵に、なんだかすごく涙が出てきて号泣してしまいました。それで、いつか私の大事だと思うものを若菜さんに描いてほしいなって思ったんです。

山内 『ウマとオラのマキバ』という絵本は、福島第一原発事故後に私が通っていた福島県飯舘村で100年近く続く牧場で生まれ育った女性と馬を描いた物語なんです。出してくれる出版社が見つからなかったので、自分で作って自分で販売しています。

『ウマとオラのマキバ』(文 葉方丹/絵 山内若菜)

三上 私はいままで沖縄で起きている悲惨な状況を多くの人に知ってほしいと思ってきましたが、それを直球で伝えると、まるで燃えている球のようなものなので、受け止められずによけてしまう人もいることを感じていました。だから、いままでとは違うタイプの映画を作ることが必要だと思ったし、映画だけじゃなくて、絵や詩、歌、曲といったものの出番ではないかと感じていたんです。

 若菜さんの絵を見たとき、私がドキュメンタリー映画では伝えられないことも、この人だったら伝えられるんじゃないのかなという気がしたんですよね。それで、映画『戦雲』の音楽をお願いしたヴァイオリニストの勝井祐二さんと一緒に与那国島に行くときに、若菜さんもお誘いしました。

山内 「一人空きがあるから一緒に行かない?」っていう感じで連絡をいただきましたよね。私も沖縄本島では辺野古基地に反対する運動に参加したことがあって、ずっと沖縄にまた行きたいと思っていました。でも、交通費の問題などでなかなか行けずにいたので、三上さんに誘われて、すぐに行くことを決めました。

原発事故で奪われた、自然と一体になった暮らし

――その与那国での体験から生まれたのが、書籍『戦雲』の表紙ですね。「戦雲」とは沖縄戦体験者でもある石垣島の山里節子さんが、「また戦雲が湧き出してくるよ、恐ろしくて眠れない」と歌ったとぅばらーま(※)の歌詞から来たタイトルだそうですが、書籍の表紙に描かれた馬と少女がとても印象的でした。三上さんが書籍のエピローグで〈与那国馬、戦雲に立ち向かう少女というキーワードを伝えると、若菜さんはすぐに『おしらさま』ですね、とつぶやいてまた描き始めた〉と書かれていました。

※八重山地方で即興で歌われる抒情歌

山内 「おしらさま」とは岩手県遠野に伝わる神さまで、最愛の馬と結婚した女性が天に上って神さまになったと言われています。先ほどの話に出ていた絵本『ウマとオラのマキバ』で、飯舘村の自然のなかで女性と馬が駆け抜けて自然と一体になっていた暮らしを描いたときも、「おしらさま」みたいだなって思っていました。

 私は2013年から福島に通いながら牧場の手伝いもしていたのですが、牧場では原発事故の後、馬や牛が数十頭もバタバタと死んでいて、死産も増えました。絵本ではそのことを描いています。絵本のモデルにした女性は、飯舘村にある牧場の娘さんで、3代続く馬喰(ばくろう)一家の生まれ。自然と一体になっていた関係性があったのに、それをバラバラにしたのが原発事故でした。

 絵本は最後、〈『女にはむりだ』 お父(とう)はいうけど オラ 馬喰さなる。このマキバで ウマとオラとクサと、ぐるぐる生きてく。〉と、自然と自分と馬とでずっと生きていく宣言をして終わります。たとえ原発が再稼働していったとしても、たくさんの動物たちの死を忘れないように物語として継いでいきたいし、この絵本は「ずっと闘うぞ」という私自身へのメッセージでもある。与那国でも人間と動物の命が共にあったけれど、戦争になれば動物たちは見捨てられます。そこには共通する部分があると思いました。

(c)2024『戦雲』製作委員会

――山内さんは各地の中学校などで絵にこめた思いを伝える芸術鑑賞会や平和講演会を開くなどの活動もされているそうですね。

山内 「次世代を変えなくてはだめだ」と思って、中学校に出向いて福島の馬や牛、自然を描いたすごく大きな絵画を生徒さんたちに見て感じて、命や未来について考えてもらう表現活動もずっと続けています。

 私は動物たちへの隠喩を通して、人の苦しみも訴えたいと思っているんです。死産が続く福島の牧場では、被曝した動物たちが殺処分されて、「その命に価値はない」と社会から言われているようだった。それに対して「無駄な命なんてない」と殺処分を拒否している牧場主にも出会いました。動物が苦しんでいる姿を通して人間を含めた全ての命について語りたい。絵で声を上げたいと思って活動しています。

「抑止力」の名のもとに見捨てられる命

三上 人間は福島で起きた悲惨な出来ごとを、社会に全然生かせていないですよね。南西諸島に自衛隊のミサイル配備が着々と進められていますが、ここが戦場になれば、与那国の動物たちは島に置き捨てられてミサイルの餌食になる。「抑止力」のためならば、見捨てても仕方のない命があると考えられているということ。そういう動物たちの悲しみまでは、私のドキュメンタリー映画ではなかなか伝えられない。でも、若菜さんの絵でなら、島にいるヤギの愛おしさと、その命が軽んじられていることを同時に伝えられる気がします。

 与那国島にいる間に、若菜さんは100枚以上の絵を描いたんじゃないでしょうか。私がインタビューしている間も相手の似顔絵を描いて、その絵をプレゼントしていました。自動車の後部座席に3人乗ってギュウギュウになって移動しているときも、膝に30枚くらい紙をのせてずっと描き続けてた。足元に置いた水の容器がこぼれそうで心配だったんですけど(笑)。もう手を止められないって感じで、入ってくる風から、見ている山から、全部を描きたいんだろうなと思いました。若菜さん、一秒も休んでなかったよね。

山内 いやいや、そんなことはないですよ(笑)。でも、与那国に行ってみたら、人と自然と歴史があって、海がすごく近くて、鎖につながれていない与那国馬がいて、自然の豊かさをすごく感じました。あの場所にしかないような自然の色がたくさんあって、蝶々が飛んでたり、カニがいたり、自然と一体になる感覚があって「ああ、豊かだなあ」という印象を受けました。

(c)2024『戦雲』製作委員会

豊かな営みも希望も「ここには、まだある」

――映画『戦雲』では、主に与那国島、石垣島、宮古島での日米両政府による軍事化の状況、そしてそれに抵抗する人々の様子を描きつつも、むしろ島々の豊かな自然の美しさ、歴史のなかで受け継がれてきた暮らしや伝統のお祭り、命と共にある人々の生業といったものにフォーカスがあてられているように感じました。

三上 南西諸島では急速な軍事要塞化が進み、島を犠牲にした防衛計画が進められて、全島民の避難計画まで出てきています。そうしたことを私はずっと伝えてきたつもりですが、米軍による辺野古新基地建設反対の運動ほど自衛隊基地問題に対しては連帯ができなくて、壁みたいなものも感じてきました。沖縄だけじゃなくて日本全体が戦場になるかもしれないのに、その危機感がなかなか伝わっていかない。だから少し伝え方を変えて、まずは「抑止力」という名のもとに、私たちから「何が奪われようとしているのか」を、きちんと伝えていかなくてはいけないじゃないかと思いました。

 軍事化が進められている沖縄や南西諸島では、先祖からもらったものを大事に受け継いで、自然への感謝の気持ちを持ちながら、この先も50年、100年と島で同じように生きようとしている人たちの暮らしがあるんですよね。そういうものが「国のために多少の犠牲は仕方ないよね」という枠組みの中で奪われようとしている。そのことを伝えないと問題の本質がわからない。だから、抵抗運動の場面を今回は減らしてでも、人々の日常や地域への誇り、祈りのようなものを、この作品では描きたかったんです。もしそれが映像だけでは描けないのだとしたら、絵とか歌とかに助けを求めないといけないなとも思いました。その一つが、若菜さんの絵です。

(c)2024『戦雲』製作委員会

山内 私自身、この映画にすごく共鳴しました。映画をつくることと、絵を描く行為は似ているとも思いました。絵は一人でもできるけれども、映画の場合は、音楽や時間や空間があわさった総合芸術。与那国で出会った人たちが、映画のなかでどっくんどっくんと脈をうっていて物語になっていた。そこに希望が見えた気がしました。ここには、まだあるじゃないかって。今回初めてアニメーションという形で絵を描いたのですが、この映画に参加したことで沖縄のことがもっと心の中に入ってきたような感じがあって、すごくジーンとしました。

三上 いま「まだある」って若菜さんが言いましたけど、映画のパンフレットに書いてくれた文章の中にも同じような言葉が出てくるんですよね。

〈ヤギとアカネさんだったり、馬を洗う節子さんだったり、カジキに立ち向かうおじい、大きな海に挑むように抱かれていく自然と共にある姿を、一瞬でなかったことにするような暗雲が、これから島を包んでしまうかもしれない。そんな予感を孕みつつも、今まだそこに豊かな営みは存在しているのです〉(映画『戦雲』パンフレットより)

 まだ島の豊かな暮らしは存在しているから、私もここで映画をつくることができる。この暮らしが100年先もあってほしいと思うけれど、二度と帰れない島になるかもしれない恐怖が日に日に迫っています。自然と人と動物がとけあった営みが壊されてしまった場所を見てきた若菜さんが、「まだある」「まだ存在している」と言うのを聞くと、これがいつか失われてしまうのじゃないかと、私はとても怖くなってしまうんです。


2点とも(c)2024『戦雲』製作委員会

絵も魔法だけれど、インタビューも魔法のよう

――山内さんが与那国での三上さんの取材に同行されて印象に残っていることはありますか?

山内 三上さんは、本当にいろいろな立場の人と仲良くなって、どの相手にもリスペクトをもって話を聞くんですよね。だから、最初は警戒していた相手も、どんどん心を開いていく。自衛隊誘致に賛成してきた人も「私だって本当は苦しいんだよ」みたいな本音を吐き出したり、三上さんと話しながら相手が「自分はこういうことをやるべきなんだな」って何かを発見していたり、変化していく様子が近くで見ていてわかるんです。それが魔法のようで。カジキ漁師の川田のおじいもそうでしたよね。

三上 おじいはほかのテレビ局の人たちにもオープンで、人との垣根が低いように見えるんだけど、実は最初のうちは私に心をちゃんと開いてはくれていなかったと思うんですよ。どこか「あなたは反対運動の映画をつくるんでしょ」みたいなところがあった。でも、あるとき船の上でインタビューしていたら、「今までいろんな人が来たけど、やっぱりあんたの言うことが一番正しいような気がする。きっとあなたの映画は、ほかの人とは違うよ」っておじいが言ったんです。その瞬間、いままで入れなかった扉が開いたような気がしました。あのとき、若菜さんも隣にいたよね。

山内 そう、いましたね。「あんたの言うことが正しいよ」っていう言葉は、おじいの最大限の愛の表現だなって思いました。ずっと絵は魔法のようだって思っていたけど、インタビューっていう魔法もあるんだなって。相手の立場を理解して三上さんが話を聞いていくことで、どんどん心がほぐれていくのがわかる。こういう草の根インタビューをやり続けていったら、みんな変わるんじゃないかな、とさえ思いました。

三上 与那国はやっぱりヒリヒリしていて、私のように反対の映画を撮っている人がカメラマンと一緒にうろうろしているだけで、すごく警戒されてしまうんです。やっと決着がついて自衛隊を入れたのに、また賛成反対を島に持ち込まれるのが嫌なんですよね。それでも、川田のおじいや息子さんたちは取材に協力してくれた。だから、地域のいろいろな人と仲良くなって、いろんな立場の人に信頼してもらうことは、小さなコミュニティのなかで取材に協力してくれた人たちにかかる圧を和らげるためでもあるんです。そのために自分にできる最大限のことはやらなくちゃいけない。

カジキ漁師の川田一正さん(c)2024『戦雲』製作委員会

「わかりやすい答え」はない。モヤモヤしてほしい

――今回の映画では、三上さんはいままでとは違う方法で伝えることを意識されたと話していました。山内さんも次世代に平和や命について伝える活動をされていますが、「どう伝えるのか」がとても難しいと思うときがあります。お二人がいま感じていることがあれば教えていただけますか。

山内 いろいろなところで絵を描いて発表してきましたが、なるべく私からは言葉に出さないで絵をまず見てもらう、そこから体感してもらうことを大事にしています。たとえば誰でも参加できるワークショップを開催するなど、相手に能動的に関わってもらうのも意識していること。私たちが本当に大切にしていくものは何なのか、一緒に「なりたい形」を描いていくことが大事なのかなという気がします。

三上 私自身、試行錯誤しているし、伝え方に正解なんかないと思うんですよ。だけど、見た人に「モヤモヤさせる」ことも大事だと思っています。今回の映画では、特定の誰かが悪者になることがないように意識しています。「この人が悪いのね」と個人を憎んで溜飲を下げてしまうと、大きな構図が見えなくなってしまう。「結局、誰が悪いの?」「私は何をしたらいいの?」と聞かれることは多いのですが、わかりやすい答えなんてないし、それが一言で答えられるなら映画なんて作らないんですよね。

 きっと、わかりやすい答えを求める人が、映画『戦雲』を見たらモヤモヤすると思うんです。でも、そのモヤモヤは、その人がこれまでに経験してきたこと、悲しみや矛盾、やり過ごしてきたこととか、そういうものの蓄積から生まれてくるもの。誰の心にもコップに大事な水が少しずつ溜まっている状態があって、そのコップがいっぱいになって溢れたときには、居ても立っても居られなくなって自然と動き出すと思うんです。

 まだ動けずにいるという人は、モヤモヤをコップに溜めている途中かもしれません。コップがあふれてスパークしたら、私が「こういう活動をしてみたらいいんじゃないですか」なんてつまらないアドバイスをするよりも、きっともっとすごいものを生みだすと思う。私はそうだと信じているし、そこに期待したいと、いまは思えるようになりました。

(構成/中村)

『戦雲』
ポレポレ東中野(東京)、第七藝術劇場(大阪)、元町映画館(神戸)、桜坂劇場(那覇)ほか全国順次公開 https://ikusafumu.jp/

三上智恵(みかみ・ちえ)映画監督、ジャーナリスト。1987年、アナウンサー職で毎日放送に入社。95年、琉球朝日放送の開局時に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜辺野古 600日の闘い〜」「1945〜島は戦場だった オキナワ 365日〜」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判〜」など、沖縄の文化、自然、社会をテーマに多くのドキュメンタリー番組を制作。13年に映画版『標的の村』で映画監督デビュー。14年にフリー転身。15年に『戦場ぬ止み』、17年に『標的の島 風かたか』、18年に『沖縄スパイ戦史』(大矢英代と共同監督)を発表。近著に『戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録』(集英社新書)。

「楽園の予感」と山内さん_写真=小針明日香

山内若菜(やまうち・わかな)神奈川県出身。日本画家。1999 年武蔵野美術大学短期大学部専攻科美術専攻修了。生命をテーマにした作品を手がける。東日本大震災後、福島の牧場に通い、被曝した動物や牧場を描く。2016年、21年に「原爆の図丸木美術館」で個展開催。21年「牧場 放」が第8回東山魁夷記念日経日本画大賞入選。23年福島県南相馬市小高地区の「おれたちの伝承館」開館にあわせ、天井画「命煌めき」を制作、展示。https://wakanayamauchi.com/

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